『ハヤブサとガルダ』Part2
ハヤブサは、最後のサンドイッチを口にしながら、双眼鏡の先を睨んでいた。
監視されている男は、見た目は至って普通の一般市民だ。人相もサラリーマン風、中肉中背、街に出れば簡単に大衆に紛れ、見分けがつかなくなるだろう。とにかく印象に残りづらい、特徴のない男でしかない。
つまり、本来ならハヤブサのような血なまぐさい世界の人間が、一日使って見張る相手ではないはずだった。本当にこの男が、見た目通りの人間なのであれば。
「あんな顔して、裏の顔は血塗れだってさ。何回ナイフから血を舐め取ったんだろうな」
「今時流行らねぇぞ、そんな三下丸出しの悪党は」
今もまだ窓から街を見下ろしながら、優雅に煙草を吹かしている男。彼の正体は殺し屋であった。
ヒバカリ、という彼の呼び名は、噛まれればその日限りの命とされていた蛇に由来する。されていたというのは、由来に反して本当は無毒の蛇だったからである。
しかし、その名を賜った本人は、真逆の人生を歩んでいる。無毒に見せかけて、狙った標的をその日ばかりの命にしてしまうと言われている。それだけ、腕の立つ暗殺者として、依頼者からは信頼を受けているのだ。
そんなヒバカリをハヤブサ達が監視しているのは、彼等が追っている人間に関わり合いがあるかもしれないためである。
すなわち、ゴライチェの残党勢力とヒバカリは契約を交わし、仕事をこなしていると見られているのだ。
しかし、ハヤブサ達は根回ししているのは他の人物ではないかと睨んでいた。ゴライチェが失脚してから決して短くない年月を経ているが、未だにテロ紛いの事件は根絶されることはない。
残党がこうした活動を継続していること自体が、まず不自然だった。残党とは残存勢力の寄せ集めであり、あらゆる意味で実入りは力を保っていた頃よりも少なくなる。
よって、普通なら風雨に曝されて錆びつく鋼のように、日数が経過する程に組織は弱り、崩れていくはずだ。
しかし現実はどうだろう? 活動は縮小の一途を辿るどころか、狡猾さを増しながら一〇年以上経っている。
事件数こそ全盛期に比べれば減少傾向にあるが、一つ一つの事件が治安に及ぼす影響は大きくなっていた。しかも、ここ数年は依頼者、すなわち黒幕に手が届かないよう、トカゲの尻尾切りや痕跡の隠滅が巧妙になっている。
もしかすると、今の残党勢力の指揮者は、ゴライチェでなくなっているかもしれない。そんな予測もハヤブサ達の間では浮上していた。
彼等はここしばらく、黒幕の正体を明確にするため、繋がりのある人間をずっと探している。もし、行方の知れないゴライチェの潜伏先が判れば、取り越し苦労とわかるし、大将首を奪って大金星だ。
しかし、既にゴライチェの権威が失墜し、別の人間が勢力を動かしているのだとしたら……。
「ヒバカリの部屋に人が尋ねてきた。比較的若い女性」
ハヤブサの耳に、突然少女の声が響いた。同じく監視に付いているミサゴからの連絡であった。
ミサゴは、ヒバカリの住む階にある廊下、その天井に潜んで動向を伺っていた。ぼやきや嫌味が交じるトンビと真逆で、彼女の報告はとにかく要点だけを簡潔に伝えてくれる。
「へぇ、そいつはビックリ。どんな感じ?」
「個人的な印象なら。私達と同じ雰囲気は感じる。けど殺しとは違う」
ハヤブサは双眼鏡を下ろし、顎を指で挟んでわざとらしく熟考のポーズを取った。
ヒバカリは自身の存在感をとことん薄めながら生きてきた男だ。それなのに女が白昼堂々住処を尋ねてくるのを認めるのは意外な行動だった。
人間の多くは、思ったよりもゴシップが好きだ。普段あまり印象にない人間程、その意外性から興味を引いてしまう。
ハヤブサが調べた所によれば、あのアパートの持ち主兼管理者は一階の大部屋に住んでいる。他にもヒバカリを含めても五、六人もの住人が暮らしていた。
少しでも女の気配が香ろうものなら、大なり小なり食卓での雑談の種になる。少しでも注目を集めるのは控えたいはずのヒバカリにしては、脇が甘いとハヤブサは感じた。
「ヒバカリは、ちゃんと応対した?」
「ええ、顔見知りに見える。だけど、良好な関係ではないと思う」
「実にわかりやすい報告をどうも。ちょっと俺も直接確認してみようかな」
ハヤブサは、レジャーシートを手早く畳んでバスケットの中に仕舞おうとする。が、体勢を崩してせっかくのバスケットを押し潰してしまった。
これでもかとガッカリしたポーズを取った彼は、ポケットから取り出した大きなレジ袋で、崩壊したバスケットをほぼ一瞬で包んだ。そして出口に向かう途中、公園に備え付けられたゴミ箱へと投げ入れた。
余計な荷物を、他人に回収されないよう処分した彼は、監視していたアパートを目指した。
アパートは、三階建ての木造で、元々は宿泊施設として使うつもりだったらしい。が、経営者が開業準備の途中で逃げ出し、後に残った建物を助力していた不動産屋が手に入れた。少し手直しはしたが、アパートへ改造するのはそんなに難しいことではなかったという。
最初から家具が揃っているので、入居者はすぐに決まった。ヒバカリはそれを見計らうかのように、アパートへ住み着くようになったとのことだ。
……何かしら裏の根回しを感じる話ではあるが、今の目的はヒバカリの所業を洗い出すことではない。
アパートがいよいよ間近に見えてきた途端、ハヤブサは足を止めた。見覚えのある少女がゴムボールを転がして遊んでいたのである。というか、さっきハヤブサに絡んできた少女だった。
子供と言えど、見知った人間と顔を突き合わせるのは少々都合が悪い。よってハヤブサは、一旦街路樹の陰に隠れた。携帯のボタンをいじるポーズだけ取れば、日光を除けながら携帯を使っている男に見える。
「困っちゃうな。下手に近づいて声かけられても面倒だし」
「ったく脇が甘ぇなお前も。俺ならガキなんざ、まず相手にしねぇぞ」
「だろうな。お前の面を見て寄ってくるのは同業者くらいだ」
憎まれ口を叩きあいながらも、ハヤブサは少女の動向をこっそりと確認する。
「二人がアパートを出る」
というミサゴの報告から間もなく、アパートの中から大きな荷物を持った男女が現れた。出てきたうちの一人は、報告通りヒバカリで、もう一人は革のジャケットにホットパンツというワイルドな出で立ちの女性だった。
ヒバカリは情報通りの印象だが、初めて見る女の方は、顔立ちから仕草までいかにも気の強そうな性格といった風であった。
それから、ハヤブサは目を見張った。なんと待っていた少女が振り返って、女の膝に抱きついたからだ。
どんな縁にせよ、あの三人が関係者であることは確実だった。
「少なくとも、あの女が保護者なのは間違いないな」
屈託のない笑顔で母に頬を擦り寄せる少女。それを見下ろしながら、ヒバカリは笑顔と苦悶の中間といった、微妙な顔になった。
もしかすると、あの少女の父親は、ヒバカリなのだろうか。自身の存在感を濃くしない男は、知らない間に子供まで作っていたのか。
少女はヒバカリにあまり懐いていないようだった。しかし嫌いではないようで、母の陰に隠れながらも控えめに手を振っているのが見えた。
「家族で買い物するには、あのスポーツバッグはでかすぎるよな」
「まさかアイツラ、高飛びする気か? いつ殺しをやるのか見張ってたってのに、家族の逃避行現場に遭遇か」
冗談のような展開を前に、トンビも流石に少し動揺しているようだった。だが、誰よりも心中穏やかではないのが、ハヤブサだった。顔には出さないが、肩を意味もなく揉み始め、その指は少しだけ震えていた。
「あのタイプの親に育てられたにしちゃあ、そんなに曲がった育ち方してないのが救いかね」
ハヤブサの頭では、昔の記憶が断片的に再生されていた。その記憶の中にいる自分は、虚ろな目をして両親らしき二人の顔を眺めていた。
と、心を掻き乱されている場合ではない。例え少女が何も知らなかろうが、このまま家族を逃がすわけにはいかない。彼等にとってはハッピーエンドでも、こちらからすれば最悪の結末である。
後をつけよう、そうハヤブサの足が動いた瞬間、アパート前の車道にワゴン車が一台止まった。迎えまで用意していたか、とハヤブサは思わず舌打ちする。
が、状況はそんな単純ではなかった。
ワゴンから出てきた二人によって、まず母と娘が口を押さえられつつ、車内に連れ込まれた。ヒバカリは即座に抵抗したが、続いて車の中に突き飛ばされてしまった。
仲間への対応としてはあまりにも手荒な真似をする。などととぼけている場合ではない。一部始終を見れば、これが拉致であることは間違いなかった。
白昼堂々、かなり図々しい手口だが、被害者三人が声を上げる前に拘束したこともあって、周囲にぽつぽつと居る人間には気づかれていなかった。
その手際には、ハヤブサもつい拍手を送りたくなったが、このまま観客の立場を続けられはしない。
「よし、俺が強行するぞ。後から援護よろしく」
ハヤブサは、仲間に相談するよりも前に、行動を起こした。せめて発信機くらいは車に付けなくてはならない。
ポケットからガムのような物を取り出し、中に黒くて丸い小さな機械を練り込んだ。そして通りすがりを装いながら、車に近づく。
こうしてふらっと木陰から出ようとした瞬間、ハヤブサの後頭部に凄まじい衝撃と激痛が走った。
行動を起こす前に、ハヤブサの意識は一瞬で沈んでいった。
トンビは急いで携帯電話の短縮ダイアルで、ファルコナーに連絡を始めた。
そうこうしてる間に、ミサゴがすれ違いざまに、車へ何かを投げつけていた。恐らくハヤブサが付け損ねた可能性がある発信機だろう。
ミサゴのファインプレイを眺めている間に、ファルコナーは間もなく応じた。トンビは、自分でも驚くくらいに冷静な声音で説明を始める。
「とっつぁん、ハヤブサが連れ去られた」
冗談を挟む間もない緊急事態に、ファルコナーが小さく呻き声をあげた。
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