『ハヤブサとガルダ』Part1

 首都からやや離れた所に、テイトルという閑静な住宅街があった。時間はかかるが電車一本で首都にいける交通網の良さに加え、山や森などがよく残った空気の美味しい土地であった。その雰囲気を好んで移住する人間も多く、密かに人口を増やしているという。

 そんな街の名所と言えば、国が整備した公園である。

 と言っても、元々ここは前政権で軍事用拠点の建設予定地として確保された土地だった。が、微妙に首都から距離があることが災いし、計画はどんどん後回しにされ、あげく政権の転覆により白紙になってしまったのだ。

 その後、新たに国主となったブラーズの采配で規模の大きな国立公園を作ることが決定した。今では物騒な過去など微塵も感じさせない、自然溢れる公園となっていた。

 市民の憩いの場として活用されているが、国の歴史などを綴った石碑などが園内に置かれていて、観光地としての役割を兼ねていた。

 敷地内を巡るだけでジャゼルの近代史が勉強できるとあって、通な人間には穴場のスポットとなっている。ちなみに先のエピソードも、今では笑い話として陽気な文体で綴られていた。




 そんな公園の中で、高校生くらいの少年が双眼鏡で何か眺めていた。木陰の下でレジャーシートを広げ、傍らにサンドイッチを詰めたバスケットを置いている。

 まるでピクニックのようであるが、この年頃にしては少し珍しい。今日は平日ということもあって、園内に人は少なく、気にする人間はいないが。

 見渡せば、他にも日光浴やバドミントンなどを楽しむ人間もちらほら見える。そんな中で少年は、ニヤニヤとして双眼鏡の先にご執心だった。

 通りがかりの人間がその顔を見たら、これ見よがしに訝しげな顔を向けるだろう。だが幸いにも、彼の陣取った位置は人の往来が少ない小道の近くであった。公園内のどこを目指すにしても遠回りになるので、ここをわざわざ選んで通る人間はほとんどいない。

 ……だが、いつ何時においても、例外は服を着て歩いているものだ。

「さーて、どうお客様にお引取り願おうかな」

 知らない人間の気配に加えて、自分への熱い視線を感じて、ハヤブサは表情を固くする。そして、ゆっくりと双眼鏡から目を離した彼は、首を動かさずチラリと視線を真横に向けた。

「お兄ちゃん、覗き?」

 柔らかそうなゴムボールを持った女の子が、首と身体を傾けながら問いかけてきた。仕方なく双眼鏡を降ろした少年は、満面の笑みでその問いに答える。

「そうだなぁ、鳥さんの生活を覗いているから、言われてみれば覗きになっちゃうか」

「鳥さんの? バードウォッチング?」

「おお、よく知ってるねお嬢ちゃん。見てみる?」

 少年の勧めに、女の子はゴムボールを地面に落としながら詰め寄ってきた。そして、少年が双眼鏡を目に当ててやると、女の子は無垢な声をあげて感嘆した。

「小鳥さんが、木箱のお家で休んでた!」

「可愛いだろ? あ、だからって駆け寄るのはなしな。バードウォッチングは静かに鳥を眺めなくちゃ」

 と、少年が言うまでもなく、女の子は口を開けながら見入っている。よほど彼女にとっては物珍しく興味深かったのか、しばらくの間は双眼鏡を両手で力一杯掴んでいた。

 流石にいつまでも貸してはいられないので、少年は双眼鏡の返却を催促する。女の子は意外とあっさり応じたが、その目はまだ好奇心に満ち溢れて眩く輝いているように見えた。

 純粋に感動したんだろうと、少年も自然と口角が上がってしまった。

「ありがとう、今度ママに眼鏡買ってもらう!」

「お嬢ちゃん、これは双眼鏡って言うんだ。いいか? 家に帰ってもずっと頭に双眼鏡のことが浮かぶなら、親御さんにお願いしてみなよ」

「わかった! お兄ちゃん、頑張ってね」

 子供は実に素直だった。知りたいことがわかれば用済みとばかりにさっさと話を切り上げてしまう。少年は微笑みを苦笑いに変えつつ、女の子が忘れていったゴムボールを投げて返した。

 少女は倒れそうなくらい大袈裟なお辞儀で感謝を示してから、走り去っていった。

 闖入者とのやり取りにようやくケリを付けると、再び少年は双眼鏡に手をかけた。が、見計らったように、少年の耳に声が響いた。

「おうハヤブサよ、ナンパは終わったか?」

「人聞きが悪いなー、トンビ。俺は今、未来ある幼い子供に情緒教育を施していたんだ。立派な社会貢献さ」

「はぁー、いいから自分の仕事に戻れよ。もし見失いましたなんて言ってみろ。ファルコナーに言い付ける前に、お前の首を引っこ抜いてやる」

 やれやれ、とわざとらしいため息をついたハヤブサは、再び双眼鏡を手にとった。

「残念、俺はまだ自分の頭とお互い愛おしく思い合ってるから離れられない。だから、余計な動きはしないでよなー? おじさん」

 双眼鏡がハヤブサの目に映していたのは、三階建アパートの一室だった。その一室の窓からは、冴えない顔の男がタバコ休憩を嗜んでいた。




 ******




 人の気配が薄い森の奥に、こじんまりとしたコテージが一軒佇んでいた。

 さながら古生代にタイムスリップした映画でのように、コテージの存在は浮いていた。だが、その姿は木々に隠されていて、近くまで足を運ばなければその存在を確認するのは容易ではないだろう。

 そんな二階のバルコニーで、ノスリは紅茶を楽しんでいた。

 しかし、優雅に味わっている様子ではない。むしろ、げっそりとした顔で、カップを持つ手もどこか元気がない。

「謹慎もこれで何日目だろう」

「謹慎じゃない。休息指示だ」

 つい愚痴っぽい独り言を漏らすと、同じくバルコニーに居たハゲタカが口を挟んできた。

「名目をいくら変えたって、今の状況が全てを物語ってるでしょ? 大体、アンタだって休むとか言っておきながら、ずっと飽きもせず銃の手入ればっかり」

 ハゲタカが抱えていた狙撃銃が少し揺れる。彼はもう何度も点検を済ませているが、しばらくするとまた取り出し、同じように点検を始めるということを繰り返していた。

 今はもう、神経質なまでに細かいところまで目を配り、銃身に付いた古傷を、消せもしないのに撫でたり拭いたりしている。

「これは……俺の趣味だ」

「言い訳が下手糞すぎるでしょ。まあ、私も長期休暇を満喫するのは下手だから、人のことは言えないかもしれないけど?」

 ハゲタカは面食らった顔をした。

 メンバー内では年上でも、ノスリはチームの中では新入りである。それにしては態度が大きいという自覚はあるが、しおらしくして彼等の信頼を得られるとは思わない。だからあえて歯に衣着せぬ物言いを選んでいたのだ。

 はっきり言われたハゲタカも、無理矢理時間を潰している自覚はあるようだ。だから歯軋りするだけで、何も言い返してこないのだろう。

 ここは居心地の悪い場所ではない。二人の目の前に広がる風景は、ほとんど自然をそのまま残していて、空気も文字通り澄み切っている。

 小鳥を始め、野生動物の声が耳に入るのも、ノスリにとっては癒やしとなった。もっとも、ハゲタカは動物が苦手なのか、しきりに野生動物との接触を避けているので、彼にとっては不安要素かもしれないが。

 それはさておき、動植物も平穏に過ごせる世界は、汚染された空気の中で暮らさざるを得ないノスリ達にとっては、最高の保養所だ。

 ただ二人は、あまりにも仕事熱心が過ぎた。保養地という場所自体との相性がべらぼうに悪いのだ。

 じっとしているよりも、行動したい。そう考える二人にとって、休息があまりに長いのはむしろ毒となる。

 ノスリは喉を痛めたような顔で、バルコニーの手摺に身を寄せた。視界に入る動物が時折異なるくらいで、代わり映えのしない風景を見るのも、とっくに飽きを通り越している、はっきり言ってしまえば、拷問のように感じていた。

「ご機嫌斜めだな、ノスリ。私の紅茶がお気に召さなかったかな?」

 と、コテージの主が、自分の紅茶を片手に中から出てきた。

 彼はファルコナーと呼ばれている。猛禽類の名を冠する者達を操る、文字通りの鷹匠である。

 以前の事件ではタクシー運転手として部下に使われていた彼だが、実際はこのチームに指示を下す司令塔だ。

 年齢は初老くらいで、短く切り揃えられた、白髪交じりのグレーヘアーがまず目を引く。芝生のように少々逆立つそれのかげか、ブラウンのスーツがよく似合う。

 ノスリにとっては、自身をスカウトしてくれた教師のような存在だ。さらに言えば、ミサゴにとっては育ての親でもある。

「不味いと言ったら、私のクビが飛びますか?」

「手厳しいご意見だが、甘んじて真摯に受け止めよう。自分で用意した方が良かったか?」

「冗談です。お世辞抜きで美味しい紅茶でした。インスタントコーヒー暮らしの貧乏舌には勿体ないくらい」

「ははは。馴染みのない人間にも喜んで頂けたのなら、店主としては光栄だよ」

 司令塔とは思えない発言が続々と飛び出し、ノスリは苦笑いした。

 強面の割に、普段は穏やかな雰囲気を持つ男性だ。見る人が見れば公務員のような雰囲気は醸し出しているだろうが。元々は本当に政府の中枢で警察の一部署を指揮していたという話も聞く人物だから、当然ではある。

「お前達を籠に閉じ込めるのは心苦しい。しかし挽回を焦ってもらっても都合が悪い。それにノスリ、君は特に心身の療養が不可欠だ」

「私、そんなにくたびれているように見えますか? 可愛らしい男性とデートまでさせてもらったし」

 心にもないことを口に出して、ノスリは少し鳥肌が立った。ハヤブサのことは別にタイプではないし、今の所これ以上プライベートで羽目を外す気にもならない。

「敵性組織への潜入任務は、自分が思っているよりも消耗が激しいものだ」

「それは、ファルコナーの経験則から出た話ですか?」

「先人の助言は素直に聞くことを薦める。それとも、自分はお前とは違うと言いたいのか?」

 穏やかに語りかけていたファルコナーの態度が、少し強張った。背丈の違いはほぼなく、同じ目線のはずであるが、ノスリは見下されているような感覚に陥った。自分が幼い頃、親に聞き分けのないことを言って、突き放された感覚が思い起こされた。

 が、凄みを見せたのは一瞬で、彼はすぐに温和な雰囲気に戻った。

「心配しなくとも、ここで腐らせるつもりはない。休養期間が終われば、また嫌でも放り込むことになる。今も、監視の仕事に就いたハヤブサ達に何かあれば、休暇は返上だ。覚悟はしておくように」

 複雑そうな笑顔を浮かべて、ファルコナーはベンチに腰掛けた。

 自分は焦り過ぎているのだろうか。ノスリは目の前でまた銃の手入れを始めたハゲタカを眺めながら、ほとんど残っていない紅茶のカップに口を付けた。

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