『ラプターズの誕生』Part4(終)

 ミサゴによって後ろ手を結束バンドで拘束されたジャガーは、トンビに誘導されながら階段を降りていく。首根っこを掴まれた猫のような彼は、意気消沈したように俯いている。

 落ちぶれた様子を哀れに思わないでもないが、この男に殺されかけたノスリとしては、むしろいい気味という気分だ。

 一階に降りた途端、ジャガーがふいに足を止めた。馬鹿力でトンビが身体を引っ張ると、彼は力なく床に倒れた。舞い飛んだ綿埃は、ノスリにまたこの建物の不衛生さを思い出させた。

「どうしたおっさん。赤ん坊じゃねぇんだ、立って歩け」

「……連れて行かれる前に、お前達が何者かを知っておきたくてね」

 手を後ろに組まされていながら、ジャガーは身体をなんとか起こしてみせた。もしや、結束バンドを外そうと画策しているやもと見て、ハヤブサはミサゴを見て確認させた。

「私は猛獣じゃないんだ、そんなにピリピリしなくていい。そっちのデカブツみたいに、馬鹿力でバンドを引き千切る力もない」

「はははは。この世界で、そんな自己申告を、はいそうですか、なんて受け取る人間はいないよ」

 ミサゴが彼の近くに待機して、バンドを外そうとしていないか確認する。そしてハヤブサはその間に、拳銃をジャガーの腹に突き付けて、冷たい笑みを見せた。

「俺達が誰か知りたいって?」

「やはり、警察官か? それにしては血の匂いが漂いすぎているようだが」

「もしそうなら、こんな物騒なもんより前に、とっとと手帳を見せてるよ」

 意外にも、ハヤブサは彼の質問に答え始めた。ジャガーにとっても予想外だったのか、少し目を見開いていた。

「で、あれば、候補は限られる。国の諜報、いや工作機関か、あるいは不死鳥やガルダのように、政府と手を組んだ連中」

 と独り言をつぶやくが、ハヤブサ達は一切動じない。しかし、その反応を観察する前に、ジャガーは一人で結論を付けていた。

「……なるほど、奴等の同族ということなら、この状況も納得できる。国と手を組む、金にならない仕事をする好事家の類か」

 その一言を耳にしたハヤブサが、笑顔を少しだけ曇らせた。余裕ぶった態度を取っているが、その雰囲気ははっきりと変わったように感じる。

 そのせいか、ノスリにはハヤブサの目が突然鋭くなったように見えた。

「正義のため? それとも義理か? 動機は知らないが、命を懸けるにはあまりに割りに合わない。理解に苦しむよ」

「なんだ、アンタ批評家の類だったのか? じゃあ、これ以上虐めちゃ可愛そうになってきちゃうな」

 皮肉めいた一言を投げられても、ジャガーは含み笑いで応対するだけであった。

「我々からしてみれば、不死鳥やガルダは裏切り者だ。おかげで飯の種をほとんど奪われたのだからね。奴等が正義心でゴライツェに楯突いたのかは知らないが、警官殺しを呼んだのは結局奴等じゃないか」

 ジャガーにとって、それは何気ない愚痴のようなものだったのだろう。さして

「警官を危険に晒す原因を作り、最後はあっけなく死んだ。そんな無責任な老人達に追随して、何か得るものはあったのか?」

 その一言を聞いた途端、ハヤブサはジャガーの胸倉を掴んで、無理矢理立たせた。そのまま容赦なく壁に叩きつけ、余裕ぶっていたジャガーが苦痛で顔を歪ませていた。

 突然怒りに身を任せ始めたハヤブサを、ノスリは止めようとした。が、トンビとミサゴは一切動かないので、結局手は出せなかった。

 一方、ハヤブサは戸惑うノスリなど眼中にないようだ。勢いのままジャガーの首に右腕を押し付け、犬歯を剥き出しながらニヤついた。これ程までに殺気で満ち溢れた笑顔を、ノスリは見たことがなかった。

「ジャガーさん、アンタ結構可愛げのある人だったんだな。正義だなんだって、薄っぺらい言葉に振り回されてるなんてさ」

「な、に、を」

「俺も人のことは言えないか。俺、自分で言うのもなんだけど、結構義理には厚くてね。借りはきっちり返すタイプなんだけど、例えばノスリのお姉さんが受けたあの傷の分、返さないとな」

 と言うや否や、ハヤブサは突然引き金を引いた。

 ジャガーは激痛に顔を歪め、小さく呻いた。彼が中に着ていたシャツが、赤く滲み始めたのが見える。

「そんな哀れっぽく呻かないでくれよ。横っ腹に掠めさせただけで」

 銃弾は皮膚を抉ったらしく、ジャガーは拘束されながら必死に身を捩らせた。身動きが上手く取れない彼の耳元で、ハヤブサは少しイタズラっぽく囁いた。

「ああそうそう、もう一つ。腹を蹴飛ばされたハゲタカの分、すっかり忘れてた」

 と言って彼は、体重を全て乗るようにして、回し蹴りを放った。まともに腹に受ける他なかったジャガーは、くの字に身体を思い切り曲げてがら、力なく倒れ込んでいった。

 ハヤブサの豹変に、ノスリは戸惑いを隠せない。明るくおちゃらけて、彼なりに自分を元気づけようとしていた面影は消えてしまった。

 次に銃弾が放たれる時は、きっと掠り傷では済まさないつもりだろう。というか、狙って銃弾を掠らせるなど、見てくれよりずっと難しい。少なくとも普通に狙って標的に当てるよりも困難な芸当のはずだ。

  力なく突っ伏すジャガーを見下ろしながら、ハヤブサは容赦なくその髪を引っ掴んだ。頭だけ無理矢理起こすと、さっきまで涼しい表情を保っていたジャガーの顔が、苦悶に染まりきっていた。

「育ちが悪いおかげで、正義って奴はまるでお勉強してないんだ。だから、力加減ってのがわからない。特に、仲間に一発かましたゲス野郎が相手だと」

 ハヤブサは、そのまま掴んでいた髪の毛を離した。床に顔面を落とされ、ジャガーはさらに悶え苦しんだ。

「うぅ、ぐぅ、うおぉぉ……」

 が、何かを言いたくとも、ジャガーは顔にも腹にも力が入らず、苦痛の声しか吐き出せない。

「その辺りにしとけよハヤブサ。コイツまでくたばっちまったら、せっかくの手がかりをみすみす潰すだけだろうが」

「別にいいじゃん。元々捕縛が塗りならコイツのボスを縛り上げて、情報をぎゅっと搾り取ってやるつもりだっただろう?」

「ったく簡単に言うんじゃねぇよ。待ち伏せ連中を潰すのも一苦労だったんだぞ? このうえ敵のアジトにカチコミするなら、お前がまず鉄砲玉になれよ?」

 呆れ混じりに否定されたハヤブサは、冗談と茶化しながらも、無理矢理ジャガーを立たせた。ダメージが大きく立てそうにない彼を見かねて、仕方なくトンビが肩を貸すことにした。

 ぐったりするジャガーの前にしゃがんで、ハヤブサはまた笑顔を貼り付けながら話しかけた。

「生きて日の目がまた見たいなら、歩み寄って素直な人になることをオススメする」

「……なら、素直に、今の気持ちを言おう。私は、お前が、虫酸が走る程に嫌いだ……!」

「あはははは、その調子。せいぜい仲良くしよう、おじさん」

 一部始終を後ろで眺めながら、ノスリは複雑な感情を覚えた。

 凍りつくような殺気はどこへやら、ハヤブサはすっかり元の調子に戻った。実は多重人格者で、人格を使い分けているのか? と思うくらい、彼の変貌は極端だ。

 ノスリは畏怖すればいいのか、呆れてやればいいのかわからなくなった。



 一悶着あったことを外にいるハゲタカに知らせると、皆は建物から隙を見て順々に外へ出ることとなった。

 ノスリにとっては、久しぶりの帰還だ。仕事と無関係な空間で眠れるというのは、今の彼女にとって最大の快楽だ。酒に溺れたりギャンブルにハマったりするより、ずっと健全なのは間違いないのだ。

 人が遠ざかったのを見計らい、タクシーがビルを通りががった。運転手は予想していた通り、ボスであるはずのファルコナーだった。ハヤブサとミサゴがカップルを装って止め、ノスリはトンビと共にジャガーを担ぎつつ外へ出た。

「伏せろ!」

 ハヤブサの言葉に、ノスリ達の身体はすぐに反応した。間髪入れず、重たい銃撃音が周辺に響き渡っていった。

 音からして、ビルからの狙撃だ。ハゲタカではないとすれば、他にも襲撃者がいるということだ。

 なんとか応戦しようと、皆はそれぞれタクシーに身を隠して伏せながら、各々武器を取り出す。

 が、その中でハヤブサは銃を取り出す腕を止めて、口をあんぐりとさせていた。

「お近づきになるのは、地獄までお預けか」

 それに同意するように、ノスリは、ハンカチで顔を拭いながら息を吐く。

 ジャガーの頭は、威力の高い弾丸で破壊され、無残な有様へと変わり果てていた。その崩壊した様は、今際の際の表情すら読み取れないくらいだ。

「撤収だ、ハゲタカ。最終目的は失敗だが、最低目的は果たした」

 状況に怯んだのは一瞬だった。ハヤブサがハゲタカに連絡したのを見てから、残った四人はすぐにタクシーへと乗り込んだ。

 身動きの取れない車内に飛び込むのは危険だとノスリは思ったが、以降追撃は行われなかった。

 そもそも、こちらも殺すつもりなら、とっくにどこか攻撃されていそうなので、敵の狙撃手は去った後という可能性も高い。

 いずれにせよこの騒ぎで、また人の注目を集めかねない。存在を目撃されることを少しでも避けるべく、今は逃げることが先決だった。



 ******



 数日後のある昼食時、ノスリは人混みの中に居た。

 彼女は腕を組みつつ、しばしば欠伸をしながら、約束した相手の到着を待ち侘びていた。

 普段のノスリと言えば、スーツ姿が基本だった。が、今日はプライベートの外出なためか、ブラウンカラーの薄いジャケットにデニムのショートパンツ姿である。

 待っている間、下心に支配された男が数人声をかけてきた。が、ノスリが一睨みすると、一人と踵を返さない者はいなかった。

 そろそろ男達をあしらうのにも飽きた頃、待ち人は突然、ヘラヘラとした調子でやってきた。

「おまたせー、さあ行きましょうか、おデート」

「二〇分以上も遅刻してきた相手と、これから笑顔で手を繋げると思う?」

 これでもかというくらい、ノスリは腕時計を指で叩いて見せつけた。が、遅刻した側はまるで悪びれず、頬を掻くだけだった。

「まあ聞いてくれよ。行きつけのタクシー会社に出迎えを頼んだんだんだが、とっくに廃業した、って突っぱねられちゃってさ。おかげでこの有様でね」

「ボスを運転係にしようとする、アンタの思考が理解できないわ……いいから、早く終わらせましょう」

「そんな言い方はないだろう? せっかくお近づきになるチャンスなんだからさ。ほら、遠慮なく密着してくれていいんだよ?」

 両手を広げて待ち構えるを放っておいて、ノスリは先に歩き始めてしまった。そうなると、ハヤブサも続くしかなかった。




 事件の後、ノスリは彼等とお近づきになる気などなかった。あまりにも世界が違いすぎると思ったからである。

 中には共に同じメニューの訓練をこなし、メンバーとしては新参となるミサゴですら、遠い存在に見えてしまった。自分だけ足を引っ張るような所では働けないと。

 しかし、太鼓判を押したのは、ノスリを推薦した司令塔のファルコナーではなく、ハヤブサだった。

 あれだけの状況において上手く立ち回り、生き残れるだけでも十分なスキルだと彼は熱弁した。必死なお世辞だと感じたノスリは適当に流していたが、その言葉を皆揃って否定しなかった。

 特に驚いたのは、ハゲタカがノスリの加入を承諾したことだ。彼はノスリどころかミサゴの参入すらまったく快く思っていなかったが、あの日を堺に少しだけ刺々しい態度が和らいでいた。

 理由をあえて問いただしてみると、ハゲタカはあの日に自分が失態をやらかしたことをあげた。

「大事な場面で、俺はしくじった。だから俺は、アンタラを拒絶できる立場にはない。それだけだ」

「あーもう、君って奴は素直じゃないなー。素直に華が増えたって喜びなさいってな!」

 突然、ハヤブサに髪を乱暴に撫で回されたハゲタカは、激怒して平手打ちで反撃していた。

 まったく緊迫感のないやりとりから、ノスリは断る機会を失った。そのことをハヤブサに伝えると、彼は首をロックしていたハゲタカを投げ飛ばしながら、大きく両手を広げた。

「ようこそ、ラプターズへ!」

「ラプターズ?」

 ノスリが首を傾げるが、ハヤブサ以外の面々も訝しげな表情を浮かべた。恐らく初耳だったのであろう。

「え、ダメ? ほら、みんな名前が猛禽類だから」

「……捻りなしね」

 こうしてノスリは、潜入組織に籍を置きつつも、実質彼等の仲間として活動することとなった。




 それもあって、今日は冗談だと思っていたデート計画が実現してしまっていた。本当なら今は、こんなことをしている場合ではないのだが。

「この件を裏で仕切っている人間を炙り出す。それを達成できないまま、こんなことしてていいと思う?」

「そんなこと言ったって、今は何もできないじゃん? ジャガーさんの組織は、あの後口封じに消されちゃったしさ」

 ジャガーが殺された翌日、彼の所属するファミリーは根本から壊滅した。内部抗争による自滅と報道されたが、黒幕による工作だということは明白だった。

 ハヤブサ達は、当然今回の犯人を探ろうとした。が、事件の痕跡はほぼなく、敵の尻尾の毛すら掴むことはできなかった。

 なるだけ存在を気取られない必要がある以上、チームは表向きな行動がしづらい。

 表の顔も程度使えるファルコナーとノスリなら、かろうじて動くことはできる。が、短期間のうちに二人だけで集められる情報など、たかが知れている。特にノスリは、今回の失敗の穴を埋めようと必死に集めようとしていたが、すぐに止められてしまった。

 煮え切らない気持ちを抱えながら数日を過ごした後、ふとハヤブサが約束を果たして欲しいと言い出したのだ。

 果たして、プライベートの時間など持って良いのかは甚だ疑問だったが、約束だからとノスリは勢いに押し切られてしまった。

「アンタは、歯痒くないの?」

「今、必死に頭抱える方が時間の無駄だろう? それより、何を食べに行くか決めなきゃ。せっかくの奢りだ」

 と、手を揉むハヤブサの言葉に、ノスリは声を荒げた。

「待て、いつこっちが奢るって話をした?」

「だって俺、命の恩人ですから。そこは誠意で返して頂かないと」

「普通、こういう時はデートに誘った男の側が払うのがセオリーなの。それとも、お坊ちゃんにはまだ早かった?」

 流し目を向けながら、ノスリは煽るような言葉を投げた。

 子供扱いが腹に据えかねたか、ハヤブサはむっとしながら財布を取り出した。それからしかめっ面で中身と相談した後、歯軋りをしながら言い返した。

「は、ははは見てろよ。俺をお坊ちゃんと侮ったことを後悔させてやるからな」

「私、チューカっていうのを食べたことないのよね」

「……ええい! かかってこいチューカ料理! その代わり俺にもちゃんと食わせろよな!」

 意地になって自分を追い越す姿を見て、ノスリはようやく穏やかに微笑んだ。

 自分がついていけるかはわからない。が、退屈だけはしない職場になりそうだと。

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