『ラプターズの誕生』Part2

 ノスリは、かつて警察官であった。

 彼女が警察官になろうと思ったのは、死んだ父親が警察だったからで、さらに彼が組織内のゴタゴタで命を落としたからである。

 前政権がまだ幅を利かせていた時代、ノスリの父は政権と癒着していた上の人間と、常に対立していた。

 その頃の警察は市民から裏で賄賂を要求していた。もし従わないと、関係の深い反社会勢力による遠回しの恫喝が行われてしまうので、多くの民は金目の物を献上するしかなかった。

 市民から金を巻き上げる役目を担っていたのが、下っ端の巡査や巡査部長といった市民と密接に関わる地位の人間だった。が、巡査部長だったノスリの父は、それを断ったあげく、警察内部の腐敗を世界に告発しようとすらしていた。当時はインターネットが発達し始めた頃で、やや技術的に遅れているジャゼルにも近代化の波が来ている所だったのだ。

 が、その最中にノスリの父は事故に見せかけて殺されてしまった。後になってわかったことだが、加害者は余命の近い男で、家族に大金を残せると言われ、犯行に及んだのだという。

 物心付く前だったノスリだが、父が理不尽に殺されたということはなんとなく感じていて、幼いながら憎しみを抱えながら育ってきた。

 間もなく、クーデターによる政変が起き、母が隣国への移住を決意する中、ノスリはあくまで父の暮らしたこのジャゼルで生きていくことを望んだ。おかげで母とは仕送り以外の繋がりは失ってしまった。

 母に背を向けてでも、ノスリは父の意思を継いで、生まれ故郷で警察官になりたかった。父の生き方は間違いではなかったことを証明するため、高等学校への進学はせず、迷わず警察学校へと入ることを決めた。人材不足のジャゼルにおいては、警察官志望の最低条件は中等学校卒まで下がっていたことも幸いした。




 最もやる気に満ち溢れた彼女は、警察学校において並み居るライバルを差し置いて、トップの成績で卒業を果たした。エリートと呼ばれた主席候補の生徒達は、皆彼女には及ばなかった。

 特に教官顔負けの身体能力は、視察に来ていた上層部すら目を見張った。

 正式に警察官となった彼女は、腐敗の空気が残る街において、父が目指した正義を貫き通そうと勤労に努めた。

 おかげで犯人検挙率も高く、新人としては異例となる刑事への昇進まで及びがかかる程だった。

 しかし、そんなノスリの存在を、同期は快く思わなかった。やがて彼女は罠にはめられてしまう。

 捕まえられた一人の悪漢が、取調べ中にノスリの不正を告発した。当人は見に覚えがなかったが、一度疑惑が付くと周囲の目は一気に変わった。

 結局、決定的な証拠が出ず、表向きは不問となったが、栄転の可能性すら見えていたノスリは、一転して特に治安の悪い地域へと送られた。

 そこでもノスリは真面目に働き、犯罪者を次々と謙虚したが、不正警官というレッテルはずっと付き纏った。

 父の信じていた正義はなんだったのか、とノスリがいよいよ我慢していた涙をこぼそうとしていた時だった。

「我々の力になってはくれないか?」

 ファルコナーと名乗る初老の男性に、突然引き抜きの話を持ちかけられたのだ。

 彼が言うには、警察とはまた違う特別な潜入捜査機関が結成され、人材を探している所だという。

「時には、表向きに権限を与えられないような非合法的な連中との仕事を強いることもあるだろう。恐らく、君の信じる正義とは遠く離れた仕事だが、この国を守るためには必要な仕事なんだ。力を貸してくれないか?」

 悩んだのは少しだけだった。正義という漠然としたものを信じられなくなっていたノスリは、翌日辞職願を叩き付けた。

 それからすぐ、ノスリは潜入捜査官としてファルコナーの指揮下に入り、半年以上の訓練を受けた。メキメキと力をつけたノスリは、すぐ潜入任務に付き、着々と実績をあげていった。




 今、ノスリが潜入しているのは、ゾーズファミリーと名乗るマフィア集団だった。

 街外れに建てた五階建てのビルを二棟連ならせたものを拠点とし、表向きは不動産業で通っている。

 組織の規模としては中堅といったところだが、金さえ積まれれば仕事を選ばない姿勢から、非合法的な集団からは非常に重宝される集団だった。

 特に今のボスであるデーマは、父が死んだことで繰り上がったような存在で、三〇歳後半という年齢は組織の長としてはまだ若かった。

 それだけにか、親にも増して強欲な男で、警察の暗殺という仕事も涼しい顔で引き受ける程だった。

 ノスリは、デーマに元警察官の用心棒として売り込んだ。元警官は囮捜査の可能性から警戒こそされるが、味方に付けばこれ程武器になる者はいない人材で、ノスリは時折この偽りのない経歴を武器にしていた。

 腕試しと、ノスリは荒々しい筋肉を持つ大男とタイマンで模擬戦を行うように言われた。模擬と言っても相手は殺す気満々で、こちらは殺さない程度にハンデを付けないといけない、というハンデマッチのような対戦だった。

 だが、ノスリはしっかり男達をねじ伏せてまじまじと力を見せつけた。それを見たデーマは次に、忠誠の証として警官殺しの仕事を言い渡された。

 ノスリは、仕事を受けた後で、外出の隙を見計らい、ミサゴ通を介してファルコナーに連絡した。そして、ファルコナーが抱えている他の潜入捜査官を利用して、遺体を捏造するために一芝居打つこととなった。

 これは成功し、続く数回の警官殺しでも、マフィアの監視役の目をごまかしきった。ノスリに潜入のノウハウを授けた先輩も中には居ただけに、その実力は折り紙付きだった。

 後は、ノスリが潜入した目的を果たすだけだ。

 一つは、警察殺しを依頼している相手を突き止めることである。そしてもう一つは努力目標的なものだが、組織の壊滅となっている。

 ゾーズファミリーは非合法的な仕事に関してはなんでも屋という程に手広く仕事をしてきた。人身売買に麻薬や武器の取引、そしてテロ支援……。

 どれもこの国の治安を脅かす看過し難い所業である。

 ただ、組織を一人で潰せるほど、敵は甘くない。だからこそ努力目標としてもう一つの使命を帯びているのである。

 実際、快進撃を続けて組織内でどんどん出世していくノスリを、面白く思わないのは古参のメンバー達だ。それは織り込み済みではあったが、デーマがノスリのことを用心棒としても女性としても気に入ってしまったのがまずかった。

 贈り物などは全て拒否したが、新参者にあからさまな贔屓を始めたことに、不満を抱いた数名はいよいよノスリを追い落とそうとする動きを見せ始めた。

 ノスリのその仕事ぶりにも疑念を抱き、中でも厄介な何人かには監視レベルの目をつけられている。

 特に厄介なのがジャガーと呼ばれる黒服の青年紳士だ。先代に拾われた用心棒で、デーマと年が近い事もあり友人のような関係を築いていた。

 それだけに、デーマが女に逆上せている状況は見過ごせないようで、しばしばノスリに絡んでくるようになった。

「暇潰しにちょっとしたゲームでもしないか? 鮮やかに仕事をこなす君の腕前、改めてこの目で見たい」

 デーマの私邸で待機していた時、突然ジャガーにそう誘われた。ここは用心棒達の住居にもなっている大きな屋敷で、暇潰しには事欠かない。

「腕前を見るとは? まさかここで決闘映画の真似事でもされるのでしょうか」

 とノスリが冗談も交えて尋ねると、ジャガーは自分の後に続けと手振りで指示をした。

 案内されたのは、庭の地下にある射撃場だった。銃の調子を見る時に使う空間であり、時に用心棒同士が賭けにも使っていた。

 ジャガーは、近場にある瓶ビールを手に取ると、蓋を開けると、いつもなら的が並ぶレーンの方へ指で弾いた。

 その瞬間、ジャガーは片手で愛用の拳銃を抜き、自ら飛ばした瓶の蓋に弾を撃ち込んだ。

 撃ち抜かれた衝撃で欠けた蓋は、目の前の壁まで吹き飛び、床に落ちて虚しく軽い音を立てて止まった。

片手で銃の反動を制御しつつ、狙いを定めるのは困難である。

 映画のガンアクションを見ていると勘違いしがちだが、拳銃とは本来なら両手で構え、照準を合わせて狙うものだ。銃そのものに問題がない限り、これで的確に標的へ命中させることができる。

 しかし、片手でそれを行うのは見た目以上に困難である。第一に両手で構えるのは反動を制御するためで、これを片手で行える人間というのは、標的を正確に狙う技術力と、反動に耐える腕や手の筋力を持っているということだ。

 もっとも、それができる人間であっても、普通は両手で狙うのが基本なのだが。

 じっと一連の動作を見ていると、ジャガーはノスリに未開封の瓶ビールを投げてよこし、続いて栓抜きを差し出してきた。

「さて君の番だ。見ている分には地味見えただろうが、やってみるとこれが飲む前の景気付けには楽しくてね」

 断れる空気ではなくなったノスリは、栓抜きを受け取り、軽く自分の銃に目をやった。何が目的かわからない以上、軽い気持ちで応じるのはリスキーながら、さりとて渋れば別の問題を招き入れてしまうだろう。

 覚悟を決めたノスリは、開けた瓶をレーンの前に広がるカウンターに置いてから、蓋を指で強く弾いた。

 そして遠くに飛んだ小さな蓋に目掛け、右手で引き抜いた銃を左手で即座に支え、引き金を引いた。

 弾は蓋の真ん中を貫き、蓋を割れたガラスのように三方向へと散らせた。

「君も早撃ちには自信があるか。しかも即座に両手で構えてくるとはね。これは横着した私の負けだな」

「いいえ、片手であれだけの精度を出せるあなたの方が、技術的には勝っているでしょう」

「悪いがおだてても無駄だ。予算不足でね、景品はその参加賞だけなんだ」

 と、ジャガーは自分の瓶ビールを差し向け、乾杯を促した。ノスリはまたこれも素直に応じた。

 


 せめて、依頼者に繋がる資料などを見つけて足がかりにしたいのだが、こんな調子で付き纏われていることも多くなって、アジト内を散策することもできなくなった。

 これでノスリの色香に惑わされた輩なら良いのだが、ジャガーの目はそのコードネーム通り、いつも肉食獣のように光っていた。

 第一目標である依頼者の特定すら手が届かない。個人での限界が見えてきたノスリは、ファルコナーと相談することを決意した。




 朝、日課としてノスリは町の喫茶チェーンを訪れる。この間の時間はファルコナーへ連絡を繋ぐための期間であった。

 店内や道中において、毎回変装したミサゴにメモを渡して連絡を取り、報告や情報の受け渡し、そして時には相談したい事柄を送る。所謂「報連相」という奴である。

 そして相談事があることを伝えた翌日、ジョギングする一般人に化けたミサゴから、昼頃に出かけられる時間を見つけて、外に出て、近づいてくるタクシーを探すようにと言い渡された。

 昼休憩の時は相手も特に余暇を見つけやすく、監視の目が付きやすい時間なのだが、あえてそうする理由があるのだろう。




 二日後、時間を見つけたノスリが外に出ると、後ろから露骨にジャガーが後を付けてきた。不審な動きをすればいくらでも報告するぞ、という意思表示だろう。

 背後に気を使いながら進んでいると、遠くの方からタクシーが見えてきた。そこに乗っている白髪の男性を見て面食らいながらも、ノスリは時計を見る仕草をしてからすぐに手を振って車を止め、乗り込んだ。

 走り出した車のすれ違い様にジャガーがこちらを睨んできたが、気付かないフリをして、首都にある老舗のデパートへ向かうよう運転手に伝えた。

 しばらくして背後にジャガーが見えなくなると、ノスリは深くため息をつきながら、訝しげな目で運転手の後頭部を眺めた。

「司令塔を運転手に回してくるなんてね。ハヤブサとかいう連中の中から来るのかと思ったけど」

「適任が居なかった。トンビは見た目的に通用するかもしれないが、大柄過ぎてタクシーに収まらない」

 まだ見ぬトンビの体格を想像したノスリは、引きつった笑いを浮かべた。

 デパートまでは数十分かかるが、それが会議に使える時間である。下手に遠回りをすれば疑われる可能性もあるため、ファルコナーはなるだけ近い道を選んで通っているようだ。

 ひとまずノスリは、今自分が置かれている立場を伝え、今後の方針をどうするかを尋ねた。しかし返事がしたのは、運転席からではなかった。

「へぇ、モテるんだねノスリのお姉さん」

 声のした方に目を向けると、助手席の下からラジオが覗いていた。どうやらそこから声が聞こえてきているらしい。

「アンタは?」

「ハヤブサって名前で通ってる。お話できて、ボクは大変光栄でございますよ」

「ファルコナーは、ピエロなんか雇ってサーカスでも始めるの?」

 と皮肉を口にすると、ハヤブサはケラケラと笑い声を返してきた。余裕があるように装っているのか、本当に面白がっているのか、声だけでは判別しづらい。

「生憎、アンタの綱渡り潜入みたいな芸は持ち合わせてないよ。白馬の王子様みたいにお迎えはしたいと思ってるけどさ」

「へえ、言ってくれるじゃないの。さぞ華麗に私を助けてくれるんでしょうね」

 遠回しな口論を見かねてか、ついにファルコナーからの仲裁が入った。ノスリも、そして相手のハヤブサも本気ではなかったらしく、適当に謝ってその場は収まった。

「で、ノスリさんはそのストーカーみたいな紳士気取りさんら、血生臭い方々からの熱烈な視線を一手に受けているってことだろ?」

「気持ちの悪い言い回しはやめて欲しいんだけど」

「悪い悪い。ま、そこまで警戒されちゃ、どんな敏腕捜査官でも、ネガティブな印象を覆すのは無理。なら、いっそ受けて立ってやろう」

「受けて立つって、どういうこと?」

「ま、お姉さんはとりあえずこれまで通り警戒しつつ過ごしてくれればオッケー。あとは俺達の方でアンタを護衛してチャンスを伺うからさ」

 軽い口調で言うハヤブサの声は、どこか他人事のようで癇に障る。そもそもチャンスとは何かがわからない。ラジオを蹴飛ばしてやろうかという気持ちになったところで、そろそろデパートが見えてきた。

「そろそろ到着って所か。声だけの相手を信じろってのも無理だろうけど、今は俺達を頼ってよ」

「簡単に言ってくれるわ。まだ顔を見たことのない相手をころっと信じられる程、私の心は澄んではいないんだけど」

 自分で言っていて物凄く寂しくなる返しだった。父の無念を少しでも継ごうと、浄化されたという警察に入ったが、頭をすげ替えても、簡単に病巣は駆逐できないことを、ノスリは思い知らされている。会って間もない人を無条件に信じろと言われても、馬鹿馬鹿しく聞こえるだけだ。

 ノスリの過去や気持ちを知ってか知らずか、ハヤブサはわざとらしく唸り声をあげてから、白々しく手を叩く音を響かせてから提案した。

「じゃあ約束しよう。上手くいったら、俺とそのデパートで食事しよう。お近づきの印と労いをかねて……高級な中華料理店なんてどう? 奢っちゃうよ」

「何、もしかして私を口説いているつもりなの?」

 呆れた声で返事をしたが、ハヤブサはまるで動じず、ケラケラ笑いながらも肯定した。

「流石に俺とのデートなら、セクハラ親父より楽しい時間になると思うけど? まあ、いずれにせよ楽しみは作っておきましょうや、ね?」

 と、自分の言いたいことをまくし立てたかと思うと、ラジオから通信が切れた音がした。結局返事も聞かずに切ったハヤブサに、ノスリは疲れた表情を浮かべるしかなかった。

「アイツを今は信じられなくてもいい。今は私の顔を立てて信じてくれ。自らスカウトした人材だ、まだお前の墓地を用意する気はない」

「そんな大層なもの、とっくに諦めてるわ」

 そして乗車賃のやりとりをしてから、ノスリは昼下がりのデパートへと入り、。少し高価な服などを買ってから、別のタクシーに乗って戻った。

 戻った後、ジャガーに「言ってくれればお近づきの印にプレゼントしたものを」と言われたが、「そういう気の遣われ方がプレッシャーになるから遠慮した」と、それらしく答えて逃れた。

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