挿話 その2 存在の確かな不可逆性についての考察


 放課後の夕暮れが消えた日、二人だけの世界で、僕たちは存在を確かめあった。


 背中をお互いに支え合い、人為的あるいは意図的に信頼感を構築した。


 芥川の背中は大きく、僕には支え切ることができなかった。尻に疼痛を得たくらいで済んだのは幸いだった。今にして思えば、彼は倒れ込む瞬時に身体をひねって、僕への直接的なダメージを軽減してくれていたように思う。そういう所作を見逃していただけで、彼が本気で倒れ込めば僕は後頭部を強打していてもおかしくない。一方で、僕の身体は軽いだろう。芥川くらいの背丈の男ならば、楽にとは言わないが容易に支えきれるに違いない。


 本当に支え合った――のだろうか?


 どちらかといえば支え方を教わった、というのが適切な表現に思えた。


 事が終わって、芥川は笑って僕は笑わなかった。


 僕は様々な感情に支配されていた。複合的な感情の渦の中で、存在するのは芥川だけだった。僕以外の他者という存在から、僕以外の人間の存在という認知は、僕の感覚を翻弄し続けていた。


 これが友だちというものだろうか。僕たちは友だちになったのだろうか。


 確かめてみたい、とそう思考ばかりしていた。


 

 休日を挟んで月曜日、1年A組の教室。

 僕は自習室での予習を早めに切りあげ、所属するクラスの自席に座っていた。黒板がある教室前方は陽光を受け、彫像のように輝いている。時計を眺めれば、時刻は8時15分だった。朝のHRホームルームは40分からだ。

 教室内は日直だと思われる男女を含め数名しかいないが、スクールバスの到着が済み次第、自然とざわめきが耳障りになる。


 芥川はまだ到着していないようだった。窓辺の彼の席は空席だ。荷物も見当たらない。小説でも読んで時間の経過を待とう、と考えていたときだった。


「首席、早いな」


 僕の右肩にポンと手が触れた。


「あ、あぁ」


 芥川だった。そのまま席に着座する。


 なんという軽快さだろう。芥川のほうから、僕に向けて朝の挨拶をしたことが今までにあっただろうか。ただ、挨拶しただけではない。肩に触れるという動的行為を含んでいるのだ。

 これは考察の必要があった。

 まず、芥川は教室に入るなり僕の存在を確認した。僕が彼の存在に気がつかない、あるいは今後、気がつく予見性が発露しないであろうと推測するやいなや、即座に僕の右肩に触れ、彼はその存在を立証した。そして僕の目の前を通りつつ、早いなと発声してこちらの身を案じた。それからおもむろに着席して現在、他に到着したばかりのクラスメイトと談笑している。

 論理的に考える。まず前提条件として、朝の挨拶は親族もしくは友人あるいは知人間でのみ発生する。そして芥川は僕に挨拶を投げかけた。それも肩に触れるという特別なコミュニケーションを交えて。ならば僕と芥川は友人である。もしくはそれ以上の関係性を有している。


 この論理的解釈になにか綻びはないだろうか。


 最後のもしくは、というのは僕の推測なので排除する余地はあったが、結論として僕たちは朝の挨拶を交わすだけの関係性を共有している、という思考プロセスに問題はないように思われた。


「僕たちは友だちになった……あるいはなっていた。もしくはなっている」


 友だち理論が完成して僕は満足感を得ていた。そこに彼女の声が届く。


「おはよ、首席」

「あ、うん」


 僕の右隣の席に腰を下ろしたのは、横顔の美しいクラスメイトだった。彼女だけは毎日、僕に挨拶をしてくる唯一の存在だった。


「待てよ……」


 友だち理論に関する急激な違和感。破綻の予兆。


 入学式の日以来、隣席の彼女は僕に毎日、朝の挨拶をかけてくれていた。それはつまり、友人もしくは知人という証左に他ならないのではないか。それとも帰納的思考には限界があり、演繹えんえき的思考にシフトする必要があるのか。

 だとすれば、大前例として朝の挨拶は親族もしくは友人あるいは知人間でのみ発生する。そして彼女は毎朝、僕に挨拶をかけてくれる。ならば僕と彼女は友人あるいは知人である。

 天が裂け、地が開けた。


「そうだったのか……」

 

 僕は確かめたかった。


「あの、美城みしろ……さん」


 彼女は周囲に首を回してから、自分が話しかけられているようだと認識した。


「私?」


 うん、と頷いて僕は意を決した。


「その、つかぬことをうかがいたい。僕たちは友だち、もしくは知人なのだろうか?」


 友だち、知人……? と彼女は首を傾けつつ、時に目を閉じながら呟き、最終的に少し困り顔を見せた。


「どうだろうね? 知人ってなんか冷たい気がするし、友だちっていうほど私たちお互いのことを知らないし、たぶん正確にはクラスメイトって関係性が的を得ているかな」


 新たな概念の発生に、僕は困惑した。友だちでもなく、知人でもない存在。


「それは一体どういう存在だろうか?」


 クラスメイトとはなにか、という僕の疑問は彼女にも混乱をもたらしてしまった。


「あー、うん……。なんていうのかな? そういうのは私よりも得意な人間がいるんだけど」


 視線を窓辺に投げかけて、ナニかを探していたが、見つからないのか彼女はゆっくりと続けた。


「たぶんだけど、クラスメイトって同じ時間を共有する特別な存在なのかなって思う。そこで親密になっていったり、時にはケンカしたりもするかもしれないけど、きっと人によってはかけがいのない存在になったりするのかも。うーん、これは私の考えだけど、未来への可能性を共有するっていう意味では同志だし、過去への不可逆性を証明するって意味では共有者だし……」


 そこで彼女は、ごめん、変コト言ってるね私、と照れ笑いをした。僕があまりにも真剣に彼女を見つめてしまっていたのか、即応的な反応だった。


「そんなことは、ないと思う」


 僕も反射的に応じていた。それでも彼女は結論を出してくれた。


「首席も……ううん、結城ゆうきさんも、私にとっては大切なクラスメイトだよ」


 その言葉がたとえ嘘でも、僕にとってはとても優しかった。


「ありがとう、美城さん」


 うん、と彼女は微笑んで、僕は微笑まなかった。


 教室にはクラスメイトたちが集まり続けていた。窓辺に目を向けると、芥川と目が合ったように思えた。教室中央の窓辺、彼はそこに足を組んで座っている。全体を見渡すように、さながら玉座の王のように。

 

 僕たちは友だちになったのだろうか。それとも――。


 芥川が微笑していた。僕に。あるいは僕以外の誰かに。

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サヨナラ、蒼穹。 FK @FK1109

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