挿話 その1 存在の不確かな合理性についての考察


 私立・広陽高校の1年A組に所属している僕は、クラスメイトたちから「首席」と呼ばれている。


 由来は明白だ。高校入学前に実施された学力選抜試験において最も優秀な成績をおさめた者が、入学式の新入生代表挨拶を行う。それが僕だったので首席というあだ名を拝命したわけだ。


 しかしそれは、背負いきれない十字架のようなものだ。首席というのは本来、最優秀成績で卒業した者に贈られる称号のようなものだろう。入学したての僕には重荷でしかない。今後、常に一番を取り続けなければならない、というのは不可視の重圧でしかないのだ。


 この私立高校へ進学した理由を上げるならば、勉学に特化した伝統校であるという点に、はっきりと線が集約される。


 その線とは――優秀成績者は推薦入学が可能な国内の大学であれば、どこへでも進学が可能。らしい。それは推測というより実績が証明している。毎年の首席卒業者の進学先はほぼ全てが、有名国立もしくは私立への推薦入学だった。


 僕の目的はハッキリしている。というのが僕の最大の長所だった。感情に流されることなく、ただ合理的に、そして論理的に行動し、日々を勉学に費やし、都内の希望する国立大学へ進学する。


 裕福な家庭ではないことも理解している。金銭的な負担はなるべく排除したい。そういう点でも広陽高校は優れている。僕のような推薦で入学した特別優績入学者に向けて、様々な経済的支援も行っている。仔細は省くが、お勉強ができる人間ほどその配慮は大きいのだ。


 そういうわけで僕の高校生活が始まって2週間ほどが経とうとしていた。


 この期間、僕は前述のように首席とあだ名されたり、首席だからという短絡な理由からクラス委員長に指名されたり、担任の気まぐれで急な席替えが敢行され、その仕切りをやらされたり、その結果として美しい横顔の女生徒の隣の席になったり、バタバタと忙しなく過ごす日々だった。


 そして結果、結論、僕はになった。


 望んだわけではない。決して望んだわけではないのだが、僕は最終的にはボッチになる。


 客観的視点から考察しても、現時点での最優秀成績者であり、クラス委員長でもある。衆目からの羨望を集めることはあっても、衆人環視のなか透明人間のように孤立することは可能なのだろうか、という思考に帰結する。


 僕の容姿が醜悪極まりないため、誰も寄りつかないのだ。なるほど、それなら納得できる。


 とはいえ、である。


 たしかに異性との恋愛経験がないため根拠としては希薄だが、僕は周囲を狼狽させるような容貌なのだろうか。驚天動地のルックスではない。それは重々承知しているつもりだが、悪い意味で異性を引きつけて止まないということもないはずだ。


 もう一つ、疑問に思っていることがある。僕には友だちが存在しない。できたことがない。友だちとは何か。僕には想像することしかできない。


 元来より人間関係を構築するスキルが乏しいのだろう。他者との距離感というのが把握できない。他人の表情から感情を推し量り、適切なコミニュケーションが取れるようになれれば、現状を打破するための嚆矢となりえるかもしれない。


「首席に必要なのは、笑顔だろうな」


 放課後。夕方。学校の屋上。僕ら以外に人はいない。


 真新しいスチール製のベンチに座り、僕は芥川龍一というクラスメイトに打ち明けていた。そう打ち明けていたのだ。ボッチの僕が、友だちの作り方を指南してほしくて。


「友だちができないという問題は、問題の側にではなく、解決したい側の僕に存在しているのということか?」


 芥川はうーん、と首を傾げた。


「そうだな……」


 なぜ僕たちが屋上にいるのか。僕は放課後、自習室での勉強が一段落したときの気分転換でたまに立ち寄ることがある。哀愁をたずさえ、遠くを見つめるのは気が晴れるものだ。


 一方、芥川は意味不明だった。説明されたが、意味が汲み取れなかった。彼の言葉を借りれば、ある人が寄贈したベンチが配達されたので、そのまま業者へ屋上へ運んでもらった。そして寝心地を確かめていた、とのこと。


「首席にはもっと根源的な、根本的な部分での改善が必要だな」


 芥川龍一というクラスメイトは、少し特異な人間に思えた。僕が知る限りでは、いつも周囲に誰かがいる人間で、誰かに求めれる人間に、見えた。自然と必要とされているのだ。僕のような人間音痴には理解が及ばない。必要だから存在するのと、存在するから必要なのとでは決定的に違うはずだ。


「芥川……くん。改善というのはどういうことだ?」

「試してみるか?」


 それなのに、どうしてだろう。芥川はいつも優しげに、それでいて寂しそうに笑う。はるか遠くを見つめて。


「他人を知るのに、これ以上の方法はない」


 芥川はベンチから立ち上がって、僕にも立つように指示した。日は沈み始め、僕たちの存在も朧気だ。


「まずは俺からやろう。それから首席が試してくれ」


 芥川は僕に背を向けた。男らしく頼りがいのある背面だった。


「これから俺は目をつぶる。そしてゆっくり背後に倒れる。誰かが受け止めてくれなきゃ、後頭部を打つ。結果として気絶するかもしれないし、後遺症が残る可能性もある。最悪、打ちどころが悪くて異世界に転生するかもしれない」


 最悪が本当に最悪なのかは確かめようがなかった。


「僕は、どうすればいい?」


 芥川が息を吸い込む音が伝わってきた。


「しっかり受け止めてくれればいい。信用してる。行くぞ」


 ちょっと待ってくれ、という間もなく彼は倒れてきた。咄嗟に右手から左手で倒れ込む肩を掴み、その重みを全身で感じ、膝で受け止め、しかし受け止めきれず。僕は尻餅をついて芥川と一緒に倒れた。


「痛ッ……い、痛い……」


 掴んだ肩だけは離さなかった。いや、離せなかったので尾てい骨にヒビが入ったのではという瞬時の激痛とジンジンする鈍痛が生まれた。


「うん、よかったぞ首席。どうやら俺は無傷のようだ」


 満身創痍の僕とは対照的に、芥川は純真無垢の少年のような笑顔だった。


「それじゃ、交代だ」


 右手を容赦なく掴まれ、僕は立ち上がるしかなかった。お尻をさする。


「準備ができたら合図してくれ」

「……ああ」


 今度は僕がさきほどの芥川になればいいのか。目をつぶって後ろに倒れ込む。ゆっくりとでいい。それを芥川が受け止めてくれる。さきほど無様に倒れ込んだ僕のようには、きっとならないだろう。しっかり受け止めてくれるはずだ。


 ……本当に、そうだろうか。


 受け止めてくれなかったら……?


 今度は尻だけでは済まない。後頭部を強打する。後頭部には記憶や認知を司る脳機関が存在するらしい。一時的な記憶障害だけでなく、最悪なんらかの後遺症となるかもしれないのではないか。


 目をつぶっただけだというのに、余計なことを考えてしまった。


 これは相互信用を醸成するための心理学応用だ。今しがた芥川は僕を信頼して身体を預けてくれた。


「準備完了だ……いいか?」

「いいぞ」

 

 芥川に身を委ねるため、僕はゆっくりと身体を後ろへ倒した。恐怖を克服しようと両手はきつく結ばれていた。頭部の血流が勢いを増す。漂う。別の世界へ行ってしまうような不可思議な感覚。それは本当に一瞬の出来事、あるいは永遠に近い刹那だった。


 僕の身体は空中を浮遊するかのような高揚感に包まれていた。それは確かな存在感。両肩に暖かみを得て決して倒れ込むことなく、しっかりと支えられていた。安堵と解放は、感謝と感動に変質した。


「どうだった?」


 体勢を立て直した僕に芥川が尋ねた。


「……うん」


 僕は知らなかった。この世界には僕以外にも僕が信じていい人間がいるのだ。


「なんだか、言葉に出来ないよ」


 そうか、と芥川は笑った。とても嬉しそうにあるいは寂しそうに。


 いつか僕も、彼のように笑えるだろうか。


 日が暮れて、僕は初めて友だちという存在に触れることができた。少しだけだが、そんな気がするのだ。

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