第6話 水無瀬香織の個人的寵愛


 美城みしろみゆきが総合芸術部まじょのすみか潜入捜査官メイドとして採用されて以降、白衣の魔女である水無瀬香織みなせかおりは彼女を溺愛していた。


 以外な相互作用だな、と芥川は思う。シナジーというよりは水無瀬の一方的な恋慕のようだが。


「ミミちゃん、お昼は持った? 持ったわね。さあ行きましょう!」


 昼休みを告げるチャイムが鳴ると同時に、一年A組には白衣で風を切る水無瀬が颯爽と現れ、ミミちゃんこと美城みゆきを強引に拉致する。芥川にもついて来いとハンドサインを放ち、両名を総合芸術部へ連れ去るのだ。


 ここのところ毎日の出来事に、初めのうちは逃げ場を探していたみゆきだったが、今では従順な奴隷のごとく主人に手を引かれるままであった。


 それもそのはずで、どこに隠れようと逃げようと水無瀬は見つけ出す。


「単純な話よ。匂いを辿るだけだもの」


 警察犬の話かな? と芥川は鼻をかいた。


「やろうと思えばね、わたしは全職員、全生徒の匂いを嗅ぎ分けることができるの。識別、探知、追跡は嗅覚の本領ほんりょよ」


 やっぱり警察犬の話だな、と芥川は口をおさえた。


「芥川くんには無理だけど、わたしから逃げたければ学校の外に出るか。プールに飛び込んでみるかしなくちゃね」

「なぜ俺には無理なんですか……?」


 恐る恐る尋ねる。


「芥川くんに関して言えば、たとえどこにいても、30キロ先までなら判るわ」


 冗談だよな、と白衣の魔女の揺れるポニーテールを後ろから追いかけつつ、みゆきのため息交じりの小さな背中に同情しつつ、芥川は歩を進めて目的に到着した。逃げ場はないのだ。


 総合芸術部のカウチソファーに腰を落ち着けたところで、ようやく水無瀬はみゆきの手を離した。同時に携帯を操作する。ガチッと重厚な音が鳴り、元教室であるこの部屋が施錠される。指紋認証およびスマートロックシステム――ここから脱出するには防犯上の理由から換装された二重窓を破壊するか、水無瀬の指紋もしくは彼女の携帯の操作が必要になる。


 空気を入れ替えるため水無瀬が一部の窓を開放し、芥川は新鮮な空気を取り入れた。適度に暖かい春風だった。


 芥川もみゆきも弁当を持ってきているのでそれを広げた。


「いただきますか」

「そうだね」


 気を新たに二人が食べ始めると、水無瀬はゼリー飲料のキャップを外してギュッと握り飲み込んだ。一気にゼリー状の液体を嚥下して昼食を終え、空になったゼリー飲料をゴミ箱に捨てる。わずか10秒ほどの出来事であった。


 水無瀬との昼食も3回目となると、芥川もみゆきもツッコまない。女子高生社長としてメディアに露出していた御仁である。スタイル維持のためにゼロカロリーを摂取するのは自然の摂理なのだ。


「さて、今日の放課後は芥川くんは真っ直ぐ帰宅してちょうだい」

「ふぁい……?」


 昼食中の芥川はハイ……? と反応した。


「ここには寄らないで、真っ直ぐ帰るのよ。わかった?」


 放課後に総合芸術部ここで何事かがある。そしてその何事かに自分の存在は邪魔になる、という事情は即座に把握できた。


「わかりました。まっすぐ帰ります。絶対に寄り道しません」

「さすが芥川くんね」


 気にならないと言えば嘘になるが、芥川は素直に従うことにした。水無瀬に反抗的な態度を示しても得られるものは多くなさそうだった。気になるのはみゆきだが――。


「あの、私もまっすぐ帰りたいんですけど……ダメですか?」


 卵焼きを箸に挟んだまま、みゆきは切なる願望を口にした。水無瀬は答えるまでもないのか、ただ笑顔を見せている。包み込むような暖かな眼差しである。そうやってしばらく見つめ合ううちに、みゆきは悟った。


「ダ、ダメ……ですか」


 急に不安が募ってくるみゆきの心情を察して、水無瀬は明るく振る舞った。


「大丈夫よ、心配しないで、そんなに大したことじゃないから。ミミちゃんとね、ちょっと相談したいことがあるの」

「……相談、ですか?」

「そう、そんなに時間がかかる話じゃないから。放課後、少しだけここに寄ってもらえない?」


 みゆきは芥川の横顔に視線を向けた。なにか考え事をしているようだったが、その助けを求めるような目線を感じて、芥川は口を開いた。


「大丈夫だ、みゆき。水無瀬さんはそういう人じゃない」

「……どういうこと?」

「つまりもっと信用していいってことだ。他人を信じることは自分を信じることなんだから、自分を信じて他人を信用する。信じることで救われるってこともある」

「ん……。そう、かな?」


 芥川の言葉に言い含められそうになった。が、みゆきは他人を信じられない。血縁者でさえ信じられないのに、どうして水無瀬を信用できるだろうか。軽率な行動で、大きな過ちを犯した。取り返しがつかない過失。それはみゆきを過去に捕らえて離さない。


「少なくとも、水無瀬さんはみゆきのことが好きだ。それはみゆきが水無瀬さんを信用していい根拠になる。それに、好きな人に信用してもらえないのは悲しいことだろ? ホラ見てみろ、あの寂しげな瞳を」


 みゆきは水無瀬のいつも自信ありげな表情の奥をまじまじと見上げてみた。


「やだ、あまりジロジロ見ないでちょうだい。恥ずかしいでしょ」


 涙を拭う仕草に演技くささを感じずにいられなかった。


「そんなにわたしのこと、信用できないの?」


 みゆきは即座に、コクリと頷いた。水無瀬だけではない。誰も信用していない。誰にも信用されたくない。唯一、例外として芥川龍一以外は。


「それでもミミちゃんのこと、わたしは好きよ」


 誰にも好かれてはならない。誰も好きにはなってはならない。唯一、例外として芥川龍一以外は。


「信用できるよ、水無瀬さんなら」


 そう言い切る芥川は、みゆきにとって。


 共有者なんだ、私たちは――。


 過去の共有者であり、現在いまの共有者であり、共感の共有者であり、過誤の共有者であり、崇敬の共有者であり、可能性の共有者であり、無自覚の共有者であり、利己の共有者であり、無謀の共有者であり、の共有者。


 でも、私と芥川は罪の共有者ではない。そしてきっと未来の共有者でも、ない。


 いつかきっと芥川は私を罰する。それは必然だ。罪の因子が罰を求めている。


 だからせめて――。


「……わかりました。放課後、ここに寄らせてもらいます」


 だからせめて、芥川が罰してくれる日までは、ただの美城みゆきを演じていたい。

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