最終話 シロタエの木の前で

「あと一週間で卒業とか実感わかへん」

 

 ある日の昼下がり、新生活に向けた買い物に疲れた私たちは、雰囲気の良いカフェを見つけ早速休憩を取る事にした。

「そう言えばさ、りおと麻衣って就職先も同じなんでしょ? アパレルメーカーだっけ?」

「うん」

「そんなん狡い! 会社でも麻衣ちゃんと一緒で家に帰っても麻衣ちゃんと一緒やなんて狡い!」

「そう?好きな人とは言え、私は四六時中一緒にいるのは無理。自分の時間も欲しいし」

「奈々ちゃんは分かってない!あの女神の麻衣ちゃんやで? どんなけあの美しいお顔眺めとっても一向に飽きひんどころか、どんどん好きになってまうやん!」

 相変わらず、さゆりの麻衣への思いは熱く、もはや崇拝に近いとすら思う。でも、私も少しだけ奈々と同じ意見だったりする。

「会社は同じだけど、麻衣は広報で私は企画部だから社内で会うことは少ないと思うよ」

「えっ! そうなん? それは寂しい!」

「もう配属先決まってるの?」

「うん。インターン期間中に一通り各部署の仕事に触れさせてもらって、その後に人事の人達と面談で配属先について話し合って決まったよ」

「麻衣の広報もりおの企画部もイメージ通りだわ」

「って、りお! 麻衣ちゃんが広報ってそれでええん? 心配やないの?」

「えっ、心配?なんで?」

「なんでってあんなに美人な麻衣ちゃんが広報になったら、きっとモテてモテてモテまくるやんか! どこの馬の骨かも分からん奴が麻衣ちゃんを見て鼻の下伸ばしとるって思っただけでも我慢できひん!」

「モテてたのはずっとじゃん……。今更だよ」

「何言うてんの? 今までとは全然違うやろ? 会社の先輩なんてめっちゃ大人やん。大人の男性、女性の魅力に勝てる自信あるん?」

「……大人の魅力?」

「そう、考えてみ?まだ仕事に慣れてなくて、会社の人達とも打ち解けきれてへん時に仕事のできる大人の余裕を持った先輩にちょっとでも優しくされたらどう思う?惚れるやろ?」

「うーん、優しい人だなとは思うけど、そんな急に好きにはならな――」

「なんでなん!」

「りおの言う通り私もちょっと優しくされただけじゃ好きにはならないかな」

「えぇー」

「でも、」

 ゆっくりとこちらに視線を移し、私を捉えた奈々は不敵な笑みを薄く浮かべながら「それをきっかけに気になりだすことはあるよね……」と、落ち着いた声で楽しそうに言い放った。相変わらず、人の不幸話を楽しみにしている奈々にはため息だけ返してこの話題を終わらせるにはどうすれば良いだろうかと頭の中で考え始める。

「そう言えば、この間さゆりが行きたいって言ってたあのホテルのアフタヌーンティーのチケット貰ったけど、今度三人で――」

「行く!絶対行く!奈々ちゃんも行くやんな?」

「うん、あのホテルのアフタヌーンティーは紅茶の種類が多いって聞くし興味ある」

「はい、決定。ありがとう、りお!」

「……どういたしまして」


 アフタヌーンティーへ行く日取りも決めて、存分に休憩をしたあとは二人と別れて帰宅する事にした。帰り道、一人になった途端、さゆりと奈々の言葉が頭の中でこだまする。確かに学生の頃とは違って、社会人になれば今までより人間関係も視野も世界も広がるに違いない。そんな状況の中でこれから麻衣が出会っていく人たちに麻衣を取られるかもしれないと漠然とした不安が生まれてしまった。

 ずっと麻衣と一緒にいて、こんな不安を抱えるのは初めてだ。寧ろ、なぜ今まで麻衣は自分の元から離れないと心配に不安にならなかったんだろう。麻衣からの愛に自惚れて、甘えていたのかもしれない。あの子は離れて行かない、私しか愛せないと心のどこかで決めつけていたのかもしれない。そうやって一人歩きながら考えれば考えるほど、涙が溢れそうになった。

 この不安も怖さもまるでグレー色をした雲のようなもので、心臓辺りを覆われているような気分だった。このグレー色はいつか真っ黒になってしまうかもしれない、そんな怖さもあった。

 目に見えるものが全てではないと分かっていながらも私は証が欲しいと思った。


 初出勤日前、こんなにゆっくり過ごせる休日もきっと暫くはないだろうからと麻衣と二人で買い物に出掛ける予定が急な雨の影響で、急遽、家でDVD鑑賞会へと変更になった。

 

「DVDの準備よし、お菓子と飲み物の準備よし、お待たせ、りお。準備できたよ」

「うん、ありがとう」

「どういたしまして。あぁー、やっとこの映画観れる! ずっと観たかったの」

 そう言いながら微笑む彼女はとても綺麗だった。まだお昼にもなっていないけど、ふと朝起きてからの事を思い出すと外の冷たい気温なんて気にならない程、ずっと心があたたかく優しい気持ちで、こんなに穏やかなのは麻衣が隣にいて微笑みかけてくれるからだと思った。その笑顔を見ると照れくさくて、くすぐったくも清々しい気持ちになる。好きな人が傍にいて笑顔を向けてくれる、私はきっと今、幸せの中にいるんだ。

「ねぇ、麻衣」

「ん? なに?」

「今度の土曜日、デートしよっか」

「……えっ?」

「ふふっ、どうする?」

「えっ、えっと……する、デートする!」

「ふふっ、うん。今度は晴れるといいね」

「うん。ねぇ、でもどうしたの? りおからデートに誘ってくれるなんて最近は無かったから珍しくない?」

「うん、どうしても行きたい場所があるんだ」


 約束の土曜日。りおは朝早くに起きて「用事があるから先に出るね。待ち合わせ場所はテーブルの上のメモに書いてあるから」と、言い残して一人先に出掛けてしまった。

 眠たい目を擦り寝室からリビングへと移動すれば、そこはりおが作ってくれた朝ごはんの美味しそうな匂いで溢れていた。なんだかこの状況がくすぐったくクスッと幸せを感じた。冷めないうちに食べようと席に着けば、りおが言っていたメモ用紙が目に留まる。そうだ、待ち合わせ場所って何処だろう――


「えっ…」


 シロタエの木の前で待っています。


 メモにはそう書かれていた。

「あのシロタエ……」

 麻衣は一瞬であの白い桜の木を思い出した。そして、りおと出会ったあの日のことを思い出しドキドキと懐かしさを感じつつ、今も当時と変わらないどころかそれ以上にりおへの想いが大きくなっていることに喜びを感じていた。 会いたい、早く会ってあの頃よりも、もっともっと大好きだよって伝えたい――


 初めて話したあのシロタエの木の前で、あの時と同じように君を待つ。

 麻衣は、大学の入学式の日に初めてここで私と会って一目惚れをしたと言ってくれた。でも、違うんだ。本当はね、高校生の頃、私達は毎朝同じ電車に乗っていたんだよ?麻衣は自分が先に好きになったと思っているけど、ずっとずっと前に私が先に麻衣に一目惚れしていたんだ。

 でも、今まで出会ったことが無いほどの美人を相手に、接点もない私が急に告白なんてそんな勇気はこれっぽっちも出なくて諦めた恋だった。

 だからあの日、周りの綺麗な桜色の花びらの中に一か所だけ綺麗な白色を見つけて、そこから目が離せなくなった。シロタエの木なんて珍しい。そのシロタエの木を、花を見上げていると、それはまるで手の届かない麻衣を見つめているようで、もどかしく寂しく切なかった。そんな風に叶わなかった恋の思い出に馳せていた時、女神が現れた。そう、あたたかな風が吹き、桜の花びらが舞う中に立つ君は、まさに女神だった。


 四月にしてはまだ随分と肌寒いけど、この場所で昔のことを思い出していたらいつの間にか頬が熱くなっていた。それでも指先は冷えてしまい掌の中にある小箱を落としてしまわないように注意を払う。早く会ってこれからも、ずっとずっと大好きだと伝えたい。そして――

「りお!」

 後ろから大きな声で名前を呼ばれた。知ってる。知ってるよこの声。やっと来てくれた。ゆっくりと、ゆっくりと振り返る。その先には少し息を切らせながらも優しい表情で見つめてくれる麻衣がいた。

「シロタエの木、懐かしいね」

「うん。今年はいつもより寒いからまだ花は咲いてないみたい」

「そっか……見たかったな」

 春に綺麗な花を咲かせるシロタエが好き。でも、その綺麗な花は春が終わる前に散ってしまう。儚く散っていく様子さえ美しく、私は魅了される。美しさと儚さが隣同士だからこそ桜は美しいのかもしれない。あの時、シロタエの木を、花を麻衣のようだと感じてしまったから桜が散ってしまうように麻衣もいつかここから居なくなってしまうかのしれないと不安になる。麻衣は、一生散らない桜になってくれるだろうか、ずっと一緒に笑い合いながら過ごしてくれるだろうか。


「咲いたらまたここに来て一緒に桜を見よう」

「うん!見に来ようね」

「来年も再来年も一緒に」

「うん、ずっと一緒に」

 大切な時は、いつもここだった。

 だから私は、シロタエを一瞬見上げたあとに視線を麻衣へ移し、優しく麻衣に伝える。

「ねぇ、麻衣」

「ん?なに?」

「結婚しよっか」


 同性婚はまだ認められていないし、子供も産めない、周りからの偏見もあるかもしれない、心無い言葉に傷付くかもしれない。好きだからと言う気持ちだけに素直に生きていくには、生き辛い世の中かもしれない。

 それでも、どれだけ考えても私は麻衣以外の誰かと生涯を共にするなんて想像ができなかった。麻衣の笑顔以外欲しくなんかない。

 婚姻届は出せないけど、式を挙げることはできる。書面上では無理でもカタチだけでも家族になりたい。麻衣も同じ気持ちでいてくれたら良いのに…


「これからもずっと好き。この想いは変わらないよ。だから、ずっと一緒にいて下さい」

 頬を紅く染めた君に期待をしつつ、小箱の蓋を開けて差し出す。

「…っ…りお……嬉し過ぎて…泣きそう……」

 俯いたと同時に涙が溢れ、それが合図かのように涙はどんどん彼女の頬を濡らしていく。そんな姿に胸の奥がぎゅっと切なさに襲われ、堪らず彼女を抱き寄せた。


 帰り道、繋いだ君の左手には桜をモチーフにした指輪がキラリと輝いていた。

 女同士とか、大学を卒業したばかりとか、結婚ができないとか、子供が産めないとか、偏見があるとか、そんなこともう全部どうでもいい。だって、全部どうでもいいと思えるくらいに麻衣が好きだから。


「ねぇ、りお」

「ん?なに?」

「来年もまたシロタエの木の前で好きって言ってくれる?」


 もちろん。何度だって言うよ。

 シロタエの木の前で――

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シロタエの木の前で 雪乃 直 @HM-FM-yukino

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