第2話 徒桜のように

 私は誰よりもりおを愛している。

 りおを初めて見たのは、大学の入学式の朝。電車を降りて桜並木の綺麗なピンク色のトンネルに心を躍らせて、これから始まる新しい生活にわくわくしながら大学へ向かって歩いていた時、少し先に桜の木を見上げて微笑んでいる人がいた。微かに風に吹かれ揺れる髪とその人の周りをゆらゆらと舞う桜の花びらたち。まるで、あそこだけが別世界のように優しい空間だと思った。

「綺麗…」

 思わずそう声が漏れてしまうほどに綺麗な横顔だった。

 よく見るとその人が見上げる桜の木だけ他の木と花びらの色が違う。周りは綺麗なピンクなのにその木には沢山の白い花が咲いていた。どうしてあの木だけ…。でも、凄く綺麗。沢山のピンク色の中に優しく咲くその白はとても美しかった。

 どれくらいだろう、気付けば私はずっとその人と白い桜を見つめていた。不意にその人が桜からこちらに視線を移し、口元を動かす。

「…桜、好きなんですか?」

 少し離れていたから小さくしか聞こえなかったけど、その人は確かに私にそう問いかけた。

 綺麗。桜を見上げる横顔も綺麗だったけど、しっかりと私を見つめているその瞳が、その顔がとても綺麗。「うん」と精一杯に頷き返すとその人は、「…そっか」と呟いてまた白い桜を見上げた。  

 私を見つめていてくれた綺麗な瞳が離れてしまって、なんだか凄く寂しくて、切なかった。終わりたくない、これでこの人との関わりを終わらせたくない。止まっていた足を動かし、その人の隣に行きたいと歩き出す。

 初日が大事だと思って早めに家を出たから式まではまだ時間がある。そっと腕時計で時間を確認してまだここに居ても大丈夫だと確認する。私が隣に立っても何も気にしないその人は微笑みながら静かに辛そうに白い桜を見つめ続ける。

「どうしてこの桜だけ白いんだろう…」

「えっ…?」

 さっきよりも近いところでこの桜を見れば、やっぱり白くて不思議だと思った。その疑問を小さく声に出してみれば、隣の貴女が少し驚いた表情で私を見てくれる。

「だって、他の桜は全部ピンク色の花なのに、この木一本だけ白いから……」

「この道に咲いている桜は殆どが、ソメイヨシノなんだけど、この桜だけシロタエなんだ…」

「シロタエ?」

「うん、花びらが白いのが特徴で数少ない貴重な桜なんだよ」

 優しい表情でそう教えてくれた貴女。私はこの時からりおに恋しているの。


 そのあとも少しだけ二人で一緒に桜を見ながら色んな話をして、私とりおはお互いを知り合っていった。りおが私と同じ大学で同じ学年だと言うこと、普段、この通りは人通りが多く立ち止まってゆっくり桜を見上げるなんて出来ないのにあの時だけは、私たち二人だけだったこと。今思えば、全部が運命だったんだよ。私とりおは運命の相手だったんだよ。だから、他の人に私たちの邪魔なんてさせない。りおの運命の相手は私で、私の運命の相手はりおなんだから、誰にもりおは渡さない。


 でも、神様は少しだけ意地悪だった。私とりおは学部が違うから入学式以来、殆ど会えていない。偶に敷地内で姿を見かける時があるけど、緊張し過ぎて自分から声を掛けるなんて無理で、そっと遠くからりおを眺めることしかできない…。どうしてりおは私以外の人といるんだろう…。どうしてりおの隣は私じゃないんだろう…。

 会いたい、本当は会って話したくて仕方ないのに。

 でも、私だけが好きじゃ意味がないの。りおにも私を好きになってもらわないと意味がない。一方通行なんて絶対に嫌。りおに会えない日は、りおに好きになってもらえるように必死に自分磨きを頑張った。ダイエットに美容にファッションに――

 りおに相応しい彼女になりたくて、りおに好きになってもらいたくて毎日毎日、りおを想って頑張った。それでもなかなか会える機会は無くて、遠くから見つめる日々にそろそろ限界を感じていた。全然、上手くいかない……。

 そんな時でさえ、名前も知らない先輩やどこの誰だか分からない人たちからの告白は増える一方。私が欲しいのは、りおからの愛なのに、他の人からの愛じゃ意味がないの……。りおじゃなきゃダメ……。


 りおの髪が優しく靡く春が過ぎ、首筋にかいた汗に魅力を感じる夏も過ぎ、気付けば人恋しくなる秋になっていた。大学は、学園祭に浮かれてどこか危なげな空気さえ感じる。

 学園祭なんて興味無いなーなんて思っていたのに知らない間にさゆりちゃんが勝手に私の名前でミスコンにエントリーしていたせいで出場するはめに。学園祭の日はずっとりおのことを見ていようと思ったのにこれじゃ準備とか審査とかで全然時間ないじゃん……。

 どれだけ文句を言ってもさゆりちゃんのお願いだと断れなくて結局出場することにしてしまった。自分でも少しはモテる方だとは思っていたけど、まさか一年の私がグランプリを取るなんて思っていなくて正直驚いた。沢山の人に「おめでとう」「ドレス姿綺麗だった」「麻衣ちゃん女神みたい」と沢山褒めてもらえた。これならりおも褒めてくれるかな…、少しは私を見てくれるかな……。


 ミスコンの翌日からは今までよりも呼び出しや告白されることが増えてしまって、こんな人たちの為にミスコンに出たんじゃないのにって悲しくなってきた。りおはミスコン見てくれてなかったのかな……。それとも私に興味ないのかな……。私たちは運命の相手なのに……。

 寒がりなりおには辛い季節の冬が来て、四六時中温めてあげたい衝動を抑えるのに苦しむ日々を送っていた。そんな今日も誰か知らない人の告白をいつも通り断って、早く帰ろうと葉の無い寂しいトンネルを歩き進む。


「待って、麻衣さん!」

 後ろから大きな声で呼び止められた。知ってる。知ってるよこの声。やっと私のところに来てくれたんだね、りお。

ゆっくりと、ゆっくりと振り返り、その先には少し息を切らせて白い息をはきながら切なそうな表情で私を見つめてくれるりおがいた。

「…なに?」

 どきどきと胸が痛い。やっとりおが私を呼んでくれた。そんなに息が切れるまで走って私を求めてくれた。冷静を装ってりおに問いかける。

「あの、いきなりこんなこと言われても迷惑かもしれないけど、その……好きです。麻衣さんのことが好きです」

 あの時、一緒に見た桜のように頬を染めて言うりおに愛おしさと涙が溢れそうになる。声に出せない喜びを「うん」精一杯頷き返して、私の気持ちも伝える。

「…いいの? 私でいいの?」

「いい。私はりおがいい。だって、実は入学式の日にりおに一目惚れして私もずっと好きだったから…」

「えっ…」

「ずっと、私の片思いだった」

「そんな…、それなら麻衣さんから告白してくれれば良かったのに」

「だって、振られたらショックで生きていけないと思ったから…」

 生きていけない。りおに振られてしまったら本当に生きていけないと思った。私はりおとじゃないと生きていけない。そんな事を思っていたらぎゅっと抱きしめられた。「好き、好き過ぎて苦しいよ……」耳元でそう呟くりおにやっと私たちの想いが一つになったんだって嬉しくて、やっぱり、私はりおじゃないとダメだって分かった。

 シロタエの木の前で私たちはやっと一つになれた。


「りお、今日って飲み会なの?」

「うん、そうだよ」

「いいなー、どこのお店?」

「あぁ、今日はお店じゃなくて宅飲みだよ?」

「えっ、誰の家?」

「私」

「…えっ?」

りおの家に私の知らない人たちが行くの?なんで? ダメだよそんなの……

「…りおの家でよく飲み会するの?」

「うーん、偶にね」

「…そっか」

 りおが誰かの家に行くのも嫌だけど、りおの家に誰かが来るのも嫌。私の知らないところでりおが笑ったり悩んだり怒ったり泣いたりするなんて耐えられない。できることならりおの全部を見ていたいのに……。あっ、そっか、――

「ねぇ、りお」

「うん?」

「私、りおと一緒に住みたい」

「えっ…」

「…だめ?」

「えっ、あ、いやダメじゃない」

「本当?」

「うん。部屋、探さないとね」

「ううん、ここで良い。ここが良い」

「…ここで良いの?」

「りおの生活の中に入りたいの。だから、ここが良い」

「分かった、じゃ麻衣の荷物運ばなきゃね」

 優しく微笑んでくれるりおにそっと口付ける。私を覚えてもらう為に。私の感覚を忘れないように。

「麻衣…」

 もっとって求めてくれるようなキスを。


  世界中の人に言いたい、りおは私のだから近づかないで、私からりおを奪わないでって…それなのに飲み会とかバイト先とか色んな人から好意を持たれて告白されているから怖くて仕方がない。もし、りおが私以外の人に触れて、触れられていたらって思うとそんなの耐えられない。気が狂ってしまいそう。

 でも、りおは何も悪くないんだよ?他の女がりおに近づく隙を与えた私のせいだから。私が悪いの。私の愛が足りなかったから、りおを私でいっぱいにしてあげられたら何の問題も無いのに…ごめんね、りお。もっとちゃんと愛してあげるから、他の女も男も近寄って来ないように私が守ってあげるからね?

 だから、りおは、

「私だけを感じて?」

 私の下で眠るりおの綺麗な顔はいつだって触れたくなる。そっと触れた頬はまだ少し熱を持っていて、これが夢じゃなく現実なんだと実感させてくれる。りおの体中にある紅い痕や歯型を見ると嬉しくなる。りおは、私を求めてくれる、受け入れてくれる。私だけじゃなくてりおも同じなんだって分かる。


 ねぇ、りお

 また春がきたら、あのシロタエの前で愛を誓って?

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