第2話 自称恋の代弁者の哲学


 今日の天気は雲ひとつない快晴。12月にしては暖かい日差しだが、下から足元を掬うような冬の風が突き刺すような冷たさで身体を縮こまらせる。暖かいのはカイロを貼った腰だけ。


最近買ったキャメル色のコートを羽織り、仕事用のパンプスとは今日はスニーカーを履いてみた。どこまででも歩いて行けそうなくらい楽である。服装もいつもであればブラウスとフレアスカートだが、今日はニットにスキニーパンツ。かなりカジュアルな服装だが、この方が動きやすいのだ。しょうがない。あとは携帯と財布とリップをしまいこんだ小さめのカバンを肩にかける。


私にしては、随分早い休日の朝が始まった。


『OPEN』と書かれてあるプレートに頰を緩めながら、ドアノブに手を掛ける。

桐山さんのおじいさんにに会えるかも、そう期待を胸に込めて。


喫茶「ベコニア」に足を踏み入れた土曜日の朝。休日に来るのは初めてで、こんなに明るい時間に来ることも初めてである。


ドアノブを回し、店内へ足を踏み入れる。ぶわっと、欲していたコーヒーの香ばしい匂いする。これだ、この香りだ。冬の寒さで固まっていた身体は一気に力が抜ける。


が、結果的には今日はハズレの日だったらしい。


カウンターの奥にいるのは桐山さんだけ、というのは失礼だが、彼1人だったのである。今日も今日とて目に入れても痛くない。ブラウンのタートルネックもよく似合っている。もちろん何を着ても似合っているのだけれど。


眼福タイムはここまでにして、さてと。いつものように席に着くために、足を進め・・・ようとしたところでピタリと止まる。


いつも私が座る席・・・の、その隣の席にすでに誰かが座っていた。


金髪の男が。


綺麗に染められている金髪を、襟足だけ伸ばしてゴムでくくっている。ぱっと見た目は喫茶店に似合わない髪の毛だが、服装的にはレトロで全体的にブラウンでまとめられており、この店内の雰囲気とよくマッチしていた。


先客がいるとなれば、わざわざ定位置だからと言って隣に座るのは気が引ける。しかも金髪イケメン。どこに座ろうかと悩んでいると、表に出てきた桐山さんと目が合った。


「橋本さん、今日は早いですね」


朝一の桐山さんはとても眩しい。思わず目を細めたくなる。先日の黒のエプロンも似合っていたが、今日のデニム生地のエプロンも良く似合っている。加えて爽やかさも増しているような気がした。


言っておくが、この前少し仲良くなれたからであって、別に好きとかそういう恋愛感情で言っているわけではない。


何たって私の趣味は人間観察なのだから。


「こんにちは桐山さん。朝早く目覚めてしまって来ちゃいました」

「そうなんですね。・・・でも、今日は残念ながら祖父はいないんです」


「みたいですね」と店内をキョロキョロ見回す。せっかく来たんだ。帰る気なんてさらさらなくて、朝ごはんをかねてモーニングでも食べようと席を探す。店内に入る前に見たボードにモーニング限定メニューの内容とイラストを見てきたのだ。卵サンドとシーザーサラダにコーヒーがセットで590円。カウンターはやめて、2人がけのテーブルに座ろうか。


そう思っていた時だった。


「お、噂の橋本ちゃん?」

「・・・ハ、ハシモトちゃん?」


私の名字を呼ぶ声が聞こえた。桐山さんを通り越したその奥から。少し体をずらすと、こちらに体ごと向けていた例の金髪男とばちりと目が合う。すると彼は、友達かのように手を振ってきた。誰だ、と桐山さんへ視線を向けると彼は彼で困ったように手を額に当てていた。


「由希、橋本さんが困っているでしょう」

「橋本ちゃん、こっちに座りなよ」


ため息をこぼす桐山さんとは裏腹に、ポンポンと楽しそうに自身の隣の席を叩く男。そこは私のいつもの特等席だった。行こうかどうしようかと迷っていると、桐山さんが困ったような微笑で「良ければ、彼の隣にどうぞ」と 金髪男の隣の席へ促すように通路をあける。戸惑いながらも、せっかく桐山さんがそう言うのだから座らせてもらうことにした。


恐る恐る近づくと、金髪男ーーー“ユキ”と呼ばれていた彼はにたりと面白いものを見るかのように笑う。その視線を浴びたまま、彼の隣にゆっくりと腰をおろした。いつもは落ち着くこの一番窓際の席も、今日は外も明るいせいか、落ち着かずにそわそわしてしまう。


「えっと、桐山さんのお知り合い、で合ってますか?」

「そうそう。オトモダチの早乙女由希です。ね、水樹」


そう言って同意を求めるように声をかけた先には、メニューを片手に桐山さんがこちらへ歩いてきていた。どうやら私のために持って来てくれたらしい。一言お礼を告げて、それを受け取る。


「高校からの腐れ縁なんですよ。女の子みたいな名前だけど正真正銘の男」

「君は橋本奈央ちゃん。でしょ?」


「よろしくね」と差し出された手を握り返すと、以外にも優しみのある手だった。


話を聞いていると、高校3年間同じクラスで、学部は違うが大学も同じだったらしい。大学名を聞けば、このあたりでは有名なマンモス校だった。人文学部や経済学部から、医学部や薬学部まで幅広くあり、私の同級生も何人かはその大学に行っていた記憶がある。


学生の頃の桐山さん、か。


なぜ私の名前を知られているのか。それは置いておいて、10代の桐山さんには少し興味がある。そんなストーカーじみた考えは頭から追い払い、心のうちに留めておくことにした。だって私はまだずっと桐山さんを観察してみたい。


「由希、彼女が困ってるよ」

「え〜?困ってないよね?だって俺たち友達だもん。ね、奈央ちゃん」

「すみません橋本さん、適当にあしらって大丈夫ですから」


「はあ」と何ともおぼつかない返事をする。随分早乙女さんは人懐っこくてコミュニケーションが上手な男である。つい自分自身と比べてしまうくらいに。今までの私の学生生活といえば、派手でもなけれな地味でもなく、波風立てないようにおとなしく過ごしていたい派だった。そのためか、こういうタイプに関してはどう会話を返していけばいいか経験値が足りないのだ。どうも会話がたどたどしくなる。


「さ、早乙女さんは、」

「由希でいいよ由希で。ほら、友達だから」

「はあ・・そうですか」


「もちろん敬語もいらないよ」とバチりとウインクしてくる早乙女さ・・・由希くんの取扱説明書が全力で欲しい。最近桐山さんを目で追っていたからか、とてもキラキラした金髪に目がチカチカする。流石にため口はと思ったが、何と私たちは同じ年らしい。もちろん桐山さんを含めたこの3人が。そういうことならばと、ありがたく敬語を外させてもらうことにした。


「・・・由希くんは本当に桐山さんのお友達なの?」


外見や雰囲気から、2人は全然違うタイプ。優等生とチャラ男。もちろん高校生の時は由希くんも金髪ではなかっただろうが、仲良くなった経緯だとか興味がある。疑うようなトーンで聞くと、由希くんは少し呆れたような怒ったような声で言い返してきた。


「疑ってるの?本当だから!それに水樹が同じ大学に入れたのは俺のおかげだからね」

「・・・え、逆じゃなくて?」

「こう見えても成績は高校も大学も首席で卒業だからね」


人は見た目で判断してはいけないことを痛感する。素直に大人しく「ごめんなさい」と謝罪をして、さっき桐山さんから受け取ったメニューを開くことにした。モーニングとランチだけが載っている初めて見るメニュー。見開きの左のページには一番大きく、ボードに書かれてある同じ内容のたまごサンドセットが載せてあった。他にも一通りメニューを確認したが、なんだかんだ一番食欲をそそられたそのメニューを注文することにした。


「どうする、橋本さん」

「たまごサンドセットでお願いします」

「飲み物はコーヒー?」

「もちろん。豆は桐山さんチョイスでお願いします」


そう言うと、桐山さんは嬉しそうに「了解」と親指を立ててグッジョブする。由希くんがいるからか、先日よりもかなりフランクな雰囲気でこれもまた彼の魅力が高まっているような気がする。すぐに準備してくるからと、一度バックスペースに戻ったため、由希くんと2人になった。


彼の正面のテーブルには某フルーツのマークが中央に入っているパソコンが一台と、傍にはカフェオレ。右の席には重そうな本がたくさん入っているカバンが置かれていた。


「よくこの喫茶店にはくるの?」

「ああ、うん。仕事を持ち込んでよくね。昼間がほとんどだから奈央ちゃんとは今日が初めてだね」


多いときは週の半分のお昼はここで過ごすこともあるらしい。だからここの常連客は全員俺のファンであり支援者であり友達なんだよと自慢気に語り始めた。


「何の仕事しているの?」

「小説家」

「へぇ・・・小説家。なるほ、・・・小説家?!」

「そ。早乙女ゆきって知らない?」


早乙女ゆき。もちろん知っている名前だった。だって、世の中の女の子の間ではかなり有名な恋愛小説家の名前なのだから。青春でピュアなストーリーが多く、読んでいるこっちが少し恥ずかしくなるくらいで、この前もウェブ限定放送で短編ドラマ化されたばかりなのだ。


「早乙女ゆきってそりゃあみんな知ってる・・・って、あの早乙女ゆきなの?ほ、本物?」

「当たり前だろうよ。恋愛の代弁者とは俺のことよ」


こんなピュアっピュアな小説をかけるなんて、さぞかし可愛くて可憐な女の人なんだろうな。そう思っていた。本当に人は見た目で判断してはいけないことを反省。しかし、本物に会えるだなんてと私は感激してしまった。まさかその本人が金髪のコミュ力が高いアラサー男性だとは思わなかったけれども。


自身の胸をトントンと叩く由希くんは顔も良くて頭も良くて服のセンスも抜群で小説家だなんて、とんだ高スペック人間である。さすが桐山さんのお友達。


「じゃあそれも仕事道具?」

「その通り。次回作の途中。なかなか進まないからこうやって奈央ちゃんとお話ししているんだけどね」

「へえ・・・大変なんだね」

「モデルにしている奴がいるんだけど、こいつがなかなかねぇ・・・」


話が進まないんだよ、そう言ってため息をつく由希くんはだらっと背もたれにもたれかかり遠い目をしていた。どうやら早乙女ゆき様でも上手くいかない時があるらしい。一読者が悩み話を掘り下げることはできないから、何も詳しいことは聞くことはしなかったけれども。言葉のかけ方がわからず適当に「大変だね」とだけ告げて労っておいた。きっとただのOLの私では一緒に悩めないような内容なんだろう。


「小説書くのって難しそうだね」

「俺には才能があるから」

「・・・・・そう」


素直に「そうだね」と言うのも何だか釈だ。しかし、モデルにされている人も自分が小説に出てくるなんて滅多にないことだから嬉しいだろう。ぜひそのモデルさんには、恋を実らせて、由希くんにも小説を完結させて欲しいと思う。


「でも大の男が恋愛小説だなんて、変だなって思うでしょ?」

「?・・・どうして?」


確かに男性が恋愛小説家とはあまり一般庶民からして想像がつかない。それも純文学とかではなくてピュアピュアな恋愛ものだ。しかし彼の言葉には驚いた。だって今まで変だなとか気持ち悪ななんて思ったこともないのだ。


「カッコ良いじゃん。だってこんな素敵な小説が書けるんだもん。そんなこと思う人なんていないと思うけどなぁ」


自由に小説が投稿できる時代になった今、良い話でも押し寄せてくるたくさんの小説に埋もれてしまうこともあるはずだ。男性が女性を喜ばせる小説を書いて人気が出るなんてある意味本当に才能とでしか言えない。


「・・・そっか、ありがとう。嬉しいよ」


由希くんは嬉しそうに笑う。流石にイケメンにそんなに笑顔を向けられたらときめいてしまうからやめてほしい。




「由希、橋本さんを困らせるなよ」

「・・・わ、いい香おり!」

「何だよ。仲良くおしゃべりしているだけじゃん」


「嫉妬ですか?」と嫌味垂らしな由希くんを無視して、カウンターに現れた桐山さん。肘をついて不貞腐れる由希くんを無視して桐山さんは、カタリと私の目の前にワンプレートのお皿とコーヒーを並べる。一気にコーヒーの好きな匂いが全身を包み込んで、幸せな気分になった。ああ、これだ。と、体が求めるように引き寄せられるような。そんな気分。


「本当に奈央ちゃんはコーヒー好きなんだねぇ」

「由希とは違って大人だからね」

「え?由希くんコーヒー苦手なの?」

「苦手じゃないから。カフェオレ派なだけ」


そうは言っても得意気じゃなさそうな表情の由希くんに桐山さんが「砂糖たっぷりのね」とツッコミを入れる。思わずクスッと笑いがこぼれてしまった。可愛いところがあるじゃないかと。とはいえ、甘いカフェオレが飲みたい時もあるから彼の気持ちも分かる。まあ両者で比べたら圧倒的に好きなのはコーヒーだが。


まずコーヒーカップを手に取り、ひとくち、ゆっくりと口に含む。スっと喉を通り、休日のだらけた体をシャキッとさせる。ああ、何とも言えない開放感。至福の時間である。


「気に入ってくれましたか?」

「はい。さすが桐山さんのコーヒーです」

「良かったです。はい、カフェオレ」


そう言って由希くんの前に置かれたミルク感たっぷりのカフェオレ。待ってましたと言わんばかりに由希くんはすぐに口をつける。これで仕事が捗るぞ、そう言ってパソコンに向き合い始めた。どうかモデルの方の恋が実りますように。


しかしそのやる気は何処へ。10分ほどしたら画面から離れて天井を見上げ始めた。しばらく黙ってその天井を見つめていた彼は、突然私の方へ体ごと動かした。


「ところで奈央ちゃん」

「?・・・はい」


いきなりどうしたんだ。何かを思いついたかのように、そのまま勢いよく声をかけてくる。思わず体が後ろへ少し仰け反ってしまった。


「俺たち人は何のために生まれてきたと思う?」


予想にもしていなかった哲学的な質問に思わず「え?」と素っ頓狂な表情をしていたと思う。本当に突然どうしたんだろう。カウンターの奥に立っていた桐山さんは「またでたよ」と呆れたような顔をしていたから、きっと由希くんは通常運転なのだろう。


「・・・いきなり難しい話をしてきたね」

「まあまあ付き合ってよ。で、何だと思う?」


急かすように煽る由希くんに、無い頭をひねりにひねって見る。どういう答えを望んでいるのだろうか。由希くんは「人間だから、それぞれ考えがあるから。完璧な答えはないよ」と告げるが、それでも難しいように思う。


「祖先が築いてきたものを未来に引き継ぐため?」


何とか絞り出した答えに、彼は満足そうに何度か頷く。


「なるほどね。確かにそうだ。文化や医療技術、この時代に起こった喜劇や悲劇。それらを受け継いで、また生まれてくる人間に引き継ぐために俺たちは生まれた」


「悪くない」と面白そうに告げる由希くんは、すでに自分の意見があるような素振りをしていた。桐山さんは「それじゃあ、」と話に加担する。


「由希の考えはどうなの?」

「もちろん固まってるよ。今のところはそれ以上の答えは見つからないね」


そう聞かれるのを待っていましたと言わんばかりに、嬉しそうに笑う。それでもその表情も目も、面白半分ではなく真剣そのもの。そして彼は一息ついた後、その真っ直ぐな瞳のまま告げる。


「ーーー自分以外の他の誰かを幸せにするため」


そう思うんだよね。そう言って、カフェオレを飲んで一息ついた。


そして彼はさらに続けた。


自分で自分を幸せにすることはできないのだと。


例え今、自分で幸せを掴んでいる思っていてもそれはきっと自己満足にすぎない。その自己満足の先で待っているのは寂しいことに虚無感だけ。


それじゃあじゃあ俺たち人間はどうしたら幸せを得られるのか。


それは周囲の人間からもたらされるものだと。そう言い切った由希くんの言葉には、同じ年に生まれた私よりずっと長い人生を歩んできたようなそんな納得感があった。その言葉はするすると私の中に溶け込んで、それが完璧な答えに近いのではないのかと思うくらいにしっくりときた。


「誰かを幸せにするため、か・・・」


そう呟いていた桐山さんも私と同じ事を感じていたらしい。


「俺だって小説家の駆け出しの頃は、何作も書きまくっていた。作品が評価されて書籍化、それが幸せへの終着点だと思っていた。でも今は違う。この本の読者・・・たった1人でもいい、誰かが夢を持ったり勇気を出したり、その人の幸せに繋がっていくかもしれない。その人の行動で周囲の人間に幸せをもたらしてくれる」


何かしらその人が踏み出すきっかけの1つになればいいと思う。他の誰かの幸せになるまでの糧になれる存在で居たい。由希くんの強い意思を込めた目を見て、私も桐山さんもただ黙っていた。


「じゃあもし、自分の行動によって幸せになる人がいて。その裏で不幸の人が出てくるってことはないのかな」

「それはまた他の誰かがその人を幸せにする。全員を幸せにするなんてそんなことはできない。思い人を幸せにしたいのなら、少なからずとも多少の犠牲は必要だ。その犠牲がもしかしたら自分自身かもしれない。全く知らない第三者かもしれない」


「そうやって残酷だけど世界は回っているんだよ」と話す由希くんはとても格好良くて素敵だった。


「ま、もちろんさっきの奈央ちゃんと一緒で、ただの一意見にすぎないから。これが完璧な答えじゃないと思うし、賛否両論もあるだろうね」


さっきまでの真剣な表情から一気にへらっとした表情になる。確かにこの世は賛否両論で進んでいる。何億人もの人間が同じ方向を向く日などこれまでになかったし、これからも訪れないだろう。しかし賛否両論があるからこそ、こんなにも文明を築いてこれたのであろう。


由希くんは「でも、」と最後に告げる。


「そのために生きようとこの世の全ての人が思えば思うほど、より一層この世界が美しく見えるだろうね」


***



「橋本さん、コーヒーのおかわりはどうする?」

「え、ああ・・・もらいます!お願いします」


それから由希くんは仕事に集中するから。と今度は本気でパソコンと向かい合っている。その横で邪魔にならないくらいの音量で桐山さんとお喋りをしていた。いきいきとした顔で指をただキーボードの上を走らせている由希くん。さっきはなかなか話が進まないとふてくされていたのに。今はどう言った内容の小説を書いているのだろう。今まで早乙女ゆきの作品は確か学生ものから大人の恋愛まであったような気がする。どうしても気になってこそっと桐山さんに聞いてみると、教えるなと言われているらしい。聞いた私も馬鹿だった。普通聞いても教えてくれないだろう。


「桐山さんは全部知ってるの?」

「・・・そうですね。大体は」

「!へえ・・・そういえばさっきモデルにしている人がいるって言ってましたけど、桐山さんも知っている人なんですか?」


そういうと桐山さんはなぜか顔を引きつらせ「コイツ・・・」と視線を送った。もしかして聞いてはいけないことだったのだろうか。私たちの会話を由希くんは聞いていたらしい。1人でクスクスと肩を震わせて笑っていた。


そして由希くんは「ってかさあ!」と突然大きく声を荒げる。


「なんで2人は敬語で苗字呼びなワケ?聞いてるこっちがむず痒いんだけど?!」

「なんでって・・・そりゃあ店員さんは敬語使うのは当たり前だよ」


行きつけの喫茶店とはいえ、馴れ馴れしく店員にたとえ同じ年でも敬語を外せるほど私のコミュニケーション力は高くないのだ。それに「桐山」っていう苗字もここ最近知った話で、その名を呼べるだけでも観察していた私にとってはかなりステップアップである。本人は当たり前だという返事が納得いかないようで「う〜ん」と腕を組んで難しい顔をした。


「じゃあ今から2人は友達に昇格ね。敬語もなし苗字で呼ぶのも禁止で」

「なんとも無理やりな友達への昇格・・・そう思いませんか、桐山さん」

「ですね。・・・まあ僕はそれでもいいですよ」

「え?」

「よろしく、奈央ちゃん」

「・・・よ、よろしくお願いします、水樹くん」


そういえば由希くんも顔が整っているからか麻痺していたけれど・・・桐山さん、改め水樹くんもすごく顔が綺麗なのだ。彼から「奈央ちゃん」と呼ばれたその瞬間、体が甘さを帯びて痺れるような感覚を覚える。胸が締め付けられたような、少し息苦しいような、そう思うくらいに。


コーヒーの飲み過ぎで胃もたれをしたのだと、そう私は思うことにした。

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