「野球少年と浮いた魚」

病院の自動ドアが開き、

僕らは思わず足を止める。


三年前。


そこは僕らがスタンプのために転移された場所と、

ほぼ同じ建物のように見えた。


さすがに、ロビーの中がぐちゃぐちゃになっていたり、

一つ目の二体のカンガルーがいるわけはないが、

気分的にはあまりよろしいものではない。


特に、ここの場合は…


「大丈夫か、顔色が悪いぞ?」


そう言って心配そうに顔を覗き込むやっちん。

気がつけば、ユウリの顔が青くなっていた。


「…ん?もし、疲れているようなら明日にでもするかい?

 明日は休日だろう、それからでもこっちはいいが。」


キヨミさんの申し出。


しかし、ユウリは首を振って、

なんとか気丈に振る舞って見せる。


「大丈夫です。ちょっと車で酔ったみたいで、

 ゆっくり歩いていれば治りますから。」


その様子にキヨミさんは心配そうな顔をしながらも、

「…まあ、無理にとは言わないけどねえ」と言って歩き出す。


正直、ユウリがこうなってしまうのも無理はない。


何しろここはユウリの友人とユウリ自身が

願いを叶えた後でナンバーずになってしまい、

僕らにスタンプされてしまった場所なのだ。


ここが荒らされていない以上、

その出来事はこれから先に起こると考えられるが、

未来の自分がそうなってしまう可能性をはらんでいる限り、

少なくともユウリ的には良い気分にはなれないだろう。


「もし、辛くなったらすぐにでも帰ろうな。

 酔い止めが欲しかったら近くに薬局もあるから…」


その横ではやっちんが心配そうに

ユウリに話しかけているのだが、

ここで僕はあることに気がついた。


…そう、この時点で、

どうもやっちんの記憶が戻っていないのだ。


ユウリに対する対応が紳士すぎるし、

以前のやっちんだったら気付かないような

細かい気遣いもできている。


どうも、ここに来るまでの時点で、

それで困るようなことがなかったので

半ば放置していたところもあったのだが、

…うーん。いっそ、このままでいくべきか。


そんなことを考えていると、

ふいに、横をふわふわとしたものが通り過ぎた。


それは、魚の形をしたバルーンであり、

それを持った小さな女の子が親に

手を引かれて頭を下げる。


その先には小児科と思しき先生が

「よかったねえ、退院できて」と喜んでいて、

とても和やかな雰囲気なのだが…


「あ、魚…いや、違う、あれは俺じゃない。」


なぜか、魚のバルーンを

見たやっちんの様子がおかしい。


「俺じゃないんだよ…なあ、マサヒロ。そうだよな。

 電車で聞こえた悲鳴は俺のものじゃないよなあ。」


そう言ってこちらを見るやっちんの瞳は

昔のやっちんの目そのものであり、

僕は彼の記憶が戻ったことを知った。


「なあ、そう言ってくれよ。

 じゃなきゃ、俺があんな未来になるなんて、

 考えたくもないんだよぉ。」


僕は内心戻ったことを喜びながらも、

すがりついてくるやっちんをなだめつつ、

先ほどの言葉を吟味する。


…そも、魚とは何か?


そういえば駄菓子屋に行った時、

やっちんは金魚鉢に異様に怯える場面があった。


電車、魚…そこで僕は思い出す。


「やっちん、もしかして、

 あの電車で出会ったナンバーずが自分に見えたのかい?

 魚のナンバーず、人を座席に沈めたナンバーずだよね。」


途端にパニックになったやっちんが騒ぎ出す。


「いや、ちげーよ絶対。俺はあんな魚じゃねえし、

 あんな声で叫ばないし。あんな、あんな姿なんかに…」


そうしてさらに取り乱すやっちんを、

キヨミさんが心配そうに覗き込む。


「ちょっと大丈夫かい?

 ユウリちゃんも様子がおかしかったし、

 具合が悪いのなら、このまま帰った方が…」


しかし、その瞬間にエレベーターの到着音がなり、

とっさに僕はやっちんを中へと押し込んだ。


「キヨミさん、大丈夫です。

 今、やっちんは野球の仮想訓練に入っているんです。

 僕らの中学の野球じゃあ敵チームのことを魚と呼ぶんです。」


…いやはや、我ながら苦しい言い訳だと思う。


「え、そうなの?」


疑わしそうにこちらを見るキヨミさん。

そこに、慌てたようにユウリも加勢する。


「そうなんです。やっちんは相手チームの戦術を読むのが得意で、

 こうやって常にイメージトレーニングをして鍛えているんです。

 高校の推薦に受かったのもそのためなんですよ。」


「あー…まあ、そうかもねえ。」


キヨミさんはまだ多少疑いを持ちながらも、

なんとか信じてくれたらしい。


…ナイス、ファインプレー。


そうこうしているうちに、表示は僕らの向かう階となり、

僕らは入った時と同じようにまだ恐慌状態のやっちんを

半ば強引に廊下に押し出すこととなった…

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る