「残された意思」

「息子のために来てくれて、

 ありがとうなぁ…」


そう言って、ヨシノスケさんの父親は、

歯の抜けた顔で僕らに笑って見せる。


壁に掛けられたデジタル時計の

時刻は午後5時半。


家はすえたような匂いがし、

彼を介護するヘルパーさん二人が

通り過ぎざまに僕らに簡単なあいさつをした。


「…息子さんを亡くしてから痴呆が進んでしまってね。

 私が民生委員になったのも彼の抜けの代わりだったのさ。

 普段はヘルパーさんに週三日ほど助けてもらうんだが、

 今日は介護施設で、そのまま一泊するそうだ。」


そうしてキヨミさんは二言三言、

ヨシノスケさんの父親と話すと、

家にある仏間の方へと案内してくれる。


「…十分ほど、お焼香の時間をもらったよ。

 仕事柄、こういう人の話し相手をしなければいけなくてね、

 否応無しにでも間取りがわかっちまうんだよ。」


そこには、ヨシノスケさんの遺影が、

中年の女性の遺影とともに並んで置かれていた。


「隣はヨシノスケの母親だね。

 中学生の頃に亡くなったそうだ。

 …でも、息子がこんなことになるとは、

 思ってもみなかっただろうけどね。」


僕らはその遺影を見て何も言うことができず、

静かに焼香すると黙って手を合わせた。


…そう、僕らはキヨミさんにお願いして、

ヨシノスケさんの家に連れて来てもらっていた。


事実の確認とヨシノスケさんに謝るため。


そのことを話すと、

キヨミさんはこころよく引き受けてくれた。


「…すまなかったね。私も感情的になって。

 亡くなった人の話はいつまでも蒸し返すものではないけど。

 でも気持ち的に落ち着くのなら、したほうがいいからね。」


そうして、焼香をすませ、

四人でゾロゾロと玄関まで行った時、

僕はふと靴箱の上にあるコルクボードに

貼られている一枚の写真に目がいった。


…それは、中学時代と思しき制服姿のヨシノスケさんと、

もう一人、どこか見覚えのある男子学生が、

それぞれギターとハーモニカで演奏している場面だった。


「ああ、それかい?父親の話じゃあ、

 中学一年の文化祭の時の写真だそうだ。

 即興だったけど、かなり盛り上がったみたいでね。

 これをきっかけに将来ユニットを組みたいって、

 毎日放課後に屋上に行って二人で練習していたそうだ。」


「でも、この人はねえ…」そう言うと、

キヨミさんはため息をついてみせる。


「今、行方不明なんだよ。

 三年前に仕事でうつ病になっちまって、

 実家に帰省すると連絡してから、

 …一切、音沙汰がなくなっちまったんだ。」


その時、僕はヨシノスケさんの言葉を思い出す。


『中学の昔馴染みに会えないかなと思っていて。

 何ぶん、もう十年以上も疎遠な友人なもので。』


…それが、彼だったのか。


「全く、どいつもこいつも、

 どこに行っちまうんだか。」


そうして、靴を履くとキヨミさんはヘルパーさんに

鍵を閉めてもらうようにお願いする。


「…じゃあ、次は駄菓子屋の

 おばあさんの見舞いに行くんだったね。

 全く、本当は個人情報だからダメなんだけれどね。」


そう言って、しぶしぶと

歩き出してくれるキヨミさん。


その後ろ姿は、三年前の面倒見の良いキヨミさんの姿そのままであり、

僕はそんなキヨミさんの背中に思わず小さく頭を下げていた…

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