「後悔」

僕らはキヨミさんの部屋で、

静かにコーヒーを飲んでいた。


壁ぎわの本棚には研究室にあった蔵書の

三分の一ぐらいしか本が収まっておらず、

鉱物の類は一つも部屋に置かれていない。


「大部分は大学に寄贈してね、

 あるのは自分の書いた本と研究書が数冊。

 三年で学会もずいぶん変わってしまっただろうから、

 もう、私は時代遅れの人間だよ…」


そう言って、追加のコーヒーを注ぐ

キヨミさんはどこか疲れた様子で、

その背中は、痩せたというよりも、

やつれてしまったと言ったほうが正解のように思えた。


「お仕事、辞められたそうですね。

 今は町内の民生委員の仕事をしていると。」


僕の質問にキヨミさんは、

コーヒーを淹れる手をピタッと止める。


「そうだね。大学を出て、ここに厄介になってるよ。

 出した本の印税で食っているから、まあまあの収入さ。

 民生委員の方は三年前に一人空きができたから、

 町内会に頼まれて…しぶしぶ入った感じだね。」


そこで、僕はあることに気づく。


…そういえば、大学の助手になると言っていた、

ヨシノスケさんはどうしたのだろう。


まさか、別の企業にでも

引き抜かれたのだろうか?


すると、先手を取って、

ユウリがキヨミさんに聞いた。


「あの、ヨシノスケさんは…?」


すると、キヨミさんがバッと僕らを見た。


憎悪、後悔、諦め…


その顔に様々な表情が入りみだれ、

僕らは思わずぎょっとする。


そして、顔をふせるとキヨミさんはこう言った。


「三年前、ヨシノスケは

 勤めていた会社から訴訟そしょうを起こされた。

 情報漏洩じょうほうろうえい…会社の仕事が間に合わなくて、

 一部をUSBに移し替えて自宅のパソコンで

 仕事をしていたことがあだになったんだ。」


僕らはその言葉に顔を見合わせる。


「まずかったのは、そのパソコンを他人に貸し与えていたこと。

 それが故障して別のメーカーでデータを復元してもらった時に、

 仕事のデータまで他会社に漏れたということだった。」


三年前、それは僕が父さんに

パソコンを渡した時期と一緒であり…


「幸い、その会社は良心的でね。

 ヨシノスケの会社と合同でプロジェクトを進めることになって、

 その場で事は収まるはずだったのさ…ヨシノスケが、

 私の勤めていた大学に助手として就職すると知られるまではね。」


拳をにぎるキヨミさん。


「連中はヨシノスケを糾弾きゅうだんした。

 情報を売るつもりだったのだろうと。

 逃げて別の会社に売りつけるつもりだったのだろうと。

 ヨシノスケは必死に否定したよ、否定して、そして…」


ぱたっと床に落ちる水滴すいてき

それはキヨミさんの涙だった。


「…大学側がヨシノスケの就職面接を拒否したんだ。

 考えてみればおかしな話だったんだよ。

 パソコンが手元から離れてひと月も経たないうちにそうなった。

 企業と懇意こんいにしていた大学の連中が情報を横流しにしたのさ。

 でも、気づいた時には…もう遅かったんだ。」


そして、一息吸ってキヨミさんはこう言った。


「それがわかった日、ヨシノスケは自宅で首をくくって死んだ。

 足元には訴訟を起こした会社からの出社命令と遺書があった。

 命令書には訴訟を取り下げる代わりに会社に戻れと書かれていた。

 給料は半分。仕事もバイトに格下げという破格の条件つきでね。」


それからキヨミさんは嗚咽おえつした。


…重くなる空気。

僕もユウリもやっちんでさえも顔を青くする。


それは、僕らの責任。


そう、三年前のあの日。


おそらく、僕らがパソコンを父さんに渡した後、

パソコンは別の業者の手に渡り、

キューブのデータもそこで開示されたのだ。


そこで、残業に追われてやむなく仕事を

持ち込んでいたヨシノスケさんのデータも見つかり、

元の会社に問い合わせたところでキューブは取り上げられ、

データは会社のものになり、ヨシノスケさんは糾弾された。


このキューブをどこで手に入れたのか、

このデータは何なのか。


就職する道をつぶされ、

訴訟を元に会社に戻るように言われ、

ヨシノスケさんは後がなくなってしまった。


全ては、僕らがパソコンを手放したせいで…


「わかってる。仕方ないとは思うよ。

 …お前さんたちは、まだ子供だったのだから。

 大人の世界だって知らなくて当たり前なのだから。」


…心が痛む。


「私も必死に引留めはしたんだ。

 ここで諦めてはいけないと、生きていればなんとかなると。

 …そしたら、ヨシノスケは最後の日になんと言ったと思う?」


『ありがとうございます…でも、もういいんです。

 思えば、僕は中学の頃から人生を間違えていました。

 両親に言われるがままに生きて、生きるためだけに仕事をして。

 もう疲れました…だから少し、休ませてください。』


「あいつは、道をなくして、ふさがれて、

 最後まで不幸なままで死んでしまったんだよ。

 何一つ、思いを叶えられないままで…」


そしてキヨミさんは棚につかまり、

大声で泣き崩れた…

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