第51話 「……」


「……」


 異形がいる。巨大な馬の身体に人の上半身、だが顔だけは獅子の形をした異形。

 黒い鎧を纏い、その背からは、黄色と赤のラインが入った蜘蛛のような脚が飛び出ている。


”似ているな、前のやつと”

”ええ”


 以前戦った志波竜次という男の成れの果て。

 暴糞虫と狭間によって変えられた異形。


 目の前の異形はその姿に似ていた。

 

「……」


 俺は横目で周囲を確認する。何人もの人が倒れ、傷ついている。その中には幼馴染である朱里の姿もある。異形と戦う組織。この場所は、彼らの根城のような場所であった。


 最初、正直に言えば助けに入ろうか迷った。彼らの根城だ、また以前のように俺達と彼らが戦うことになるかもしれないと考えて。それに彼らは異形を封じこめることが出来ていたから。


 だが、一瞬で形勢は逆転した。異形が突如放った赤い光によって。

 彼らが生み出した”盾”がなければ、さらに被害は甚大になっていただろう。


 恐らくあれはもう使えない。

 気づけば妖刀――影静を強く握って、俺はそこに飛び出していた。


「……」


”じゃあ行くか、影静”

”はい、恋詩”


 スイッチが切り替わる。戦うためだけに。

 そして俺は大地を強く蹴った。










 それは轟音と共に始まった。

 朱里がそれを”無名”が地面を蹴った音だと気づいたときには、”無名”の姿は”鬼”の顔寸前にあった。一瞬だった。”鬼”の頭部が切り裂かれ宙に浮く。


「とった……」


 朱里は呆然と呟く。

 気づけば”鬼”の首が飛んでいた。

 

 だが、それで”鬼”は終わらなかった。再生する。切り飛ばされた頭部の断面から白い触手のような何がが飛び出て、”無名”の腕に絡みつく。そして頭部だけになった”鬼”の口から赤い光が一瞬漏れる。


「駄目っ」


 光が放たれる。その瞬間、”無名”の刀がさらに”鬼”の頭部を切り裂いていた。

 だが、”無名”の頭上に首を失ったはずの”鬼”が前脚を振り上げていた。


 轟音と共に、大地が抉れる。だが、そこに”無名”の姿はなかった。

 

「消え――」


 ”鬼”の身体がバランスを崩し、倒れ込む。

 気づけば”鬼”の直ぐ側に”無名”の姿があった。


 ”鬼”の四足の足。それが全て切断されている。

 だが、瞬時に”鬼”の足が再生していた。

 それだけじゃない。切り落とされた頭部も新たに生えている。


 凄まじい再生速度だ。これほどの”鬼”は見たことがない。


 もし、自らが天火明命アメノホアカリノミコトを使用できたとしてもあれを消し去るのは不可能のように思えた。


 ”無名”と”鬼”の戦いが目の前で繰り広げられる。

 何が起きているかわからない。”無名”の動きが速すぎるのだ。

 戦いは時が経つごとに激しさを増している。


 気づけば”無名”の姿は”鬼”の頭上にあった。

 刀が振り下ろされる。

 

「ッ」


 だが、甲高い音が鳴り響き”無名”は後ろに飛んだ。

 刀を弾かれたのだ。微かな舌打ちが聞こえた。


「さっきと違う」言葉が漏れた。

 ”鬼”。その獅子の頭部が変形していた。黒い鉤爪のような何かが”鬼”の頭部を守っている。鉤爪のようなそれは、黒く、鉱石のように輝いている。


 新たに適応したのだ。”無名”に対抗するために。


 ”鬼”の口から光が漏れる。また来る。あの赤い輝きが。

 口が大きく開かれ光が放つ寸前、”鬼”の顔の目の前に”無名”がいた。


 衝撃と共に”鬼”の頭部がブレた。

 赤い光が空へと消える。”無名”が無理やり口の向きを変えたのだ。

 力づくで。


 ”鬼”が咆哮し、”無名”を強く睨む。苛ついているようだった。

 

 音を立てず着地した”無名”は動きを止めた。

 ただ、じっと”鬼”を見る。


 だが、”鬼”はそれを許さない。”鬼”の背から飛び出る蜘蛛の足が鉤爪のように変化する。それがとてつもない速度で”無名”へと襲いかかる。まるで機関銃のように繰り出される。


「……」


 だが、掠りすらしない。

 見えているのだ、完全に。あの動きが。


 でもどうしたのだろう。”無名”は攻撃を辞め、受けに徹している。

 攻めることができないわけではないだろう。


 そこで朱里は気づいた。


(違う、待っているんだ)


 ”鬼”が隙を見せるその時を。

 

 そして、次に”鬼”が大きく前足を振り上げたその時、”無名”は動いた。

 轟音と共に、大地が凹んだ瞬間。


 ”鬼”が苦しげな声を上げ、足が折り曲がる。

 まるで内部で骨が破壊されたように。

 それにより、バランスを崩したのだ。


 だが、瞬時”鬼”の足が元に戻――るよりも早く”無名”は拳を”鬼”に当てていた。爆発のような音と共に、”鬼”の身体を守っていた黒い鎧が割れる。


 そして、”無名”は刀を居合をするように構えた。


「――――」


 そして金色の光が一瞬、見えたような気がした。




 


 気づけば”無名”の姿は”鬼”の後方にあった。

 ”無名”の身体は熱を持つように赤く染まっており、その手に持つ刀も赤く輝いている。


 ”鬼”は静止していた。

 その身体は足先から頭部まで全て黒に染まっている。鎧が再生したわけではない。先程までとはまた違う異質な黒。


「嘘……」


 朱里は目の前の光景が理解できなかった。

 消えていく。”鬼”の身体が。

 砂のように、風に舞い上がり空へと。

 

 そして最期には、どこにも存在していなかったように”鬼”の身体は消えた。


「……」


 静寂が場を満たす。





 倒した。”無名”があの”鬼”を。

 膨大な力。それを”無名”から感じる。


 ”無名”は、”鬼”を倒した後、北を向いた。


 そうだ。北側にもう一体”鬼”は存在する。

 向かうつもりなのだ。また”鬼”と戦うために。


 と、そこで朱里は気づいた。

 消えている。北にいた”鬼”の気配が。


 ここと同じように。

 ”無名”もそれに気づいたのか、動きを止め町の方へ向いた。


「ま、待って”無名”!」


 そんな声が聞こえた。椎名の声だ。

 気づけば椎名が”無名”に呼びかけていた。


 ”無名”はそれを一瞥した後、何も言わずに消えた。






 








 叛鬼衆東部総括本部。その北側。

 そこには”鬼”の躯があった。

 それは南側に現れた”鬼”の姿と酷似していた。


 だがその光景は異様だった。

 切り裂かれた”鬼”の躯。

 それは全てが静止していた。


 再生しない。それどころか、”鬼”の流れ出る血までもが静止している。

 まるで時を止めたように。


「……」


 そこに刀を持つ女がいた。

 銀色の髪を月明かりが微かに照らす。


「偉月様! ”鬼”はもう」少し離れた場所で他の叛鬼師が女に声を掛ける。

 一人の方が戦いやすいからと女に待機するように言われていたのだ。


「はい、終わりました」

 その問いに女、龍堂偉月りゅうどういつきは答えた。途端に響く歓声。


 偉月は歓声の中、ただ無表情で別の方向を見ていた。

 叛鬼衆東部総括本部。その南側。


 ”無名”が今、去ろうとしている方向を。


 偉月の瞳には白銀色に輝く、輪のような紋様があった。


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