第50話 巨人馬
「これは……」
叛鬼衆東部総括本部、その南側にそれはいた。
”鬼”。信じられない巨躯。30メートルは超えているだろう。
それは朱里がこれまでに見たことのない系統の”鬼”だった。
悪魔。そんな言葉が頭に浮かんだ。
見ているだけで、身の毛がよだつような異様な感覚があった。
「……すごい」
だが朱里が来たときに”鬼”は既に動きを止めていた。
いや、止まらされていた。
膨大な神術によって。
首に、四脚に、腕に、胴体に、尻尾に、様々な”神術”が絡みついている。
”鬼”の周囲を見ると何人もの叛鬼師が錫杖を”鬼”に構え握り締めていた。
よく見ると、その中には同じ東部第6班の四方堂燐の姿もある。
あれだけの捕縛ノ神術の数だ、たとえどのような”鬼”であろうと動くのは無理であろう。現に目の前のこの”鬼”も動けていない。
だが、朱里はこれで終わるとは思えなかった。
この”鬼”は何かがおかしい。
そう一番思った理由は”鬼”が出現した場所だ。
叛鬼衆東部総括本部。そこに”鬼”がピンポイントで出現したのだ。
しかも、叛鬼衆東部総括本部を挟む形で2体。
(ありえるの? そんなこと)
朱里はそれに何らかの意志が介入しているとしか思えなかった。
「朱里!」
「お姉ちゃん!」
気づけば隣に姉であり、自身の班の隊長でもある御堂椎名がいた。
その後ろには悠真や、仁、景正の姿もある。
「お姉ちゃん、被害は!」
「今のところ大丈夫、あれを捉える際に数人が怪我をした程度ね、幸いにも東部本部に人は多くいたからすぐに対処できたの。向こう側の”鬼”は第1から第5の班が戦闘しているわ、恐らく同じ状況でしょう」
朱里は胸を撫で下ろした。
死者は出ていない。また悲劇を見ずにすむ。
「あいつらはここをどこだと思ってんだ、腐っても叛鬼師の支部だぜ、ここはよう」景正が”鬼”を見ながら言う。
「そうだな、ここは日本東部の全てを守護する場所であり、戦うための全てが揃ってると言っても良いくらいだ。確かに強力だが、あの程度の”鬼”には負けないさ」悠真が落ち着いた様子で”鬼”を見ながら言った。
悠真の言う通りだった。ここ、叛鬼衆東部総括本部には何もかも揃っている。
”鬼”と戦うための武装。そして100人を超える叛鬼師がいる。その中には人を癒やすことのできる神術を持つ者や、守ることに特化した神術を持つ者などもいる。
通常、そういった特異な神術を持つ者達は、相性の良い班に配属されるか、東部本部で勤務することになる。ただの1班だけではなく、その者達も今この場にいるのだ。普通で考えれば、負けるはずはない。
「そうね、でも油断しないで。何が起こるかわからないから、それにあの”鬼”は再生能力も桁違いに高いわ。生半可な攻撃では意味がない」
「つまり」
「ええ、これから源信さんの合図で一斉に攻撃する。朱里、もちろんあなたもよ」
「はい、了解しました」
源信とは、ここ東部総括本部を指揮する管理者の一人である男のことだ。
長らく叛鬼師として戦ってきたお方。指揮に申し分ない。
そして源信は大きく声を張り上げた。
「聞け!! この場の者よ! 我らは今から30秒後にこの目の前の”鬼”に一斉に攻撃する。まずは飛び道具を用いるものが、その後、近い距離で戦う者が。皆、それまでに準備せよ!!」
”鬼”の動きを止めていた以外の叛鬼師全てがそれぞれの武具を構える。
様々な神の名がその場に響き渡る。
「朱里」既に
朱里は一度、深呼吸しその名を呼んだ。
「来て、
いつものように行ったはずだった。
神造物を顕現させる、その行為を。
「え……」
顕現しない。朱里の手には何も握られていなかった。
彼女の神術、
「朱里?」椎名が怪訝そうに聞く。様子がおかしい。そう思ったのだろう。
そうだ、朱里にとって実際このようなことは初めてだった。
あの日、”神”と通ずる儀式を行ってから。
「お姉ちゃん……発動できない」
「なにを言ってるの……」
「
それは叛鬼師という存在にとって、珍しいものではなかった。
神術とは人ならざる神如き御業。
それは人の手には余るとでも言うようにいくつもの理由で、使用することができなくなる。
”魂”自体の容量や、心の乱れ、身体の状態。その全てが神術の使用に直結する。叛鬼師として戦って、”魂”に問題はないはずなのに神術が使えなくなる、そのような事例はいくつもある。
「嘘でしょ……」椎名が言葉を失う。その隣で悠真も景正も絶句している。
だがこうしている間にも時は過ぎていく。
「隊長、もう時間が」仁が椎名に呼びかける。
「っ、朱里とりあえず離れておきなさい!」
「はい......」
呆然とする朱里。なぜ、どうして、そんな言葉が頭に浮かぶ。
「皆、準備したか! では総攻撃を開始するッ!!」
そう、源信が言葉を発した瞬間。
膨大な神術が”鬼”へと到達し、全てが震えた。
砂埃が舞い、”鬼”を覆い尽くす。
「よし! では第2陣行――
源信の言葉が止まった。
朱里はその一瞬何が起きたか見えなかった。
源信の身体は赤く染まっていた。
「ぬっっ!!!」
「源信様!!」
癒やしや医術の神術を持つ者達が源信に駆け寄る。
風が吹き荒れる。そして砂埃の先にあったのは、どこも傷ついていない”鬼”の姿だった。よく見れば、先程の姿と違う。
捕縛ノ神術が外れ、”鬼”の身体に黒い甲殻が浮き出ている。
それはまるで甲冑のように、”鬼”の身体を守っていた。
「馬鹿な」「ありえない」そんな声が聞こえた。
そして”鬼”は咆哮した。
”鬼”の身体が大きく持ち上がり、馬の前足が高くあがる。
そして”鬼”は脚を大地に振り下ろした。
轟音。地面が大きく揺れる。
立っているのがやっとだった。
だが、朱里は見た。
獅子の口が大きく開き、赤く輝きを発したことを。
(まずい、まずい!!)
赤い輝きが収束する。
そして――
その瞬間、”鬼”の前方に石の壁や、巨大な鏡、突如地面から生じた木々などが何十にも重なり巨大な盾が形成される。
赤く輝く極大の光が放たれた。
誰もがその場から吹き飛ばされる。
「っ」
朱里はゆっくり身体を持ちあげると、その光景に絶句した。
”盾”があったからこそ、命こそ無事なものの、多くの叛鬼師が満身創痍だった。
「あ……」
朱里は気づいた。”鬼”の口からまた光が漏れていたのを。
来る。もう一度。
駄目だ。もう一度、あの”盾”は使えない。
あれほどの神術だ、多大な負荷がかかる。
これで、終わり……?
一歩先に”死”がある。
それがわかる。
あの光が再び放たれれば、もう次はない。
ここにいる全員が命を失う。
「
再び神の名を何度も呼ぶ。だが、その手にその弓が現れることはない。
何もできない。
無事だった悠真や仁らが”鬼”に向かって走る。
だが、次の瞬間、身体が弾丸のように吹き飛ばされ、後ろの壁にめり込んだ。
「あ……」
光が再び収束する。
朱里はその瞬間、今までのことを思い出していた。
幼い頃の記憶から現在までが一瞬で過ぎ去る。
そして、最後に強く浮かんだのは、自らが振った元恋人の笑った顔だった。
「ふ……」
朱里は自嘲した。最期の瞬間だと言うのに、こんなときも彼のことを考えている。そう思うと何か笑いがこみ上げてきていた。
そして、光が放たれるその瞬間、”鬼”の身体が大きく吹き飛ばされた。
「あ……」
赤い柄の刀を持った男がいた。
男は半分が人、半分が鬼のお面を被り、ただそこに立っていた。
男が朱里のほうを向く。
その瞳は誰かによく似ていた気がした。
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