第47話 地図


 目を細めて見る。約60メートル先で縦横無尽に動く練習用の的。御堂朱里はゆっくりと深呼吸し弦を引いた。一切のブレもなく放たれる矢。的の中心が射抜かれる。すかさず新たに矢を手に取り、弦を引き放つ。


(あと2つ)


 幼い頃から行ってきた一連の動作。放たれた矢は、吸い込まれるように的の中心に刺さる。それも静止している的ではなく、縦横無尽に動く的だ。放たれた矢は一つ一つ動く的を確実に貫く。


(あと1つ)


 だが最後の矢を放つその瞬間、ほんの少しだけ思考が乱れた。その乱れは指先の感覚を鈍らせ、軌道がブレる。その矢は的の中心から拳一つ分ずれた位置にあった。


「……」

「珍しいですね、朱里様」後ろで見ていた家政婦の斎藤が言った。

「少し、集中していなかったみたい」


 修練場の壁に掛けられた時計を見る。そろそろ時間のようだ。学校へと向かう時間。朱里はシャワーで汗を流し、朝の支度をした。


 いつの間にか薄暗かった空は、日の明りを取り戻していた。


 


 学校は平穏そのものだった。いつものように授業を受け、友人と話をし、一日が過ぎていく。期末試験が間近ということもあってか、皆一段と真剣な雰囲気だった。


 朱里は授業を受けながら、ここ最近の出来事を思い出していた。以前、突然感じた”鬼道”の気配。無名との戦い。”鬼道”の倍増。降臨者の来訪。以前とは違う。何かが狂い始めている。


「つまりこのアとイ、ウは選択肢から外れるので残ったエが正解になりますね、これは中学校の範囲ですからわからない人は真面目に復習するように」


 教師が黒板の前で解説をする。そして教師が次の問題に取りかかろうとしたそのとき、鐘が鳴った。


「では授業はこれで終わりとします」


 当番が終了のあいさつをし、午前の授業が終わった。その後も、特別なことはなく、ただ時間が過ぎていく。


「だからさー、私りょーくんにキレちゃって~」

「なにそれ、ひどーい」

「美佳さぁ、そいつと別れたほうがいいんじゃね?」


 適当に友人たちと話を合わせて休み時間を過ごす。

 楽しくないわけじゃない。ただ何かが足りない。

 そう感じてしまう。


 駄目ーー考えてはいけない。

 また”術”がブレる。


「あーちゃんはどう思う?」

「酷いね……あー、でも彼氏さんが美佳のこと好きすぎたからなのかなーっても思った」

「かも~うちの嫉妬深いからなぁ」とどこか嬉しげに笑う彼女。


 気づけば午後の授業も終わり放課後になっていた。

 友人たちに別れを告げ、帰路につく。


 そして夜が訪れる。










 それは巨大な虫であった。

 全体な形としてはムカデに似ているだろう。だが、そこに目や触角はなく、長い身体に黒い甲殻と何十本の脚だけが月明かりに照らされている。


 ”鬼”。街から離れた山奥で、”鬼”が木々をなぎ倒しながら進む。

 恐ろしい力と速さだ。あの前に立てばいくら叛鬼師だろうと、すぐにその生命を終えるだろう。なのに、遠くから攻撃しようとしても、その図体からは考えられない俊敏さで、容易に避け襲ってくる。


 この”鬼”が1部隊では討伐できないとされたのがよくわかる。

 朱里の所属する部隊”東部第6班”は本来この地域の管轄ではないが、先程本堂から連絡が入り急遽向かうこととなった。


 強力な”鬼”だ。既に6人の叛鬼師が負傷している。未だ死者が出ていないことが不幸中の幸いだ。


 朱里は天火明命アメノホアカリノミコトを”鬼”に射る。

 しかし、多少の傷を与えるものの弱る様子は見せない。”鬼”はその光の矢に苛立つように朱里に襲いかかる。朱里のすぐ目の前に”鬼”の姿があった。


「朱里!」朱里の許嫁である叉堂悠真が叫ぶ。

「大丈夫ッ!」


 紙一重で、”鬼”の脚を避ける。右手で受け身を取るように身体を回転させる。そして天火明命アメノホアカリノミコトを至近距離で”鬼”へ射る。


 甲高い音と共に、頭部にあった甲殻が割れた。空気が変わる。

 甲殻の下から無数の鋭い牙が現れ、咆哮を上げる。

 だが、その動きが唐突に止まる。

 

「椎名さん! 捕まえました! ギリギリですけど!」


 鬼の脚を藍色の光が包み込んでいた。四方堂燐の神術だ。これにより”鬼”の動きは制限され、付け入る隙が生まれる。

 

「朱里!」

「はい」


 朱里は"鬼"に狙いを定め強く弦を引く。空気が震え、天火明命を中心に、光が収束する。


 そしてーー


 極大の光が”鬼”の中心を貫いた。

 

 天火明命アメノホアカリノミコトが朱里の手から消える。

 負担が大きすぎたのだ。今日はこれ以上行使できない。何より自分自身もこれで限界だ。


 だが、それは動いていた。

 身体の中心を穿たれて尚、その”鬼”は。


「……申し訳有りません」

「いや、十分だ朱里。ここからは俺たちの番だ」と悠真が朱里の前に立つ。その言葉に応えるように「ええ」と椎名が言った。


 そして、悠真を始めとした他の隊員たちが、”鬼”へ斬りかかる。

 そして数分後、”鬼”はその動きを止め、力を失ったように倒れ込んだ。


「……」


 朱里は自身の手のひらを見つめる。

 

(”力”が上手く錬れなかった)


 もし最大限、天火明命アメノホアカリノミコトの力を引き出せていれば、おそらく先程の攻撃で倒すことができたはずだ。


「……」


 そうして戦いは終わった。






 それから朱里たちは叛鬼衆東部総括本部へと移動し、医務室で手当を受けたあと、会議室で待機していた。いつもであれば、手当後、そのまま帰宅という流れなのだが、今日に限っては上から待機するように言われていた。


「いやー、疲れたぜマジ」と景正

「あぁ、強力な”鬼”だった」と仁。隣で燐が頷く。


 そう彼らが言うように、本当に強力な”鬼”だった。

 幸いにして、大きな怪我はなく、全員生きている。

 誰も失いたくはない。朱里は心の底からそう思った。


「朱里大丈夫か?」悠真が朱里の隣に座り、顔を覗き込んでくる。

「え?」

「いや、心配そうな顔をしていたから」

「誰も怪我しなくて良かったって思って」 


 悠真も頷きながら「そうだな」と言った。


「最近、おかしいですよね。なんか”へん”」と燐が言う。

「あぁ、鬼道の増加に、強力な”鬼”。それに」

「”無名”」と仁が言った。その瞬間、全員が顔を強張らせた。


「あの人ならさっきの”鬼”も1人で倒せたのかな……」燐が言う。

「かもな……あれほどの強さだ」

「「……」」


 無言の時が流れる。みなあの時のことを思い出しているのだ。


「大丈夫。今度は負けないさ、俺たちなら」悠真が言った。 


「どうかな……、今の俺たちじゃたぶん、手も足も出ねぇよ。降臨者でもねぇ限り」悠真の言葉を景正が否定する。正直に言えば朱里も景正と同じ気持ちだった。


「あー! もうやめましょ? この話。そういえば椎名さんと渚は?」と燐が重苦しい雰囲気を変えるように言った。


「わからない、さっき何かを取りに行った」と仁。

 そんなとき、部屋のドアが開いた。椎名と渚だ。渚は何か大きな紙のようなものを縦に丸めて抱えている。


「渚? それは?」と悠真が聞く。

「地図」

「地図?」

「廊下からも聞こえたけど、今君たちが話していた”無名”についての地図」


 椎名が中央のテーブルに地図を広げる。それは朱里たち東部6班が担当する地域周辺の地図であった。別の隊が担当する地域もある。その地図ところどころに赤と黒のバツ印がついている。


「隊長これは?」と仁が聞く。

 朱里はその印がされている場所を見て気づいた。


 これはーー


「これはこの数ヶ月で鬼道が開いたとされる場所と、”無名”がいた可能性のある場所」


 そう、この印の位置はこれまで記憶にある場所。

 よく見るとある範囲から赤い印が重ならなくなっている。


「”無名”がどうやって鬼道を感知しているかはわからないけど、少し、見ていて」


 椎名が”無名”がいたとされる印を結んでいく。

 その形は歪なものの、円として形を成していた。


「これは……」

「そう、この円が”無名”の活動範囲。つまり、このラインが”無名”の感知能力の限界であり、この円の中心付近に”無名”がいる可能性が高い」

「マジか」と景正。

「そういうことか」悠真が言う。

「残ってもらったのはこのことを話したかったからなの。以前から、可能性はあった。でも”無名”の出現する場所や時間帯は不規則だったし、データが少なすぎて確証はできなかった。でも最近は」

「”鬼”の出現が増えているからこそ、わかったということですね」と仁。その言葉に椎名が頷く。

「すごい、でもこのあたりって確か」と燐が言い朱里のほうを見る。

「そう。朱里。あなたが通っている高校からそう離れていない場所、そこに”無名”がいる」


 と御堂椎名は言った。




『あとがき お久しぶりです。少し時間がかかってしまいました、またよろしくお願いします』



 


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