第46話 正しい行為
『まえがき 今回の話には少し生々しい表現があるので注意です』
黄金の輪。それが瞳から消えた後、俺はゲームセンターに戻った。柊子は先程のクレーンゲームの近くでぬいぐるみの入った紙袋を持ちながらスマホを弄っている。
「ただいま」
「おかえり、次はどこ行こっか」
俺たちはクレーンゲームで取れたぬいぐるみを、一時的にロッカーに預けまた館内を見ることにした。適当にブラブラする。柊子がいるとそれだけで楽しい。女という感じではなく、男友達のように話すことができる。
「見てあれ」柊子が肩を叩いてある場所を指した。そこには黒い看板に赤く文字が書かれている。人が4、5人並んでいた。
「お化け屋敷?」
「だね、こっちに来てたんだ」
モールの3階の一部では、お化け屋敷が開かれていた。入場料は1000円。中からは悲鳴が聞こえる。
「せっかくだし行こうよ」柊子が言う。
お化け屋敷が開催されている期間を見ると後一ヶ月と少し。期間限定だ。もう行く機会もないかもしれない。
「そうだな」と俺と柊子はそこへ向かった。
お化け屋敷の前ではポールが並びここから並んでねと書いてある。列の後ろに並んで待つ。すると反対側の扉から「キャアア」と悲鳴をあげて女性3人組が出てきた。本当に恐怖を感じている顔だ。
「......ちょっと今後悔してるかも」少し引き気味で柊子が言う。足もちょっと入口から後退している。
このままだとやっぱやめようと言い出しそうなので「今更逃がさない」と俺は柊子の両肩を掴んだ。
「わかってる......ちょっと怖いから肩掴んでて」
「そんなに?」
そうしてしばらく待っているとスタッフの女性がどうぞと扉を開けてくれた。初めは何もなかったが、数メートル進むとどんどん雰囲気が出てくる。それに外よりは格段に暗い。
「ねぇ.....ちょっと私マジで怖いかも......手掴ませて」そう言って柊子が俺の手を強く握って身体を寄せてくる。足が微かに震えていて、本当に怖いようだった。
「……っ」
胸が当たってますよ柊子さんや。
ダメ意識しない。意識しちゃダメ。
つーか、結構でけえ。煩悩退散、煩悩退散!
「暗い……」
柊子がそう言う。
俺は影静の”力”で夜目も効くのでほとんど見えているが、普通の人間であれば結構薄暗いはずだ。
そうして歩いていると、井戸があった。
作り物だとわかっているが、何かが出てきそうだ。
と、足に感触があった。下を見る。下の方から手が出て俺の足を掴んでいた。
「こわ」
「え?」
正直に言えば、聴覚も強化されていて、このスタッフさんの息遣いや、足音が聞こえるのでそんなに怖くなかった。
「ひゃあ!! なんかいた! 足! 足!」
柊子が叫んだ。どうやら今度は柊子に触ったようだ。俺は笑いながら、柊子を連れて奥に進んだ。その後は、下半身がないように見える人が追いかけてきたりした。
そんな感じで俺たちはお化け屋敷を楽しんだ後、アイスを食べて今日はお開きにした。すでに時刻は20時を回っていた。降りた駅に戻り、電車に乗る。柊子を見るとさすがに少し疲れたようで、俺の肩にもたれ掛かっている。
こうして見ると普通に女の子なんだよなぁ。男友達と同じような感覚でいつも接しているけど。
「大丈夫なのに」
「いいよ、送るって」
自宅を通り過ぎて柊子を家まで送る。
別に大丈夫かなと思ったのだが、外は割と薄暗かったので、少し心配になっていた。2人で今日の感想を言いながら帰り道を歩く。柊子はいつもより笑顔で楽しそうだ。気づけば柊子の家が見えるまで近くに来ていた。手にはぬいぐるみが握られており、視線を少し下げた。
「今日付き合ってくれて本当にありがと」柊子が少し恥ずかしそうにしながら言う。
「いや、俺も楽しかったし」
柊子は俺をじっと見つめたまま、言葉を止めた。気づけば辺りに人の姿はなく、近くを通る車もない。急に世界が静かになったような気がした。
「?」
「私……さ」
少し俯く柊子。声が小さくなる。
「あんたのことが――」
そのとき、柊子のカバンからメロディが流れてきた。
電話のようだった。
「ごめん、なんでもない」
柊子は困ったように笑っていた。
「バイバイ恋詩、また月曜日」俺のほうを振り向かず、柊子はそう言って家の中に入っていった。
ぽつんと残される俺。
「……」
マジか。俺は呆然と自分の頬を抓った。
*
御堂朱里は自室で横になっていた。
どこか目は虚ろで、手に持つスマートフォンの画面をただ見ている。
そこには別れた恋人の写真がただ流れていた。
「……」
最近”術”が不安定だ。
学校で彼の姿を”また”追い始めている。
「……」
見ようとするな。それを見てはいけない。見てもまた過去に浸るだけだ――。そう思っていても、自然とフォトアルバムを開いてしまう。
写真が数秒ごとに流れていく。
自分とのツーショットの写真や、恋人であった少年だけが写っている写真もある。
写真が流れていく。
気づけば、随分と”時”が遡っている。これは中学二年くらいの時だろうか。それは集合写真だった。確か学校の何かのイベントでみんなで撮った写真。自分と、彼と、他の生徒。みんな、やり遂げたような表情をしている。
「あ……」
一人の女の姿が朱里の目に止まった。
眼鏡を掛けてピースをしている女性。
林道柊子。彼女の姿がその写真には写っていた。
思考が乱雑になる。
あの日から一ヶ月ほど経ったときだっただろうか、彼とあの女が”雨の日に”一緒に帰るのが目に入ってしまった。
それまでは彼に対する意識を完全に遮断していたはずなのに。
”視界”に入れないよう”に気をつけていた。彼に関することは”耳"に入れないようにしていた。心を狭める”術”を用いて。だが、学校が終わった後のことだったから油断してしまった。
そしてそれから、彼とあの女がよく一緒にいることを知った。以前から知り合いなのは知っていたが、あんなに一緒にいるとは知らなかった。だけどそのときはまだ大丈夫だった。それでも気にしないようにすることが出来た。それに彼が……例えあの女だとしても、誰と付き合っても自分には止める権利はないと思っていた。少なくとも心の表面では。
だけど。
記憶がフラッシュバックする。あの時の記憶が。
自分を避ける彼を完全に”見てしまって”思わず廊下で呼び止めて”しまった”ときの記憶が。
『ねぇ……あの子と付き合うの辞めたほうが良いよ』
『ほら、3年の東山さんっているじゃない? あの、茶髪で、不良の。あの人ともよく遊んでるらしくて』
『噂では、前、退学になった6組の美波いたの覚えてる? あの子も、柊子ちゃんに嵌められたって言ってて』
朱里がそれを知ったのは、まだ彼と離れる前のことだった。そんな話を”知人”から打ち明けられた。あの子はヤバいから近寄らないほうがいいと。だけどそれは極一部の者にしか知られていなかった。不自然なほどにそれは広まらなかったのだ。だけどそれを彼に言うのは憚れた。信憑性はなく、そのときは既にそれどころではなかった。
「……」
その話が正しかろうが、間違っていようが朱里はどうでも良かった。
心の奥底では彼が恋人を作るのが許せなかったのだ。
そして拒絶された。彼が怒るのを見たのは久しぶりだった。
『あんたなんかと付き合わなければよかった』
そう最後に言ったのを覚えている。でも本気でそう思っているわけではなかった。思うわけがなかった。ただ、自分を信じてくれない彼に酷く苛ついて、そう言葉を発してしまった。
――信じてもらえる筈がないのに。
*
柊子は自宅に入った後、家族がいないことを確認しスマホを見る。そして表示された名前を見て眉を顰めた。気分が台無しだ。
「何?」
『えらい、機嫌悪い声じゃねぇか』
「ええ、そうね。邪魔されて、とても機嫌が悪いの」
『そう言うなって、れんじくんだっけ? 彼の噂タダで広めてやったろ?』
「はいはい、それで?」
『2年の斎藤? ほら野球部の。あいつの――頼むわ』
「送るわ、じゃあね」
そう言って、柊子は電話を切った。
ぬいぐるみの入った袋を持ったまま、ベッドに倒れ込む。
「あぁ……」
先程の電話で少し気分が削がれてしまったが、それでも幸せな気持ちで心は満ちていた。思い出すのは今日のこと。2人きりで彼と一日中遊んで、会話して、色んなことをして、そして――。
「恋詩……恋詩……恋詩」
頭がどうにかなりそうだった。一日中。
彼と一緒にいる、それだけで幸せな気持ちで溢れた。
なのに触れた。
手を繋いだ。一緒にいるだけでも幸せなのに、そんなことをされては立っていられなくなりそうだった。
2人きりの時間。”汚い奴ら”がいない世界。
本音を言えば、夜も一緒にいたかったが仕方ない。
「ふー、ふー」
柊子は鍵付きの机の引き出しを開ける。そこには何重にも袋に詰められた”何か”があった。それを一つ一つ開いていく。そこには以前、恋詩の血を拭ったハンカチがあった。
血は変色し、黒く染まりかけている。
柊子はそれを掴むと、鼻先に押し当てた。
「あぁぁぁ、ヤバい……これマジで効く」
恍惚とした表情のまま、鼻先にハンカチを押し当てる柊子。
足は乱雑に動き、落ち着く様子はない。
「駄目だって……あんな顔見せちゃ」
彼の笑顔。2人きりのときに見せた笑顔。自分だけに見せてくれた顔。
それを思い出すだけで頭で幸せな”何か”がドバドバ溢れてくる。
「あぁ」
あぁ、あれをして良かったと心の底から柊子は思った。彼を周囲の”汚い奴ら”から遠ざけたのは間違いでなかった。最初は少し迷っていた部分もある、けれど今にして思えば、正しい行為だった。
彼の側にいるのは自分だけでいい。例外として親友も許してあげよう。あれは、あれで可哀想な子だ。もう少し、もう少しで彼の”大切”に入ることができる。そうしたら彼と同居しているという女も排除しよう。きっと彼も止めない筈だ。
「あぁぁ」
底がない。側にいればいるほど彼に対する”愛”が止まらない。
以前とは比べ物にならないほど、彼の全てが愛おしい。
その感情だけが柊子を支配していた。
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