第44話 猫


5:00 p.m.


 金曜日。先程、学校が終わり俺は一階の玄関にいた。外は雨。天を雲が覆い、どこか薄暗い。俺はリュックから折りたたみ傘を取り出し外に出た。流れ出る雨水が靴を濡らす。すぐに靴の中まで濡れた感覚があった。


 はやく帰らねぇと。


 校門から出ると、ワイパーを作動させながら行き交う車が目に入る。そしてその車が近くを通るたびに少し水が跳ねた。俺はそれにかからないよう少し車道から距離を取って歩くことにした。歩道では俺の他に大きな傘を差し二人で一つの傘に入る女子高生2人や、リュックを前に担ぎ傘をさす男子がいたりした。中には傘を差さず走って帰ろうとしている男子もいる。あるある、俺も前まではあんな感じだった。


 影静の天気予報やっぱすげぇな。


 影静は朝、空を見て「今日、雨が降るので傘を持っていってください」そう言っていた。その後に流れた天気予報でも今日は雨が降ると言っていた。その予想は外れず昼休みの途中から雨が降り出していた。


 そう歩いていると、途中で傘も差さず道にしゃがんでいる人がいた。俺はそれを見て、何かあったのかと少し急いだ。フードを被っているものの、背中などは完全に濡れていた。そして近づいて俺はその人がしゃがんでいる理由を知った。


 小柄な猫。その人の前にその猫がいた。猫は毛を逆立てその人に威嚇している。

 だが猫の全身は濡れており、足に怪我もしていた。右の後足から少し血が流れている。


 この人は助けようとしていたのだ。この怪我をした猫を。

 そのフードを被った人が俺に気づいたのか、こちらに顔を向ける。

 俺は雨から猫を守るように猫の近くに傘を置いた。


「怖くない……怖くないからおいで」


 手を猫の近くに寄せる。すると最初は怯え威嚇していた猫だったが、敵意がないことがわかったのか身体を手に寄せてくる。ゴワゴワとした感触。荒れている毛並み。それに冷えている。


「ありがとうございます」その人が言った。透き通るような女性の声だった。

「いえ、助けたいっすよね、こういうの見ると」俺は猫を撫でながら言った。

 俺も彼女も雨に濡れていた。どうしようか。これから。

「雨を凌げる場所を探しましょう……どこか」彼女は周囲を見渡している。彼女はあまりこの辺りを知らないようだった。


「こっからあんま離れていない場所に公園あるんで、そこに」

「行きましょう」と彼女は立ち上がった。


 そうして俺達は猫を抱えながら、公園へ急いだ。

 


 公園の休憩所。そこには大きな屋根があり、雨宿りすることができた。俺は温めるように猫を抱え、休憩所真ん中にあるベンチに座る。隣にはフードの人も座っていた。怪我をした猫の足には、白のハンカチが巻かれている。止血のためにフードの人がここについて、すぐに巻いたのだ。


「病院に連れて行かないと行けませんね」

「ですね」


 だが、この雨では動物病院に行くこともできない。少なくとも雨が止むか、弱くなるまでは。それにこの近くに動物病院はない。難しいな色々。


 フードの人の言葉遣いは丁寧だった。年上だろうか? 高い身長に言葉遣いも相まってかどこか影静に似ていると感じた。その人が黒のフードを後ろに下ろす。俺は一瞬、言葉を失った。


 銀色の髪。髪を後ろで結っている。いわゆるポニテと呼ばれる髪型。透明感のあるうなじが微かに見えていた。美人。その言葉では言い表せないほど整った顔。切れ目の瞳が色気を漂わせ、世界を映している。


「驚きますよね、この髪は」

「あっ……すまん」

「いえ、慣れていますから。生まれつきなんです」


 腕の猫が「みゃー」と鳴く。


「雨、止みそうにないですね……」

「そっすね」


 少しお互いに喋ることを止め、沈黙に陥る。

 自己紹介しませんか? と彼女が静かに言った。


「私は……偉月いつきです。少年は?」

「恋詩。佐藤恋詩です」

「では佐藤さんと……呼んでいいですか?」

「はい、呼び捨てでも全然大丈夫っすけど」

「いえ……」


 雨が止む様子はない。雨が地面で跳ねる音。屋根から水が滴り落ちる音。水の音だけが世界を満たす。どうしよう……このままでは猫が体力を消耗してしまう。猫は俺の腕の中で落ち着いてはいるけど、長く持つかわからない。


 と、そのとき偉月さんのスマホから音がした。電話だ。


「すみません」と偉月さんが立ち上がり、少し離れた場所で電話に出る。

「はい……今ですか? 公園です」

「……」

「……はい、いえ怪我した猫を保護しまして」

「……」

「……はい、わかりました、ではお願いします」

 

 そう言って、偉月さんは電話を切った。

 それでこちらをじっと見る。


「?」

「家の者が車で迎えに来てくれることになりました、病院に連れていけそうです」

「マジっすか? 良かった~。良かったな~お前」

 

 そう言って俺は猫に言った。猫は首を傾げた。

 

「偉月さん、ありがとうございます」

「いえ、これも佐藤さんのおかげです。私一人では猫をここに連れてくることも出来ませんでした」そう言って微かに笑みを浮かべた。

「たぶん、今なら大丈夫っすよ。落ち着いてますから」

「そう……ですか?」

「はい、あの人は敵じゃねえからな」俺は猫に語りかける。猫も彼女をじっと見たあと「にゃぁ」と鳴いた。そして俺は猫を彼女にゆっくりと渡した。


「よし、よし……怖くないです」偉月さんは慣れていない様子だったが、しっかりと猫を受け取った。


 しばらくして、公園の前に黒い乗用車の姿があった。

 それを見て、偉月さんが立ち上がる。どうやら迎えの車というのはあれのようだ。家族で使う車という感じではなく、偉い人を迎えるために使うような高級車。それに乗っている運転手も黒のスーツ姿だ。


 でもさっき、偉月さん”家”の者って言ったよな? んー?と思ったが、別に気にしても仕方ないので気にしないことにした。


「では佐藤さん、私はこれから猫を病院に連れていきますね」

「はい、あっお金大丈夫っすか。俺も」

「いえ、大丈夫ですよ。お金はある方だと思うので……あと、一応ですが病院で見てもらった後、引き取り手が見つからなかったら私が飼おうと思います」

「えー、マジっすか? 良かったな―お前」

 猫は最初の様子はどこにいったのか「みゃあー」と喜ぶように鳴いた。最初は弱っていて心配だったがこれなら大丈夫そうだ。

 

「佐藤さん、では」そう言って偉月さんは車に乗り込んだ。

 俺もすぐに帰ることにした。




 車内。

 腕の中に猫を抱えながら偉月は先程のことを思い出していた。

 佐藤恋詩。少し赤みがかった髪の少年。道端で自分が困っているのを見て、助けてくれた子。それにと少し偉月は微笑んだ。


(私を見ても、あまり――) 


 最初だけ驚いた様子を見せたものの、あとは”普通”に接してくれた。久しぶりだった。女性にしては高い身長に、この異色な銀色の髪だ。ひと目をひかない筈がなかった。”普通”に接してくれる。それが落ち着いた。


(もう少し、話したかったな……)


 そう思った。そして自分がそんな人らしい感情を覚えたことに、少しだけ驚いた。


 

 影静は傘を持たせていたのに、濡れて帰ってきた俺を見て驚いた様子だった。

 俺は帰宅した後、すぐに風呂に入り、ベッドに転がった。

 窓際では濡れたリュックが干されている。中の教科書類は少し濡れていたものの、使う分には大丈夫そうだった。


 ちなみに影静は現在、入浴の最中で部屋には俺一人だった。

 そんなとき、スマホが鳴った。

 柊子からのメッセージ。


”明日、参考書買いに行くの一緒に行かない?”


 明日は土曜で、学校はない。強いて言うならテスト勉強するかなという感じだった。断る理由もないので返信しようと打ち込もうとすると柊子から連続してメッセージが届く。


”息抜きついでにどっか行こ”


 俺は行けるということを柊子に返し、スマホを置いた。

 外を見ると雨はさっきより強くなっていた。



 




 


 

 

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