第39話 ……ヤバい


「消えてる?」

「えぇ、消えてますよ。いつもの恋詩の目です」


 俺はあっかんべーをするように瞼を伸ばし、影静に見せた。あの金色の輪のような紋。それが消えているかどうかを。一応、顔を洗う際にも洗面所の鏡で消えていることを確認したのだが、家から出る前にもう一度影静に確認したのだ。もしあれがまた現れたまま、学校に向かえば俺は生徒指導室に呼ばれる。うちの高校はカラコン禁止なのだ。


「良かった。じゃ、行ってきまーす」

「行ってらっしゃい恋詩」


 そう言って、確認した後、影静に見送られ俺は自宅を出た。空を飛ぶ異形を倒した次の日。俺はいつものように起き学校に向かった。空は雲ひとつない快晴で、清々しい風が吹いていた。アパート前の小道を通るサラリーマンや、腰に手を当てたおばあちゃんもどこか気持ちよさそうに歩いている。


 俺は一度、腕を頭の上に伸ばし背伸びをした後、古びたアパートの階段を下った。階段を降りると同時にギシギシという音がなる。階段はところどころ錆びており、今にもどこかが外れそうだ。


 これ絶対あと10年もたねぇだろなんて、思いながら俺は階段を降り、アパートから出る。そうして学校に向かおうと歩き出したとき、スマホが”チリン”と鳴った。


柊子 ”ヤバい、今起きた”


 それは、柊子と俺と一ノ瀬だけのグループに送られていた。どうやら柊子は今、起きたらしい。彼女の家は俺や一ノ瀬よりも遠く、学校から少し離れている。


恋詩 ”ヤバそう”

柊子 ”ヤバいって!”

ゆい ”柊子ちゃんダッシュ!”


 柊子にしては珍しいななんて思いながら俺はイヤホンを装着し学校へ向かった。最近では影静の”力”によって聴覚も過敏になったためか、普通に歩いていても車の音や、どこかの工事現場の音などが頭に響くのだ。なのでイヤホンをつけ、音楽を聞いているくらいが外を歩くのにちょうど良かった。



 学校には既に一ノ瀬の姿があった。


「うぃーっす」

「おはよ恋詩くん」


 教室は特に変わった様子はなく、いつも通りだった。生徒はまばらでまだ数えられる程度しかいない。とは言っても部活生は朝練があるため大体はもう学校にいるのだろうと思う。


「昨日どうしたの?」

「あー実はちょっと用事思い出してな。少しサボり」

「わー悪い子じゃん」


 一ノ瀬は昨日、俺がいきなり早退した理由を聞いてくる。だが俺は本当の理由を言うわけにはいかず適当に流す。あまり聞いてほしくないことを察したのか一ノ瀬はそれ以上なにも言わず、話題を変えた。


「見て恋詩くん! 昨日作ったご飯。結構上手じゃない?」

「うわ、すご」


 一ノ瀬が俺にスマホの画面を見せてくる。そこには綺麗に盛り付けられた数々の料理があった。いや、ほんとすごい。プロの料理のようだ。普段の弁当から料理できるのは知っていたが、ここまでとは。


 すげー、美味そう。


「食べたい」

「えー嬉しい。作るからこんど家くる?」

「え、マジ? 行く行く」

「みんなで食べよ? ついでにどこかまた遊びに行く?」


 と気がつけばそんな話になっていた。柊子はいないものの一ノ瀬と二人で勝手に話を進める。


「てか柊子ちゃん遅いね」

「遅刻っぽいな」


 一ノ瀬と小声で話す。教卓の近くには担任の山ちゃん先生が既におりHRが始まるところだった。そして鐘が鳴る。


「なっちゃった」

「……あっ、柊子今来たかも」

「え? ほんと?」


 俺の聴覚は、雑音の中でも中央の階段からこの教室に向かって走ってくる誰かの足音を捉えていた。たぶん、これはきっと柊子だ。


「間に合ったあぁぁぁ!」


 教室の扉が、ガラガラと勢いよく開けられ柊子が入ってくる。息を切らし、肩で呼吸している。


「林道セーフ」と担任の山ちゃんが笑いながら言った。

 柊子は急いで席についた。

 

「うーし、じゃあHR始めるぞ、隣にいないやつはいるか~?」


 山ちゃん先生が教室を見渡す。パッと見た感じ休んでいる生徒はいなかった。


「よし全員出席だな。今日は、ん~特に何もねぇな。あっ、そうだ。来週から期末試験が始まるからお前らちゃんと勉強しとけよ」そう言って山ちゃん先生は教室から出ていった。


 ……ヤバい。



 昼食の時間。今日は教室ではなく、別の場所で柊子達と食事をとっていた。俺たちの高校の食事をとれる場所は教室や食堂だけではない、2階の隅にはラウンジと呼ばれる休憩所のような場所があるのだ。そこまで広くはないが、お菓子の自動販売機などもあるため割と居心地がいいのだ。そのラウンジで俺は項垂れていた。


「もう俺はだめだ……留年する」

「やだこの子、高校一年の1学期で留年しかけてる」

「恋詩くん……」


 そう、その場では俺だけが項垂れていた。柊子も一ノ瀬も頭が良い。俺たちの高校は一学年240人程度いて、以前の中間テストの席次は柊子が一桁順位、一ノ瀬が30番程度と聞いている。ちなみに俺はお察し状態である。


「勉強教えてあげよっか?」柊子が言った。

「マジ?」

「マジ」

「これから様付けする?」

「なにそれ」と柊子は笑った。


 そんなわけで俺は柊子から勉強を教えてもらえることになった。

 

「じゃあさ、これからみんなで朝勉強しない?」と一ノ瀬が言う。

「良いね」

「すげぇ助かる」


 その日の夜、俺は影静にこれから1週間は朝の修行をなしにしてほしいと伝えた。影静は「もちろんです、学業は大切ですから」とそれを了承した。



 深夜。俺は眠る準備をしていた。既に部屋は暗く、影静もベッドに入っている。カチカチカチと時計の針が動く音だけが部屋に響く。影静の”暖かさ”を触れ合う肌が感じる。


 そんなときだった。影静がゆっくりと起き上がった。


「影静?」

「……恋詩、狭間が開きました」


 影静は突然そう言った。

 その表情は真剣で、間違いなく本当のことだった。


「向かいますか?」

「あぁ」


 俺はすぐに準備をした。人と鬼を模したお面を忘れず。

 少しだけ、眠気が意識を鈍らせていた。



 影静が狭間を感知してから2分も経たず、俺は住宅街を飛び回っていた。顔にはお面、手には影静を持って。


「影静、この方向であってるッ?」

「えぇ、とても近いです」


 夏とはいえ、その夜は冷えていた。冷たい空気が俺と影静を包み込んでいた。


「いた」

「厄介ですね、複数体ですか」


 そこは住宅街から少し離れた公園。そこにソレ達はいた。

 その異形は犬に似ていた。大型犬ほどの大きさ。黒い体毛に包まれたそれは四足歩行で、頭からは山羊の角のようなものが生えていた。


 それが3体。


 異形達は俺に気づいたのか、歯をむき出しにして唸る。

 敵意丸出しだ。中央の一匹が大きく吠え飛びかかる。

 瞬時、その異形の身体が2つに割れた。俺はその異形が飛びかかる瞬間に刀を抜いていた。


 まずは一匹ッ。そして、そのまま残り二匹を仕留めようと刀を振るおうとし、俺は気づいた。力量差がわかったのか既にその二匹が逃走を始めているということに。しかも結構速い。すでに公園から出ている。


「……ヤバい」


 影静の”力”を全力で足に集中し駆ける。衝撃で公園の地面が割れる。

 

「っ」


 だが、残り2体の異形は二手に分かれた。正反対の方向に。


「クソッ」


 俺は右に逃げた異形を追った。深夜だから幸いにしてほぼ人はいないものの、このままではまずい。全速力で駆け、俺はその異形の頭を掴んだ。そして地面にめり込ませる。


「二匹ッ! 影静もう一匹は?」

「大丈夫。追えています、急ぎましょう」


 影静の指示のまま、走った。あまりの速さに視界が瞬時に変わる。

 そしてすぐに、逃げたもう一匹の異形の姿が見えた。


「ちっ」

「恋詩、気づいてますか」

「あぁ」

「ならば何も言いません」


 俺はあることに気づいていた。だが、異形を追うことに集中する。

 そして異形が自身の範囲に入った瞬間、影静を振るった。異形は鳴き声をあげ、その生命を終えた。俺の身体からは湯気のようなものが立ち昇っていた。皮膚もどこか赤くなっている。


「……」


 背後で小さく音が鳴った。俺の首にむき出しの刃が当てられていた。


「動くな」


 俺の周囲には黒い装束を纏った叛鬼師達の姿があった。

 その中には、朱里とあの金髪の男の姿がある。

 彼女は俺に狙いを定めて、純白の弓を構えていた。


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