第37話 天火明命
教室から出た俺は、頭に聞こえる影静の”声”をたよりにその場に向かった。
学校の屋上。そこに影静はいた。
強風で影静の艶のある長い黒髪が強く靡いていた。
「恋詩、手を」と俺に手を差し出す影静。
俺は何も聞かずその手をとった。
そして、俺の世界は黒に染まった。
*
「父上!」そんな声が微かに聞こえていた。宗久は槍を握り、異形の元へと走った。異形はその光景を見て、『ほう』と鳥のような目を細めた。
「ッ」
風が宗久を襲う。普通の風ではなくまるで、意志を持つかのように宗久に襲い掛かる。だが、宗久は足を止めない。風の間をすり抜けるように駆ける。
そして宗久は隠し持っていた赤色の小さな玉を異形の頭部へ向かって投げた。一瞬間を置いて赤色の玉が爆発した。異形は驚いたように顔を逸らす。宗久が投げたのは”
宗久はそれを、異形の意識を逸らすために使ったのだ。
異形が顔を反らしたことを確認し、異形の脚部へ飛んだ。
逃爆玉を投げてから、一秒にも満たない一瞬だった。
本来、宗久という男は強い。人と変わらない大きさの獣なら武器を持たずとも、倒す事ができる男だ。
恵まれた体格に身体能力、そして今までの狩りの経験。
なにより、死の恐怖に打ち勝つことのできる精神。
その全てが今の状況を作り出していた。
(まずは足、そうすれば少なくとも地上では何もできないはずだッ!)
そうして、槍を足に突き刺そうとした瞬間。
衝撃が宗久を襲った。
宗久の世界が一瞬消えた。
視界が赤く染まる。全てが真っ赤だった。
半壊した小屋の壁が見える。
後方にあった小屋の中まで蹴り飛ばされたことが薄っすらと理解できた。
たった一撃、ただの一度の攻撃で宗久の身体は動かなくなっていた。
体中が痛い。経験したことのないほどの痛みだった。
そして、宗久は消えかかる意識の中で思った。
あぁ、これは無理だと。やはりただの人では勝てるわけがないと。
遠くで、異形の笑い声が聞こえた。
そして、朔汰や鞠の悲鳴も。
視界が途切れ途切れになる。気づけば目の前に泣きはらした息子と妻の顔があった。
「父上! 父上!」
「あぁ、ごめんなぁ」自然と言葉が漏れた。
弱い父親でと宗久は続けようとしたが、もはや掠れて言葉として形をなしていなかった。
意識がとびかける。視界が点滅する。
二人の後ろに異形が近づいている。
だが二人は宗久から離れようとしない。
死ぬつもりなのだ、一緒に。
(あぁ、クソ)
そうして二人のすぐそばに異形の腕が迫っていた。
『雄の目の前で、その雌と子を食らうのも風情よのう』
喰われる。息子と妻が目の前で。そう思うとボロボロなはずの身体が勝手に動いた。
「アァァァァァ!!」
気づけば宗久は立ち上がり槍を異形の腕に突き刺していた。
その瞬間だけは痛みを忘れた。自分でもどこにそんな力が残っていたのかわからないほど素早い動きだった。
「父上!」「あなた!」
『オイ……何だコレは』
一瞬、間をおき異形は静かに怒りを発した。
ただの人間風情に傷つけられるとは思っていなかったとでも言うような反応だった。
宗久はゆっくりと歩き、朔汰と鞠の前に立つ。
体中ボロボロで、片方の腕は変な方向に曲がっている。
血だらけで、フラつきながらも片腕で槍を構える。
「させる……かよ、クソが」
立っているのが限界だ。次の瞬間には、もう死んでいるかもしれない。
だが、宗久は立っていた。家族を守るために。
『調子にノルナ、餌風情が』
巨大な鉤爪が目の前にあった。
(これで……死ぬのか俺は)
せめて最期の瞬間くらいは、家族を見ようと視線を動かした瞬間、宗久は気づいた。赤い髪色をした存在が、異形の背後に立っていることに。
鈍い音が鳴った。衝撃はやってこなかった。
『ク?』
そんな声が聞こえていた。異形が自分に振り下ろそうとしていた鉤爪、そして片方の足がなくなっていた。片足が無くなっているという事実を異形は理解していないようだった。
妙な服を着た存在だった。薄っすらと赤い髪に白銀の刀身。
そしてその存在は、半分が鬼、半分が人間のお面を被っていた。
*
御堂朱里にとって学校とは”安全”な場所だった。
叛鬼師である自分も、ここにいる間は普通の生徒としていられる。
”弓”を持つ必要はなく、命の危険を感じることもない。
誰もがそれを当たり前のように享受しているが、それはきっと幸せなことなのだと朱里は思った。
「あーちゃん、さっきの問題解けた?」
隣の席の友人が小声で聞いてくる。
「うん、解けたよ」
「マジ? どうやって解くの?」
「ここはね」
朱里は、ゆっくりとわかりやすく説明する。
教師が話していたことを彼女なりのわかりやすい言葉に噛み砕いて。
「あー! わかったー! あーちゃんありがとう! 本当にわかりやすいよ」
「ううん、分からなかったらまた聞いて」
「だいたい、みんな解けたようですね、では次の問題に移ります。この問題は~」
そうして教師が授業を続けようとしたとき、それは起きた。
「え……」
朱里は感じた。その”闇”を。
”鬼”が生じるその”扉”を。
(そんな嘘! 鬼道が開いている!?)
微かにだが、はっきりと感じた。
それも、とても近い。ここから30メートルも離れていない場所だ。
鬼道が開けば、通常人間は意識を失う。
周囲を見る。変わった様子はない。
誰もそのことに気づいていない。
それはつまり未だ開きかけで、鬼道の規模が小さいのだ。それによりいまだ他の生徒に影響を及ぼしていない。
朱里は無言のまま立ち上がった。
「朱里さん?」教師が戸惑ったように呼ぶ。
だが、朱里にそれに応える余裕はなかった。
何も言わず、教室から出る。
「お手洗いかしら」そんな声が後ろから届く。
追ってくる人はいなかった。
(まずい、まずい、まずい)
鬼道があるということは”鬼”が生まれている可能性が高い。
たとえ弱い個体だとしても、一般人と出逢えば間違いなく死人が出る。
この学校で死人が出る。それだけは避けねばならない。
そのとき、朱里の脳裏に浮かんでいたのは自らが傷つけてしまった一人の少年の姿だった。
朱里はその力の源へ急いだ。
(これは……屋上?)
階段を昇るにつれ、鬼道の”力”を強く感じる。
やはり、間違いではない。鬼道が開いている。
朱里は周囲に誰もいないことを確認し、その言葉を唱えた。
「
彼女の手には傷一つない純白の小弓が握られていた。
「……」
朱里は屋上の扉を開け、外へ出た。
扉を開けた瞬間、即座に弓を構える。
(なにも……いない?)
だが、屋上はいつもと変わらない様子だった。
多少、風が強い程度で見渡しても特に’鬼”がいる様子はない。
「逃げた?……いや、違う」
気配が完全にない。”鬼”はいない。逃げたわけでもない。
だが、間違いなくここに”鬼道”は開いていたのだ。
しかし、何も変わった様子はない。
「どういうこと」
朱里は呆然と周りを見回していた。
『あとがき 読み返すと書き直す部分が多々あり、更新遅れました。すみませぬ』
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