第36話 暴風


 目の前に刃があった。

 俺は自身の刀を横に振るい、刃を弾く。

 だが、影静はすかさずもう一方の手に持つ刀を振り下ろす。


「ちっ」


 大きく後ろへ飛び距離を取る。

 そしてすぐに体勢を立て直し、影静へ斬りかかる。

 剣戟音。以前は全く見えなかったはずの剣筋を完全に捉える事ができるようになっていた。


 刀が打ち合う。火花が散る。

 影静の刀が俺の間合いに入った瞬間、世界が止まったかのように見える。

 だが、あまりに影静の刀が速すぎるのかそれも長くはもたない。


 狐のお面をつけた影静と視線が交差する。

 影静はいつも通りだが、俺はすでに息があがりかけていた。

 刀は見えているのに、身体がついていかない。

 

 早く勝負にでないと、体力切れで潰されてしまう。


 何かが必要だ。

 影静の度肝を抜くような何かが。


 俺は”ある位置”まで、もう一度距離をとり、息を大きく吸った。

 身体に”力”を回す。


「……恋詩?」

「すぅ……」


 そして。

 思いっきり刀を振るうと同時に、小太刀を横から振るった。

 ほぼ同時に襲い掛かる刀と小太刀。自分で言うのもなんだが、とんでもなく速かった。修行が始まる前に床に埋めていた小太刀。斬りかかる寸前に手にとったため完全な不意打ちになったはずだ。


「っ」


 影静は息を呑んだ。



 

 

 

 数十秒後、地面に俺は転がっていた。

 どこもかしこもボロボロであった。


「へっ、わかってましたよ……こうなるってことくらい」

「そんなにいじけないで、恋詩。さっきのはとても良かった」

「どうせ俺なんて……」

「はいはい」


 お面を外した影静が俺の目の前で正座をした。

 俺はゾンビのように影静へ近づく。

 そして影静の太ももに頭を乗せた。


「今日はよく頑張りましたね恋詩」


 影静が頭を撫でながら言う。

 

 俺、この瞬間のために生きてる……。


 この至福の時間さえあればいくらでも修行できる……。

 

 誰かを助けたいから強くなりたいなんて思っていたのも遥か昔、俺はもはや完全に不純な動機で修行していた。


 しかし、3分もしないうちに、~♪とスマホのアラームが修練場に響く。


「おや、もう時間ですね。恋詩学校の時間ですよ」

 そう、今の時刻は午前7時前。学校に行く前なのである。

 

「ほら」と影静が俺を立たせようと背中をおす。

 俺は渋々立ち上がる。

 

「それにしても」と影静が洞窟の入り口を見ながら呟く。

「ん?」

「なにかおかしいと思いませんか、今日」

「……? そうなのか?」

「えぇ、風の流れにどこか違和感があります」


 影静は洞窟から出た後、しばらくこちらの世界の空を見て立ち止まっていた。


 






「達郎が昨日から帰っていない?」


 宗久は、妻である鞠に聞き返した。

 達郎とはこの村に住むもう一人の狩人の男だ。

 昨日、山に入りそれから帰ってきていないらしい。


「えぇ、狩りにでたのは間違いないそうなんだけど」

「……まずいな」


 山で夜を明かしたとなると、よっぽどのことがあったということだ。

 もしくは、”何か”に出会ったか。

 ”運が良ければ”怪我をして動けない状態だ。


「俺が見てくる」

「あなた、でも危険かもしれないわ」

「それはそうだが、もし怪我をしてどこかにいるとするなら早く見つけないとまずい」


 それに宗久は何度か達郎と共に狩りをしており、だいたいどこに狩りに行くのかということがわかっていた。


「父上、山に行くの?」と朔汰が宗久に聞く。その顔には不安が現れていた。

 宗久は朔汰の頭を撫でながら「あぁ、遅くても夕方には帰る」と言った。


「鞠、準備をするから手伝ってくれ」

「……はい、あなた」


 しばらくして、宗久は準備を終えた。しっかりと槍を握る。

 鞠と、朔汰が村の出口まで見送りに来る。

 家族だけでなく。ほかの村人も心配そうに宗久を見る。


「……行くか」


 そうして宗久が村を出ようとした瞬間、それは起きた。

 経験したことのない暴風が村を襲った。立っていられないほどの暴風であった。屋根が、柵が彼方へ吹き飛ぶ。


 背筋が凍った。村の大地に巨大な影があった。

 見上げなくても何かが村の上空にいることがわかった。


「なん……だ?」


 見上げる。

 そこにはいた


 化け物。

 巨躯に異形の頭部。

 そして広がる黒翼。

 ソレはぎゅるりと鳥のような目で、こちらを見ていた。


 それが鉤爪のある足で握っていた”何か”を落とす。

 それは人の死体だった。宗久とそれほどかわらない男。

 それは達郎だった。


 鞠が叫び声を上げた。

 その声を皮切りにほかの村人も叫び声を上げ一目散に逃げ出す。


「鞠! 朔汰! 早く逃げろ! 早く」

「あなた!」「父上!」

「早くしろ!」


 宗久は声を張り上げた。これほど怒鳴ったのは生まれて初めてだった。


『フム、子は少ないか、デハスコシしか腹を満たせナイではないか』


 化け物は人の言葉を喋っていた。

 明確な知性がある。だが、最悪なことに人を餌としか見ていない。


「いやぁぁぁぁ! なんで出れないのよぉぉぉぉぉ!」


 そんな声が聞こえた。見ると村の出口で何人もの人間が固まっていた。

 

(なにして、え?)


 灰色が村を取り囲んでいた。

 あれは風だ。風で砂が舞い上がり壁のように見えているのだ。

 よく見ると、村のどの方向にも同じ光景がある。


「どけっ!」


 一人の男が他の村人を押しのけて外にでようとした。

 だがそれに触れた瞬間、男の身体が大きく弾き飛ばされた。

 男の身体は宙を舞い、村の中央に転がった。


 そして転がった男のすぐ近くに異形の姿があった。

 

『成熟した雄は最もいラぬ存在よ』


 巨大な鉤爪が男を踏み潰した。

 もはや誰もが言葉を発することも忘れ、風の音しか聞こえなかった。


 ”風”は村を取り囲んでいた。

 つまり、どこにも逃げ場はない。

 それは村人を絶望させるには十分すぎるほどだった。

 

「あ、あ、ああ」


 宗久の脳裏に幼い頃の光景が蘇る。

 目の前で母と父が殺された光景。

 

 そして宗久は気づいてしまった。

 化け物がある場所を見ていることに。


 そこには朔汰と椿がいた。

 全ての理解を拒むようにただ呆然としている。


「あ、ああああ」


 死。大切な人が死ぬ。また目の前で。

 なのに、足が震える。動かない。


「嫌だ、いや父上、助けて」


 その声に宗久は自分の足を思いっきり叩いた。

 あのような化け物に勝てるわけがない。

 ただの人間では。虫のようにただ殺されて終わりだ。

 だが。


「行くしかねぇだろ、バカが!」


 痛みで恐怖を紛らわす。

 宗久は、手に持っていた狩人の槍を強く握りしめ、化け物に立ち向かった。






 授業中。教室は静かで、教師の声だけが響いていた。

 俺もなんだかんだで真面目に授業を受けており、集中していた。

 

「えー、つまりこの2点を通る直線の式を求めるには~」


 そんなとき”声”が聞こえた。

 俺を呼ぶ影静の声。頭の中で聞こえてくる。


「……」


 気づけば俺は立ち上がっていた。

 学校にいるときに影静が俺を呼ぶということはあまりない。

 だからこれは、大きな”何か”があったときだ。


「恋詩くん?」と戸惑ったように一ノ瀬が聞いてくる。

「おい、佐藤どうした?」と不審がる先生。


「あぁ~、先生? 俺、急に腹痛くなっちゃって今日早退します! じゃ!」


 全員が唖然としていた。俺は「悪ぃ、先生ッ」と言いながら急いで影静のもとへ向かった。「おい! 待て佐藤!」という声が後ろから響いていた。



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