第31話 「お主の身体が、また違えば結果は違ってたのかもしれんの」


「はぁ、はぁ、はぁ」


 俺の身体は、尋常ではないほど赤く染まっていた。手に持つ影静もまるで、猛火で熱したように紅蓮の輝きを発している。一瞬、頭から流れる血で、赤く見えているのかと思った。でも、手から伝わる異常なほどの熱がそれが嘘じゃないと伝えていた。

 

 千剣――無影。


 ”力”を全身に回し、身体能力を極限まで向上させ一瞬で千に近い数、敵を切り裂く”技”。その”速さ”と影静の”力”で生じる超高熱によって敵の身体を切り裂きながら炭化に近い現象を起こし高い再生能力を持つ敵すら絶命させる。それがその”技”の正体だった。


 そんな技を使えば普通、俺の身体も耐えられないが、死なない程度に俺の身体が無事なのも影静の”力”’が関係しているのだろう、よくわかんねぇけど。


「うっ」


 俺は力を失い地面へ倒れた。 

 身体のどこにも力が入らない。

 まるで身体にある全ての筋肉が断ち切れたように、俺の身体は動かなくなった。


 「まったく、なんという技よ。これほどのものを見るのはいつぶりか……」


 まずい。

 志波だった”異形”を倒したとはいってもまだ腕のない武者が残っている。

 こうなることを忘れていたわけではない、ただ二回目だから、少しは身体が慣れているかと思ったのだ。正直に言って楽観的な思考だったと思う。でも影静も言っていたようにこれをするしかなかったのは確かだった。


「恋詩、あとは私が出来るだけやってみましょう」

「ほぉ、刀の女、お主が儂の相手をするのかのう」

「えぇ」


 いつの間にか影静が人の姿に変わっていた。俺は何かを言おうとしたが、疲労で声を出すことすら出来なかった。


 次の瞬間、影静の目の前に腕のない武者がいた。

 空間が歪んだように錯覚する。

 振るったのだ。刀を。


 先程よりも速い。

 

 もはや俺の目では何も捉えられなかった。


「ほぉ」


 刀は止まっていた。

 影静がそれを指の間に挟んで止めていた。


 甲高い音が鳴った。

 二つの何かが空高く舞い上がった。

 それは影静の狐の面と、武者が被っていた鬼を模した兜だった。


 影静と武者の頬にそれぞれ対称的に赤い線があった。

 同時に切りあったのだ。だが、武者も影静もその表情に特に感情は浮かんでいない。


 剣戟音。目では捉えられない。

 刀がぶつかり合う火花だけが俺の瞳に映っていた。











 長くその攻防は続いていた。

 延々と軌道が混じり合う。

 5分、いや10分程度だろうか。

 決して短くはない時間、俺の目の前で達人同士の戦いが繰り広げられていた。

 


「ッ」


 刹那、腕のない武者の身体が奥にあった岩に衝突した。

 轟音と共に砂塵が舞う。

 

 影静が拳を縦にして、ゆっくりと息を吸っていた。

 刀ではないほうの腕で殴ったのだ。

 

「……」

 

 一撃を入れたというのに影静の表情は晴れない。

 それどころか、むしろ暗い感情を含んでいるように見えた。


「……恋詩、逃げる準備をしてください」

「(えい……せい?)」


 戦いの流れは影静にあるように見えた。


「――」


 影静が何かを呟いた後、暴風が襲ってきた。

 土が、砂が巻きあげられ視界が閉ざされる。


 気づけば俺は影静に背負われていた。


「今のうちに出来るだけ移動しましょう」


 そう言って、俺を背負ったまま影静は駆け出した。











 さっきいた場所からもう数キロは離れただろう。

 俺たちは森の中にいた。

 

「恋詩、身体は大丈夫ですか?」

「……う」


 声を出せないかわりに頷く。

 そんなとき、唐突に影静が俺の頭を撫でた。


「?」

「……これから私はもう一度あの者と戦います、だから恋詩は先にあちらの世界へ帰っていてください」


 え……?

 

「大丈夫、きっとまた会えます、私はあなたのつるぎなのですから」

「えい――」


 影静は少し悲しそうに微笑んだ。

 俺は影静を止めようとした。

 だが、すぐに世界が闇に包まれた。









「えいせいッ!! えいせい!!」


 俺は叫んでいた。

 音が響かない場所で。

 いや、実際に声が出ているかはわからない。

 ただ、そのときだけは疲労を忘れていた。


 そこは暗かった。

 自分の姿すら見えない。

 狭間の中。


 影静の力で狭間に飛ばされたのだ。

 表の世界の裂け目が見えた。

 おそらくあれが、元の世界へと通じる場所なのだ。

 影静はその道を示していた。

 ちゃんと帰れるように。


 だけど。

 そこに影静はいない。


 影静は俺を送り出す直前。悲しそうに微笑んでいた。

 違う。あれは違う。

 生きて戻ってくるという決意をした目ではない。

 自分を犠牲にした目だ。

 

「嫌だ」


 影静と離れるのは。

 また一人になるのは。


 俺はきっと影静に依存していた。

 朱里にフラレて、一人になって、それを影静の存在が埋めてくれていたのだ。


 いつも冷静で、母のように優しくて、でも修行のときは厳しくて、そんな影静の存在がなにより心の空白を埋めていた。


 いつも、そうだ。

 俺は弱い人間だ。

 朱里のときも。俺は誰よりも弱くて、誰かに精神的に縋っていないとだめな人間だ。母親が死んで、父親も帰ってこなくなって、家ではいつもひとりぼっちだった。


 だけど朱里が、支えてくれた。でも彼女も俺の側からいなくなった。そして、今、影静とも離れ離れになろうとしている。


「嫌だ」


 もう失うのは。

 大切な人がいなくなるのは。







 だから







 俺は――――。












 狭間と呼ばれる空間に、一人の少年がいた。


 そこに光が生まれた。

 少年の身体から眩い限りの黄金の光が漏れていた。


 それは陽射しのように暖かく少年を包み込んでいた。












「坊を逃したか」

「……」


 影静はゆっくりと振り向いた。

 そこには腕のない武者が、刀を宙に構えながらこちらを見ていた。


(思ったより早いですね)


 さきほど剣を交えてわかった。

 今の自分ではこの男に勝てない。

 

 身体が保たないのだ。

 現にもう、左腕には力が入らない。

 あと百も振るえばこの身体は完全に壊れてしまうだろう。

 

(”力”’が足りない)


 奥の手がないわけではなかった。

 だが、影静はそれを最初から使うつもりはなかった。

 それを使えば恋詩は――となり、戻れなくなってしまう。

 それだけはならない。


(打つ手ありませんね)


 だけど影静の心は落ち着いていた。

 やるべきことをはっきりと分かっていたから。


「お主を無力化した後に、あの坊を追うとしようかのう、どちらにも聞きたいことが山程あるのでな」

「……行かせるとお思いですか?」


 身体はもう限界だ。

 でも、だからどうしたというのだ?

 

(私は恋詩のつるぎだ。だから彼を守る)


 たとえ、自分の生命が尽きようとも。

 刺し違えたとしても。


 影静は駆けた。 

 弱っても尚、その速さは常人の目には捉えられない。


 だが、止められる。

 目の前の腕のない武者も紛れもない達人である。


「……お主、技術に身体が追いついておらんのう、まるで仮初の身体を使ってるようじゃ、まぁそれでも信じられぬほど強いがの」


 腕を振るう。

 銀閃が交差する。


「まったく嫌になるわい。世の中、辺鄙なところに信じられんような強者がたくさんおる」


 周囲の木々が巻き込まれ切り倒されていく。

 銀閃に赤い血がまじり始める。


「お主の身体が、また違えば結果は違ってたのかもしれんの」


 パスっと音が鳴った。

 刀と化していた影静の左腕が切断されていた。

 血が溢れる。


「ッ」

「!」


 だが、その瞬間、腕のない武者の身体に斬撃が走った。

 だが、致命傷には至らない。

 影静の右足の前方が、刀になっていた。

 蹴ったのだ。その刀と化した右足で。


「あと少し気づくのが遅れてたら死んでたわい」


 そう言って、腕のない武者は刀を振るった。

 影静には、もはやそれを止める手段はなかった。


(恋詩……)


 思い出すのは、さっきまで一緒にいた少年のこと。

 優しくて、強くなることに真っ直ぐで、でも寂しがり屋で。そんな恋詩が影静にとっても掛け替えのない存在になっていた。


 音が鳴った。

 刀は襲ってこなかった。


「どうして――恋詩」


 影静の目の前に赤みがかった髪の少年の後ろ姿があった。

 少年が、武者の刀を握りしめ止めていた。


「たとえ死ぬとしても、俺が影静を守るよ」


 恋詩はそう言って少し笑った。

 その瞳には黄金の輪が輝いていた。

 


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る