第30話 千剣


 目の前にいる志波だった”異形”の大きさは少なく見積もっても15m以上はあるだろうと俺は思った。頭部ではいくつもの目がギョロギョロ蠢いており、周囲を確認しようとしているのがわかった。複数の目の他にも口の横には強靭そうな顎があり、その部分も昆虫を思わせた。そして筋肉隆々だった身体は、むしろ弛んでおり暴糞虫の甲殻のようなものが身体を守るように存在していた。


(右腕は蜘蛛のままか)


 先程、殴り飛ばした右腕は完全に昆虫の脚のようになっていた。反対側の左腕は人の腕のまま巨大に膨れ上がっており、異形のその姿はアンバランスさを際立たせていた。


「……」


 異形は「あ~」「う~」など意味のない言葉を発しながら、俺たちを見下ろしている。そこに知性は感じられない。一瞬、そんなに凶暴ではないのか? と思った瞬間、ヒトガタのほうの異形の左腕が俺の目の前にあった。


「影静」

「はい」


 瞬間、巨木を思わせる異形の左腕が縦に真っ二つに裂けた。

 俺の手には完全に妖刀になった影静の姿があった。


「馬鹿な、ありえん。これではまるで」


 腕のない武者が刀に変化した影静を見て何かを呟いていた。

 だが、俺はそれに反応する余裕もなく、前を見ながらも頭の中で”これからどうするか”’ということだけを思考していた。


「恋詩、アレを」


 影静の言葉に、異形に集中する。

 そこには、あまり想像したくなかった光景があった。


「速すぎだろクソ」


 影静によって、真っ二つに裂けた筈の腕がもう完全に再生していた。

 割れた腕が、螺旋を描くようにくっついたのだ。


 今までも再生能力を持つ異形と戦ったことはあるが、それらとは比べ物にならない再生速度だった。瞬き一つの間に裂けた腕が再生していた。


 状況はあまり良くない。というか正直ヤバい。

 このまま戦っていいのかもわからない。目の前の異形だけではなく、右斜にいるあの腕のない武者の存在もある。見ているだけでわかる。あれはあの異形より間違いなく強い。そう五感が発していた。影静と同じか、それ以上に奴は強い。


「恋詩、このまま戦えば周りに被害が出ます。戦いの場を変えましょう」

「でも、どうやって」

「アレに触れてください。そうすれば私の力で裏へ飛ばせます」


 そうか、狭間を操る力を持っているのはあの腕のない武者だけではない。

 影静も持っているのだ。

 ならば。


「理解した、じゃあ行くかァ」


 俺は、コンクリートの地面を蹴った。

 視界が加速する。すべてがゆっくりに見える。

 夕日に照らされながら飛ぶ鳥。電柱。腕のない武者。

 そして志波だった異形。

 

 たぶん、それは0.02秒にも満たない間だっただろう。

 数十mほど離れていたはずの俺と異形の距離は0になっていた。


「恋詩、私をしっかり握っていてください!」


 そして視界がすべて黒に染まった。

 

 



 影静も恋詩もいなくなったライブハウスの裏で、腕のない武者は唇を震わせていた。少年と刀、そして異形が消えた場所を凝視している。


「そんな、絶対にありえぬ。黒世を開く力は我らが――様から直々に授かったもの。それをなぜ」


 答えるものは誰もいない。

 そもそも、狭間が開いた時点で、普通の人間は気を失う。

 つまり、この周辺にはもはや意識のある人間はいないのだ。


「――確かめねばならんのう」


 そう言って腕のない武者の姿は消えた。

 ライブハウス周辺には嵐が過ぎ去ったような静寂だけが満たしていた。





 そこは枯れ果てた荒野だった。

 何週間も雨が降ってないような草木一つ無い場所。


 見渡すも、周囲に人がいる様子はない。

 ここならば、遠慮なく戦えそうだ。


 異形は混乱した様子で、腕や脚を何もない場所に振り回している。

 そして、ギョロリと目があった。


「影静、どうする。一旦戻ってあの男も」

「いえ、その必要はないようです」


 気がつけば少し離れた場所にあの腕のない武者がいた。

 俺はその姿に少し違和感を覚えた。


 先ほどとは少し雰囲気が違うような。

 でもあの様子を見るに、もう一度異形を表の世界につれていくことはなさそうだ。

 

 そのとき、腕が勝手に動いた。

 影静が動かしたのだ。

 異形の腕が宙をぐるんぐるんと舞っていた。

 

 だが。


 白い触手のような何かが切断された腕の断面から飛び出し、一瞬で身体と腕をつなげ再生した。


「もう一回」


 俺は飛び出した。

 常軌を逸した脚力によって大地が割れる。

 

 俺が目の前にくるのを見越したように、異形が雄叫びを挙げ腕を振り下ろした。

 轟音。巻き上げられた砂や土が全身を打ち付けた。


 顔を顰めながらも俺は影静を振るった。


 まだ人間の形を残していた巨木の如き異形の左腕が完全に千切れた。

 だが、それも先程と同じように白い触手のような何かが切断された腕の断面から飛び出てくる。


「それも切ったらどうなるんだ?」


 身体を繋げようとする触手。

 俺はそれを完全に細切れにした。


 だが、その瞬間、細切れになった破片が膨れ上がる。

 そして、さらに膨大な量の触手が断面から飛び出てきた。

 

「しつけぇなッ!」

「恋詩、後ろです」


 背後で、金属がぶつかり合う甲高い音が鳴った。

 影静が俺の腕を動かし、後ろから迫っていた刀を止めていた。

 

「よそ見は危ないのう」

「ちっ」


 腕のない武者がそこにいた。

 刀だけが宙に浮いているように見えた。


 身体を反転し、影静を横薙ぎに振るう。

 刀を弾き飛ばそうと。

 そのとき、世界が止まったように見えた。

 受け流される。

 力が完全に別の方向へ向く。

 

 腕のない武者の腰にあったもう一つの刀が抜かれていた。

 

(きついってマジ)


 身体が勝手に動く。

 影静が俺の身体を動かす。

 円を描くように影静が向きを変えた。


 逆手持ち。

 忍刀のように持ち替える。

 そして振るった。


「ぬッ」


 腕のない武者の刀を弾き飛ばす。

 

 だが、そのとき俺の真横に異形の巨大な腕があった。


 衝撃。


 俺の身体が轟音をたて、岩に衝突した。

 視界が赤に染まっていた。血が出ているのがわかった。


 痛みを感じる前に俺はそこから移動する。

 俺がさっきまでいた場所を腕のない武者の刀が切り裂いていた。

 異形からも武者からも距離をとる。


「まったく、どっちも片手間で相手できるレベルじゃねぇぞ、これ」

「えぇ、これは想像以上に手強いですね」


 思った以上に見えない腕というのは戦いにくかった。

 間合いがわからないのだ。

 それに、尋常ではないほど腕のない武者の刀は重かった。

 一つならともかく、両刀でやられると影静の力で強化された俺の腕力でも力負けしてしまう。


 それに対抗するために腕のない武者に注意を向けると異形の攻撃が襲ってくる。

 理性はないはずなのに、異形は完全に腕のない武者の味方をしていた。


「……やりおるのう、これほどの猛者とは思わなかったわい」


 腕のない武者がつぶやく。

 そうは言うものの俺がボロボロなのに対し奴の身体には傷一つ無い。


 控えめに言って、戦況はよろしくなかった。

 まず二対一の状況がよろしくない。

 かといって影静が人型になって、別々に戦えばそれこそ相手の思うつぼのような気がする。


「その通りです、恋詩の考えは間違ってません。私たちが離れればおそらくものの数分で決着がつくでしょう、私達の敗北という形で」


 影静さんからお墨付きをもらった。やったぜ。 

 ……。少し、テンションがおかしくなってしまった。

 正直に言って現実逃避したくなるほどの窮地であった。


「一瞬であの異形を倒す技があれば」


 そんな技あるわけ――


「あるでしょう恋詩、あの技が」

「……技あったかも」


 あったわ……。少し前の光景が思い出される。

 この世界で行った技の修行。

 最近過ぎてむしろ忘れていた。


 それこそ必殺技と言って差し違えない技が俺たちにはあった。

 一瞬で必ずあの異形を消滅させる”技”’が。


「……選択肢はありませんね、あれをやりましょう」

「うっす」


 俺は影静を構えた。

 力を込める。脚に、腕に、首に、髪の毛一本から、足先まですべてに影静の力をまわす。





 熱い。




 ただ熱い。






 いつもとは比べ物にならない量の影静の”力”が身体を巡る。

 まるで根を張るように影静の”力”が身体の隅々まで染み渡る。

 身体が燃えていた。そう錯覚するほどの熱量だった。


「何をするつもりじゃ?」

「……」


 腕のない武者の声掛けに俺は答えなかった。

 武者が刀を振るう。

 でも俺はそれを見てなかった。

 武者の後ろにいる異形だけに意識を集中させていた。

 




 そして――








千剣せんけん――無影むえい







 音はなかった。

 俺は異形の背後にいた。

 

 振り向くと、異形が不思議そうに自分の足元を見ていた。

 異形の足が黒く染まっている。


 足だけじゃない。

 足から腰へ、腰から胸部、そして腕。

 すべて黒に染まっていく。


「ア? ア?」


 そして頭部まで完全に黒く染まった。

 まるで影のように。


 そのとき風が吹いた。


 異形の黒く染まった身体が砂のように風に舞って消えた。






 異形の影すらもその場には残されていなかった。


 



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