第19話 「時代は、自由恋愛だろバカヤロー」

 

 進堂庄司しんどうしょうじは、仕事が終わり自宅に向かっていた。

 とは言っても、庄司の仕事はいつ呼び出しされるかわからない不定期なものであった。例え、寝ていたとしても、女と遊んでいたとしても、そのコールが鳴れば庄司はそこへ向かわねばならない。


 ”鬼”を殺すために。


 進堂庄司は叛鬼師であった。不定期に現れる”鬼”という異形を狩る存在であり、叛鬼衆という全国規模の組織に属する一人。


 叛鬼衆という組織は、御堂家みどうけ叉堂家さどうけ四方堂家しほうどうけ進堂家しんどうけ龍堂家りゅうどうけの五つの血族からなり、庄司は、進堂家の分家の生まれであった。分家とは言え、進堂の家に生まれた瞬間から、庄司は叛鬼師になることは決まっていた。


 幼い頃は別の夢を持っていたような気がする。

 だが、叛鬼の家に生まれたからには、その本人の意思に関係なく叛鬼の道に進まねばならなくなる。そういう教育をされるのだ。


 そうでなければ、誰がこのような仕事をするものか。

 命を失うことも珍しいことではない。腕や足を食われたなんてことはザラで、給金もそれほど高いわけではない。


 だが、誰かがやらねばならないのだ。

 そうしなければ、大勢の人が死ぬ。

 例え、自分たちがその犠牲になるのだとしても。


 ただ最近は、叛鬼師が死亡するということは少なくなった。少なくとも庄司のいる地域では。理由は、庄司たちが現場へ駆けつける前に、誰かが”鬼”を殺しているからである。以前に比べ、”鬼”の出現率は増えているものの、死亡以前に戦うことが少なくなったのだ。


(”無名”)


 その存在に関しては、何も分かっていない。

 分かっているのは、尋常ならざる力を持つことのみである。


 少なくとも、敵の敵なのはわかる。なぜ姿を隠しているのかはわからないが、上層部はともかく、少なくとも庄司はその存在に感謝していた。

 問題があるとすれば。


(身体、少しなまってきたな)


 庄司は、ここ最近、どんどん鈍くなっているような感覚を覚えた。

 緊張感の欠落。以前に比べて、戦うことが少ないのだ、無理もなかった。


(今の時間だったら、7時には家につくか)


 庄司はスマホを取り出して、思考する。

 別に待っている人は誰もいない。未だ、独身である。

 女に不自由しているというわけではなかったが、庄司は進堂の分家、それも末席であり、元来叛鬼師の家系というものは自分で相手を決めることができない仕来りであった。また、それに付随するものとして叛鬼師以外の者などと契を交わすなど絶対に許されない。


 庄司が思い出すのは1人の少女のこと。

 

「あの朱里がねぇ」


 御堂朱里、御堂家の三女であり、庄司にとって、生まれたころから知っている子だ。その少女を一言で言うならば、優秀という言葉が当てはまるだろう。見た目、性格、学業、運動能力、そして叛鬼師としてセンス、戦闘能力、その全てが優秀な少女であった。


 だが、少女は問題を起こした。

 叛鬼師の家系以外の者と、恋人関係にあったのだ。

 許嫁がいるにも関わらず。


 これに、御堂家当主、御堂十二郎みどうじゅうじろうは激怒した。

 当たり前であった。自分のような分家の末席の者ではなく、本家の直系の女が、掟を破ってしまったのだ。しかも、許嫁である相手は御堂家の次に力を持つ、叉堂家の御曹司だ。それはそれは大事になった。朱里の姉、両親が様々なところを駆け回ったと聞いている。


”今後一切、その者と会うことを禁ず”


 十二郎は、朱里に重い罰を与えた後、そう朱里に言いつけ、その件は終わった。朱里も、それからは心を入れ替えたようにその許嫁に尽くすようになった。


 でもと庄司は思う。それで終わるかねぇと。朱里自身元々知っていたはずだ、こうなることを。それでもその男と恋人になる道を選んだのだ。軽い気持ちでは絶対に無いはずだ。


”私が愚かだった、あの人の良さに気付かないなんて”


 朱里が、その件の後言った言葉。それで、十二郎も朱里の親も「やっと、わかってくれたか」なんて顔をしていた。だが、庄司の目には、朱里が本当にそう思ったとは見えないのだ。きっと、彼女の姉である御堂椎奈みどうしいなの目にもそう見えていた筈だ。


 今の朱里を見ていると、哀れに見える。まるで自分を欺くように、御堂の娘として徹している。恐らく家族のためか、その恋人関係であった男のためか。


「時代は、自由恋愛だろバカヤロー」


 歩きながら1人呟く。古すぎるのだ、叛鬼衆と言う組織は。だから外の連中に抜かされる。叛鬼師のような、異形と戦う存在は日本以外にもいる。いわゆる祓魔師エクソシストと呼ばれる存在だ。ただその海外の組織は、現代の科学技術も、どんどん取り入れ、進歩していっている。だが、叛鬼衆という組織は、保守的で伝統を守りすぎるあまり、変化がない。


 と、脳内で自分が属する組織について批判していたら視界の奥に自宅が見えた。

 

「あ?」


 自宅まではもう一本道。あたりは暗く、街頭の光しか存在しない。

 その街頭の下、そこに1人の女がいた。


(偉い綺麗な女だな)


 女は異様なまでに美しかった。女は、血で染めたような朱色の着物を纏って、ただそこに立っていた。表情はなく、目を瞑っている。庄司には、まるで神仏の類が人の姿を借りて、この地に降りてきたかのように思えた。


(普通じゃ、ねぇよな)


 女がゆっくりと目を開ける。そして、庄司と目があった。女の目は、どこまでも透き通るような深い紫色であった。


「こんばんは、進堂庄司さん」

「……てめぇ、なにもんだ」


 女は自分の名前を知っていた。間違いなく初対面のはずだ。

 庄司は警戒する。外部の存在が庄司に接触するのはこれが初めてではなかった。


「私の名は影静……少しお話をしませんか? 御堂朱里という少女について、それとも貴方の組織について……のほうが宜しいですか?」


 思わず常備している短刀に手が伸びかけた。

 知っている、この女は。自分の職業も、朱里との繋がりも。


「てめぇ、それをどこで聞いた」


 少なくともただで、女を帰すわけにはいかなかった。

 女が大陸の組織の者だとしても、本堂のほうで話を聞かねばならない。


「……」


 女は、無表情でこちらを見る。その表情を見ていると、庄司の全身の毛が逆だった。出し惜しみをしては駄目だ。周囲を確認する。その女と庄司以外人はいなかった。


――神術を使う。


「―――――――」


 言葉を綴る。それを世に顕現させるための。


「土珠――活津日子命いくつひこね


 それが、彼、進堂庄司の神術の発現であった。


 神術には、いくつかの種類がある。

 一度使うだけで、その度に魂を削る即時の神術。

 初めに術を使用するときに、魂の半分を削れば、術者が死ぬまで使用できる半永の神術。


 即時の神術は、効力が絶大であるが、使用者の負担が大きい。半永の神術は、効力が即時の神術に比べて低い分、消費無しで半永久的に使用が可能である。


 つまり、即時の術のように、神術を使うことを躊躇わないでよいのだ。そのための代償はとうに支払っている。


 神術――活津日子命いくつひこねは、半永の一種であり、その力は農業神らしく、植物を操る神の力。


 女近くにあった街路樹の枝が、信じられない速度で動いた。

 女の腕に巻き付き、固定する。もともと木は、そういう形だったかのように動かなくなる。


「へぇ」


 神術によって幾重にも巻かれた植物の枝は固い。少なくとも一般人が逃げられない程度には。だが、次の瞬間、植物が荒れ狂った。まるで、泣き叫ぶように。


「どういうことだ」


 制御が効かない。植物が暴れている。

 そして、その固定を解いた。


「その木が、自ら敵対してはいけないと悟ったのでしょう」

「は?」


 こうなれば、と庄司は短刀を構える。

 灯気術で決着をつける。

 身体に気が巡る。今の庄司の身体能力は、人を超越したものであった。


 地面を蹴る。

 短刀をブラフに、反対側の手で手刀を振るう。気絶させるだけだ。


「あ?」


 手が掴まれていた。ほんの簡単に。

 それだけで庄司は理解した。

 この女、達人だ。少なくとも自分より格上の。


「少し、怖がらせてしまうかもしれませんね」


 女がそう言った後、何かが変わった。

 女の雰囲気、いや存在そのものが。


 ”鬼”と相対しているときでさえ、感じたことのない威圧感。

 

「あ、ああ」


(なんだこれ、なんだこれ、なんだこれ)


 庄司は膝をついていた。

 勝てない。まず俺程度が、戦いになる存在ですらない。そう、唐突に理解する。

 理屈なんかではない、身体の細胞すべてが目の前の彼女に怯えていた。


(死にたくない、死にたくない、死にたくない……)


 恐怖。身体が震える。心臓の動悸がどんどん速くなる。

 嫌な汗が、体中から出る。


「少し、教えていただけませんか」

「は、はい」


 庄司は自分の知るすべてを女に教えた。

 もう、逆らうという選択肢はなかった。


「そういうことですか……」


 その後、女は消えた。

 庄司の目の前で、影も形も、文字通り消えたのだ。


 庄司はこの日のことを誰にも言わなかった。


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