第20話 鬼と”鬼”


 夜の町を一人の女が歩く。名を影静。妖刀であり、人間の姿も持つ歪な存在の女。影静は、まだ人通りのある道を進む。普通であれば、彼女の目立つ容姿に、誰もが振り返るが、今は誰も彼女に気づいていなかった。目で見えているのに、認識できないのだ。そういう技を使っている。だから、誰も彼女に気付かない。


 歩きながら影静が思い出すのは、先程聞いたこと。陰陽師の男と”話し合い”をした記憶。こちらの世界で陰陽師のことを今は叛鬼師というらしい。


 叛鬼師、”鬼”、鬼道、叛鬼衆、本堂、5つの血族、神術、そして……御堂朱里。


 叛鬼師の男は、影静が聞けば容易にすべてを話した。あそこまで情報を引き出せるとは影静自身思っていなかった。――――を使用した。だからわかる。男は全く嘘をついていない。


(それにしても、”鬼”とは)


 男は、いや恐らく組織の末端の人間は知らされていない。彼らが”鬼”と呼んでいる存在が、元人間の可能性もあるということに。あちらの世界にいる生物が、狭間に飲み込まれ、姿も心も狂った姿。それが彼らのいう”鬼”。男はそれを知らなかった。知らされていないのだ。異形の死体の”DNA”などの生体情報を調べればすぐにわかるはずだ。なのに知らないということは、叛鬼衆の上の存在が、その情報を意図的に遮断しているということ。


(当たり前ですか)


 知ったからと言ってどうなるものでもない。戦いの邪魔になるだけだ。


「……クス」

 

 あの異形が”鬼”……影静は笑いそうになった。あれが鬼?、鬼とはあのようなものではない。あのような”弱い”生命体ではない。恋詩と初めてあった時に、戦った存在、あれが本来鬼と呼ばれる存在だ。そのときのことを影静は思い出す。戦いは一瞬で決着がついた。自分たちの勝利という形で。恋詩の前では、余裕そうに振る舞っていたが、あれは分の悪い賭けであった。恋詩の身体があと少しでも限界を超えていたら、あの戦いは負けていた。


 ”運”が良かった。

 鬼とはそういう存在なのだ。

 普通の人間がいくら修行したり、ドーピングしたりしようと勝てる存在ではない。あちらの世界で、鬼という存在に敵はいない。強いて言うならば同じ鬼という存在である。あちらの世界の陰陽師も、こちらの世界の叛鬼師と同じように、漢方を使用した身体強化、魂を代償とした術を用いるが、それでも鬼には届かない。


(いや、一人いましたね)


 数いる陰陽師の中で、たった一人だけいた。人間であるのに、鬼を凌駕していた陰陽師の女が。たしかと思い出そうとした瞬間、頭に痛みが走った。


「ッ」


 記憶の欠損。その存在を思い出すことはできなかった。だが、この痛みにももう慣れた。特に何も考えず思考を変化させる。

 

(それにしても……どうしましょうか)


 考えるのは自分の契約者である一人の少年と、その元恋人である少女のこと。

 元々許嫁がいて、恋詩のことがバレたから別れた。今の状況を表せばそういうことである。そして、朱里という少女が知っているかどうかはわからないが、その後、恋詩は学校で根も葉もないうわさを流され、孤立しそうになっていた。なぜ、朱里という少女が恋詩と付き合ったのか、誰がうわさを流したのか、まだ詳細なことはわかっていない。


 ただ、一つだけわかることがある。御堂朱里という少女は、恋詩の気持ちを踏み躙った。彼がどれだけ傷ついたのかを、少女は知らない。知ろうともしない。だから、彼女は敵だ。少なくとも自分にとって。


 ”我が子”を傷つける存在は許さない。


 影静は、今の自分の精神に一瞬だけ違和感を覚えた。だが、すぐに思考が再開される。影静は迷っていた。この事実を恋詩にそのまま伝えようか。それとも……。


(でも、これは恋詩が自分で決着をつけないといけませんね)


 彼はまだ若い。こういう経験も必要だ。今のように”何か”を抱え込んでいるような状態は良くない。消えない傷になることもある。それを癒やすためには自分の手で、ケジメをつけるべきだ。


「……」


 いつのまにか、視界の奥に自宅が見えてきた。灯りがついている。どうやらもう恋詩は帰ってきている様だった。


(匂いがする)


 微かに焦げている匂い。そんな匂いが、部屋からした。外にいてもわかる。人が焼けている匂いではない。これは……。

 

 扉を開けて中に入る。


「おかえり」


 そこには、真っ白のTシャツをところどころ小さな茶色い何かで汚した恋詩がいた。手には、フライ返しを持って。


「ただいま、恋詩。それは?」

「フッフッフッ、聞いて驚くなかれ師匠。いまハンバーグを作っているんですよ!」

「……ハンバーグ」


 テレビで見たことがある。確か、合いびき肉を使用した肉料理のことだ。まだ自分のレパートリーには入っていない料理。どうやら恋詩の服についている汚れは肉から飛び跳ねた汁のようだった。でもなぜそれを恋詩が作っているのだろう。正直に言って、恋詩の料理の腕はあまり上手ではない。いや、上手ではないというより、少し面倒くさがりで、手のかかる料理をしようとしないというのが正しいか。そんな恋詩がハンバーグを作っていた。ハンバーグという料理は、わりと手のかかる料理ではなかっただろうか。影静は少し不思議に思った。


「まぁ、あれです……最近任せっぱなしだったので、時間がある時くらいは自分で作ろうかと、日頃の感謝を込めて」


 最後のほうは小声で恋詩は言った。


「ささ、座ってくだせ」

「はい」


 テーブルに座る。そしてすぐに恋詩が料理を運んできた。

 自分の席に運ばれてきた料理を見る。想像していたよりとても綺麗なハンバーグだった。見た目はテレビで見たものと遜色ない。匂いもとても香ばしい。恋詩はその後、反対側の席にハンバーグを置いた。どうやらあれが恋詩が食べるもののようだ。だが、そのハンバーグは目の前に置かれているものとは全くの別物だった。


「え」

「あ~、これはハンバーグ第一号です……」


 ハンバーグがパサパサになっていて、割れている。そして、ほぼまっ黒焦げだ。外からした匂いはこれだったのだ。


「これは俺が食べるから、なので師匠は遠慮なく食べてっす」


 そう照れたように笑う恋詩。

 

「可愛いですね……本当に」


 そんな言葉が漏れた。

 恋詩には聞こえないくらい小さな声で。

 

「ありがとうございます。恋詩、じゃあ早速頂きますね」


 ハンバーグの味はシンプルで美味しかった。

 特別美味しいとかそういう感じではないけれど、影静の心を暖かいものが満たしていた。





 俺はベッドの上でぼーっと天井を見上げていた。

 部屋には今、影静の姿はない。お風呂場だ。シャワーの音が聞こえていた。


「そっか」


 ハンバーグを食べ終え、皿も洗った後に、影静から話を聞いた。

 朱里の事情を。なぜ、朱里が俺と別れたのかを。


 思っていたよりも、衝撃はなかった。

 むしろ笑えた。浮気されたと思ったら、自分が浮気相手だったのだから。あの金髪の男と朱里がキスしていた光景を思い出す。心の中を黒い苦々しい”何か”が支配する。


 くっ、これがNTRの絶望というものか……。

 

「はぁ」


 辛く感じる自分。それを冷静に見つめて茶化そうとしてくる自分。いつもこんな感覚だった。クラスメイトから無視されたときもそうだ、父親が、一ヶ月ほど家に帰ってこなくて、ずっと家で一人だったときもそう。辛く感じる自分と、何も感じない自分の二人が俺の中にはいた。俺には辛い時、むしろフザケた感じで茶化してしまう癖があった。今もこの状態だ。


 真面目に考えるとアホらしくね?


 朱里にも朱里の事情があって、俺を捨てた。それだけの話だ。そう分かったのならば、次の恋にいけばいいだけの話じゃねぇか。フラれて恋人と分かれることなんて、世界中いくらでもあるのだ。俺だけじゃない。さっぱり忘れて、次の恋探そう。できるかはしらねぇけど。と考える俺もいれば。


 じゃあどうして俺と付き合ったりしたんだよ、なんで、あんな別れ方したんだよ。だっておかしいだろう。普通に別れるって言えばいいだけじゃねぇか。なんであんな風にキスを見せつけるんだよ、俺の気持ち考えろよ。そして一番大きな気持ちは、なんで……俺に話してくれなかったんだよ。と考える俺もいた。


「……」


 結局、その日は何も纏まらなかった。

 しばらくして、影静が風呂から戻った。


 そして電気を消した。

 だけど、しばらく眠れなかった。

 




『あとがき 鬼と”鬼”の件なんですが、わかりづらくてすみません。解説すると、鬼という言葉の意味は二つあります。もともと裏の世界の種族としての鬼と、表の世界で、狭間から迷い込んだ存在を表す際に叛鬼師が使っている呼び名が”鬼”です。』

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