第8話 修行?やべえ、カンフー映画みたいでかっこいい

 深い闇の中で小鳥のさえずりが聞こえてきた。

 朦朧とした意識の中で、うっすらと世界が朝を迎えたのだと理解する。

 

(温かい……)


 いつもならば、朝の冷気に身を縮こませ、布団の中に潜り込もうとするはずなのに、何故か今日だけは身体がポカポカ暖かった。

 まるで何かに包まれているかのように。

 

(学校行かねぇと……あ、今日土曜だっけ)


 じゃあいいかと佐藤恋詩は再び意識を沈めた。

 まるで母親の腕の中で寝た子供の頃に戻ったかのような幸せな眠りだった。


 そして時計の短針は、3つほど数字を乗り越えた。


「ファぁ」


 佐藤恋詩は、そうしてゆっくりと目を開いた。

 そして開いた後、飛び起きた。

 

「……うわぁ!」


 なぜなら、目を見開いた先には、見覚えのない見知らぬ女が寝ていたのだから。

 美しい女だった。

 黒曜石のように艷やかな黒髪、綺麗に流れる鼻筋、うっすらと赤みを帯びる瑞々しい唇、健康的でシミひとつない美しい肌、身体は滑らかな女性らしい曲線を描いている。


「……恋詩、起きましたか?」


「えい……せい?」


「はい」


 思い出した。

 昨日のことを。

 影静は人間になった。


 刀が人間になった。

 普通だったらそんなこと信じられないだろうが、もともと影静は言葉を話していたし、異世界があって、妖怪や鬼や陰陽師のような者達が実際にいるのだ。恋詩はすぐに受け入れた。

 

 影静は、恋詩の瞳をまっすぐに見つめながら言った。


「大事な話があります」


「お、おう」


 恋詩の心臓はバクバクと音を立てていた。

 ドキドキしていたと言い換えてもいいだろう。

 まるでモデルのような美女が、息がかかるほど目の前にいて、じっと見つめてくるのだ。しかも影静の右手は、恋詩の頬に当てられ、左手はまるで恋詩の左手を包むように置かれている。

 

(ち、近え)


 「……恋詩は……」


 影静はそこまで言って止まった。

 言葉を選んでいるようだった


「恋詩はこれからも私と一緒にいてくれますか?」


「へ?」







 影静は言った。

 自分はもう、ある程度の力は取り戻したと。

 だからしようと思えば、時間はかかるかもしれないが、もうひとりでも失った何かを探せると。

 

「このまま、行けばいずれ恋詩は危険な目に合うかもしれません」


「それは……そうだけど」


 影静と暮らしてもう一ヶ月は過ぎた。

 昨日までは刀の姿だったとしても、ずっと一緒にいた。

 もう以前自分がどんなふうに毎日を過ごしていたか思い出すことができなかった。


「私は、恋詩に死んでほしくない。あなたには幸せになってほしい」


 影静は恋詩の目を見つめたまま言う。

 蒼く透き通るような瞳だった。静けさと強さを併せ持つ、そんなイメージが恋詩の頭に浮かんだ。そしてその言葉には、心の底から自分の身を案じているのだという気持ちが強く伝わってきた。


「恋詩は前に言いましたね、強くなりたいと」


「あ、ああ」


「強くなるには、修練をするか、戦いの中で学ぶしかありません。だからこれからは血反吐を吐くような苦しい修練が必要になります」


「……」


「もし、辞めたいと思うなら今です。強くなるということもそうですが、きっとこれ以上この世界に足を踏み込めば、もう普通の世界に戻れなくなるかもしれない、普通に勉強して、普通に働いて、誰かと結婚して、そんな普通で幸せな生活を失うかもしれません。それでも……それでも恋詩は、私と一緒にいてくれますか?」


 影静の表情には、どこか不安さが見え隠れしていた。

 

 恋詩の気持ちはもう決まっていた。


「影静、あー、えー。その」


「……」


「あー、もう回りくどいのはいいや。俺は、これからも影静と一緒にいたい。最初は命を救ってくれた恩返しのつもりだったけど、今は違う。影静の力になりたいし、強くだってなりたい」


 嘘偽りのない気持ちだった。

 影静は恋詩の生活にとってなくてはならないものになっていた。

 

 大切な家族。

 彼女の存在は、幼い頃に失ったはずの家族の暖かさを恋詩に思い出させていた。ずっと一人だった。もう自分は、それに慣れたと思っていたし、一人でも平気だと思っていた。

 でも強がっていただけなのだ。


 嫌だ、また一人になるのは。

 そんな思いが恋詩の中に強くあった。


「ありがとう……恋詩」


 影静は、それを聞いてしばらく黙った後、なぜか俺を抱きしめた。

 まるで母親が子供にするように。


「まずは朝ごはん食べましょうか」


 しばらく抱き合った後、影静がゆっくりと立ち上がった。

 

「まじ?、影静作ってくれるの?」


「もちろん、これからはずっとね」


 影静は、そう言って少しだけ微笑んだ。










 トントントンと、包丁が食材を切る音が鳴っていた。

 台所の前で、袖をまくった影静は、食材を切っていた。

 

(包丁で切るという行為は、どこの世界でも変わりませんね)


 料理をしていた記憶があるわけではない。

 ただ、なぜかわからないが知識だけは存在していた。

 とは言ってもこの世界のものではなく、反対側の世界のものだが。


 それに、恋詩が学校に行っている時間、ずっとテレビをつけてもらっていたのだ。だいたい昼頃に放送されている、料理番組。それを影静はずっと見ていた。


「……」


 恋詩は私を受け入れてくれた。

 これからも一緒にいたいと言ってくれたのだ。

 嬉しかった。そんな言葉では足りないくらいに。


「ズルいですね……私は」


 あんな言葉では恋詩が断れないのも当たり前だ。

 ただ、影静は強く言うことができなかった。


 恋詩が大切なのは本当だ。

 彼に傷ついてほしくないし、危険な目にあってほしくない。

 だが、それでも一緒にいたいと思ってしまった。

 

 影静は今の自分の感情がわからなかった。


(不安定ですね)


 出会った頃は、ただ利用するだけのつもりだったはずなのにいつの間にか影静の気持ちは変わっていた。


「……」

 

 今日、なぜ自分が恋詩にあんなことを言ったのか。

 その理由は単純で、恋詩の意思を確認するためだ。

 強くなるための意思を、そしてこれからさらに血みどろの世界に足を踏み入れる勇気を。

 

 あんな同情を買うような言い方をしてしまったが、影静は、恋詩が少しでも望まなければ、恋詩の前から去るつもりだった。

 そして陰ながら恋詩を見守ろうとしていた。


 これ以上この子をまきこむわけにはいけないと。

 でも恋詩は、それでも自分と共にいることを、そして強くなることを望んだ。


 強くなるために一番必要なものは何か。

 それは信念。

 自分が信じられる確固たる存在。


 朝のことは、それを確認する通過儀礼のようなものだった。

 これから恋詩はもしかしたら、今日のことを後悔するかもしれない。

 それでも私は、恋詩を守り育てよう。 

 誰よりも強い存在に。

 たとえ、恋詩が拒否したとしても……。

 

 そう思った数秒後、ピーピーと炊飯器のアラームが鳴った。

 どうやらご飯が炊けたようだ。

 

 

 

 

 *


 ある山の洞窟。

 そこには広大な空間が広がっていた。

 天井には巨大な鍾乳洞があり、威厳さを感じさせた。


 その場所の広さはサッカーコート数個分はあるのではないかと恋詩は思った。

 外からの光は一切入らなく、その場所を照らさいているのは、円状に掛けられている松明の炎だけだった。


 そしてその中で佐藤恋詩は死にかけていた。


「ギャアアアアア、しぬしぬしぬ!!俺もう死んじゃう!」


 恋詩は死ぬ気で走っていた。

 なぜなら少しでも足を緩めれば死ぬのだから。

 

「いま、触れた!!いま、背中、少し触れたああああああ」


「恋詩、このくらいであなたは死にません」


「死ぬ!死ぬって!」


 一瞬前まで恋詩がいた場所を、長大な丸太が押しつぶした。

 それは黒い巨人だった。顔がなく、全てが完全な黒で身の丈3mはあるようなヒトガタの化物。


「恋詩、それは鬼ではありません。恋詩一人でも倒せるはずです」


 恋詩がいる場所からある程度離れた場所に影静はいた。

 刀の姿ではなく、人間の美女の姿で。

 だが、何故か狐の面で顔を覆っていた。

 

「無理、無理です!!」


 恋詩は走っていた。

 その手に持つのは、いつものように影静ではなく、ただの物言わぬ刀。

 

「強くなるって言ったけど!言ったけど、これ強くなる前に死ぬ!!っ死んじゃう!」


 恋詩は、顔を歪めながら必死になぜこうなっているのかを思い出していた。影静が恋詩の意思を確認してから一日が過ぎた。 

 そして今日、いきなり裏の世界に連れてこられここに放り込まれた。


 正直に言おう。舐めていた。

 修行?やべえ、カンフー映画みたいでかっこいいと。


 その結果がこれである。

 

「恋詩……聞きなさい。もう、いまの貴方には、それを倒せるだけの力はついています」


「無理っすから!刀自分で使うの初めてですから!!」


 そう恋詩は自分の意思で刀を振るったことはない。

 今まで化物を倒してきたのは、影静であり、自分ではないのだ。

 だからできるわけない。と恋詩は思った。


「恋詩、聞いて。大丈夫、あなたはわかるはずだ。相手を倒す方法を。しっかり相手を見て。そうしないと勝てる以前の話だ」


「……クッソオ!」


 恋詩は、もうどうにでもなれという気持ちで振り返った。

 そこには、丸太を振り上げる黒い巨人のヒトガタ。


(あ、死ぬ)


 そう、恋詩は思った。

 このまま行けば、瞬きの間に自分は丸太に押しつぶされて死ぬと。


 だが、”見えていた”。


 ヒトガタの化物が、丸太を振るう瞬間を。

 その動きをしっかりと目で捉えることができていた。


 半歩下がる。

 顔のほんの目の前を丸太が通りすぎた。

 

(あれ……思ったよりも遅え)


 影静は言った。


「恋詩、いま思ったよりも遅いと思いませんでしたか?当然です。ずっと私の戦いを誰よりも近くで見てきたのですから、目が慣れないわけがない」

 

 丸太を避ける。避ける。ただ避ける。

 恋詩の動体視力は、今までの戦いで着実に進化していた。

 それこそ、プロボクサー並か、それ以上に。


「恋詩、後は、ほんの少しの勇気だけです。大丈夫、あなたはわかるはずだ、これからどうすれば良いのか」


 高速で振るわれる丸太を見ながら、恋詩は思考した。


「ほんとだ……」


 ただ、ヒトガタの化物を見る。

 それだけで、いくつもの剣閃が脳裏に浮かんだ。

 どこを切ればいいのか。どのように切ればいいのか。

 その時、どうやって相手の気をそらせば良いのか。


 それは、今までの戦いの記憶。

 誰よりも間近で影静の戦いを見た。

 それも一度や二度ではなく、幾度も。


 その戦い方は、恋詩の記憶にしっかりと刻まれていた。


「恋詩、後は振るいなさい、その刀を。そのために必要な筋力はもうついているはずです」


 剣に必要な筋肉を効率的に鍛えるにはどうすればいいのだろうか。

 その答えは、戦いの中で鍛える。そうすれば、必然的に戦いに必要な筋肉だけが身につく。


 これまで、二人は幾度も化物と戦ってきた。

 佐藤恋詩の身体にはしっかりとある一定の筋肉が培われていた。


 恋詩は走った。

 今までのように逃げるのではなく、前に。


 丸太が右頬を掠めた。


(大丈夫……ッ!ちゃんと見えるッ)


 そして大きく腕を伸ばし左斜に真っ直ぐに刀を振るった。

 愚直な剣筋だった。恋詩の目から見てもそう思った。


 ヒトガタは、身体を右にずらす。

 恋詩の刀は地面に吸い込まれるようにヒトガタの前を通り過ぎた。


 その時、ヒトガタが笑ったような気がした。

 嘲るような笑いだ。


 隙だらけの空振り。

 ヒトガタが右手に持つ丸太を、振り上げた。


「……そう思うよな」


 恋詩が、誰に聞かせるわけでもなく静かに呟いた。

 そして、ヒトガタは丸太を振るう







 ことはなかった。

 空中に何かが舞った

 腕。ヒトガタの腕が宙を舞っていた。

 

 一つではない。

 両腕だった。


 ヒトガタは何が起きたのか理解できなかった。

 

 恋詩は、空振りした次の瞬間、その刀を回転させ下から上に向かって振り上げた。そしてムチのように流れたまま、もう一つの腕も切り飛ばした。

 それは、以前の恋詩なら、全く見えなかったであろう、動作だった。

 

 佐藤恋詩の戦闘能力は、この時点でも一般人を軽く凌駕していた。

 

 そして恋詩は、ヒトガタにトドメをさした。

 








 影静はしっかりとその光景を見ていた。

 その顔には、隠しきれない笑みが浮かんでいた。

 もっとだ。もっと恋詩は強くなる。

 そうすれば、全ては解決する。


(私の探しものも。恋詩が正義を貫くための力も)

 

 影静は狐の面を取り、恋詩の側に寄った。


 「おつかれさま、恋詩。勝利おめでとうございます」


 「し……しぬ」


 「ちゃんと生きてますよ」


 影静は、恋詩の顔についている汗をタオルで拭った。

 

 



 こうして、佐藤恋詩の初めての戦いは終わりを迎えた。









 

 


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