第7話 影静はにっこりと微笑みそう言った。
夢を見ていた。
俺は誰かの視界で、その光景を見ていた。
その視線はいつもより低く、すぐにその視界の持ち主が子供だと理解した。
舗装されていない山道。
野草が、風に揺らされていた。
俺は、いや俺が乗り移っている誰かは、手を引かれていた。
灰色の着物を着た、長身の女。
俺は、その女に手を引かれながら楽しそうに山道を歩いていた。
俺は、女を見上げた。
美しい艶のある黒髪。
だがその女の顔は、黒く塗りつぶされていた。
視線を下げる。
刀。
女は帯刀していた。
美しい漆黒の鞘と、鮮やかな朱色の柄。
影静。
女の腰にあったのは、よく見慣れた刀だった。
それで、これが過去の光景なのだと理解した。
「恋詩……恋詩起きてください」
暗闇で、凛とした透き通る声が聞こえた。
まるで深い木々の隙間から指す木漏れ日のような声。
そして目が覚めた。
上体を起こすと、もうカーテンの隙間から朝日が覗いており、時刻は7時を過ぎていた。
「恋詩おはようございます」
「ファア、おはよう影静」
俺が寝ていたベッドの端には、一本の刀が横たわっていた。
妖刀――影静。
尋常じゃない切れ味を持ち、しゃべるその刀は一ヶ月前からこの家の同郷人だ。
俺は、時計にもう一度視線を向けようとして、脇腹の痛みに顔を顰めた。
「恋詩……3日前の疲労がまだ続いていますね」
「ヘーキヘーキ」
3日前に俺は、というか俺の身体を操った影静は、この世のものとは思えない化け物と死闘を繰り広げた。
この一ヶ月ずっとそんな感じだ。
流石に戦うことにもなれた。
いや、どちらかというよりは、目の前に凶器があっても動じない程度には。俺はただ身体を貸しているだけだ。
影静は”何か”を求めている。
それは、戦いの中で得られるかもしれない。
そうして、俺たちは、表と裏2つの世界行き来し、日々化け物と戦ってる。
「って、はやく朝ごはん食わないと」
時計を見ると、15分を過ぎており少し焦らないといけない時間になっていた。筋肉痛で、痛む身体を無理やり引きずり風呂場に向かった。
朝はシャワーを浴びないとないとなんか嫌な派なのだ。
10分程度、シャワーで汗を洗い流した。
朝の風呂というのは、なぜだがとても短く感じる。
眠たくて何度か意識が飛びかける。
そしていつのまにか時間が過ぎている。
「寒っ」
風呂場から出た俺は、寒さに身を震わせた。
すぐさま、タオルで身体を拭く。
そして少しはやめの足取りで、冷蔵庫に行き牛乳を取り出し、フレークを皿に入れた。
「恋詩、またフレークですか」
「しょうがないんだ、時間ねえし」
「……」
影静はその後、何も言わなかった。
俺は、すぐに学校へ登校する準備を行い、影静に「行ってらっしゃい」と言われ学校に向かった。
*
恋詩が学校に行った後、部屋には刀が残されていた。
刀は思考していた。
佐藤恋詩という少年のことを。
佐藤恋詩、高校一年生、16歳。
私の封印を解いてくれた少年。
善の心をもつ優しい子。
命の危険が迫った場面で、私は無理やり恋詩と契約を結んだ。そして、恋詩の身体を借りて戦いに明け暮れている。
恋詩は力を求めた。
”俺は、助けられる人がいるなら助けたい”
恋詩が言った言葉を思い出す。
彼は優しい。
まるで誰かを思い出すようだ。
影静は、できるだけ恋詩の願いを叶えてやりたいと思った。
だが、善を突き通すには思った以上の力が要求される。
世界はそんなに甘くない。
たとえこの世界であっても。
「……」
恋詩は、自分が身体を鍛えれば、あとは私が身体を動かし強くなれると考えている。
だが、違う。確かにそれでも強くなれはするが、すぐに限界が訪れる。
今の状態は、人形を上から糸で操っているようなものだ。このままいけば、いずれ自分たちの力が届かない相手に出会う。
心技体全てを鍛えなければ、本当の強さを身につかず。
恋詩自身が、本当の意味で強くなることで私たちはさらに強くなる。
だが、今の身体、ただの刀のままでは恋詩を強くすることは難しい。
私自身も身体を手に入れる必要がある。
「もう少しですね……」
そろそろだと影静は思った。
もう少しで身体を手に入れることができる。
肉体を構成するだけの――はもう少しで到達する。
肉体と言っても、それは肉体を模しただけの人形にすぎなく、負担のかかる戦闘を行えばすぐに壊れてしまうもの。
だが、自由に動ける分、今よりは遥かにマシだ。
自由に動かせる身体があれば、やっと恋詩を強くすることができる。
身体的にも、技術的にも。今のままでも、やろうと思えば可能ではあった。だが、これ以上すると恋詩に負担がかかりすぎるのだ。
今でも、少し学業に支障がでているかもしれない。
自身に動かせる身体さえあれば、恋詩にできるだけ負担をかけず、育てることができる。
影静は、恋詩を育てることにどこか心が高揚していることに気づいた。
なぜ?
わからない。
恋詩は危うい。
いずれ、自分の命を犠牲に誰かを救おうとする。
そんな予感がしてならない。
それを防ぐには力が必要だ。
莫大な力――何者をも支配する強い力が。
「恋詩…あなたは私が……」
*
教室の左後方、そこは机が3つくっつけられた場所があった。
上にある一つだけでたのが俺の机で、俺の机の半分の位置で左右にくっついているのが、柊子の机と、一ノ瀬の机だ。
その机の持ち主である柊子たちは、今は校舎の一階にある自動販売機に飲み物を買いに行っている。
「……」
あれから、俺がハブられ大山と斎藤に見放されてから、俺と柊子たちはつるんでいる。
女二人に、男一人という奇妙なバランスだが、俺としては居心地が良かった。
俺は改めて二人の姿を思い浮かべた。
林道柊子。
青いフレームのメガネと、荒んだように見える目が特徴的な女子生徒。
身長は、女子としては平均的なくらいで160ほどだろう。
顔は、間違いなく整っており、スタイルも良い。
だが、その野良猫のような荒んだ目が、とっつきにくくさせているのだと思う。
その瞳の通り、気が強く、ダメなことはダメとはっきり言う性格でこのまま、柊子が大人になれば、事業起こして社長くらいくらいやってそうだなと思った。
一ノ瀬結衣。
目元に前髪がかかっていている系女子。
なにかに怯えるように、背中を丸めいつも猫背。
身長は小さいわけではなく、ちゃんと立ったら168くらいはありそうだ。
あれから一ノ瀬とも少しは喋るようになった。
意外にも中学校の頃はバレー部だったとか、趣味がゲームとか、ギャップ萌えが多い。
と、いつのまにか柊子たちは帰ってきておりコツンという缶を机に置く音が聞こえた。
「ただいまー」
「外暑かったね」
「おう、おかえりー」
こうして、いつものように机を並べ食事する。
もう結構なれたものだ。
「てか、恋詩さっきの授業寝てたでしょ」
「気のせい」
「恋詩くん、頭カクってなってたよ」
「……気のせいだよ、目はちゃんと開けてたって。……なんも覚えてないけど」
「ねえ、ちゃんと睡眠とってる?」
柊子が少し心配したような顔で聞いてきた。
「とってる」
「……絶対授業は真面目に受けたほうが良いって恋詩。どうせ受験で勉強しないといけなくなるんだから。授業の時にその授業の勉強をしたほうが絶対効率いいよ、まぁもうとっくにその内容を理解していて退屈で眠るっていうことならわかるけど」
「頭ではわかってるんだけどさぁ」
「恋詩くん、夜何してるの?」
一ノ瀬が首をかしげて聞いてきた。
なんかあざといなこいつ。
可愛い。
なんてことを思っていると悟られないように普通に応える。
「筋トレ」
嘘は言ってない。
実践的な筋トレだ、命かかってるのが。
「あ、まだ続いてるんだ……」
柊子が、少しだけ驚いたように目を開く。
「ほんとだ、気づかなかったけど恋詩くん、前より引き締まったように見えるね」
「ほんとね」
「はは、日頃の筋トレの成果ってわけよ」
そう俺の肉体は、少しだけ変わった。
余計な贅肉が絞られ、筋肉がはっきり見えてきているような気がする。
自分でも思っていたが、第三者から言われるレベルであれば、その通りなのだろう。
そんな感じで、いつのものように学校での時間が過ぎていった。
※ここから暴力描写や残酷表現注意です!
*
強烈な風が頬に叩きつけられた。
視界は闇に包まれ、5m先も見通せない。
だが、なぜだろう、わかる。
無数の何かが俺たちを見ている。
「影静さんや」
俺は、右手にもつ刀に呼びかけた。
そしてその声に刀は応える。
「なんです恋詩」
「俺の気の所為でしょうか」
「なにがです」
「囲まれてね?」
「囲まれてますね」
「えぇ」
感じる。
暗闇の中なのに、周囲に何かがいる。
10、いや100いや、もっと多い。
そして、一瞬横を振り向いた瞬間、そこにはあった。
巨大な顔。顔だけが宙に浮かび、こちらに向けて大きく口を開けていた。まるで、バランスボールほどの巨大な顔と口。その顔は醜く、目の中からは奇妙な虫が飛び出している。
その口の中には、びっしりと敷き詰めるように牙が生えており、それがほぼ目の前にあった。
「影静さんや!」
俺は叫んだ。
そして顔が割れた。
真っ二つに。断面から血が俺の全身に撒き散らされた。
身体が勝手に動き、ソレを切り裂いていた。
身体の全てを支配されている。
瞬きすらも。瞳から足の爪先まで、すべてが勝手に動く。
まるで、身体の中に当たらしい骨格ができたように。
「あっぶねービビったぜ」
「恋詩もう少し身体を借りますよ」
「へいへい、いくらでも借りてください」
身体が勝手に動く。
彼らを呼吸するごとに切り裂いていく。
そしてその速度はどんどん加速していき、ついには1度の瞬きの間に数十の屍が生まれていく。
この裏の世界で、魔と呼ばれ恐れられる彼らがまるで藁のように切り裂かれていく。
それはまさしく嵐のような光景だった。
そして、いつの間にか周囲からは風の音しかしなくなった。
*
天にまで届きそうな光の柱。
さっきの化け物から出てきた魂のようなもの。
それが少しずつ影静に吸い込まれていく。
「なんか今日はいつもより多いな」
「……」
「影静?」
光が完全に吸い込まれ影静の中に消えていた。
そして、刀が宙に浮いた。
刀が空中で、鞘から引き抜かれる。
まるで見えない誰かいるかのように。
「なんだこれ……」
刀が分解されていく。
刃である鋼。柄を構成していた布地。そして鞘。
そして鋼だけになった刃は形を変えた。
質量保存の法則を無視するかのように、鋼が縦に広がっていく。
水銀みたいだ。その光景は、水銀が宙に浮かび形を変えていくことを思わせる。
上にある部分は、丸く球体になり、中くらいにあるのはまるで小さな風船のように広がり、いくつも棘のようなものが構成される。
(違う……これ骨だ)
さっきまで球体だったものは完全に頭蓋骨へと変質し、風船みたいだと言った部位は胸骨だった。そして中に浮かぶ流動する鋼は背骨、四肢の骨など、それぞれに分かれていく。
「……」
それはまさしく鋼でできた人間の骨格だった。
刀の鋼が姿かたちを変えて、人間の骨格になった。
銀の骸骨。
そしてそこからは、目をつむりたくなるような光景だった。
その骨にうっすらといくつも線が浮かんでいく。
「血管……」
そして、赤い筋肉が骨に付着するようになにもない空間からくっついていく。人体模型を思わせる光景。膨らんだ胸部が女性ということを表していた。
そして、人体の中に存在するすべてが構成されていく。
う、もう結構きつい。
だがきつかったのはそこまでだった。
つま先から浸食されていくように皮膚が構成されていく。
透き通るような肌、美しい黒髪、整った顔。
それは完全なる人間だった。
どこからどう見ても。
さっきまで刀だったとは思えない。
そして、柄の布地が、大きくなり彼女に被さる。
それは着物だった。柄に合ったはずの布地は、いつのまにか服となり彼女に身につけられていた。
そして彼女はゆっくりと目を開けた。
その目はどこまでも見通すかのような鮮やかな紫に輝いていた。
「……ごめんなさい恋詩。見苦しいとこを見せてしまいましたね」
さっきまで刀からした声が、その口から聞こえていた。
「すげえ……」
さっきまでの光景は吹き飛んでいた。
それほどまでに彼女は美しかった。
絶世の美女。
それは、彼女のためにあるのだと思った。
そんな月並みな言葉しか言えないくらい俺は見とれていた。それくらい。
「影静?……」
「はい、それで間違いありません」
影静はにっこりと微笑みそう言った。
こうしてうちの刀は人間になった。
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