《至急》戦士を拾ったんですが、どうすればいいですか

よつま つき子

第1話




 夜10時過ぎ。周りの家から漏れる明かりはまばらで、古い街灯が不安を煽るようにちかちかと点滅する。この辺りの治安は決して悪くはない方らしいけれど、やっぱり薄暗い夜道を一人で歩くのは怖い。私はたびたび周囲を見回しながら家路を急いだ。

 半年前まで住んでいたマンション付近は、都心に近いせいもあってかこの時間帯でも人通りはそれなりにあったし、暗くて足元が見えない、なんてことはないくらいに夜でも外は明るかった。自分を卑下するつもりはないけれど、当時を知る人が今の私の暮らしを見たら、きっとずいぶん落ちぶれたと思うんだろう。

 たばこの自販機のある角を右に曲がると見える、古びたアパート。その外階段の上り口近くで黒いかたまりが動いているのが分かって、私は足を止めた。


「何、あれ……犬?」


 背中を丸めてうずくまる大型犬か、それとも――。

 恐るおそる近づいて、やっとそれが人間であることが分かった時には、手を伸ばせば触れられる所まで距離を詰めてしまっていた。ボアのジャケットのようなものを着込んでいて、その背中の広さから、男性であることはなんとなく分かった。

 と、その時だった。


「う……」


 黒いかたまりは、うめき声をあげて身を捩り、体を起こそうとしていた。突然動き始めたことに驚き、思わず一歩後ろに下がる。腕に力が入らないのか、何度も崩れ落ちてしまって上手くいかないようだ。もしかしたらどこか怪我をしているのかもしれない。それなら、救急車を呼んであげた方がいいだろうか。

 カバンを探ってスマホを取り出し、110番か119番のどちらだったかを考えながら、その人の様子を改めてじっくりうかがった。パッと見だけではよく分からなかったけれど、背中を覆っているのはボアの布地ではなく、ドレッドに編み込まれたその人の長い髪だった。更に覗き込んだところで見えた下半身は、生まれたままの状態で……。


(やばい、この人全裸だ)


 変態か、酔っ払いの可能性が出てきたところで、やはりここは警察に電話すべきだと考え直す。無視して自分の部屋に行ければよかったのだけれど、私の部屋はこの外階段を上がった2階の奥にあるから、この人のすぐ傍を通って行かなければいけない。これ以上不用意に近づいて襲われるのはごめん被りたいので、ここは国家権力にお力添え頂くことにしよう。

 意を決して110番をタップしようとした時、その人が大きく咳込んだ。その苦しそうな息遣いに、私は思わず駆け寄って背中に手を当ててしまった。


「だ、大丈夫ですか……?」


 そのまままた離れるのもおかしいと思い、とりあえず声を掛けてみる。その人はゆっくりとこちらを振り返った。彫りの深い顔つきや色素の薄い瞳から、外国の方のように見えて、もしかしたら私の今の問いかけは通じていないのかもしれないと思った。


「え、えーと……怪我、は……hurtハート? Are you hurt?」

「……」


 返事はない。英語圏の人ではないようだ。

 血が出ている様子はないようだけど具合は悪そうだし、こうやって声を掛けた手前放っておくわけにもいかない。110番の0を9に変えて発信しようとしたころで、


「ウ……ウダ……!」


 絞り出すような掠れた声でそう言いながら、その人は私の腕をつかんだ。

 うだ、というのが何かは分からなかったけれど、こうして行き倒れた人が、助けてくれそうな人に向かって求めるものと言ったら、大体予想はつく。

 水だ。





 下半身には目をやらないようにしながらその人を起こし、下半身には目をやらないようにしながら肩を貸しつつ階段を上がり、申し訳ないけど玄関のたたきでちょっと座らせて、コップ一杯の水を渡すと、その人は一気にそれを飲み干した。


「おかわりいりますか?」

「……」


 伝わらない。当然だ。

 コップを指さして「水」、飲むジェスチャーをしながら「飲みたい?」と聞くと、彼は大きくうなずいた。私のボディランゲージが通じたのが、ちょっと嬉しかった。

 再び水を汲んだコップを渡すと、それも一気に飲み干してしまった。もしかしたらお腹も空いているかもしれない。


「何か、食べたい?」


 指先を口に運ぶジェスチャーをしながらそう聞くと、彼はものすごい勢いで首を縦に何度も振った。


「じゃあ……、ちょっと待ってて。コンビニで何か買ってくるから」


 コップと一緒に持ってきたタオルで足の裏を拭かせてから、部屋に通す。バスタオルを腰に巻いてもらい、二人掛けの小さなソファに座らせた。


「動かないでね。Don't move,OK?」


 犬にするように、顔の前に手をかざす。そのポーズのまま後ろ歩きで玄関の方に向かうと、彼は付いてくる様子も見せず、大人しくそこに座った姿勢を保ってくれている。どうやら私の言いたいことは伝わっているようだ。

 玄関から外に出て鍵を閉め、一旦深呼吸をして気持ちを整える。そして、はた、と気付いた。

 こんな夜更けに見知らぬ全裸の外国人(しかも男)を部屋に入れて留守番させるなんて、私、いったい何やってんだろう……。







 コンビニでおにぎりとパン、それから男性用下着を買って帰ったら、彼は部屋を出た時と同じ体勢で待っていてくれた。まさかそんな律義に微動だにせずにいるとは思わなかったから、ちょっと申し訳なく思った。

 とりあえず何だか信用できそうだし、今夜は泊まってもらうことにしよう。この時間から警察だのなんだのを呼ぶのも、こっちから交番に行くのもちょっとしんどい。家にある金目のものと言ったら、スマホと財布、残高やばめの通帳くらいで、盗まれたとしても特に困ることはない。家電とか家具が無くなるのはちょっとあれだけど、まあどうにかなる。とにかく、脅されたら全部差し出せばいいんだ。


「ちょっ……何してるの!?」


 パンを袋ごと食べようとしていて、私は慌ててそれを取り上げた。

 おにぎりは、外国人は開け方が分からないかもしれないと思って袋を開けておいたけど、パンの方も分からないってどういうことだ。


「これは……こうして開けて、袋から出さないと。ほら」


 クリームパンを差し出すと、彼はぺこりと頭を下げて「トードー」と呟いた。今の言葉はきっと「ありがとう」って意味なんだろうな、と思った。




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