最終話 それは泡のように
──翌日。
告白が成功した喜びと、唇に残る柔らかい感触に包まれながら目が覚めた。
しかし、意識がはっきりするにつれ、それら全てを吹き飛ばしたのは大きな焦燥感だった。
ハルカが受ける手術の時間は最低でも10時間。
無知な僕でもそれがかなり長いものであることは何となく分かる。
ハルカは「お医者さんは比較的難しい手術じゃないからまず大丈夫だって言ってたから大丈夫。ただ、作業内容的にどうしても時間がかかっちゃうみたい」と話してたし、そこは医者を信じて無駄に心配するべきじゃないと思う。
問題は、その時間。
だって僕たちは、8時間おきに合言葉を言い合わないとお互いの事を忘れてしまうのだ……。
自分に何ができるか分からないけど、ただジッとしてるわけには行かない。
僕は朝飯をサクッと済ませてから、まず急いで図書館に向かった。
前に自分の病気について調べようとした事があるにはあるが、医学書の分厚さに尻込みして逃げ帰った苦い思い出。
しかし、今回は別。
何より大切なハルカとの思い出がかかっているんだから……。
相変わらずドデカい本を書棚から引っ張り出し、机に持って行って中を開く。
……が、案の定、専門用語の羅列はまるで暗号みたいでさっぱり分からない。
唯一明確に理解できるのは『不治の病』という単語だけだった。
次に、僕は病院へと向かった。
中学1年生の時、合言葉療法を教えてくれたあの先生がいる病院。
……が、残念ながら、その先生は別の病院に移ってしまったらしい。
それでも忙しい中、1番この病気に詳しいという別の医者と話をすることができた。
何とかして、10時間の手術後も記憶を持続する方法は無いのか?
部分的にでも良いから記憶を残しておく方法は無いのか?
……けど、先生は首を横に振るばかり。
「忙しいところすみません……」
そう言って、僕は病院を後にした。
すごすごと肩を落として家に戻る帰り道。
最後の手段として、僕はスマホのブラウザで〈突発性親愛記憶欠落症〉を検索した。
事が事だけに、明確な裏付けの無い情報も混じっているネットの情報に頼るのはどうかと思っていたのだが、正規ルートがことごとく潰されてしまった今となっては背に腹は代えられない。
ただ、思ったより……というか、その病気に関する情報は本当に僅かしか出てこなかった。
『紙や携帯に文字として残しておいたとしても、完全に記憶が無くなってしまった後でそれを見たところで小説のように見えるだけ』
『動画で撮ったものを観たところで違和感しか覚え無い』
『合言葉の“言い溜め”は出来ないし、記憶保持の時間が突然伸びることは絶対に無い』
……どれもこれも僕が元々知ってる内容ばかり。
結局、何も出来ないまま1日が終わった。
──1週間後。
いよいよハルカの手術当日。
何一つ打開策を見つける事が出来ないまま、この日を迎えたことに自分が情け無い気持ちで一杯だった。
でも、ベッドで横になるハルカの顔はいつものようにニコニコ笑っていた。
「大丈夫だよ。うん。きっと大丈夫……!」
ハルカは僕の手をギュッと握りしめながら、本当だったら僕が言わなきゃいけないセリフを呟いた。
手術直前。
家族しか入れない病室に、僕は特別に入らせて貰っていた。
ハルカの両親とは何度も会っているが、2人ともやつれてるように見える。
もしかして、ハルカは僕を心配させまいとして、難しい手術じゃないって言ったんじゃ無いだろうか……い、いや、そんなわけない!
あの状況で嘘をつくような人じゃない。
辛いことでも隠さず辛いと言って真っ正面から立ち向かう……それが僕の知るハルカだ。
「大丈夫。きっと大丈夫……!」
僕は、ハルカの手をギュッと握りしめながら言った。
「フフッ、それ、私が言ったのと全く同じ」
「あっ、そうだっけ……」
ハハッ、と笑って返そうとしたが、さすがにそれは飲み込んだ。
「なあハルカ」
「うん」
「僕、絶対覚えてるから。絶対絶対、絶対に覚えてるから……!」
「うん! 私も……絶対絶対、絶対に忘れない……!」
僕らは真っ直ぐに目を合わせて、両手をぎゅっと握り合った。
「……すみません、そろそろ時間ですので」
看護師さんから声をかけられ、僕は「あっ、すみません!」と頭を下げながらベットから離れた。
「ヒナタ君、謝るの禁止って約束」
「……えっ? 今のもダメ!?」
「フフッ、まあダメかどうかはあとで話合うってことで!」
「おう! それじゃ、頑張って!」
「うん! 頑張る!」
こうして、僕は病室を後にした。
忘れない忘れない忘れない……。
心の中で何度もそう呟きながら……。
──僕は何故か病院の廊下に立っていた。
手術室のランプが消え、医者が出てきた。
「成功です」
そう言うと、患者の家族らしき夫婦が人目もはばからず泣き出した。
僕はなんでこんな所にいるんだろう?
ここで何をしているんだろう?
そして、なんで涙が溢れそうになるんだろう……。
何もかもさっぱりわからないのに、こんなに涙が押し寄せてくるのに、心の中はなぜか嬉しい気持ちで一杯だった。
半ば無意識の状態で病院を出て、近くのファミレスに入った。
ドリンクバーだけ注文し、コップにジュースを注ぐ。
席に戻り、テーブルの上に置いたメロンソーダをジッと見つめる。
そして、ストローで緑色の炭酸を一気に飲み干すと、押し出されるようにして両目から涙が溢れた。
ふと、窓の外に目をやると、可愛い三毛猫が歩道の上を通り過ぎるのが見えた。
猫とメロンソーダ。
なぜかとても大切な言葉のように思えて仕方が無かったが、それが何なのかを思い出すことは出来なかった……。
〈了〉
記憶結びのネコメロンソーダ ぽてゆき @hiroyu
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