人間に成りたい人間の夢

夜志摩 稀

第1話

お前には人間に成る資格がある。

だって、

お前には感情がある。

お前には優しさがある。

お前にはーーー強さがある。


どれもこれも私が生きてきて手に入れることのできなかったもの。

何を捨てても得られなかったもの。

お前はその全てを持つべくして持っている。


お前には普通の生活を選べる権利がある。

学校に行って。

会社に行って。

家でのんびりして。

映画を見て。

漫画を読んで。

結婚して。

子育てして。

平穏で何ごとも起こらない『普通』を選べる。


今なら。

今ならーーーまだ。


だから......。だからもう私を見るな。

夢なら外で作れ。

ここでお前が得られるものは。

お前にとって必要の無いものだけだ。


外に出たらお前は更に感動できる。

外に出たらお前は更に優しくなれる。

外に出たらお前は更に強くなれる。


なぁ。

お前は今何を感じてるんだよ。

分からない私に教えてくれよ。

お前は分からないはずないんだから。


優しくて強いから。

お前は教えないことを選択できる。

概念を封じ込めれる。

今すぐ。私の前から立ち去れる。

ーーーそれでも出ていかないのか?

出ていかないのなら......。

最後の最後に私が選べる。

最速の手段で。

お前を消す。


人間生にんげんきうまうめ地空ちから

お前に最速の力を与える。

ーーーそして。

お前の力として。

私の存在ーーーいや、概念を。

保存する。


すまない。

こんな方法でしかお前を救えないなんて。

でもさぁ。恨むんなら。

世界を恨んでくれよ。

姉ちゃんからの。最後のお願いだ。

行け。人間生。



目がさめる。

支離滅裂だ。

意味がわからない。

この夢の意味も。

この気持ちの理由も。

夢が終わってしまったことがとても寂しく感じてしまう一方で、意味の分からない夢の話について行くことがどうしても出来ない。

体が拒絶している?

人間生としての自分を?

追い求める真実の大きさ故に。

頭が否定している?

人間になりきれない自分を?

得るものの莫大さ故に。

と、そこでふと思い至る。

ああ、今僕が考えていること自体支離滅裂。妄言もはなはだしいのだと。

何が人間生?

どこが人間生?

そんなレベルじゃない。

僕は。

起きて食べて寝てを繰り返す。

人の人生に張り付きながら必死に今を生きている。

弱くて、冷酷な。

人間そのものなんだから。

人間ーーーなんだから。

と、支離滅裂ながらも。

人間生、いや、純粋なる人間である、埋々地空は、

そう、感じたのだった。



1


毎朝繰り返されるルーティーンワークも、これでしばらくお終いになるという事実に、埋々地空が何も感じなかったかというと嘘になるだろう。

実際、地空はどことなく物足りなさを抱きながら、夏休み1日目を迎えることになった。

「電車に乗らなくていい日々」

たしかにそれは必死に部活に取り組んでいない(というか入っていない)地空にとって至福の毎日ではあるのだが、

しかし、何の予定もないどころかお誘い1つも来る気配のない地空にとっては、家で学校の勉強をやらされているだけの日々と書き換えてもいいほどに、夏休みというものは勉強のオンパレードなのである。

彼にとって人生で5度目になる夏休み。

高校2年生である地空は、もう、自分が通う進学校もどき特有の謎の宿題の多さにも、ほんの少しの事でテンションアゲアゲになってしまう高校生という種族についても、ある程度の理解はできていた。し、自分でも麻痺してるな、と思うくらいには頭がおかしくなってきていた。

そして物語は、毎度毎度もう見飽きたよく分からない夢から目覚めて、夏休み予定帳に書かれた『朝勉強』に取り組んでいる一夏のワンシーンから始まりを告げる。

「なんだよ夏休み予定帳って。小学校かよ。てか、なんで表紙の文字がこんなに可愛いフォントなんだよ。あー。暑さのせいでイライラが積もっていく。本当にふざけるなよ。そこまで進学率高くない癖に一丁前の宿題ばっかりだしやがって。くそ!くそっ!だるいだるいー。早く終われ夏休み。そして来い。楽しい僕のあばんちゅーる!」

......もちろん彼は普段からこういう性格というわけではないし。さらに言えば、あばんちゅーるを平仮名で言うような男でもない。

くそ!なんてよほどキレない限り言わないし、普段からペチャクチャと独り言を言ったりもしない。

だが、どんな聖人君子でも、夏の暑さの前では狂ってしまうものと相場は決まっているのだ。

そんな中で自分で決めただけの朝勉強に対して真摯に(文句は言っているものの)取り組んでいる地空は、どちらかというと賞賛の対象になるのかもしれない。

真面目な性格なのである。

まぁ、そこは彼の特性に起因している部分なのだが、彼は今、そもそも単なる一介の人間なので、特性やら能力やら言ったところであまり意味をなさないだろう。

今の彼に力を求めるのはあまりに不躾ぶしつけだ。

ーーーこの世界では。

彼はそうあるべくして、そうなのだから。

そしてボソボソと呪文か何かを呟きながら勉強を進めて、大体一時間くらいが経過した時。

地空が休憩がてら、傍にあるお茶を手にとって飲んだ時。

ーーー地空が少し気を緩めた時。

なんの前触れもなく、家中にチャイム(もちろん学校のチャイムではなくインターホンのチャイム)が鳴り響いた。

まぁ、チャイムに前触れなんてなかなかあるものではないが、しかし車の音すら聞こえなかったため、地空は少し違和感を覚えることとなる。

椅子から立ち少し考える素振りをしながら部屋を出る地空。

別に特段違和感を覚えるようなシチュエーションではないのだが、しかし彼の場合だけは特例だ。

端的にいうと、地空にはいないのである。

友人と呼べる存在や、恋人と呼べる存在が。

家に訪れてくれるような知り合いが。

全くといっていいほどにいない。

なら、親関係の何かか?と地空は思う。

いや、そのまま親だろうか?

忘れ物をした親が鍵を閉めて行ったため、更に職場にその鍵を忘れてきたため、開けてほしくてインターホンを押したのだろうか?

その線が一番強い気がする。

と、自分の中で一番わかりやすい解決策にたどり着いたところで、地空は動かしていた足をドアの前で止め、ドアスコープを覗く。

言い遅れたが、地空が住んでいるのはマンションの2階なので、地空は思い至ることはできなかったが、隣の住人が家に来ることも、まぁなくはないのだ。

しかし......。ドアスコープの奥にいたのは。近所の人でもなく、というか、地空が予測したどの結論でもなかった。

ドア一枚隔てた向こう側に立っていたのは。

ーーー鳩。

と、執事。

を合わせたみたいな、そんな風貌をした男だった。

執事が着ていそうな、燕尾服えんびふくを白色にして。いや、そこだけを取れば特段、ずば抜けておかしいわけではないのかもしれないが、しかし彼に関しては、もう体の全身が白を基調として整えられていて。

体の周りに羽が舞い散っている。

そして何より。

ーーー白いペストマスクをつけている。

背の高い男だった。

「はっぁえ?」

地空は自分でもどう発音したか分からないくらい高度な言語で戦慄する。

鳩?鳩。鳩。執事?鳩執事?

地空は混乱した頭で鳩の知り合いと執事の知り合いに関する記憶を探るが、しかし、一向に見つかる気配がない。

それどころか、今日の晩御飯は執事の作った鳩ムネ肉がいいなぁなどと思い始めていた。

と、そこでもう一度インターホンが鳴る。

その大きな音で地空は現実に引き戻されるが、だからといって何をすればいいのかもわからない。

多分、この場合の正解は居間にいって警察を呼ぶ。なのだろうが、混乱している地空にそんなことは出来なかった。

どころか、鳩執事と自分を隔てていた一枚のドアを、開けてしまった。

ーーーゆっくりと。

ゆっくりと。

少しずつ、鳩執事が見えてくる。

すらっと細い体躯に。

服の腕からでもわかる引き締まった腕。

一切手を加えて無いように見える真っ白な髪。

そして更に白を強調させる真っ白な燕尾服。

白いドレスシューズに白い手袋。

そして。

目以外の顔の部品を全て隠す。

白いペストマスク。

ーーーつい地空は、かっこいいと思ってしまった。

得体も知れない謎の人間に対して。

かっこいいなんて、思ってしまった。

すると、そんな地空の頭の中の葛藤など気にもとめず、鳩執事は至って冷静にーーー冷徹に、

「迎えに参りましたよ、地空様。夕香ゆうか様の希望では、もう少し長い時間こちらの世界にいてもらう予定でしたが、しかし、ことがことですので」

と言った。

「は、はぁ」

と、地空が答える。

あまりにも気の抜けた返事だ。

目の前にいる異色の何かとまるで釣り合っていない。

場違いな雰囲気。

「いやっ。って、何勝手に話進めてるんだよ!怖い怖い!え?なに?世界?は?夕香?だれや!...わっ!すいませんすいませんすいません!!!」

勇気を振り絞って思いっきり、キレながらキレキレのツッコミを披露した地空だったが、しかし、鳩執事が両手を上にあげたことによって、その勢いは止められることになる。

強い相手には逆らわない(逆らえない)。

が地空の心情である。

というか今なった。

「お、おいおい。なにするつもりだよ!?」

と、地空が聞くものの、一切聞こえていないようなそぶりで、上にあげた手を頭の上まで持っていき、両手をクロスさせる。

そしてそのまま、手のひらが向かい合わせになるように手首を回転させる。

「地空様。少し苦痛があるかもしれませんが我慢してください。...まぁ、今まで幸せな世界で楽に生きてきた代償だとでも思ってくれれば結構です」

いや、そんなのはどうでもいいから何が起きているのか教えろ。と言いたい地空だが、驚きすぎてか全く口が動こうとしない。

パクパクと口が動くのみだ。

すると、どこからともなく風が吹き上がってきて、鳩執事の燕尾服がパタパタと揺れはじめる。

「それでは。行きますよ。地空様。」

「あ、あぁああぁあぁぁぁあ」

地空は腰を落としてしまう。

ーーーこうなるのか。と、思った。

目の前で起きていることがこうも理解できないと、人は思考をやめてしまうものなんだと。

諦め。とは、違う。

それは、一種の受け入れなのかもしれない。

人間特有の。

自分の壁を低くすることによって、非現実を受け入れる。

許容範囲を広くする。

人間なら、誰でもできる。

意識せずとも体が勝手に発動させてしまう。

そんな簡単な力。

出来ないほうが、『おかしい』力。

ならば。

ここで、その力を発揮できなかった地空は。

やはり、おかしい人間だったのだろう。

どころか、人間をやめたのだろう。

ーーーその時点で。

「っざけんな!」

地空は立ち上がりつつ、動かない体に全身の力を込めてなんとか後ろへと退く。しかし、相手が何をするか分からない以上、距離を取ったところで無駄だろう。

「なら!僕は!突進する!」

自分に暗示をかけるようにそう叫びながら、

ーーー特攻を仕掛ける。

相手が少しでも体勢を崩してくれればいい。

その隙を狙って、次の作戦に切り替えられる。

そんな事を考えながら攻撃できていたかは分からないが、ともかく、力のかぎり地空は相手に向かって走って行く。

...が、しかし。

地空の特攻は虚しくも、相手に届くことなく終わる。

正確には。

届くことができないまま、終わる。

更に詳しく、微に入り細を穿いて説明するならば、

空間が捻れた。

空間が歪んだ。

ーーー床が伸びる。

ーーー壁が伸びる。

ただただ、距離だけが伸びていく。

「...はっ!?」

「まあ、驚くのも無理はありませんよ。あなた様はあくまで一介の人間。一端の人間なのですから」

今はまだ。

と、鳩執事は言う。

そんな台詞を吐きながらも、手をクロスさせたポーズは最初から1ミリも動いてないんじゃないかと思わせるほど、ピタリと止まっている。

「説明をするんだとしたら、これはれっきとした、私の力です。この、床が歪んでいること、それ自体が私の手によって作り出された光景です」

私でも空間に干渉することくらいは出来るのです。

と、それがさも、日常会話の一コマであるかのような。

まるで、シェフが今日のおススメメニューについて語るような。

どことなく自慢気に、かつ、事務的にそう言う鳩執事。

しかし、今の地空にはそんな言葉はまるで届かない。

「流石に今の段階では、いくら分力ぶんりょくとはいえ私が勝ちますか。いや、でもあそこで私に挑みかかってくるという行動をとれた時点で、充分に事足りる実力なのでしょうかね。」

まあ、いいや。そろそろ飛ばしましょう。

その一言を合図に、歪んでいた空間が全て元に戻り、伸びていた廊下は最初から伸びていなかったかのように完全に元通りになっていた。

元に戻った勢いで、前に重心を傾けて走っていた地空に支えがなくなり、無様にすっ転んでしまう結果となる。

「っつ。なんだよこれ、人間技じゃねーだろ」

もう反撃の意思すらも失った地空はせめてもの抵抗として鳩執事に向かって叫ぶ。

しかし、当の本人は

「まあ、強いて言うなら人間技にんげんぎですかね」

と、冷静すぎるほど冷静に言う。ーーー言いながら、すっと鳩執事はさっきのよく分からないポーズを解除する。

しかし、その行動は地空に技を行使するのを諦めたのではなく、もう技は終わっているという現れだった。

そして、鳩執事が手元を軽く、くいっと地空に向けて動かす。

その小さな動きによって、地空が静かにそこから消える。

音も光も出さずにその場から消える。

まるでそこには元々誰もいなかったかのように。

まるでそこでは何も起きていなかったかのように。

何も残ることはなかった。


ーーー分力とはいえ。と鳩執事は言ったが、その基準に則って言うなら、埋々地空。今の彼は本概ほんがいどころか、一般人と同じレベルでしか力を出せていないのだ。

人一人と何も変わらないのだ。

人間機にんげんきでも。

人間紀にんげんきでも。

人間岐にんげんきでも。

人間生でもない。

一人として終っても良い、人間だったのだから。

いや、これは今話しても詮なきことだ。

しかし、伏線としてはっておく言葉があるとするなら。

それはやはり、先程鳩執事が喋った。

ーーー今はまだ。の一言に限るだろう。

未来を理解しているかのような。

地空を理解しているかのような。

そんな言い方。

まあ、実際にどうなるかは地空次第ではあるのだが...。

と。そんなこんなで結局、鳩執事こと、風渡ふうと飛火とびひにまるで火のように吹き飛ばされた地空がたどり着いた先は。

力による世界。

人による世界と対をなす、もう一つの世界。

しかし、飛ばされた地空本人がその事実に気付くのは、もう少し後の話である。

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人間に成りたい人間の夢 夜志摩 稀 @taiyaking777

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