もみの木

水円 岳

(1)

「田中さん、こらあすごいわ。ずいぶんとまあ、大きくしちゃったもんだねえ」


 志崎しざきさんという年配の植木屋さんが、我が家のもみの木を見上げて苦笑してる。


「ええ。私どもも、こんなに大きくなるとは思わなくて」

「そうだよねえ。日本の蒸し暑い夏が嫌いなヨーロッパモミは、あっさり枯れちまうことが多いからね。よほどここの環境が気に入ったってことなんでしょう」


 クリスマスの飾り付けをするのに、フェイクツリーじゃなくて本物のもみの木がほしい。娘たちの他愛のないおねだりを夫が本気にして、大きなもみの木の苗を狭い庭に植え込んだのは十年前のことだった。

 さっき植木屋さんに言われたみたいに「どうせすぐ枯れる」と主人に言われて、渋々植え付けを許可したのが運の尽き。枯れるどころか、どんどん元気になって凄まじい勢いで伸び始め、今や十メートル以上の高さになってしまった。


 ご近所の間でも、遠くからもわかるシンボルツリーとしてよく話のネタにされる。まあ、うちが大豪邸で広大な庭を所有してるってことなら、どんなに大きくなってくれても構わないんだけど。猫の額ほどもない狭隘な庭を全部占有されると、さすがに困る。上に伸びるだけでなくて枝葉が威張るようになり、幹も根もどんどん太くなってきたからだ。

 強風の時に倒れたり折れたりするかもしれないし、植えた場所が家に近すぎるから家が傷んじゃう。お隣の角田さんにも、日陰になるのよねえとちくちくと嫌味を言われてる。さすがにこれ以上放置するのは限界だと思って、手入れをお願いしたんだ。


「あの、志崎さん。この木って、切り詰めてコンパクトにするっていうのはできるんですか?」

「そらあ無理だわ」


 あっさり拒否されてしまった。ううう。

 木の幹をぽんぽんと叩いた志崎さんが、理由を丁寧に説明してくれた。


「もみの木ってのはね、てっぺんと枝先がどんどん伸びるようにできてるんですよ」

「へえー」

「てっぺんや枝先が伸びる度に、その付け根から規則正しく新しい枝が出る。その組み合わせがぴたっと決まってて美しいから絵になるんです」


 志崎さんが木の先端を指差した。とても元気に真っ直ぐ伸びている頂上の枝。そこから少しずつサイズを増して四方均等に横枝が伸びる円錐形の樹形は、まさに絵に描いたようなクリスマスツリーの形だ。


「それを途中で伐ってしまうと形が崩れるんです。傘みたいになっちゃうんだよね。まあ……そこにあるってだけで観賞価値はなくなります」

「そうかあ」

「もみの場合は、それだけじゃなくてね」

「え?」

「切ったところから上にはなかなか伸びないんです。そのまま枯れてしまうことも多いんだよね」

「じゃあ……」

「鉢上げして締めて育てるならまだしも、地に下ろしてこんな風にでかくしてしまうと、手の入れようがない。もう伐り倒すしかないんですよ」


 なんとなくそう言われる予感はしてたけど、当たって欲しくはなかった。やっぱり……がっかりしてしまう。


「仕方ないですよね」

「そうだね。本家ヨーロッパでも、クリスマス用のもみの木は多くが切り枝だそうです。いけ花みたいなもんだね」

「あら。それは知らなかったわ」

「私らともみの木の生き様は全然違うんだよね。それを無理やり一緒にしたら、どっちも困っちまう。それだけですよ。わははははっ!」


 からっと突き放した志崎さんが、豪快に笑った。だけど……わたしは一緒に笑えなかった。でも、小さくできないならしょうがない。決断しよう。


「じゃあ、伐ってどかしてください」

「それしかないと思いますよ。伐るなら、タイミング的に今でもぎりぎりだし」

「え? どういうことですか?」


 てっぺんを指差した志崎さんが、苦笑いする。


「今ならまだ、脚立とぶり縄で作業できるんです。でもこれ以上大きくなったら、慣れてる私でもしんどいね。もみは材がもろいんで、作業中いつぽっきり行くかわかんないから」

「うわ、おっかないですね……」

「そう。作業に命かけるわけにはいかないからね。本当にでかくなっちゃったやつは、重機を持ってこないともう伐れないんです」

「重機ですか!」


 重機って……クレーンとかかしら。そんなの無理よう。志崎さんが、周りを見回しながら説明を足す。


「ここが広い原っぱとかなら、チェーンソーでちーんと伐って、ばさっと倒して終わり。でも、住宅地だとそうは行かないでしょう?」

「ええ」

「伐り下ろすっていうんだけどね。先っぽの細いところから少しずつ伐って、高さを下げていかないとならないんです」

「伐り下ろす、かあ」

「はい。それすらできなくなったら、木のてっぺんをクレーンで吊って伐らないとなんない。人も機材も要るから、下手すりゃ費用が百万からかかってしまいますよ」

「うわわわわっ」


 わたしの慌てようを見て、志崎さんがくすっと笑った。


「このくらいなら、私一人でなんとかなります。じゃあ、伐りますね」

「お願いします!」


 なんとか小さくして残したいなあと思ってたけど、仕方ない。これも一つの区切りだと割り切るしかないよね。慌ただしく作業の準備を始めた志崎さんに一礼して、わたしは家に戻った。それから、夫の遺影に報告しに行った。


「やっぱり……無理みたい。記念のもみの木だけど、ごめんね」


 遺影の中の夫に謝罪しながら、わたしは十年前のクリスマスのことを思い返していた。十年前にもみの木を植えた時には、わたしたちの中の誰一人として、家族のあり方がこんなにも変わるとは思っていなかったんだ。


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