(3)
ワインの入っていた木箱でポリバケツを隠し、木と箱とをアルミ線でくくってしっかり固定した。志崎さんの話だと、きちんと水揚げすれば二週間くらいは楽に保つらしい。
飾り付けをしようと思って、昔使っていたツリーの箱を押入れから引っ張り出したけど、長い間使っていなかったオーナメントはすっかりくたびれていた。電飾も、もみの木のボリュームには釣り合わないように思えた。今はとてもカラフルなものが安く手に入るので、思い切って一式買い換えることにした。
「さあ、やりますか!」
枝葉に雪代わりの脱脂綿をたっぷり乗せ、これでもかとオーナメントをぶら下げる。チープなフェイクツリーと違って、弾力のある生枝はふわりと優雅にオーナメントを受け止める。
「ちぇ。確かに娘たちが夢中になるはずよね。わくわく感が全然違うわー」
十年前、夫が買ってきたもみの木の飾り付けは娘二人で全部やった。わたしは一切手を出せなかったんだ。オーナメントは、きらきら輝く想いや願望の象徴。娘たちは、それをフェイクツリーに乗せたくなかったのかもしれない。
じゃあわたしは、それまでの飾り付けをいい加減にやってた? いや、家族揃ってのクリスマスが楽しくなるようにって、心を込めて飾り付けしてたよ。ただ、わたしと娘たちとの間で、それぞれの想いや望むことが微妙に違ってきていたんだ。クリスマスツリーのあるアットホームな雰囲気と言っても、あの頃からすでに家族の形が変わり始めていたんだろう。
◇ ◇ ◇
「よし、と。やっぱりツリーが本物だと豪華だわ。じゃあ、早速スイッチオン!」
部屋の灯りを落として、電飾のスイッチを入れる。リビングにどろんと堆積していた生活感が一瞬で消えて、幻想的な別世界が浮かび上がった。美しく明滅するもみの木を眺め、その光を閉じ込めたまま目をつぶる。
家族の形は刻一刻変わっていく。いいも悪いもなく、ただ変わっていく。十年放置されていたもみの木がいつの間にか巨大化していたように、ある時点での幸福の形を永遠に維持することは不可能なんだ。
わたしは今、夫の不在を穏やかに受け止められるようになっている。だけど、その事実をすぐ受忍できたわけじゃない。伐り倒されていきなり目の前から消え去ったもみの木と同じで、いつまでもあると思っていたものが突然失われたんだ。底なしの喪失感は、今でもわたしをひどく蝕むことがある。
それでも。失われたという事実すら変化の中にいつしか織り込まれ、少しずつ日常になっていく。突然明るくなった窓の向こうの光景も、それが日常だと思える日がやがて来るんだろう。時の流れがわたしたちの願いを無視して全てを変えてしまうなら、わたしたちは変化することまで含めて愛するしかないんだ。
そして、変化は必ず痕跡を残す。喪失の悲嘆も、新生活への挑戦も、娘たちの独立も、明暗の綾を作りながら各々の年輪の中に織り込まれてきた。もみの木の成長の証としての年輪は今年で止まってしまったけど、わたしの年輪はまだ刻まれ続ける。この生命が失われるその瞬間までずっと。
◇ ◇ ◇
「ちょっとお母さん、めっちゃかっこいいやん!」
「ふっふっふ。そうでしょ? あのもみの木はもともとクリスマスツリー用だったから、もう一回くらいは使ってあげないとさー」
飾り付けを済ませたもみの木の写真をスマホで撮って、娘たちに送った。興奮してすぐ返信してきたのは長女だった。なんでも、子供がまだ小さくてクリスマスツリーなんかにかまけてる場合ではないらしく、いいなあを百連発した挙句に孫を連れて押しかける宣言をぶちかました。
「浩次さんはいいの?」
「ダンナは、イブに職場の飲み会なのよう。家族のクリスマスとどっちが大事なのって、全力でどやしたんだけどさあ!」
あはは。早速始まってるわね。うちだって面倒くさがりの夫がクリスマスに協力的になったのは、子供たちが学校に上がるようになってからよ。歴史は繰り返すってことね。
「かまわないわよ。何も持ってこなくていいから、気軽においで」
「やたあっ!」
孫と一緒にきゃあきゃあ騒いでいる娘の声を聞いて、少しだけほっとする。次女からは、夜遅くに電話がかかってきた。
「ああ、お母さん? ツリー見たよー。すごいじゃん」
「でしょ? 大きくなりすぎたもみの木は伐っちゃったから、今年が最初で最後の生ツリーね」
「そっか……やっぱり伐っちゃったんだ」
長女と違って次女はパパっ子だったから、わたし以上にあのもみの木に対する思い入れがあったんだろう。もちろん、わたしだって残したかったけどね。
「植木屋さんと相談したんだけど、もみの木っていうのは剪定がしにくいんだってさ。あれだけ大きくなると周りにも迷惑になるし、仕方なくてね」
「そうだね」
「クリスマスは彼氏と過ごすんでしょ?」
「……」
少しだけ沈黙があって、ふっと溜息の音が返ってきた。
「別れた」
「あら!」
「まあ……ちょっと前からいろいろあって」
「そっかあ」
「一人も寂しいし、今年はそっちに行っていい?」
「いいけど。美鈴も来るよ?」
「えっ!?」
「なんか、クリスマスだっていうのにダンナが会社の飲み会なんだってさ。ぶち切れてたわ」
「ぎゃはははははっ!」
しんみりしたクウキが一転して、美苗がげらげら笑い転げる。
「さっすが
「そりゃあね。
「くっくっくっく」
今ので気が晴れたんだろう。美苗の声に芯が入った。
「じゃあ、久しぶりに賑やかにやろうか」
「いいんじゃない? 三人でクリスマスに集まれるのは、次いつになるかわからないから」
「……うん。そうだね」
「なにも持ってこなくていいよ。手ぶらでおいで」
「わかったー。楽しみにしてるー」
電話を切って、きらびやかなもみの木に微笑みかける。まあ、いろいろあるよね。大きな変化から小さな変化まで。そういう変化を、きらきらオーナメントのようにぶら下げて。クリスマスという一日限りの日常を精一杯楽しむことにしよう。
「ああ、パパにも報告しなきゃ。あなたの植えたもみの木が、娘たちを呼び寄せたよーってね」
◇ ◇ ◇
黙祷を終えて。志崎さんが作ってくれたもみの木の円盤を手に取って、じっと見下ろす。円盤には、ヤニが周りに付かないよう透明フィルムを貼り、年輪ごとに付箋をつけてわたしたち三人の軌跡を書き込んでおいた。芳しい樹脂の匂いをぷんぷん漂わせている円盤は、まだ生きているように見える。でも、もみの木の年輪がこれ以上増えることはないんだ。その外側に何をどうやって刻んでいくか。娘たちと、そんなベタな話をしたいな。
夫の遺影の隣に円盤を立てかけて、心の中で語りかけた。わいわい大騒ぎするクリスマスもいいけど。しんみり語り合うクリスマスだって、一年くらいはありなんじゃない? あの二人のことだから、結局がちゃがちゃの宴会にしちゃいそうな気もするけどね。まあ、それはそれでよし。ふふ。
「さあて。ひっさしぶりに腕をふるいますか!」
【 了 】
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