(2)

 クリスマスイブには、夫が二人の娘のためにケーキとクリスマスプレゼントを買って帰ってくる。ミドルティーンに差し掛かっていた娘たちは、サンタさんをもう信じていなかったけど、クリスマスを待ち望む浮き浮き気分だけはずっと持ち続けていた。

 それならちょっとはわたしを手伝ってよ! 娘たちとは逆に、わたしの機嫌はクリスマスが近付くほどひん曲がっていった。夫も娘たちもクリスマスの準備には非協力的で、ごちそう作りやツリーの飾り付けを全部わたし一人に押し付けるんだもん。十年前のあの日もそうだったんだ。


「ほら、もうパパが帰ってくるから、ツリーの飾り付けを手伝って!」


 どんなにどやしつけても、娘たちは作業そっちのけで遊んでばかり。一向に賑やかにならない安物のフェイクツリーに、ぶつくさ言いながらわたしがオーナメントをぶら下げ、電飾を巻きつける。それが恒例行事で、あの時もそうだったんだ。

 でも。唐突に夫が持ち込んだ本物のもみの木は、プレゼント以外にクリスマスに関心を示さなくなっていた娘たちをとりこにした。娘たちは、苦労してわたしが飾り付けたツリーからオーナメントを全部引っ剥がし、物足りなかったのかわざわざオーナメントを買い足しに行った。そのあと夜の寒い庭で鼻の頭を真っ赤にしながら熱心に飾り付けをし、とても華やかなクリスマスツリーに仕立て上げた。


「やっぱ、本物は全然違うわー!」

「めっちゃデラックスだー!」


 娘たちの望みを叶えて得意満面だった夫。そこが我が家の幸福絶頂期だった。でも……。


◇ ◇ ◇


 すぐに枯れると思っていたもみの木がしっかり根付いて大きくなり始めたのとは裏腹に。夫が急に体調不良を訴えるようになった。我慢強くてめったに弱音を吐かない夫がしんどいを連発したから、よほど辛かったんだろう。嫌がる夫を病院に引きずっていって強制的に受診させたんだけど……すでに手の施しようがない末期のすい臓がんと診断された。すぐに入院。そしてわたしの看病期間は一ヶ月もなかった。わたしも娘も呆然としているうちに、夫はあっという間に逝ってしまったんだ。


 その時、美鈴が高二、美苗が中三。わたしは、夫の急逝をいつまでも悲しんでいられなかった。生活のためにすぐ職に就き、二人の進路の手当てをしつつ、クリスマスのことなんか思い出せないくらいてんてこまいの日々を送ることになった。

 わたしたちが髪を振り乱して新しい生活と格闘している間に、放置されたもみの木はぐんぐん大きくなっていった。でも、わたしたちがそれを気にすることはなかった。いや、気にしている暇なんかなかったんだ。明日の顔を見るだけで、精一杯だったから。


 激動の十年の間に、美鈴が大学進学のために家を離れ、就職し、すぐに職場結婚。子供が生まれてからは、なかなかわたしの家に帰れなくなっていた。美苗も、大学はここから通ったけど就職先は都内。行き来が面倒だからと家を出た。もっとも……彼氏の近くにいたいっていう理由の方が大きいんだろう。


 夫を失い、娘たちが家を離れると、クリスマスはわたしにとってなんの意味もない一日に成り下がってしまった。娘たちも年末年始には帰ってくるけれど、クリスマスは夫や彼氏との時間優先になる。そこは妥協してくれっていう感じ。

 わたし自身も仕事があって、クリスマスを楽しめるような時間的余裕も精神的余裕もない。浮かれて街をそぞろ歩く人たちを見やりながら、彼らに釣られるようにして出来合いのオードブルとピースのクリスマスケーキを買って。写真の夫にちょびっとメリクリを言って、一人でしんみり過ごす。去年も一昨年もそうだった。

 ただ……去年まではもみの木があったんだよね。誰も飾り付けなんかしないけど、それでも、さ。今年はもみの木まで取り上げられるのかと思うと、気が滅入っちゃう。


「奥さん、終わりましたよー」


 志崎さんの大きな声が聞こえて、はっと我に返った。慌ててリビングに戻ると、景色が一変していた。十年前から今に至るまで、いつの間にか我が家のリビングからの見通しを遮り続けていたもさもさの葉っぱがきれいさっぱり消え去り、明るい冬の日差しが足元に美しい矩形を描いていた。床を明かす光の眩しさに、思わず目を細める。

 サンダルを履いて庭に回ると、枝ごと落とされた葉っぱはすでに軽トラの荷台に上げられ、いくつかに切り分けられた幹が足元に転がっていた。丸太は、これから積まれるんだろう。


「ありがとうございます。大変じゃなかったですか?」

「材が柔らかいから、伐るのはそれほど骨でもないんですよ。でもね」


 志崎さんが、ゴム引きの軍手を見せてくれる。


「うわ、べったべた」

「そう、ヤニがすごくてね。これがいやなんだよね」

「そっかあ……ヤニって、なんの意味があるんですか?」

「害虫が幹に食い入っちまうのを防ぐんだそうです」

「うわ! そんな作用があるんですか」

「木にもいろんな敵がいるからね」


 額に浮いた汗を袖で拭った志崎さんが、ふうっと息をついた。


「害虫がいる。病気にもかかる。水切れも水浸しもしんどい。冬の寒さはともかく、日本の夏の蒸し暑さはたまらない。おまけに台風でしょ?」

「そうですよね……」

「去年のでかいのはここを通らなかったけど、直撃受けたら家に倒れこんでましたよ」

「うわ。おっかないなあ」


 よくぞ今まで持ちこたえてくれたって感じだ。それがこの木の生命力ゆえか、夫が守ってくれたからなのかは分からないけれど。志崎さんが、庭をぐるっと見渡してからぶつくさ言った。


「庭に木を植える時は慎重に考えないとね。よくシンボルツリーがどうのって言ってるけど、草と違って木はそうそう植え替えられません。放っておけばどんどん大きくなるから剪定の手間がかかるし、落ち葉や虫の問題もある。ちゃんと管理するのは骨ですよ」

「そうかあ」

「次に何か植えるなら、そのあたりのことを考えてくだされば」


 いや、木はもうこりごりよ。わたしのうんざり顔を見て、志崎さんが苦笑してる。


「でも、そんなのは私らの都合です。木はひたすら大きくなるのが仕事ですから」

「そうですよね」

「このもみの木は、いろんな敵に負けなかったからこそこんなに大きく育ったんです。がんばったのは認めてあげないとね」


 そう言って、志崎さんが切り株を指差した。なんだろうと思って近寄ってみたら、一番根元に近いところの幹がおせんべいみたいに平べったく切ってあった。


「それは、円盤シャイベと言います。円盤の年輪からは、これまでの成長の過程を読み取ることができるんです。たかが十年、されど十年だ。もみの木はなくなりましたけど、円盤を見てかつての勇姿を思い出してくだされば」

「わあ、すごおい!」

「それと、てっぺんの二メートルくらいはクリスマスツリーに使えるでしょう。ポリバケツに活けておきました」


 円盤とクリスマスツリー! 志崎さんから思ってもみなかったプレゼントをもらって、思わず小躍りした。


「うれしいです! ありがとうございます!」


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