第4話:フライングキャッスルとオールスターかつ丼

 金曜日、お弁当週間の最終日。


 朝のホームルームが始まっても、教室に飯野さんの姿はなかった。


 これで2日連続だ。


 担任からは病欠との説明があったが、詳しい事情はわからない。直接本人に訊きたかったが、僕は飯野さんの連絡先を知らなかった。


 ただのクラスメートという関係は、「知り合い」よりも希薄な間柄である。


 僕が心配したところで、回復が早くなるわけじゃないし。


「……でも、心配だなぁ」


 一番残念なのは本人だろう。せっかくのお弁当週間がこんな結末を迎えてしまうなんて。



 昼休み。僕は保健室に向かっていた。


 僕と飯野さんが秘密を共有した場所。


 いるはずがないと知っていても、足が自然に動いてしまうのだ。


 扉の前で立ち止まると、保健室の先生が中から現れる。


「あら、ちょうど良かった。迎えに行こうと思っていたのよ」

「え?」


 まさか、月曜日と火曜日に保健室で昼食をとったことがバレて、説教されるのだろうか。


「さっきね、飯野さんが登校してきたの」

「飯野さんが!?」


 思わず大声を出してしまう。


「え、ええ。ついさっき。授業は午後から出席することになってたから、それまで保健室で休んでいたのよ。昼食はどうするかって訊いたら、ここで食べたいんだって。本当はダメなんだけど、お弁当週間だし病人だし、特別にいいかなって」


「それで、どうして僕が呼ばれるんですか」

「あの子のご指名があったからよ」


 どくん、と心臓が跳ねる。


「彼女のことは入学当初から知っているけれど、誰かの名前を出すなんて初めてよ。私は職員室で食べるから、もし具合の悪い子が来たら職員室まで呼んでちょうだい。それにしてもキミたち、いつの間に仲良くなってたの?」


 ニヤニヤした笑みを浮かべ去っていく先生を見送って、扉を開ける。


「飯野さん……」


 丸椅子に座った飯野さんが、そこにいた。


 たった2日なのに、数年ぶりに会えたかのような嬉しさがこみ上げてくる。


「体調はもう大丈夫なの?」

「うん、全然平気。っていうより……」


 飯野さんはもにょもにょと言いにくそうにしている。


「本当はね、昨日も登校しようと思えばできたの。でも、しなかった」


「そんな、どうして……!」


 貴重なランチタイムを放棄するなんて、飯野さんらしくない。


「それは、悪魔のような作戦を思いついてしまったから」


 全能感と罪悪感が混ざったような表情。


「一昨日が終わった時点で、残金は892円。私は熱があることを悟った瞬間、今日の一食にすべてを賭ける作戦を思いついていた」


 飯野さんの視線の先には、机に鎮座する丼があった。先日の豚丼より一回り大きい。そこから立ち上るのは、強烈な揚げ物のにおいだ。丼の隣には、中学校の近所にある弁当屋のチラシが置いてある。そこにでかでかと描いてあったのは、規格外の一品だった。


『トンカツ、メンチカツ、コロッケ、サーモンフライ、エビフライ……。揚げ物界のレジェンドが一挙集結! オールスターかつ丼!』


 その金額は800円。普通の中学生が一食に払える金額ではない。


 木曜日を犠牲にすることによって、軍資金を一点集中させる……。どこまで食に、性に対して貪欲なんだ、飯野さん。


「こんないやらしい私だけど、一緒にお昼を食べてくれますか……?」


 上目遣いの飯野さんの瞳は、やっぱり気弱そうで儚くて、煩悩に満ち溢れていた。



 ☆ ☆ ☆



 蓋を開けると、揚げ物のにおいが一気に拡散する。


 大盛りごはんの上で門番のごとく両サイドに並んでいるのは、メンチカツとコロッケだ。そばにはそれぞれサーモンフライとエビフライがそびえ立っている。さながら城兵の剣に槍といったところか。さらに背後では、一枚肉のトンカツが国王のごとく存在感を放つ。オールスターの言葉に偽りはない。


 飯野さんの割りばしを握る手は震えていた。訊けば家にいる間は、この時に備えておかゆだけでやり過ごしてきたという。口から荒い息が漏れ、目の焦点も定まっていない。


 最初に選んだのはメンチカツ。ソースとカラシがたっぷり塗ってある。


 さくん、という小気味よい音とともに、飯野さんの絶叫が響いた。


「あ! あ、あ、……どうしよ、やば……やばすぎ……」


 たった一口で、すっかり骨抜きにされている。


 呼吸を整え、次に選んだのはコロッケだ。チラシによると、男爵イモにひき肉と甘いタマネギが混ぜてあるという。


「はっ、んうっ、んん、ん」


 顔が紅潮しているのは、揚げ物の温度が飯野さんに移ったからだけではない。


 三番手はエビフライ。一本だけとはいえ、入っているのと入っていないのとでは丼としての重厚感がまるで違う。


「お……、あうっ、んっ、おっ」


 タルタルソースが唇にまとわりついているのも気に留めず、サーモンフライに手を伸ばす。


「はーーっ、はーーっ、はーーっ」


 病み上がりからの揚げ物の威力は絶大だ。このままでは飯野さんの身が持たない。だがここまで夢中になっている彼女を止められるはずもなかった。パックのお茶も、もはや無能な門番のごとく机に突っ立っているだけ。


 最後は揚げ物の王、トンカツ。こちらもたっぷりとソースがかかっている。


 ざくん。



「~~~~~~~~~~っ」



 ガクガクと全身を痙攣させ、飯野さんが前のめりに倒れた。



 それと同時に現れたのは、5人の彼。無理やり飯野さんを起こし、強制的に箸を口へ運ばせる。



 さくさくの鎧をまとった黒肌の兵士が。

 ほくほくの拳をふるう白肌の格闘家が。

 ぎんぎんの槍を立てる海老色の槍兵そうへいが。

 はふはふの剣をかざした桃色の剣士が。

 まるまると太った揚げ物城のキングが。



 一口かじるたびに、飯野さんを攻め立てていく。


 

 さくっ、がり、もきゅもきゅ、ぱく。

 はふっ、ざくざくっ、かり、もむもむ。

 ごきゅ、ごく、ほふほふ、もき、ばりっばりっ。

 きゅぴ、かっかっ、はふ、ごくっごくっ。

 しゃき、もにゅっ、さくん、ぽりぽり。

 じゃぐっ、きゅ、ざりっざりっ。


 ごっくん。



「おしょまちゅしゃまでししゃあ……!」



 仰向けにベッドに倒れた飯野さんの顔は、とろけていた。



 こうして最後の宴は終わった。



 僕は職員室に向かい、担任に伝言を届けた。



「飯野さんは体力を使い果たしたので、午後も休むそうです」



 ☆ ☆ ☆



 衝撃の一週間は幕を閉じた。


 今日から再び、給食の日々。


 飯野さんは窓際後方の席で、つまらなそうに朝のホームルームに参加していた。


 このまま、飯野さんとただのクラスメートに戻ってしまうのは嫌だった。


 僕はひっそり決意する。


 今日の給食、飯野さんを誘ってみよう。


 男子からはイジられるだろうけれど、それくらいどうってことない。



 だって僕は、飯野さんのことが好きなのだから。



「……あと、これからの給食についてのお知らせです」


 担任が、改まった口調で言う。


「これまで何度かお弁当週間を実施してきました。生徒・保護者ともに好評であることから、今後当校ではお弁当制に切り替える方針です。具体的な時期については……」




 飯野さんが、爛々とした表情で僕を見た。

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クラスの女子が、「メシビッチ」だった件。 及川 輝新 @oikawa01

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