第3話:踊黒竜と味噌焼き豚丼

 お弁当週間は折り返しに差しかかり、今日も僕は飯野さんと一緒に昼食をとる約束をしていた。


 しかし場所はいつもの保健室ではない。さすがに三日連続で、昼休みに主が不在になることはなく、僕らは中庭で食事をともにすることになっていた。


 ここは具留米ぐるめ中学校の校舎裏。当校の建物は凹字型になっており、倉庫があったり植樹があったりする関係で、くぼみの一部分は校舎のどの角度からも死角になっている。いったん外に出て裏に回ってこない限り、僕たちを見つけることはできない。


 もっとも、ランチデートをしているわけでもないんだけれど。


 教室で僕たちは会話を交わすことはない。科学の実験や調理実習で同じ班になったこともないし、お弁当週間に突入するまでの接点はゼロだった。


 こうして三日連続で食事をともにしていても、飯野さんが僕に特別な感情を抱いているわけではないことくらい、わかりきっている。


 では、僕はどうなのだろう。飯野さんは客観的に見ても可愛いと思う。小柄であどけなくて、守ってあげたくなるような愛らしさがある。ましてやここ二日、僕は彼女と秘密を共有しているのだ。


 好きになったら負け、なんて恋愛の常套句が頭をよぎった。


「ごめん、おまたせ!」


 ビニール袋をぶら下げた飯野さんが小走りで駆け寄ってくる。どうやら作戦は成功したらしい。


 飯野さんの本日のメニューは、豚丼(450円)だった。コンビニのお弁当であれば常温でもおいしくいただけるよう工夫がなされているが、今回はチェーン店でテイクアウトした一品で、しかも肉料理だ。温めなければ肉や脂が固まったままで、ベストな状態で味わうことができない。


 この学校に電子レンジがあるのは、職員室と調理室、保健室のみ。職員室のは教員専用だし、調理室は昼休みが終わるまで授業の延長で使用されている。となれば、狙いは保健室一択だ。


 保健室の先生がお花を摘みにいったタイミングで飯野さんが部屋に侵入し、僕は女子トイレから出てきた先生を雑談で食い止める。校舎裏で落ち合う約束をして、現在にいたるというわけだ。


「ごめんね、作戦に付き合ってもらっちゃって」


 寂れたベンチは二人座るのがやっとで、必然的に肩が密着状態になる。


 野外での食事。


 すなわち、野外での行為。


 内心僕はドキドキしていたが、飯野さんが動揺する様子は微塵も感じられなかった。


「いいよ。僕のも一緒に温めてもらったわけだし」


 熱々のホットドッグを受け取り、平静を装った返事をする。


「それでは、いただかれます」

「い、いただきます」


 飯野さんが丼を取り出すと、香ばしいにおいが鼻孔をくすぐった。


 豚丼といえば、特製のタレで煮込んだ醤油味か、ごま油でネギと一緒に炒めた塩味がメジャーだ。


 だが今回は焼き豚丼、しかも味噌味である。焦げる手前ギリギリの、肉と味噌の力強い香りが漂っている。普段は食に無頓着な僕でさえ、羨ましいと思う。


 飯野さんはプラスチックの蓋を開け、ふんすと割りばしを分割する。


 豚丼には刻みネギや炒り胡麻といった薬味すら載っていない。米と肉というシンプルな構成。豚肉は肩ロースのようだ。


 まずは飯野さん、肉だけをつまみ、前歯でかじる。


「んんっ」


 そのおいしさは想像に難くない。肉と味噌の相性の良さは、太古の昔から折り紙つきだ。だが飯野さんの場合、味だけに魅了されているわけではない。


 見える。飯野さんを乱暴に抱き寄せる、筋骨隆々の男が。丸太のように太い腕、浅黒い肌、てらてらと妖しく光る指先。昨日の幕の内弁当とは対照的に、オラついたマッチョマンが、いたいけな少女の身体を汚していく。


 今度は豚肉でごはんをローリング。口に入れる前から、息が荒くなっている。


「あんっ!」


 人とメシという主従関係はもはや存在しない。主導権は完全に豚丼に奪われている。飯野さんはパックのお茶に手をつけることなく、一心不乱に豚丼を頬張っている。いや、豚丼に口内を犯されている。


「タレの染み込んだごはんがいやらしい……。脂で濡れてパラパラになって、隙間に侵入してくるの……」


 米粒を取ろうと舌を蠢かせる飯野さんを想像する。たぷんと跳ねる舌、歯の一本一本にねっとりと塗りたくられる油分をまとった涎。ドロドロに溶けたごはんは、喉を撫でながら胃へと滑り落ちていく。


 止めようと思っても、イメージは勝手に膨らんでいく。なぜかとても嫌な気分になり、僕はウインナーを前歯で勢いよく噛み切った。


「はぁ……さすがは期間限定メニュー。【踊黒竜ろうこくりゅう】の名に恥じないパワフルさだった……」


 踊黒竜というのは、おそらく豚丼の二つ名だろう。相変わらず意味不明だが、飯野さんが楽しかったのなら何よりだ。


 もやもやとした気持ちを抱えたまま、僕もホットドッグを食べ終えた。


「本当に、キミに打ち明けて良かった」


 突然の告白に、ドキっとする。


「やっぱり私、キミに見守られながら食べるのが好きなんだと思う。残り二日も、一緒にいたいなあ」


 勘違いするな。飯野さんが愛しているのは食事であって、僕ではない。でも僕がいると嬉しいのは本心であって。


 それなのに、心臓はドクドクとビートを打ち鳴らしている。


「僕は……」


 言葉にならない言葉は、予鈴にかき消された。


「あ、午後の授業が始まっちゃう。行こ?」

「……そう、だね」


 この胸の高鳴りはなんだろう。



 でも、あと二日、飯野さんと一緒に食事をすれば正体がわかる気がした。






 翌日、飯野さんは学校を休んだ。

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