新たな訪問者


 アルトリアはリエスティアの主治医として診察を行うと同時に、過去に通っていた魔法学園へ足を運びながら自身の足跡とも言うべき書物を読み漁る。

 そうした帝都での生活を三ヶ月ほど続けていた最中、住んでいる屋敷に兄セルジアスが訪れた。


 閃光事件から二週間も経たない時期である為に、緊急時に備えて帝城内で寝泊まりをしていたセルジアスは、別邸へ帰宅してから自室に籠るアルトリアの部屋へ訪れる。


「――……アルトリア。少しいいかな?」


「……なに?」


 扉を叩いた音に反応したアルトリアは、扉を開けて兄を室内に迎えた。

 アルトリアの為に当てがった自室の惨状をその時になって初めて見たセルジアスは、苦笑を浮かべながら感想を伝える。


「相変わらず、本ばかり積まれた部屋にしているね」


「別に、片付ける時間が無いだけよ。終わったら返すわ」


「返却するのに、荷馬車が一台は必要になりそうだ」


 数多の本に埋め尽くされている部屋の光景を見たセルジアスは、苦言にも似た言葉を漏らす。

 それを聞きながら表情をしかめるアルトリアは、部屋の奥へ戻りながらセルジアスの入室を許した。


 片付けが出来ていない部屋で椅子を探し腰掛けるセルジアスは、机に向かっているアルトリアへ再び話し掛ける。


「リエスティア姫の出産も、もうすぐのようだね」


「ええ」


「出産も、君自身が?」


「そのつもりよ。……止めるつもり?」


「いいや。君がそうしたいなら、そうするといい。……今、何を書いているんだい?」


 淡白な返答だけを行いながら何かを書いているアルトリアに、セルジアスは疑問を問い掛ける。

 それを聞きながらも手を止めずにペンを走らせるアルトリアは、簡素に答えを返した。


「教科書」


「教科書?」


「指導員用のよ」


「ああ、そうか。……でも、わざわざ教科書を作ってるのかい?」


「そうよ」


「別に、既存の本を使えばいいんじゃないかい? 魔法学園や医学院の教科書ものは用意するつもりだけれど」


「他人が作った本なんかで、何を教えられるってのよ?」


「!」


「教えるなら、私自身が書いた本でやるわ。……第一、間違ったことを書いてる本も多いようだし。とても教材として使えないわよ」


「……間違ったこと?」


 そう述べるアルトリアの言葉に、セルジアスは神妙な面持ちを抱きながら呟く。

 その疑問に対しても、アルトリアは淡々とした様子で答えた。


「間違っているというよりも、効率的じゃないと言った方が正しいかもね」


「どういうことだい?」


「既存の本に書かれてる事って、面倒臭い工程を踏んでたり、小難しくて分かり難い表現の言葉を使い過ぎてるのよ。だからそれを簡略にして、効率良く頭の中に詰め込める本が必要なの」


「君が書いている本が、まさにそれだと?」


「出来る限りね。これで私の教えてる事を理解できないような馬鹿が居たら、どうしようもないけど」


 皮肉染みた言葉を零すアルトリアだったが、それ以外の言葉でセルジアスは驚きを浮かべる。

 それは幼少時のアルトリアを知るセルジアスにとって、妹の心境に大きな変化があった事を気付かせた。


「……驚いたな」


「?」


「君が、他人の理解に合わせて本を作るなんてね」


「何それ?」


「私の知る君は、あまり人の感情を理解しようとしていなかった。いや、理解はしていたんだろう。でも、それに対して『他人に合わせる』という言動をしなかった」


「……」


「いつも君は、自分が思った事を躊躇なく口にし、他人に合わせず行動していた。他人の理解など置いてね。そんな君が、まさか他人に寄り添うような考え方をしているなんて。少し驚いたよ」


「それ、褒めてないわよね?」


「そう聞こえるかい?」


「他人に合わせた考え方なんて、他人が勝手に敷いてたルールに従ってるだけよ。それで得するのは他人だけで、自分に何の得も無いわ」


「でもそれが、人の生き方だ。そしてそういう世があるからこそ、人は人と共に生きていける。違うかい?」


「弱い人間なら、それで守られる事もあるでしょうね。……でも優れた人間からしたら、単に他人の自尊心エゴを押し付けられてるだけで不快なだけよ」


「そうかもしれないね。……でも国や社会とは、そうした弱い人間の集まりで形成されている。弱いからこそルールを敷き、自分達の身を守る手段にするしかない」


「その手段が、より弱い者の意見を押し潰す事もあるようだけれど?」


「……」


「結局のところ、集まった弱者にんげんは更に弱い者をしいたげる。そしてどう勘違いしたのか、しいたげている内に自分が強者の立ち位置だと誤解する。……貴族制度なんて、その最たる例でしょ?」


「そうだね」


「弱者が弱者を従えるという、いつわりのルール。そんなルール世界なかいつわりの強者を気取る連中や、そんな連中を恐れる弱者の考えなんて、理解したくもないわね」


 アルトリアは途中から走らせていた筆を止め、セルジアスに向かい合い口調を強くしながら言葉を吐き出す。

 それを聞いていたセルジアスはアルトリアの言う事を理解していたが、同時に新たな疑問を浮かべて尋ねた。


「……でも、今の君は他人の事を理解し行動している。そうだろう?」


「!」


「リエスティア姫の事もそうだけれど。指導員の役目を受けてこうした教科書ものを作ろうとしている君自身の意思は、弱者に歩み寄っていると言ってもいい。違うかい?」


「……」


「私は少しだけ、君が他人に歩み寄る姿が見れて嬉しいよ。……何か、そういうきっかけがあったのかい?」


 セルジアスは安堵の笑みを浮かべ、かつては父親クラウスさえ殺しかねない程に危うい存在だったアルトリアの変化を述べる。

 それを聞いていたアルトリアは机の引き出しに僅かに視線を向けた後、再びインクを付けた筆を紙に走らせた。


 疑問の返答をしてもらえなかったセルジアスは、小さな溜息を漏らす。

 そして真剣な表情を向けながら、別の話題を口にした。


「……実は今日、オラクル共和王国から一報が入った」


「!」


「例の地震と衝撃に関する説明を行う為に、使者を帝都まで赴かせるらしい。到着は、一週間後の予定だ」


「随分と急ね。……今回も、あの男……ウォーリスが来るの?」


「いや、今回は別の者が使者になるそうだ。……それに伴って、予定していたリエスティア姫の警護となる人材も赴かせるらしい」


「それって……」


「リエスティア姫の出産時期に、新たな警護を寄越す。考えたくは無いが、何か意図があるかもしれない」


「例えば、出産後のリエスティアと赤ん坊を誘拐するとか?」


「誘拐というよりも、共和王国へ連れ戻す可能性だろうね。……ログウェル氏やユグナリスにも警戒するように伝えているけれど、君自身も警戒してくれ。アルトリア」


「分かったわ」


 セルジアスが部屋に訪れた真の理由を聞いたアルトリアは、再び筆を止めて顔を向け合う。

 そして新たな警護が付くリエスティアの身辺に注意する事を承諾すると、再び筆を動かし教科書の作成を続けた。


 そうした情報を伝えたセルジアスは、椅子から立ち上がり部屋を出て行く。

 そして廊下で待機している警護の騎士に対して、こう伝えた。


「……明日から、アルトリアの警護と監視も強化する。警備体制は十全に整えておくように頼むよ」


「ハッ」


 騎士達にそう伝えると、セルジアスは廊下を歩きながら自身の部屋へと向かう。

 しかしセルジアスの表情は僅かな強張りを見せ、その口から呟くような不安が漏れていた。


「……もし共和王国側ウォーリスの狙いが、リエスティア姫だけではないとしたら。……アルトリアは自分に及ぶ危機感に、うといところがあるからな……」


 そうした懸念を漏らすセルジアスは、僅かな一時ひとときとして屋敷で休息に入る。

 それからリエスティアの出産が間近とも言える一週間後、予定通りオラクル共和王国から使者達が帝城へ訪れた。


 使者の代表を務めていたのは共和王国内にて外務大臣を務めている三十代の男性であり、特に際立つ様子は見せていない。

 しかし使者と共に訪れた者の中に、明らかに強者の風格を漂わせる人物が混じっていた。


 その中で特に目立つのが、一人の青年。

 目立つ銀色の髪を靡かせた長身の男性であり、年齢は二十代前半に見える。


 しかし最も目立つのは、袖に通っていない左腕。

 左腕の無いその銀髪の青年は、人々が行き交う帝都を見ながら険しい表情を浮かべていた。


「――……知ったにおいがするな……」


 銀髪の青年はそう呟き、帝国騎士に同行されながら使者達と共に帝城へ向かう。

 すると外務大臣である男性が振り向き、足を止めている銀髪の青年に声を掛けた。


「どうかしましたか? エアハルト殿」


「……いいや」


「そうですか。では行きましょう」


 外務大臣はそう促し、止めていた足を進めて帝城まで向かう。

 それに同行するエアハルトは、小さな溜息を漏らしながら後ろを付いて行った。


 こうしてオラクル共和王国の使者が訪れ、帝都に足を踏み入れる。

 その使者達に紛れて、二年前までマシラ共和王国の闘士部隊で序列二席を務めていた闘士エアハルトが存在していた。

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