出産の事情


 『黄』の七大聖人セブンスワンミネルヴァの起こした爆発の被害に対応しているガルミッシュ帝国では、オラクル共和王国への不信感が強まる。

 そして四年後に退位が迫られている皇帝ゴルディオスに代わる次期皇帝候補に関して、第一継承権を持つ皇子ユグナリスに対する不安と第二の継承権セルジアスへの期待が、相反するように各幹部と貴族家の間に膨らんでいた。


 その当事者であるユグナリスは、皇后ははクレアや婚約者候補であるリエスティと共に帝都の城内に戻っている。


 安定期に入ったリエスティアをローゼン公爵家の領地から移された後、帝城内にて生活するようになった。

 そして皇帝ゴルディオスと宰相セルジアスを通じて、三ヶ月前にリエスティア姫がユグナリスの子供を懐妊した事が各貴族家の当主と幹部達に伝えられる。


 その情報は当事者達が思っていたよりも帝国の上層部に大きな衝撃を与え、帝国貴族と幹部達の間で賛否の意見が飛び交った。

 特に否定的な意見の大半は、婚約者候補のまま留められていたはずのリエスティア姫がユグナリスと関係を持ち、結婚どころか婚姻前に懐妊に至っている事自体が問題だと挙げる者も多い。


 そうした声に対して皇帝ゴルディオスと皇后クレアの両者からは、リエスティア姫と彼女が属するオラクル共和王国に何らの責も問わない事が改めて伝えられる。

 逆に責を負うべきは自粛できずに関係を迫った皇子むすこにあると述べ、リエスティアの懐妊に関してユグナリスには謹慎処分が皇帝の名によって命じられた。


 ユグナリスの謹慎は具体的な期間は無く、少なくともリエスティアが出産して落ち着くまでは二人とも帝城内に留まり続ける事が伝えられる。

 本来ならば国を挙げて祝うべき出来事なのだが、この妊娠騒ぎに関してはユグナリスの不祥事であるという面が色濃い為、祝い席などは出産後に二人が正式に結婚した後に行う事も決められた。


 再びユグナリスが問題を起こしたという事で、各貴族家と幹部達は頭を抱えながらユグナリスに関する不安や不満を募らせる。

 それ故に第二継承権を持つセルジアスへの期待が急浮上してしまい、本人セルジアスは世話しなく周囲から強い期待の言葉を伝えられる事に辟易していた。


 そんなセルジアスの辟易とした様子を知らないユグナリスは、リエスティアが過ごす寝室が設けられた客室で毎日を過ごすようになっている。

 表向きはリエスティア姫と一緒に護衛を出来るようにという体裁で客室に謹慎している事になってはいるが、その実は妊娠中に離れたくないというユグナリスの意思をゴルディオスが叶えた状況でもあった。

 

「――……あっ」


「リエスティアッ!?」


「あ、いえ。御腹の子が、少し動いたような気がして」


「まさか、今から生まれるっ!?」


「出産はまだのようですから、大丈夫ですよ。ユグナリス様」


「そ、そうか……」 


 妊娠九ヶ月目を迎えるリエスティアの傍に、ユグナリスはいつも待機している。

 もう出産してもおかしくない状況である事を知らされているユグナリスは、気が気ではない様子でリエスティアの一挙手一投足を真摯に見守っていた。


 そんなユグナリスの余裕の無い対応に、瞼を閉じたままのリエスティアは微笑みを浮かべている。

 素直な程に感情を見せながら慌てるユグナリスの様子は、不思議とリエスティアに余裕ある心を保たせていた。


 そして同じ寝室内には、二人の他に常時十名以上の者達が待機している。


 一人はリエスティア姫の侍女である女性と、執事服で装っている悪魔ヴェルフェゴール。

 そして帝城内に務めている魔法の使える侍女が数名と、隣室では緊急の際にリエスティアを診る医者の女性、そして看護士が一名ずつ。


 他にも客室の外では帝国騎士が交代しながら護衛を務め、手厚い形でリエスティアとユグナリスの帝城内での生活を支えていた。


 そして毎日、朝を過ぎ昼近くになるとリエスティア達の居る部屋に訪れる者がいる。

 それは長い金髪を後ろに束ねた女性であり、騎士の案内を付けられて訪れたその女性は客間の扉を潜った。


 そして客間で控えていた帝城に勤めている全員が、その女性に畏まるように一礼を向けながら声を向ける。


「アルトリア様。本日も、ようこそいらっしゃいました」


「――……はいはい。リエスティアは居るわね?」


「勿論でございます」


「じゃあ、入るわよ」


「どうぞ。――……リエスティア様。アルトリア様が御診察に御伺いしています」


 訪れたアルトリアは一同から畏まられる様子を見ながら眉をひそめたが、すぐに意識を逸らしてリエスティアがいる寝室へ歩み向かう。

 そして侍女達が扉越しにアルトリアの訪問を伝えると、扉を開けてアルトリアを寝室内に招き入れた。


 入室したアルトリアは手ぶらの状態だったが、侍女から白衣を受け取って服の上に羽織る。

 そして聴診器など診察に必要な器具を受け取った後、リエスティアが座っている広い寝台の横に足を運んだ。


 敢えてアルトリアはユグナリスを無視するように視線を逸らし、リエスティアに話し掛ける。


「調子はどう?」


「大丈夫です。先程、少しだけ御腹の子供が動いていました」


「そう。それじゃあ、母子共に様子を診るから。男共、後ろを向いてなさい」


「あ、ああ」


 アルトリアは室内の男達に向けてそう伝えると、ユグナリスは渋々ながらも席を立って後ろを振り向く。

 悪魔ながらも男性姿であるヴェルフェゴールも、アルトリアの言葉に対して素直に従い窓際へと身体を移動させた。


 そうしてリエスティア自身と御腹の子供に対して、アルトリアの診察が行われる。

 胸部分や背中、そして子供の宿る御腹に聴診器を当てながらリエスティアの状況を確認し、更に医療用の温度計を用いて体温を計った。


 一通りの検査を終えて乱れた服を戻す事が許されたリエスティアは、緩やかな動作で服を着戻す。

 それを傍らに控えていた侍女は手伝っている様子を見ながら、アルトリアは軽く終えた診察結果を伝えた。


「熱も無いみたいだし、特に問題は無さそうね」


「そうですか。……あの、もうそろそろなんですよね?」


「そうね。早ければ三週間以内には、陣痛が始まると思うわ」


「!」


「ただ、やっぱり貴方の身体だと出産に問題が生じるかもね」


「……そうですか」


 アルトリアは真剣な表情を見せながら、リエスティアに出産の問題を伝える。

 それに驚く様子を見せないリエスティアだったが、代わるように振り向いたユグナリスが問い掛けた。


「……アルトリア。本当にリエスティアは、出産が難しいのか?」


「……」


「その顔、いい加減に止めてくれよ……」


「はぁ……。……普通の出産もそれ相応に母胎への危険はあるけれど、治癒魔法があれば酷い陣痛も緩和できるし、出産時における出血も治癒しながら行える。……でもリエスティアには、そういう事が出来ないわ」


「魔力を受け付けない体質か……」


「そう。だから出産における分娩ぶんべん作業は、リエスティアが陣痛に耐えながら行うしかない。勿論、私達も介助はするわよ。それでも、まだ下半身をまともに動かせないリエスティアでは、他の妊婦よりも出産は厳しくなるはず。通常の出産より時間が掛かるかもしれない」


「……ッ」


「最悪の場合、帝王切開という手段もある。ただ帝王切開それもかなりの危険は付き纏うし、母胎リエスティアの負荷も強くなるわ。何か起きない限りは、自然分娩でやる予定よ」


「何かって、どういうことが……?」


「例えば、リエスティアが陣痛の痛みに耐えられずに気絶して出産出来ない状況に陥ったり。それより早い段階なら、母子のどちらかに異常が起きたと判断できた場合ね」


「そんなに治癒魔法の無い出産って、過酷なのか……?」


「当たり前でしょ。そもそも治癒魔法があっても、出産時の激痛は酷いのよ。アンタみたいな軟弱男だったら、痛みだけで死ぬくらいにはね」


 アルトリアは呆れた口調で皮肉を込めた言葉を向けると、ユグナリスは表情を強張らせながら口を噤んで顔を伏せる。

 

 『黒』の肉体であるリエスティアは魔力を受け付けず、他者に施される治癒魔法も効力が働かない。

 その為に帝都で行っている一般的な医術と魔法を組み合わせた安全な出産方法が行えず、医術だけの分娩作業が必要となっていた。


 自身の記憶をある程度まで戻した様子を見せているアルトリアは医師免許を持っており、過去には妊婦の出産に立ち会い幾度か介助した事もある。

 その時の光景や様子を知るアルトリアは、リエスティアの出産が今までのどの作業よりも困難となる事を予測していた。


 そうした事を述べ合う二人に対して、リエスティアは間に挟むように言葉を入れる。


「……アルトリア様」


「ん?」


「もし私に、何かあったら。私達の……ユグナリス様の子供だけでも、御助けください」


「!」


「リエスティア……!?」


「私はユグナリス様と出会えた二年間このの時間が、とても幸せでした。それだけで、もう満足しています。……だから……」


 リエスティアはそうした言葉を口にし、自身の御腹に両手を触れながら頼み事を伝える。

 それを聞いてユグナリスは表情を強張らせたが、彼よりも先にアルトリアの口から言葉が吐き出された。


「なに言ってるのよ?」


「!」


「私が主治医になったからには、貴方も子供も無事な状態で出産させるわ。安心しなさい」


「……で、でも。先程の話では……」


「さっきのは、普通の妊婦ひとより出産が困難かもしれないって話よ。勿論、貴方には緩和できない陣痛の痛みにも耐える覚悟をしてもらうわ。いいわね?」


「……はい、分かりました」


「まったく……。父親と母親が揃ってそんなんじゃ、生まれてくる子供も心配になるわ。でも絶対に、馬鹿な父親には似ないでほしいところね」


「なっ!?」


「それじゃあ、私は行くわ。何かあったら、いつでも呼びなさい」


「はい。ありがとうございます、アルトリア様」


 ユグナリスに対する皮肉の言葉を向けた後、アルトリアは椅子から立って別れの挨拶を済ませる。

 言葉で見送るリエスティアの声を聞いた後には、アルトリアは馬鹿にするような笑みをユグナリスに向けながら一瞥し、そのまま白衣と危惧を返却して寝室の扉を出て行った。


 ユグナリスは嫌悪染みた表情を浮かべながらアルトリアを見送り、小さな安堵の息を漏らしてリエスティアの隣に戻る。

 そうした光景が既に三ヶ月以上も続いており、寝室内に控えている者達は三人の様子に慣れ親しんだ面持ちを浮かべていた。


 こうして出産を控えているリエスティアと共に、子供の父親であるユグナリスと主治医に就いたアルトリアも帝都へ滞在している。

 皇位継承権を持つガルミッシュ皇族の三名が一同に会する帝国内では、彼等三名の意思に関わりなく、各支持層で派閥染みた勢力が生まれようとしていた。

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