繋がりの神
今から百八十年ほど前。
まだ四大国家に数えられていたフラムブルグ宗教国家は、教皇の座である総本山を南方大陸に築き上げ、周辺の諸島群を始めとして東方大陸にも勢力を伸ばしていた。
丁度この頃、建国したばかりのガルミッシュ帝国と同じ大陸にベルグリンド王国も同じように建国準備を整える為に、フラムブルグ宗教国家に信仰の援助を求めていた時期でもある。
フラムブルグ宗教国家は様々な宗派によって成り立っているが、実はどの宗派も崇める神は一つである。
彼等は同じ神を信仰しているからこそ様々な宗派が在りながらも共同体となり、神の様々な教えに従いながら自身の生活を営んでいた。
そうした時代において、フラムブルグ宗教国家の首都に設けられた教会の孤児院で、一人の少女が物静かに暮らしている。
その少女の名は、ミネルヴァ。
まだ十歳にも満たない少女はとある山で家族を含めた数十人の村人と共に暮らしていたが、雨天で起きた土砂災害に因る事故で家族と故郷を失くし、少ない生存者として保護を受け、宗教国の首都にある小さな教会に設けられた孤児院に引き取られた。
しかし家族を失くした事で精神的な病を患い、それに重なり他の子に比べ文字の読み書きや覚えが悪く、孤児院の中で子供達に馴染めず孤立して過ごす。
誰かに心を開く様子も見えず、教会の
この頃のミネルヴァは、いつも一つの聖書を持ち歩いている。
それは家族に初めて貰った本であり、唯一自分に残った家族との思い出が詰まった品だった。
それをいつものように眺めるミネルヴァは、教会を囲む塀を背に縮まり座る。
そしていつものように小さく涙を流し、家族の事を思い出しながら泣いていた。
『――……やぁ。こんなところで、何をしてるんだい?』
『!』
そんな日々を過ごしていたミネルヴァの傍に、いつの間にか一人の女性が立っていた。
彼女はミネルヴァより一回りほど年上の女性であり、黒い髪と藍色の帽子とコートを羽織った奇妙な格好をしている。
明らかに孤児院や教会に携わる修道士の格好には見えず、参拝者にしてもこのような場所に訪れるはずがない。
ならば自分を探しに来た人なのかと幼い頭で考えたミネルヴァは、隠れていた事を怒られると思い、慌てるようにその場から逃げようとした。
『あぁ、待って待って!』
『……!』
『隠れてたのかい? ならごめんね、驚かせちゃったかな』
『……』
『ここに、繋がりが視えてね。誰か居るのかなって、そう思って確認したんだよ。誰にも君の事は教えないから、安心して』
『……つながり?』
『そう、繋がり。――……君は、
『……うん』
『ここの暮らしは、嫌かい?』
『……ここしか、いられないから……』
『そっか。今の君にとっては、ここが唯一の居場所なんだね』
『……』
『その本は、君にとって大切な物?』
『……』
『そっか。家族との大事な絆なんだね』
『……!』
黒髪の女性はミネルヴァが抱える本を見て、初対面にも関わらずそれが家族から贈られた物だと言い当てる。
それに驚き瞳を大きく開いたミネルヴァは、女性の顔を見上げた。
その女性は優しく微笑みながら膝を曲げて身を屈めると、ミネルヴァと視線を合わせて話し掛ける。
『この本にはね、君のお父さんとお母さん、そしてお祖母ちゃんとお祖父ちゃん、君の家族との繋がりが視える』
『!』
『物に思いを宿すのは、よっぽど強い感情が無ければ出来ないんだ。そして私が視るに、その本に繋がる感情は、とても暖かいものだ』
『……』
『きっと君の家族は、君の事が大事で、大好きだったんだね。――……そして君も、家族の事が大好きなんだね』
『……ぅ……うぅ……』
自身が抱く家族への
それを聞いたミネルヴァは失くした家族の笑顔を思い出しながら涙を浮かべ、女性の傍で家族の死を改めて悲しみ泣いた。
それからしばらく、その女性はミネルヴァが隠れる時には教会の裏手へ訪れるようになった。
そして一方的に話し掛けられても拒絶しなくなったミネルヴァが聖書を抱え座る姿に、改めて黒髪の女性に質問される。
『――……その本、読まないのかい?』
『……よめない』
『そっか。……なるほど、君の家族はヘイスエイデンの信仰者だったのかな』
『へいす……えいでん?』
『ヘイスエイデンは、何百年か前にこの国で興された宗派だね。自然の中で暮らし、自然の中で死んでいく。そういう教えがある宗派だよ』
『……わたし、みんなと、山でくらしてた……。……でも、山がくずれて、土がいっぱいながれてきて……』
『……そっか。じゃあ君の家族は、宗派の教え通りに導かれたということかな』
『……みちびかれた?』
『そう、彼等は死後に導かれたのさ。楽園にね』
『らくえん……?』
『誰もがいずれは赴く場所。ヘイスエイデンは、【天の楽園】という意味なんだよ』
『……わたしも、みんなのところにいける?』
『そうだね、いつか
『……』
そう話す黒髪の女性に、ミネルヴァは本の表紙を見た後、座る姿勢を解いて立ち上がる。
そして女性に腕を伸ばし、手に持っていた聖書を渡すような様子を見せた。
『?』
『……よみかた、おしえて』
『うん、いいよ』
そう頼む幼いミネルヴァの頼みを、女性は微笑みながら承諾する。
それから毎日、ミネルヴァはその場所へ行きその女性に文字の読み書きを教えられ、自分が持つ聖書を読めるようになった。
それから次第に、ミネルヴァは明るさを徐々に取り戻す。
孤児院の中で笑顔を取り戻す様子を見せ始め、他の子供達とも仲良くなって一緒に遊ぶようになり、見守っていた修道士達もミネルヴァの様子に安堵し微笑みを浮かべた。
元々は勤勉なミネルヴァは修道院で受ける教えも真面目に学び、更に護身術である体術も学び、子供達の中でも優秀な能力を見せ始める。
そんなミネルヴァは孤児院を出る十二歳になるまで、黒髪の女性と毎日のように教会の裏手で会い、様々な話を聞いていた。
『――……神様?』
『そう。君はこの国が崇めてる神様が、どういうモノか知ってるかい?』
『繋がりの神様!』
『そうだね。じゃあ、繋がりとはどんなものだと思う?』
『えっと……。友達とか、シスター様とか、司祭様とか……?』
『確かに、君にとって目の前に在る繋がりがそうだね。……でも、視えない繋がりもあるんだよ』
『見えない、繋がり……?』
『君がまだ出会っていない人達。まだ生まれてないけど、きっといつかは君が出会う人達。……そして、もういない人達。それも君にとって、大切な繋がりになるんだ』
『私の、繋がり……』
『繋がりの神様というのはね、そうした繋がりを視通す事が出来る。そして繋がりから生まれるモノを、祝福する存在でもあるんだよ』
『繋がりから、生まれるもの……?』
『【
『!』
『人と人との繋がり。そこに生まれる絆を、人はそれを当たり前のように思っているだろうけど。それはとても尊い、奇蹟のような存在なんだよ。そしてそれによって、更に多くの奇跡が生み出されていく。……素敵だよね』
『……繋がりが、奇跡に……!』
『君達が崇める神様は、そうした繋がりの奇跡が世界で多く生まれる事を願ってる。……そしてそこから生まれる奇跡が、繋がる人達を幸せに出来ると信じてるんだ』
それを聞き微笑みを浮かべる黒髪の女性の顔を見て、ミネルヴァは憧れに近い感情を抱く。
そして少し考えた様子を見せた後に、ミネルヴァは自分自身の事を話し始めた。
『……私、家族がいなくなって、凄く悲しかった』
『うん、そうだね』
『……でも、今は幸せ。修道士様も、司祭様も、友達も、みんな良い人だった。……私みたいに悲しんでる人が、私みたいに幸せになれるなら。私も、神様の願いを叶えるお手伝いを、してみたい……!』
『そっか。――……さて、そろそろ私は行かなくちゃ』
『え……?』
『しばらく私は、この国から居なくなるんだ』
『どこに、行っちゃうの?』
『私の役目は、世界を視て回る事だからね。色んな所に行くよ』
『……じゃあ、もう会えないの?』
『そうかもしれない。でも、きっと君が【
『!』
『じゃあ、元気でね』
そう述べた女性は立ち上がり、ミネルヴァの頭を撫でた後に背中を見せながら去っていく。
それを追おうとミネルヴァが立ち上がった時に、一つの風が木の葉を揺らし落とし、僅かに女性の姿を視線から遮った。
しかし落ち葉の遮りが無くなった時には、黒髪の女性はその姿を見失ってしまう。
『――……え……!?』
ミネルヴァは周囲を見渡しながら走り回り、女性の姿を必死に探す。
しかしそこには女性の姿は完全に消え失せ、まるで始めから存在しなかったかのように魅入られた。
後にミネルヴァは孤児院を出て神官の修練を積む際、ある話を修練先の神殿長から賜る。
自分達が崇める繋がりの神が
そして神はこの世界に実在し、今も世界との繋がりを保ち自分達を見守ってくれている事を、ミネルヴァは聞かされた。
『――……神よ、我が神よ。今の私が在るのは、全て貴方のおかげです……!』
それを聞いたミネルヴァは身を震わせ歓喜し、涙を零しながら神の像へ祈りを捧げる。
家族という繋がりを失い、悲しむ幼い自分の前に姿を見せながら慈愛に満ちる接し方で励まし、新たな繋がりを築くきっかけを生み出したあの女性こそが、自分達の崇める『繋がりの神』であることをミネルヴァは悟った。
そして自分が神と繋がり力を与えられたと考え、神が大望する繋がりで出来る幸せな世界を築く為に、ミネルヴァは絶え間ない修練と狂気とも言える使命感によって十年にも満たない僅かな期間で聖人に至り、更に『黄』の
そんなミネルヴァは誰よりも神を崇め敬い、誰よりも人との繋がりを大切にし、自国の人々に向ける慈愛に満ちた姿から【聖女】と呼ばれるようになった。
それが『黄』の
そして百八十年の月日を経て二人は再会を果たしたにも関わらず、ミネルヴァは歓喜しながらも困惑する事態に陥っていた。
目の前に居る
同じ神が、二人も存在していたのだから。
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