悲哀と憤怒


 山虎によって瀕死に追い込まれたエリクは、自身の中に流れる『鬼神』の力を解き放つ。


 その一方で、ガルドとエリクを救う為に救援へ戻ったワーグナーとマチスが、山を登るように駆け抜けていた。

 左腕が折れているにも関わらず強行するワーグナーの意思に負け、マチスは自分達が通った道を戻る為に先導している。


「――……!!」


 その最中、マチスが表情を強張らせて動きを止めた。

 止まったマチスに阻まれたワーグナーは、焦りながら声を掛ける。


「おい、どうした?」


「……こ、これは……」


「?」


 マチスは正面を見ながらも遠い何処かに思いを向けながら表情を強張らせ、小刻みに身体を震わせている。

 そうした様子をワーグナーは怪訝に思いながら同じ方向を見たが、やはりその視界には山猫どころか動物一匹すら見えなかった。


「マチス、お前どうし――……!?」


 ワーグナーがマチスの肩を掴んだ瞬間、山の森から一斉に鳥が羽ばたきながら上空を舞う。

 その数は数百を超え、それと同じく他の小動物が突如として茂みや木々の隙間から飛び出し、二人の合間をすり抜けるように逃げ始めた。


「な、なんだ……。何か起こったのか……!?」


 ワーグナーはそれに驚き、動物達が何かから逃げる様子を見て怪訝な表情と思考を浮かべる。

 しかしマチスはそれに気を取られず、自身の正面を見据えながら強張らせていた表情を引き締め、ワーグナーに告げた。


「……ワーグナーの兄貴、戻ろう!」


「なっ!?」


「ここから先は、危険だ!」


「俺に、おやっさんやエリクを見捨てろってのか!?」


「そうじゃねぇよ! ただ――……」


 説得しようとするマチスの左肩を掴んでいたワーグナーは、その手に力を込めながら道を譲らせるように横へ引き押す。

 そして先へ進む為に、ワーグナーは移動してくる動物達を避けながら進んだ。


 それを止めようとマチスも追うが、ワーグナーは後ろを振り返らずに話し始める。

  

「兄貴!」


「……おやっさんは、黒獣傭兵団のかしらだ。そのおやっさんが居なくなったら、この傭兵団は終わっちまう」


「!」


「でももし、おやっさんに何かあっても。エリクがいれば……。でもエリクもいなくなったら、本当に何もかも終いだ……!!」


 そう話すワーグナーは振り返らずに走り始め、マチスもそれを追う。


 黒獣傭兵団を率いる団長のガルドと、その看板傭兵となりつつあるエリク。

 二人が居てこそ黒獣傭兵団は頻繁に仕事が渡され、過酷な内容であっても達成できていた。


 しかしその二人が居なくなれば、黒獣傭兵団の戦力は大幅に低下し、きが回らなくなる。

 更に今回の件で三分の一以上の若い傭兵を失い、更には依頼を達成できなければ、黒獣傭兵団は各方面で『使えない傭兵』という評価が下されかねない。


 そうなれば傭兵団そのものが解体され、黒獣傭兵団の面々は行き場を失うだろう。

 仕事を失った傭兵達は、下手をすれば野盗に落ちる場合もある。


 ワーグナーは黒獣傭兵団に対して、少なからず思い入れがあった。

 ガルドを始め、様々な兄貴と呼べる者達を慕い、エリクのような弟分を持った。

 そして傭兵として働き、自身で積み上げて来たモノもあるのだと考えている。


 言わば、黒獣傭兵団はワーグナーにとっての唯一無二の居場所だった。

 それが無くなる事が、そして居場所の住人であるガルドやエリクが死ぬ事が、ワーグナーには耐えられなかった。


 だからこそ、ワーグナーは進み続ける。

 ガルドとエリクを救い、黒獣傭兵団という居場所を存続させる為に。

 それが理解しているのか、止めたマチスも渋々ながらワーグナーと共に走った。


 そうして走る数分間で、二人の周囲から動物達が見えなくなる。

 騒がしかった周囲が一気に静まり返った事に不安を抱く二人だったが、一キロ以上先の場所から凄まじい轟音が響き聞こえた。


「!?」


「なんだ!?」


 その衝撃音に二人は驚き、音が聞こえた方へ進路を変える。

 そして進んだ先には、薙ぎ倒された木々や斑山猫の死体が複数体あるのを確認し、ワーグナーは確信を得ながら呟いた。


「――……おやっさんとエリクが、まだ戦ってるんだ!」


「!」


「この魔獣に刺さってる折れた剣は、多分エリクのだ。だったら、俺の剣を渡すだけでも……」


 ワーグナーは斑山猫の横腹に刺さる折れた剣先を確認し、右手に握る剣を見る。

 エリクが武器を失いながらもまだ戦っている事を確信しているワーグナーは、更に音が鳴っていた奥へ走った。


 そこにも木々を荒々しく切断したような跡があり、僅かに刺激臭の匂いも残る。

 それがガルドの使う薬品だと気付き、ワーグナーは散乱した現場と刺激臭の匂いを追った。


 そして、衝撃音が鳴ったと思われる場所に辿り着く。

 そこには不自然に木々が流れ、地面を抉りながら数メートルの幅と十数メートル以上の道筋が生まれていた。

 

「な、なんだこれ……?」


「……」


 今までの切り裂いたような痕跡ではなく、何か巨大な物が地面を削りながら通り抜けたような痕跡にワーグナーは驚く。

 それを見ているマチスも表情を強張らせ、そして不自然な道筋を辿るように右側へ顔を向けた。


 マチスに合わせるように、ワーグナーもそちらへ顔を向ける。

 すると僅かに拓けた場所があり、そちらへ二人は歩み寄った。


 そこでワーグナーが見たのは、地面を抉る幾つもの痕跡と、首から血を流して倒れているガルドだった。


「――……おやっさん……ッ!?」


 ガルドに気付いたワーグナーは、左腕の痛みに耐えながら走り寄る。

 そして倒れて首を喰い破られて絶命しているガルドを見て、ワーグナーは声を出そうとしながらも叶わず、悲しみと悔しさを同居させた右拳を地面へ叩き突けた。


「……クソ……ッ。チクショウ……ッ!!」 


 ガルドの死に対する小さな悪態を呟きながら、ワーグナーは目に涙を溜めて流し始める。

 自分を拾い傭兵団で雇い受け入れてくれたガルドの死は、ワーグナーが考えるよりも深い悲しみと絶望を生んでいた。


 その後ろからマチスも近付き、ガルドの遺体を確認する。

 そして目を伏せて僅かに頭を下げた後、周囲を見ながらある方向を見た。


「……ッ」


 マチスは何かを感じながら、そちらの方向を見て身体を震わせる。

 涙を流すワーグナーも数分後には顔を上げ、周囲を再確認しながらマチスに聞いた。


「エリクは……?」


「……多分、あっちっすね」


「あっちに……」  


 マチスが指し示す方角を見て、ガルドは涙を右手で拭いながら改めて確認する。

 そちらの方にも巨大な打撃痕があり、何か巨大な物が通ったような跡があった。


 それを自分達が見た山猫の群れを率いているボスだと思うワーグナーは涙を拭い終わり、気を引き締め直す。

 そして右手に握る剣に力を込めながら、マチスに話した。


「……エリクがまだ戦ってるなら、俺は行くぜ」


「兄貴、でも……」


「エリクだけでも、助けるんだ。……でなきゃ、おやっさんにあの世でも叱られちまう……」


「……」


 覚悟の表情を秘めたワーグナーは、エリクの後を追うように走り出す。

 マチスはそれに強く反発せず、ワーグナーの後を追った。


 一方、エリクは全力で逃げる山猫を追い駆け、山を凄まじい速度で登る。

 始めこそ全力で走る山猫に引き離されていたが、徐々に脚力に力を増したエリクが引き離された距離を詰め、ついに真後ろまで山虎の背後に迫っていた。


 それを後ろを見ずに感じる山虎は焦り、自身の周囲から魔力の刃を生み出す。

 そして後方のエリクに向けて放ち、追撃を阻もうとした。


 それを右拳で放つ拳圧のみで弾き散らしたエリクは、憤怒を滾らせた表情で山虎を追う。

 エリク自身に攻撃が効かないと分かった山虎は、周囲の地形を魔力の刃で削りながら追跡を断念させようとした。


 そうした追跡劇は、二分にも満たない時間で終わる。

 追い付いたエリクが山虎の尻尾を掴むと、力を込めながらそれを引いて山虎の巨体を地面へ宙へ投げ、そして地面へ叩き付けた。


「ガァァアアアアッ!!」


「ギニィンッ!?」


 地面へ叩き付けられた山虎は口を大きく開けながら痛みを訴え、尻尾を掴んだままのエリクは山虎を周囲の木々や地面へ叩き付け続ける。

 凄まじい轟音と共に周囲の地形は削られ、何度も叩き付けられた山虎は体中に損傷を負い、血を吹き出しながらついに白目を剥いた。


 それに気付いていないのか、エリクは岩壁に向けて山虎を投げ放つ。

 岩壁に激突させられた山虎は夥しい血を流し、そのままずり落ちるように地面へ落ちて倒れた。


 それでもエリクの怒りは収まらず、倒れ伏す山虎に近付く。

 痙攣しながら僅かに息を残す山虎に気付いたエリクは、右拳を握りながら山虎へトドメを放とうとした。


 その瞬間、エリクの周囲から二匹の山猫が飛び出す。

 それ等がエリクの左右の腕に喰い付き、顎の力を強めて止めようとした。


「ガァアアッ!!」


「ギニャアォオ!!」


「ニャォオン!!」


 その山猫達は下級魔獣であり、鬼神の力で暴れるエリクを抑え込めない。

 力強く振り払われた山猫達は逆にエリクに殴打され、一撃で顔面や胴体を殴り飛ばされてながら絶命した。


 しかし別の山猫達が追従するように飛び出し、エリクの身体を切り裂き、更に噛み付く。

 まるで山虎リーダーを守るように飛び出し続ける山猫達がニ十匹以上、エリクの周囲に姿を現した。


「……ガァア……!!」


 山猫達が警戒と戦闘意思を見せながら狭まり、エリクを包囲する。

 囲まれたエリクは再び噛む山猫を振り払い、爪で傷付けられた箇所が瞬く間に治癒すると、正気を失った目で敵意を見せる山猫達を見た。


「――……ガァァァアアアアッ!!」


「ギニャォオオオオオオンッ!!」


 エリクの咆哮に対して、山猫達も吠えながら飛び掛かる。

 上級魔獣である山虎さえ圧倒した力で、エリクは山猫達に対する蹂躙を始めた。


 それは、虐殺とも呼ぶべき光景だったかもしれない。

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