生死の境に


 首周辺から血を溢れ出して倒れるガルドと、口元から血を垂らす上級魔獣の山虎。

 その光景を目撃したエリクは目を見開き、身体に滲み渡る震わせると同時に、山虎がいる方向へ飛び出した。


 エリクは右手に握る複数の石を渾身の力を込めて投げ、山虎に放つ。

 そして姿を現し攻撃して来たエリクに気付いた山虎は横側へ飛び退き、豪速で投げられた石を回避した。


 倒れるガルドと山虎の距離が開き、その合間を遮るようにエリクが走り寄る。

 そして山虎を見ながら身構え、左手に持つ折れた剣を右手に持ち替えながら、ガルドに呼び掛けた。


「――……おい!」


「……」


「おい!」


「……」


 ガルドはエリクの呼び掛けに応えず、動く物音や様子さえ無い。

 それを背中越しに確認したエリクは、ガルドが死んだ事を察した。


「……ッ!!」


 この時、エリクは自分で自覚できる程の感情が湧き出ている事を感じる。

 それを『憤怒』と知らないエリクは、衝動によって突き動かされた。


 エリクは今までに見せない程に素早く突出し、目の前の山虎へ飛び掛かる。

 そして折れた剣を突き出すように山虎へ向け、その顔面へ突き刺そうとした。


 しかし素早くも単調な動きは山虎に見切られ、折れた刃が届くより先に紙一重の距離と素早さで避けられる。

 互いが擦れ違うように身体が横に重なったが、山虎の強靭な尾がエリクを狙い、地面へ叩き落した。


「グ、ガ……ッ!!」


「グルァッ!!」


 体の正面から地面へ伏したエリクに、山虎は前足を素早く上げて爪を出し、叩き突くように踏み付ける。

 その悪寒を感じたエリクは痛みに耐えながら腕と足で横側に飛び転がり、山虎の踏み付けを回避した。


 山虎の爪は地面に深く突き刺さり、土埃を舞わせながら前足を持ち上げる。

 そして逃げたエリクが起き上がろうとするのを阻むように、五メートルの巨体で突っ込んで来た。


「!!」


 エリクは片膝を付けた状態で山虎の突進を見て、再び避けようとする。

 しかしそれを予期していたのか、山虎は自身の周囲から魔力の刃を放ち、エリクの左右を塞ぐように地面を削り取った。


「ッ!?」


 二つの刃はエリクが避ける場所を失わせ、更に回避するタイミングすら失わせる。

 そして僅か三メートルで六十キロ以上の速度まで加速した山虎は、その巨体をエリクに衝突させた。


「――……ガ、ハ……ッ」


「グルゥ!!」


 山虎は凄まじい速度で通り過ぎ、爪を使い停止して身を翻す。

 そして衝突し突き飛ばされたエリクは折れた剣を手放し、衝突した影響で二メートル程まで宙へ身体を浮かばせながら地面へ落下した。


 息が出来ず、更に体中に痛みが走るエリクは動けない。

 ここまで凄まじい痛みを受けた事がないエリクは視界が薄くなり、身体を震わせていた。 

 更に喉の奥から何かがせり上がり、エリクは口から何かを吐き出した。

 

 それは、大量の血。


 エリクは山虎と衝突した際、肋骨を折り肺に折れた骨が突き刺さった。

 それが吐血の原因でもあったが、内臓を始めとした各所にも損傷を受けている。

 重傷と呼ぶには生易しく、瀕死と言ってもいい。


 エリクは痛みに反して体を動かそうとしながらも、身体が思うように利かない。

 無理に動こうとすれば更に血が口から溢れ、苦しい様子で咳き込んだ。


「……ごふぉ……、がは……っ」


「――……グルアァ……ッ」


 血を吐き出しながら倒れるエリクに、山虎はゆっくりと近付く。


 ガルドが魔力障壁バリアを使ってから、山虎は確実に仕留める為に魔力の技ではなく、自身の肉体を使った攻撃を用いていた。

 そしてエリクも魔力障壁バリアを備えている可能性を考え、確実に仕留める為に敢えて魔力で強化した身体でトドメを刺さそうとする。


 ゆっくり近付く山虎に気付きながらも、エリクは動けない。

 そして薄れる意識の中で視線を流し、倒れているガルドの方へエリクは目を向ける。


 恐らくガルドも、今のエリクと同じような攻撃を受けた。

 そして動けない状態で首を喰い裂かれ、トドメを刺されたのだろう。

 それを無意識にエリクは察し、少し先に訪れるだろう自身の死さえ見えたように感じた。

 

「……ぁ……ぅあ……」


 死んでいるガルドを見ながら、エリクは血が溢れる口を動かす。

 そして無意識に左手を動かし、ガルドの方へ手を差し伸べていた。


『――……俺は黒獣傭兵団ビスティアの団長、ガルドだ』


『……びす、がる……?』 


『エリクだったな。俺がお前を、一人前の傭兵にしてやる』


『ようへい……?』


 傭兵団に誘われた時、エリクは初めて会ったガルドにそう言われる。

 そして何も分からないまま腕を引かれ、傭兵団の詰め所へ連れて行かれて傭兵になった。


 それからガルドに様々な事を教わり、八年の年月を共にする。

 そうした中でワーグナーと出会い、王都を出て別の土地へ行き、様々な場所で傭兵団と共に戦った。


 エリクはそうした生活に無表情だったが、心の底では満足している。

 一人で魔物を狩り、誰も居ない老人の家で干し肉を食べる生活より、ずっと楽しかったから。


 しかし、ガルドは死んだ。 

 そして一人になったエリクは、魔獣に殺されようとしている。

 楽しい日々が無くなり、全てが終わってしまうという現実。

 それがエリクの心の底にある恐怖を刺激し、それを手放したくない一心でガルドに手を伸ばした。


「……ガ、ルド……」


 しかし手を伸ばすエリクの傍に、山虎が立つ。

 そして瀕死のエリクを確実に仕留める為に、喉元に喰らい突こうと口を大きく開けた。


 山虎の牙から唾液が滴り、エリクの身体に垂れる。

 それからも逃げるように、エリクは震える手をガルドへ伸ばしていた。


 その時、エリクは薄れる意識の中で声を聞いた。


『――……生きたいか?』


「……」


『お前は、生きてぇのか?』


「……?」


 意識が遠退くエリクだったが、その声だけははっきりと聞こえる。

 自分に問い掛けるようなその声と言葉に、エリクは不思議そうな表情を浮かべていた。


『まだ生きたいのか、それともここで死にたいのか。はっきりしろ』


「……お……れは……」


 そう尋ねる声に、エリクは無意識に答えようとする。

 そして山虎の口エリクの首を捉え、その喉元に牙の先を突き立てた。


「――……生き、たい……」


『そうか。なら、俺の力を使ってみせろ』


 エリクの答えに対して、その声はそう返す。

 そして顎の力を強めてエリクの喉元に喰い破ろうとした山虎は、牙を深く突き刺した。


「――……ァアアアッ、ッァアアッ!!」


「!?」


 その瞬間、エリクは咆哮を上げて身体から凄まじい量の魔力を放つ。 

 それに驚愕した山虎は思わず顎を引き、飛び退いてエリクから離れた。


 エリクから放たれる魔力は赤く禍々しい程に巨大であり、それを感じ取る山虎は悪寒にも似た圧力を受ける。

 その魔力が山全体を覆い、他の動物達や魔物達、そして残る山猫の群れの身の毛を逆立たせた。


 巨大な魔力の塊というべきモノが、その山に突如として出現する。

 そしてその原因を見ている山虎は、魔力を放つエリクの肉体が変化している事に気付いた。


 エリクが流していた血が蒸発し、筋肉が変質するように隆起する。

 更に痛めた肉体が修復され、折れていたはずの骨さえ戻るように完治していった。


 山虎はそれを見ながら驚愕し、得体のしれない何かを見て身の毛を逆立たせながら固まっている。

 そして傷を治したエリクは、赤い魔力を纏わせながら起き上がった。


「――……ガァァア……」


「!!」


 エリクはこの時、瞳の正気を失っていた。

 そして体から迸る赤い魔力を滾らせ、目の前の山虎に正気を失った目を向ける。

 そして拳を強く握り締め、口を大きく開けて山虎に向かって吠えた。


「ガァアアアアアアッ!!」


「!?」


 吠えた瞬間、エリクは右拳を振り翳しながら山虎へ走り出す。

 その速さと速度は先程の比ではなく、一気に間合いを詰めたエリクは右拳を山虎の顔面へ突いた。


 それを辛うじて回避した山虎は、急ぎ飛び退いてエリクから遠ざかる。

 そして放たれた右拳は宙を殴ったにも拘わらず、その凄まじい拳圧は正面の空間を抉るように穿ち、十数メートル先の木々まで吹き飛ばす程の衝撃を与えた。


「……!!」


「ガァア……!!」


 避けられたエリクは標的を目で追い、見られた山虎は野生の勘を最大に働かせる。

 目の前に現れたソレが戦ってはいけない相手だと察した山虎は、一転してその場から逃げ出した。

 そして正気を失ったエリクも、本気で逃げる山虎を追う為に凄まじい速度で走り出す。


 エリクはこの時に初めて、『鬼神』の力を正気を失いながら使っていた。

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