4Fx26 奔流
「苦しくないですか?」
台車へ僕の身体をロープでグルグルに縛り付けた後、小糸さんは心配そうに尋ねてきた。
何故僕がそんな緊縛状態かというと、何か罰を与えられているというわけではなく、揺れる台車から落ちないためにである。そう、僕はこれから台車に乗って敵地へと向かうのである。
平台の上に何枚かタオルを重ね、その上にうつ伏せになってはいるが、ロープによる締め付けがきつくて少し胸が苦しい気もした。しかし小糸さんには「大丈夫ですよ」と、こともなげに返す。今の自分の状態に似つかわしくないダンディな口振りだ。一時の我慢という思いもあるが、急にカッコつけたくなる時ってあるよね。ないか。
残された我々――小糸さん、うさぎ、僕――は、戦力的に下から数えた3人ではあるが、上から数えたほうの先輩とクミを救出しなくてはならない。
今の状況では残る3人で救出に向かう以外の選択肢は考えられない。あの怖がりのうさぎもようやく覚悟を決めたようだ。
作戦については、以下のように決めた。
僕とうさぎが台車に乗り、小糸さんがそれを後ろから押すか、僕が手でパドリングして進む。台車を押すバーには高圧洗浄機のタンクを二台縛り付けておき、うさぎがもっぱら攻撃の主体となるが、可能な場合は僕も攻撃に参加する。そのためにすぐに取り出せるところに水鉄砲も数挺セットしておく。
バーにはすぐに外せる状態で、突っ張り棒も取り付けておく。爆弾はクッションに包み、小糸さんがリュックで背負う。突っ張り棒と爆弾の双方には、簡単に取り付けられるような仕掛けをあらかじめ施しておく。
壁穴を抜ける辺りで、爆弾を突っ張り棒の先に取り付け、タイマーをセットする。それから台車に先行させて“本体”近くまで突入し、その背後から小糸さんが棒を“本体”下部へと突き刺して――爆破。
タイマーの時間については、あまり長いと爆弾をスライムが吐き出してしまう恐れがあったため、とりあえず3分とした。
「ここに椅子付けたりできないかな」
うさぎが僕の背中に家具を取り付けようとしている。象の背中に椅子があるのは見たことがあるが、この子供は同じようにそこに悠々と座ろうとしているのだ。今や台車と一体となり、戦闘マシーンと化した僕ではあるものの、まだ人間としての矜持が残されていたのかも知れない。「バランスの問題が――」などと大人のレトリックを駆使して、小学生のアイデアを一蹴したのだった。
一方、小糸さんは子供用プールを折り畳み始めた。片付けようとしているわけではなく、唐揚げに絞るレモンの巨大版といった感じで、残る酒をバケツへ注いでいるのだ。
「これで丁度お酒もなくなりました」
高圧洗浄機のタンクや水鉄砲に詰めた後にプールに残っていた酒は、バケツ二杯ほどに収まったようである。小糸さんは念のため、それを現場に持って行きたいと言った。僕が酒瓶運搬に使っていたキャリーワゴンに、バケツを乗せて引っ張っていくそうだ。なお、バケツは蓋付きのもので、簡単にこぼれる心配はない。
これで準備は全て整ったわけだ。
僕は軍手を装着しつつ、これから直面する現実に対して、腰も無いのに内心逃げ腰になりながらも、あえて落ち着いた口調で皆に声をかける。
「では行きましょうか」
台車に固定されているために振り返ることは出来ないが、後ろから台車を押す小糸さん、背中に乗ったうさぎの、それぞれが放つ無理に力強い返事が聞こえてきた。
僕たちはこれから始まる大勝負への不安と緊張を胸に、壁穴へ向かっておずおずとバリケードを出発したのだった。
散乱した壁の破片によって足場が悪い中を、僕らは何とか台車で進んでゆく。
後ろから小糸さんが押してはいるのだが、それだけでは全然推進力が足りず、基本的には僕の腕力によって前に進んだと言ってもいい。無事下半身が戻ってきたら、僕は腕だけムキムキ男になっていることだろう。
うさぎは居心地がいいのか、酒運搬の時からずっと僕の背中を陣取り続けている。きっと僕の腕のトレーニングに付き合ってくれているのだろう。ありがたいことである。この戦いが終わったら、ここで培った腕力によって、遠くへ放り投げてあげたい。
こうして僕らは、ようやく壁穴の入り口へと到着した。
見上げればその先には、巨大ゼリーの中に浮かぶ3人の姿が見える。彼女らは死んだように動かないが、実際死んでいるのはそのうちひとりだけと信じたい。
いざ突入といったところで、うさぎが「おしっこがしたい」と言い出した。
僕にはそもそも無縁となってしまった生理現象だが、他のみんなも尿意や便意を一切感じないと語っていたはずだ。
「あら、どうしましょう」とばかり小糸さんが辺りを見回して、うさぎを瓦礫の陰へと連れていった。うさぎには「こっち見んなよ」と言われたが、僕はその手の紳士ではないので安心して欲しい。このナリで小学校の女子トイレを覗いたりしたら、いよいよ妖怪度が増すというものである。
しばらくしてふたりは戻ってきたが、結局“何にも出なかった”そうだ。小糸さんの推察によれば、過度な緊張が尿意として体感されたのではないか、とのことだが、それが正しいのかどうかは証明しようもない。僕はただ、背中で漏らすのは勘弁して欲しい、と願うばかりだった。
うさぎの思わぬ“申告”により中断されたものの、我々は気を取り直して、再び壁穴の奥へと進むことにした。
数メートル先の穴を抜けた辺りから床一面に緑色の粘液が広がっており、さらにその先に7〜8メートルほどの高さまで盛り上がったスライムの“本体”がある。そこには先輩とクミ、ついでに五味君が閉じ込められているのだ。
穴の出口に近づいた頃、僕たちは一旦進行を停止した。ここで爆弾のタイマーを3分後に設定して、そのまま“本体”へと突入すると決めてある。
小糸さんが背中からリュックを降ろして爆弾を取り出した。その後台車から突っ張り棒を外すと、その先にネットに包まれた爆弾を取り付ける。そしてその棒を、床にそっと置いた。
「では魔除けといいましょうか虫除けといいましょうか……ああスライム除けですね」
小糸さんはそう言うと、キャリーワゴンからバケツを持ち上げ、蓋を取ってその中身を頭からかぶった。
唖然として見つめていた僕とうさぎにも、バケツの残りの酒を浴びせかける。
「ひゃっ!!」「うわっ!!」
僕らは思わず悲鳴を上げた。
小糸さんが空になったバケツをその辺に投げ捨てると、それはカランコロンと転がっていった。
「こうしておけば、多少は攻撃を防げると思うのです」
朗らかな小糸さんの声とは裏腹に、うさぎが呻き声を上げている。
「うう……お酒くさい……」
さらに小糸さんはもうひとつのバケツを取り出すと、それを抱えて台車の前へ出た。
「では、これより侵攻を開始します。準備はよろしいですか?」
小糸さんの問いかけに僕は黙ってうなずき、両手に高圧洗浄機のノズルを構えたうさぎは「シャー」と返事した。
小糸さんはバケツの蓋を取ると、目の前の粘液の絨毯へその中身を思い切りぶちまけた。周囲のスライムがドロドロと溶け出し、粘液の海が左右に割れて道が開いたようにも見える。モーゼの十戒のアレのようだ。
そこで小糸さんが大きく息を吸い込み――
「行けーーーー!!」
甲高い声で絶叫した。
「うわあああ!!」「シャーーーー!!」
僕とうさぎもそれに応じて鬨の声を上げながら全力で突き進む。
台車が先行した後から、爆弾のタイマーをセットした小糸さんが棒を携えてついてくる流れだ。
このまま順調に“本体”へたどり着くのでは?と一瞬考えたが、やはりそう簡単にはいかなかった。
周囲のスライムが次々と人型に変化し、僕たちに襲いかかってきたのである。
ヌルヌルした顔のない緑色のそれは、粘液より湧き出てきては、その両腕で僕たちに掴みかかろうとした。
うさぎが何やらわめきながら、高圧洗浄機でスライムを撃ちまくっている。僕も目の前の敵を水鉄砲で攻撃しつつ、倒したら進むを繰り返す。
少しづつ前には進んでいるものの、次から次へと人型スライムが現れるため、なかなか先に進めない状況が続いている。
“本体”へ爆弾をセットするためには、もう少し先へ進む必要がありそうだ。しかし、タイムリミットが迫っている。あとどれくらいだろうか。それとも今さらタイマーの設定し直しなんてできるのか。
「小糸さん、時間は……」
声をかけようと後ろへ首を向けると、彼女は突っ張り棒を両手で高く掲げ、周囲の敵からの攻撃は身体を捩って躱しつつ、うさぎの必死の迎撃によって何とか守られている状態だった。
僕らがたどってきた背後の道もスライム達に回り込まれ、うさぎの射撃だけでは奴らに呑み込まれるのは時間の問題と思えた。しかも僕は進路確保のために正面からの敵を倒さねばならず、援護することがかなわない。
敵がジワジワと迫ってきて、次第に僕らの行動範囲が狭まっていくさなか、うさぎが泣きそうになって叫ぶ。
「ミチスケー!もうダメだよこれ……あ――」
そこでうさぎの泣き言が止まった。
小糸さんが突如、台車の前へと躍り出たのだ。
それはまさに素早い助走だった。
彼女は前方で構えるスライム共の手前に左脚を踏み込んだ。続けてもう一方の右脚を思い切り蹴り上げる。
その俊敏な挙動により、彼女は前方斜め上へと高く飛び上がった。右手には掲げるように突っ張り棒が握られている。
空中で彼女の身体が海老反りにしなり、その反動を利用して、手にした突っ張り棒が力強く放たれた。
棒はハイスピードで宙を高く昇った後、その先端に装着された爆弾の重みによって、山なりに落下してゆく。重力により加速度を増したそれは、斜めに“本体”下部へと深く突き刺さった。
爆弾の設置がこれで完了した。
その一連の動きは実に鮮やかであって、かの有名ロボットアニメでのチート武器投擲シーンを思い起こさせるほどだった。
僕は賞賛を込めて、あの棒に“ロンギヌスの突っ張り棒”の名を授けようと思う――などとほざく前に小糸さんはどうなったのだろうか?
今まさに、彼女は仰向けの状態で、蠢く粘液に呑み込まれようとしていた。
腹部を守るためか空中で身体を捻り、そのままスライムの上へと落ちていったようだ。
「小糸さん!」
彼女を助けようにも、人型スライム共に邪魔をされて近づくことが出来ない。
しかし粘液へと沈んでいく小糸さんの表情は、どこかしら晴れやかで、無抵抗のままその身を委ねているようにも見えた。
やがて彼女は、もはや手の届かないところまで引きずり込まれてしまった。その身体は粘液の中を、まるで海中を漂うかのように移動していく。恐らく小糸さんの身体は、先輩らのいる“本体”の頭部へと向かって運ばれているようだ。
「ちょっとー!ミチスケも撃ってよー!」
僕は小糸さんが運ばれる姿を一瞬ぼうっと眺めてしまっていたのだが、うさぎの叫び声で我に帰った。
「うさぎちゃん!ここから脱出しないと!」
僕は気を取り直し、今は小糸さんたちを助けることよりも、まずはここを離れて安全な場所へ向かうことが優先と考えた。
ここでこのまま爆発を待っていたとしても、最悪のケースである“爆弾の不発”という事態となった場合に、いずれスライム共に呑み込まれることは避けられないと思ったからだ。全員が捕えられてしまえば、もはや他に助ける者もなく、“標本”として永遠の時を過ごすハメになるかも知れない。
「分かってるってばー!」
うさぎは僕の背中の上で全方位に向けて射撃を繰り返している。
僕は台車を出口へ向けてくるりと反転させた。
「前に集中させて撃つんだ!」
出口へと向かうためには脱出の道筋を確保しなければならない。
うさぎはひたすら前方の敵に向けて連射を始め、僕は台車をジリジリと進めた。
だが攻撃を前面へと集中させたために、どうしても背後の守備が疎かになる。とにかくスピードを上げて逃げ切る目論見だったが――
「ふぎゃっ!」
うさぎが変な声を上げた。僕の背中がフッと軽くなる。
首を捻って見上げると、うさぎが宙に浮いていた……いや、うさぎは人型スライムに背後からスリーパーホールドをかけられ、その身体ごと高く持ち上げられていたのだ。
首にかけられた腕を両手で掴みながら、うさぎはひたすら脚をジタバタさせている。
慌てて水鉄砲を撃ち込もうとするも、台車に身体を縛り付けているためにうまく標的を定められない。
「うにゃあああぁぁぁ……!!」
やがてうさぎは、叫びながらそのまま粘液の海へと引きずり込まれていった。
「うさぎちゃああぁぁん……!!」
またも僕は、それを見ていることしか出来なかった……
僕は本当に無力だ。誰ひとり助けることがかなわない。さらにこのあと、ここから自分だけで脱出など可能なのだろうか……
地べたを這いずることしか出来ない、そんな自分に絶望していたその時――
風船の破裂を思わせる大きな音が鳴った。
と同時に、前方から大量の水しぶきが全身に襲いかかる。
その激しさに顔を前に向けていられず、思わず腕で防ぎつつ顔を伏せた。
ついで膨大な量の水が流れ落ちる音が響き、この空間を底のほうから震わせる。さらには、粘性を失った緑色の物質が、猛り狂った奔流となってこちらへ流れ込んできた。
僕の身体は台車ごとそれにさらわれ、急激な土石流に翻弄される軽自動車のごとく、あらゆる方向へと回転させられた。逆巻く激流に、ひたすら強い勢いで押し流されていったのだった……
やがて僕を乗せた台車は、何かにぶち当たってその動きを止める。
衝突のダメージと激しい回転からくる目眩からようやく回復してきた頃、僕は今の自分の状態を次第に把握しつつあった。
どうやら壁に空いた窪みのようなところへひっくり返った状態で嵌まり込んでいるらしい。暴れ狂った水流は今や引きつつあり、その窪みには緑色の液体が流れ込んでいる様子はなかった。
なかなか体勢を立て直すことがかなわず、しばらくは両手をバタバタさせては身体を捻ったりしていた。やがて壁にあったちょっとした出っ張りを利用して、何とか台車を元の体勢に戻し、やっとのことで今の場所から外を臨むことが可能となった。
「……」
窪みの中から見る光景に僕は息を呑んだ。
あの聳え立っていたスライムの“本体”はすっかり姿を消していた。
緑色の液体は床一面に広がり、既に流れることをやめているようだ。
かつて“本体”があった辺りに目をやると、何か黒いものが動いているのが見える。
「……先輩!」
それは胸から下を緑色の液体に沈めた先輩の姿だった。
顔にへばりついたスライムを剥がすのに苦戦している様子だ。
その近くには腹と両腕だけを水上に出した小糸さんが、両手で腹をさすっていた。さらにそのそばではクミの腰から下だけが表に出ていて、その脚をバタつかせている。
皆どうやら、液に浸かっている箇所は動かすことが出来ず、そこから抜け出せないようにも見える。
五味君の姿が見えないが、彼は液体の中に沈んでいるのだろうか。それとうさぎは――
その時、何かがこちらへ向かって動いていることに気付いた。
緑色の湖面をゆっくり転がってくる――それは例の青い球だった。
もしかすると自律的に動くことの出来る球なのだろうか?と思いきや、その後ろから何かが球を押しているのが見えた。それは腰まで液体に浸かったうさぎだった。
球は何とか壁穴近くまでたどり着いたが、そこからパタリと動かなくなった。
「ダメだー、もう動けないよー」
うさぎの嘆く声が聞こえてくる。
やはりこの床を覆う緑色の液体は、徐々に硬化していっているのか。
壁の窪みから手を伸ばして確認してみると、表面はヌルヌルしているが、その下は既に固くなっている様子だった。
僕は恐る恐る台車のままそこへ降りてみる。滑りやすいが何とか前には進めそうだ。
「うさぎちゃん、大丈夫?」
青い球のところまでたどり着いて、うさぎの状態を確認すると、また泣き顔になっている。
「足がもう動かないよぉ……」
うさぎの腰から下はガッチリ固められている様子で、そこから先に進めない状態のようだ。
うさぎをそこから引っ張り出そうとしても、僕の力では無理だった。やはりまたアルコールで周りを溶かしていくしかないのだろうか。
とりあえず青い球も動かせなくなると困るので、それを預かると台車に乗せた。だが、球が転がらないようにしつつ台車を進めるのは困難であるため、胸の下からクッション代わりにしていたタオルを引っ張り出すと、球を頭に乗せてそれをタオルで覆い、顎のところできつく結んだ。
うさぎが僕の姿を見てゲラゲラ笑ったが、そんなにおかしいだろうか?鏡を見て確認も出来ないし、そんなことを気にしている状況でもないので、僕は次に先輩の様子を確認するため台車を進めようとした。
――そこでそれは再び現れた。
“本体”跡地となる場所に一箇所だけ液体が硬化されていない直径1〜2メートルほどの穴があり、そこが突然泡立つようにボコンと盛り上がった。
やがてそれがどんどん膨れ上がり、人間の身長ほどの高さとなってこちらへ迫ってきたのた。
また人型スライムか。いや、人型というほどにはハッキリとした形を持たないが、左右に飛び出したドロドロとした突起が両腕のようにも見える。
いずれにしろ僕のほうを目指して動いているのは確かなようだ。
「テケ松!台座に行け!」
先輩が異様にしわがれた声で叫んだ。
スライムに閉じ込められているうちに、すっかり老婆化してしまったのだろうか。あの美しく気高く傍若無人にして傲岸不遜なる先輩が……
いや今はそんな慨嘆よりも、自分がここで捕まってしまうこと心配すべきである。全員が膠漬けみたいな状況は第一に避けなければいけない。
さらに先輩は、僕が“台座”へ向かうことを望んだ。
そう、それがここを脱出するための唯一の手段となるはずなのだ。
僕は追ってくるスライムを尻目に、台車を反転させると、このエリアの出口となる壁穴を目指した。
日用品、台所用品売り場を通過し、DIYコーナーへと台車を手で漕いで向かう。
時折背後を確認するが、追手はまだ追いついてこないのかその姿は見えない。
やはりスライムは、頭に乗せたこの青い球の守護者ということなのだろうか?それを守る理由も何もかも分からないことばかりだが、とにかく僕たちはこの球にすがるしか道は無い。
ようやく当初空けた穴までたどり着くと、そのまま真っ直ぐに台座の方向へ向かった。
少し上り勾配となった先に、“4”の数字が刻印された台座が見える。
心なしかそれは神々しく輝いているようにも感じた。
今頭に乗せている青い球が、次のステージへ向かうための“鍵”となることを、その根拠を問われれば甚だ怪しいとしても、僕は不思議と確信していた。
僕が心に抱く脱出への希望が、台座を光り輝くように見せているのかも知れない。
台座に到着して、いざ球を乗せようとしたところで僕は大事なことに気付く。というか、ここまでこれに思いが至らなかった僕はアホなのか。この点については先輩に口汚なく罵られたとしても仕方がない。
単純な話、台車を降りないと台座の上に登れないのである。
僕は台車にロープで縛り付けられており、これを解かないと降りることが出来ない。しかも小糸さんにギュウギュウに縛ってもらったので、簡単に解くことが出来ないのだ。
そこで僕は記憶をたどる。
たしか最初に穴を開けた時に、工具類がバラバラと落っこちてきたはずだ。
僕はノコギリでロープを切断することを考え、存在しない踵を返そうとすると――そいつが現れた。
スライムが僕を追って来たのだ。
もはや人型とは呼べないような形をした存在が、僕の目の前に対峙した。爆発のせいなのか、その内側から湧き上がり続けるドロドロとした粘液が、そいつを何がしかに形成しようとして失敗しているようにも見える。
奴はその両腕のように身体から飛び出た触手を、こちらに向けてニュルニュルと伸ばしてきた。
既に台車を自分の身体のように操るまでに至った僕は、床についた右手を軸に台車全体を素早く回転させ、その攻撃を鮮やかに避けてみせた――と思いきや、バランスを崩してひっくり返りそうになるところを、もう一方の触手が狙い撃ちしてきた。
まるでムチがしなるようなスピードであり、そいつをまともに喰らったら脳震盪を起こしてぶっ倒れそうだ。
強打を恐れて咄嗟に顔を伏せると、触手は僕の頭の上を思い切り叩いた。
「あっ――」
頭に巻いていたタオルが外れ、青い球が宙へと飛んでいく。
その勢いのまま触手がバーへと絡み付き、スライムは僕を台車ごと高く引き上げた。
宙吊りとなった僕は、逆さまになりながらも、青い球を目で追う。
それは空中で楕円の軌道を描くと、何かに引き寄せられるようにストンと落下した――そこはまさに台座の上だった。
ブウウウウウゥゥゥゥンンン……
機械が作動するような音を上げて台座がうなり出す。
そしてそれは白い光を放ち始める。
これで僕たちは元の場所に戻れるのだろうか?……いや、実を言うとそこはあまり期待していない。
今ここは四階だから次はきっと三階なんだろうなと思っている。
多分一階まで行ってフロントで領収書をもらわないと出られないんじゃないかな。そういうリアル脱出クソゲーなんじゃないかな、これは。
色々理不尽なことばかりだが、その辺のルールにはちゃんと従うので、そろそろ下半身を返してもらえないでしょうか?
逆さまの状態で僕はひとり、どこに向けていいのか分からない祈りを捧げていた。
やがて世界は真っ白に塗りつぶされた。
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