4Fx22 列車
もう何往復目かの酒運搬作業で“壁”へと向かう途上、立ち並ぶ日用品雑貨の陳列棚の合間から、何かが素早く飛び出してきた。
「!」
すわ敵の襲撃かと、思わず腕で顔を覆ったが、襲いかかってくるでもなく、それは台車に乗った僕の目の前にただ立ち塞がった。
「ミチスケ、トーマスみたいじゃん」
そいつは猫のような細長い瞳孔で、興味深げに僕の姿を眺めている――うさぎだった。
人間機関車呼ばわりされているのは、台車の後ろにキャリーワゴンを二つ連結しているからか、それとも台車の上で腹這いになって漕いでいるからか。
「へー、お酒運んでんだ。キアリンは?」
「ああ、小糸さんにはプールにお酒を貯めてもらってる」
「いいなあ!うさぎもプールに入りたい!」
いや、人の話をちゃんと聞いてるのか。うさぎの耳は馬の耳なのか。君は小学生にして、人生の成功者みたいに酒風呂に入浴したいというのか。
そんなしょうもないことを思い浮かべていると、目の前からうさぎがフッと消えた。
「うっ」
それと同時に背中へズシンと重みを感じる。
どうやらうさぎが僕の背中に飛び乗ったらしい。
「ちょ、こら、うさぎちゃん。降りなさ――」
「しゅっぱ〜つ!」
背中からうさぎの元気な掛け声が聞こえた。その溌溂とした響きに、僕は何故か注意する気が失せてしまう。子供はやっぱり元気なのが一番だよね……
親心のような諦めのような屈辱のような、そんな万感の思いを込めて、子供を乗せたトーマスは改めて目的の地へと動き出すのだった。
“壁”近くまで辿り着くと、小糸さんがペットボトルの焼酎をドボドボと子供用プールに注ぎ込んでいるのが見えた。そのそばには、起床して間もないと思われる先輩が立っており、相変わらず黒下着だけを身に付けて脇腹をボリボリと掻いている。
先輩がいつまでも下着姿である理由は、背中の翼が邪魔で服が着れないからだそうだ。下だけでも何か身に付けられるではと思ったが、「下だけ履かないというのはアリだが、下だけ履くというのはナシ」だそうで、僕はその価値観を全く理解できていないけれども、「そうですね」と言っておいた。先輩とは違うやましい理由により、僕も先輩がズボン等を履かないことには賛成である。
僕の背中に乗ったうさぎが、よく知らないアニソンらしきものを楽しげに歌っている。
寝起きの先輩は、まるで“電車ごっこ”に興じているみたいな僕らを、あくびを噛み殺した後にそいつを吐き捨てたかのような凶悪極まる表情で睨みつけた。
「お前ら、遊んでんのか」
僕が慌てて小学生に“乗車”された経緯やらハンディキャップを抱えながらの運搬の苦労等をアピールしている途中で、先輩はまるで興味を失ったように子供用プールを覗き込み、その顔を渋くしかめた。
「酒のにおいすげえな――」
それから面を上げてクサい顔のまま皆をひとしきり眺めた後、“壁”を見上げては面倒くさそうに口にする。
「じゃあリハーサルすっか」
爆弾設置リハーサルは特に大きな問題もなく順調に進んだといえる。
小糸さんが鍋を打ち鳴らし始めると、先輩は翼をはためかせて宙へと浮き、どこかへ走り去ったうさぎが、パンダの着ぐるみを着た小さな姿で戻ってきた。
初めに先輩とうさぎと僕の3人は腰にベルトを装着した。これはロープを結び付けるためのものである。ただし、僕に関して厳密に言うと、ベルトを装着するのは“腰”でなく“胸”だ。
さらに僕とうさぎは、首からホイッスルをぶら下げた。これについては危機に瀕した際に、先輩にロープで引っ張り出してもらうための合図用である。
そこからようやく先輩による天井の隙間への運搬作業の開始となる。
まずは酒を充填した水鉄砲を抱えた僕を、運び込む。それから釣り竿、爆弾と続き、最後にうさぎを連れて行く。なお、爆弾については、リハーサルでは3kgのダンベルを使用した。
それから僕とうさぎは、それぞれ先輩と7メートルほどのロープで繋がれる。ロープの先には金具がついていて、ベルトに接続できるようになっている。こういった小道具の準備は、全て小糸さんがおこなったようだ。先輩とうさぎがやるわけがない。
その後僕が、爆弾を穴の奥へと持って行く。ただし僕が進むことのできる限界までである。本番ではここで爆弾のタイマーをセットすることになっていた。本来であれば、縦穴へと降ろす直前が良いのだが、うさぎにそれを任せるのは不安だからである。なお、設定は10分後を予定している。
そこからうさぎが代わって縦穴まで進み、釣り竿の先の籠に爆弾をセットすることになる。そしてうさぎのセッティング完了の合図をもって、リールで慎重に爆弾を降ろしてゆく。
本番では、爆弾が降り切ったところで全てを放置して逃げ出す予定だが、今回はリールを巻き上げ、釣り竿を片付けて戻ることになる。釣り竿をそのまま置いておく案もあったけれども、本番までの間にスライムに破壊されることを懸念して、きちんと持ち帰ることにした。
リハーサルも無事終わり、とりあえず反省会の体で皆で集まったものの、拍子抜けするほど予定どおりに進んだので、特にこれといった意見は挙がらなかった。
穴からロープで引っ張り出されるテストも本来必要なのではないかと思ったが、必ずしも本番でそれが要求される状況になるとも限らないし、何より僕もうさぎも高さ10メートルのところから引きずり出されるのは怖かった。今回はスライムに邪魔されることはなかったが、本番でもそうなることを願うしかない。
リハでの指摘に関しては、強いて言えば、爆弾を縦穴に運ぶ際は細心の注意を払ってね、と僕がうさぎに言ったことぐらいか。
穴の狭さとうさぎの腕力の点から、どうしても爆弾を押して進むしかなく、床面に凹凸が少ないので然程心配する必要はないのかも知れないが、リハ中の爆弾代わりのダンベルの扱いが結構粗雑だったので、若干気になっていたのだ。
うさぎは「おっけー、わかったー」と心配になるほどライトな調子で僕の教育的指導に応えた。本番での実際の爆弾であればもっと慎重になるはず……と信じたい。
反省会がすんなり終わったのは、先輩がほとんど何も発言しなかったからという理由もあった。
先輩はすっかり爆破後の戦闘に意識が向いていて、会議中にシャドーボクシングを始める始末だった。果たしてスライムにパンチを繰り出す状況などあるのだろうか。
思えば僕らを天井に運んでいる時、実につまらなそうな顔をしていたので、退屈な作業の反省会など退屈の二乗なのだろう。「先輩、最後に何かありますかー?」と訊いたら「おう、みんな頑張ろう」と訊かなくてもよかったテイストの言葉を返してきた。
その後はクミの爆弾完成まで、酒の運搬をおこなうことになる。
なお、先輩は飛行訓練がしたいと言い出し、空を舞い始めた。小糸さんの厨神楽がなくても、ある程度の時間は飛べるようになったみたいで、無駄にアクロバティックな飛行を試し、小糸さんから拍手喝采を受けていた。しかしこのコウモリ女、酒を運ぶ気はゼロのようである。
うさぎも先輩と同様に厨神楽なしでも、しばらく小人化していることが可能になった。元に戻る時には、身体がムズムズし出すので分かるそうだ。リハーサルが終わった段階でも子パンダの状態で、このまま本番までいくとのことである。これはすなわち、酒を運ぶ上ではほとんど戦力外ということである。
身重の小糸さんが酒運搬の手伝いを申し出たが、僕は男らしくキッパリと断り、ひとりで運ぶという悲痛な決意を固めた。そしてトレインにもう一台キャリーワゴンを連結し、載荷量をアップさせたのである。運転はしにくくなるが、これは仕方がない。
こうして僕は貨物列車に転生し、売場との往復を粛々と繰り返すのだった。
ちなみにこの運搬作業において、うさぎが小人化することのメリットがひとつだけあった。それは背中が軽くなったことである……
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます