4Fx18 冷蔵

 なし崩し的にだが、結果としてラッキーというか気が楽になったといえる誤算があった。僕がうさぎの面倒を見る必要がなくなったのだ。

 うさぎが目を覚ましたのが、丁度先輩や小糸さんが起床した頃で、一旦は大壁で穴開け作業をしている僕のところへ来たものの、小学生はあまりの退屈さにすぐにどこかへ行こうとした。クミが作業している建材コーナーには近づかないよう忠告すると、うさぎは本当に分かっているのか疑問に感じるほど調子のいい返事をして、元気よくどこかへ走り去ってしまった。

 始めのうちは放って置いてもいいだろうと考えて、そのまま作業を再開したが、穴を削り続けるうちに何だか段々心配になってきて、僕はとりあえずうさぎの行方を探すことにした。「チーム子守」リーダーである自覚が、僕を突き動かしたのかも知れない。

 まずは近づいてはいけないと言った建材コーナーに向かった。行くなと言われれば、逆に行ってしまうかも知れない。その辺を踏まえた忠告をすればよかったのだが、具体的にどうしたらいいのか分からない。むしろ近づけないぐらい怖いものが建材コーナーにある、という設定にすればよかったのだろうか。うさぎが怖いものって何だろう?やはり幽霊とかだろうか。今度探りを入れてみよう。

 あれこれ考えながら建材コーナーに着くと、クミが床にマットを敷いていた。今は爆弾作りはおこなっていないようだ。周囲には素材と思われる物やら鍋やらがあちこちに散らばっている。

「あ、さっきキアリさんも来て、そろそろ寝る時間だって伝えてくれました」

「爆弾作りは順調?」

「ええ、明日には爆発の実験が出来ると思います。あ、明日っていうのは――」

「ああ、クミちゃんが寝て起きたらってことね」

「はい、そうです」

 明日の概念は、文脈によっては先輩基準から各個人のものに変わるのである。その辺に妙にこだわっているのは、自分だけな気がしてきた。

「あ、ここで寝るの?」

「はい、しばらくはここに籠ろうかと」

 クミが敷いていたマットはやはり寝るためのもののようだった。

「それで……うさぎちゃん、こっちに来なかった?」

「いえ、来てませんけど……もしかして行方不明なんですか?」

 意識し過ぎなのかも知れないが、クミの眼からどこか非難めいたものを感じる。「子守という子供と遊んでいれば済むような簡単な仕事さえまともにこなせないこの無能が」と思っているに違いない。

「い、いや先にホビーコーナーに行ってる筈なんだけどね。もしかしたら言うこと聞かずに、途中ここに寄り道したりしてないか確認をね。じゃ僕もそっちに向かうので。おやすみ」

 そう言って逃げるように僕はクミのもとを去った。ホビーコーナーに向かいながら、途中で建材コーナーに寄るというのはコース的に少し無理があると思った。

 その後、おもちゃで溢れる最も子供が好みそうなホビーコーナーに辿り着いたものの、そこにうさぎの姿はなかった。一体どこへ行ってしまったのかと考えていると、微かに金属を叩くような音が聞こえてくる。僕らが根城にしているインテリアコーナーからだ。

 おそらく厨神楽が始まったのだ。

 僕はうさぎの行方を探すという名目もありながら、厨神楽がどんなものかを見てみたいという興味もあって、そのままインテリアコーナーへと向かった。

 小糸さんらは「本部」でそれを執りおこなっていた。邪魔をしないように少し離れた場所から覗き見るようにして、彼女たちの振舞いを眺めた。

 ひっくり返した鍋の底を外側からおたまで叩きながら、小糸さんが何か御詠歌のようなものを歌っている。普段話をしている感じからは想像がつかないなかなか張りのあるいい声だ。その向かいには先輩とうさぎが並んで座り、二人共に眠っているのか目をつむっているようだ。

 とりあえずそこにうさぎがいたので安心した。このまま「チーム子守」を脱退して「チーム飛翔」に移籍してくれないだろうか。だが、うさぎがいなくなったらもう「子守」を名乗れなくなるではないか。別に名乗れなくていいけど。

 先輩もうさぎも全然動いていないが、厨神楽とはああいうものなのだろうか。この後何か展開があったりするのか。先輩とうさぎは長時間じっとしてられない人たちではないのか。そんなことを思いつつも、いつまでも覗き見しているわけにもいかないし、とりあえずうさぎは小糸さんに任せておけば大丈夫だろうと考え、穴開け作業を再開するために大壁へと戻ることにした。

 壁の穴はおよそ8時間ほどかけて、やっと40センチほど掘り進んだ程度である。

 圧力鍋が入るサイズ――直径30センチほどの穴で十分と言われていたが、今後掘り進めていくためにはどうしても穴に身体を入れる必要があり、肩幅を考慮して結果的にその倍の直径が必要だった。

 それにしてもひたすら単調な作業である。壁に強い酒をかけて、少し柔らかくなったらそこをノミでカリカリと削っていくのだ。しかし本当は、僕にはこんな仕事が向いていたのかも知れない。何故営業の仕事なんかに就いてしまったのだろう。


 作業を再開してからもう何時間経ったのか。単調な作業故に、つい眠ってしまいそうになる。途中ノミを握ったまま、居眠りしてしまったこともあった。何しろ僕は、よくよく考えると24時間以上寝ていないのである。

 必然的に休憩の頻度は多くなった。やぐら作りの時に敷かれたマットがそのままにしてあるので、時折そこに寝っ転がってはボーっと天井を眺めるのが常である。

 インテリアコーナーからは断続的に厨神楽の音が聴こえてきた。音が鳴るのは一回につき大体20分ぐらい。鳴らない時間も結構長く、その間一体みんな何をしてるのかは不明だ。

 厨神楽の音が丁度途切れた頃、作業を再開しようとマットから身体を起こした時、向こうからクミが歩いて来るのが見えた。

「おはようございます!」

 彼女の挨拶はいつになく元気だ。

「あ、ああ、おはよう。僕が寝ていい時間になったってこと?」

 クミは笑顔でうなずいた。やっと寝られる。僕はホッと息をついた。

「進捗どうですか?」

 僕に割り当てられた16時間のうち、前半は40センチほど掘り進められていたが、後半はペースダウンして30センチ行くか行かないかぐらいである。

 彼女は穴を覗き込むと一瞬「思ったより進んでないな」という表情になったが、それを悟られまいとしてか瞬時にして貼りつけられたような笑顔を見せて「結構進みましたね」と爽やかに言った。

 そんなに気を遣わなくてもいいのに。

 先輩であれば「誰でもできるようなこんな仕事もまともに進められない、この劣化版単純労働者が」ぐらいのことは言うに違いない。

 そう言えば、あの件についてクミにも話しておいたほうがいいだろう。

「それで、うさぎちゃんなんだけど――」

「あ、ここに来る途中、音が鳴ってたんでちょっと『本部』を覗いてきました。うさぎはおとなしく座ってましたね」

 この場にうさぎがいない理由については、あらかじめ分かっていたようだ。

「あの子、あんな感じで退屈しないのかな?」

「うーん、どうでしょう……それに、あれってうさぎにも何か効果があるんでしょうか?……まあ、おとなしくしてくれるからいいですけど」

 その後僕はクミにおやすみを告げると、インテリアコーナーにある自分のベッドへと向かった。

 途中、「本部」の横を通過するのだが、「チーム飛翔」の三人はそこでボードゲームで遊んでいた。ホビーコーナーで見つけたものだろう。

「あーっ、ミチスケ!ミチスケも一緒にやる?」

「いや、僕はもう寝るから」

 うさぎの誘いを断り、僕はまっすぐベッドへと向かった。

 厨神楽をやってない間は、ああやってみんなで遊んでいたのか。「チーム飛翔」は楽しそうだな。「チーム爆弾」もひとりだけだが、自分の興味があることに夢中になってるみたいで、とても充実しているようだ。それに比べて「チーム子守」は……「子守」って……

 僕はそのままベッドへ突っ伏すと、眠りの淵へと落ちていった。


 カンカンという金属音で目が覚めた。

 先ほどベッドに横たわってから、そんなに時間が経っていないようだ。

 そうか、この場所は「本部」から近いために、厨神楽の音にモロに睡眠を妨害されるのだ。

 大壁のそばにあるマットで寝ようかとも考えたが、あそこはスライムの出入口の直下であり、壁に穴を開けた恨みをもって襲ってくるかも知れない。

 この後どうすべきか考えつつ辺りを見回すと、ふと目に入ったものがあった。隣の家電コーナーだ。

 僕はその辺にあるクッションを手にして、今目にした場所へと向かう。

 そしてそびえ立つ白い大きな箱を見上げた――冷蔵庫である。

 今の僕のサイズであれば中に入れるのではないか。さらには外からの音も遮断してくれる筈だ。入ったことがないので確証はないが。

 中の仕切りは取り外し可能だったので、それらを全て外してクッションを詰め込む。中に入ると、今の身体のサイズにジャストフィットして、これが中々快適であった。扉を閉めると僅かに金属音は聞こえるものの、気になって眠れないという音量ではない。むしろ少しは外の音が聞こえたほうがいいだろう。さらには真っ暗になるというのも眠るには良い点である。ここでは緑の物質が発光しているため、どこもかしこも明るいのだ。

 扉を閉めてから、もしこれが中から開かなかったらどうしよう?と一瞬ヒヤリとしたが、特に問題なく内側からも開閉可能だった。

 それにしてもここは妙に落ち着く。すぐに眠気が意識を覆っていくのを感じる。

 そのまま僕は、この小さな密室で本日二度目の就寝の時を迎えるのだった……


 爆発音で目が覚めた。

 冷蔵庫の扉越しなので、さほど大きな音とは感じなかったが、身の危険を察知すべく動物的本能にあらかじめインプリントされた音なのか、とにかく反射的に目を覚ました。

 扉を開けて冷蔵庫を出ると、僕は音のした方向へと向かう。

 まだこの時点では僕は半分寝ぼけていて、そこに向かわなければならないという謎の使命感に身体を突き動かされていた。

 道すがら、徐々に意識がはっきりしてくる。

 ……あの音は、スライムの襲撃だろうか?……そう言えば――クミが爆弾の実験をすると言ってたような……

 僕はその場に立ち止まった。

 別に慌てて飛び起きなくてもよかった気がする。

 爆発はやはりあの大壁だろうか。僕の開けた穴に爆弾をセットしたのかも知れない。

 冷蔵庫に戻って寝直そうかとも考えたが、せっかく起きたのだから実験の結果を確認してからでもいいだろうと思い直し、僕は大壁へと向かった。

 途中「本部」の横を通ったが、そこに三人の姿はなかった。みんなも爆発の結果を見に行ったのだろうか。

 大壁に着くと、クミが真剣な表情で壁の穴を見つめていた。他の三人はここにはいないようだ。

 たしかに壁の穴は広がっていた。直径2メートルぐらいはある。大人でも立ったまま余裕で入れるほどの大きさだ。奥へと向かってどの程度破壊できたのかは、もう少し近づかないと分からない。

「結構、広がったね。穴」

 僕が声をかけると、破壊状況の確認に集中していたからか、クミは少しびっくりした様子を見せた。

「あっ、ミチスケ君、どこ行ってたんですか?みんな探してましたよ」

 あ、そうか。寝る前にちゃんと伝えるべきだったな。

「えーと、冷蔵庫の中に……」

「冷蔵庫⁉︎」

 クミに対し「冷蔵庫――それは下半身無き者だけが特権的に享受出来る至福の聖域サンクチュアリ」という全く共感されない話をした後、僕は他の三人の行方を尋ねたが、彼女たちがどこへ行ったかはクミも知らないらしい。

「実験を始めるので、ここには近づかないでくださいとお願いしただけですけど……」

 爆破された壁の穴を確認すると、それは2メートルほど奥へと進んでいた。

「思ったより威力が出なかったんですが、いくつか改善点が見つかったので、次はもう少し爆破できると思います」

 それでも僕が丸一日かけて削った量を上回る規模を、一瞬にして破壊してしまったわけで、あの眠気に耐えてコツコツやった作業は一体何だったのか、と少し切なくもなるが、テクノロジーの進歩の陰には常にそんな悲哀や虚しさがつきまとうものなのだ、と分かったようなことを言ってみる。

 しかしこの穴をどれだけ進めれば、壁の向こう側に辿り着けるのだろう。それから、スライムがこれに危機感を感じて襲撃してこないかという心配もあった。

 ふと遠くからカーンカーンと金属音が聞こえてくる。また厨神楽が始まったのか。しかしその音は段々とこちらに近づいてくるように思えた。やがて売り場の棚の陰から、おたまで鍋を叩きつつ不思議な歌を歌う小糸さんが現れたのだった。

 どうしてここで……と、怪訝に思っていると、急に後ろから誰かに両脇の下を掴まれた。

「え⁉︎」

 ――と同時に、僕の視点はどんどん上昇していく。いや、上昇しているのは視点と言うより、僕の身体そのものだった。

「うわあああぁぁぁ!」

 僕は思わず叫びを上げる。

 下を見降ろすと、クミが驚いた表情でポカンと口を開けたままこちらを見ていた。

 僕は何かに掴まれて上へと引き上げられているようだ。

 意を決して上を見上げると――そこにあったのは宙に浮かぶ先輩の顔だった。

「ひいいいぃぃぃぃ!」

 僕はその時心底恐怖を感じて、空中でのたうち回るようにジタバタと身体を動かしていた。

「おいこら、動くな!」

 先輩の首がしゃべっている!

 やがて僕の身体は動き回ったせいで脇の下を掴んでいた手から外れ、背中を下にして落下していった。

 僕はその時やっと状況を理解した。

 落下してゆく僕の目に映ったのは、黒い翼を広げて空中に浮かぶ先輩の姿だったのだ。

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