4Fx16 神楽
小糸さんのえらく長い話が終わって、先輩が発した言葉は一言というか一文字だった。
「で?」
いや確かに小糸さんが何でそんな話を始めたのかについては大変疑問が残るのだが、それにしてももうちょっと言い方があるだろう。小糸さんの家系の一大叙事詩みたいなもんだったのだから。
クミは小糸さんの話を聞いてボロボロ泣いていた。彼女は目から紫色の涙を流しながら、こみ上げるものにむせつつ問いかける。
「キアリさん……グッ……その後お母さんとは……グフッ……会えたんですかぁ?」
「いえ、母とは列車で別れてそれっきりです。後で探したんですけど、全く手掛かりが掴めませんでした。みくりや自体も祖母が亡くなると同時に分裂してしまい、今や消滅してしまったと言ってもよいと思います」
クミはそれを聞くと、再びうううと泣き崩れた。涙を拭うハンドタオルが紫色に変色している。アレを食らえばまた昏倒してしまうだろうと考えると、僕は自然と身構えた。
しかし先輩といいクミといい、方向性は違えども、何か反応が極端過ぎるのではないだろうか。このメンツの中で最もバランス感覚が優れていると自認する僕は、小糸さんに対し、的確にして妥当なる質問を繰り出すことにした。
――それで小糸さんは、そのまま初江さんの家に世話になったということですか?
そうです。高祖母は数年後に亡くなりましたが、私はその家から中学高校と通わせてもらいました。私の学費や生活費は、母と祖母のどちらからかは分かりませんが、その家に渡されていたそうです。
――そもそもその家というのは、小糸さんの一族、もしくはみくりや教と何か関連があったんでしょうか?
私が世話になった家は、実は当初高祖母の初江が嫁入りして出て行った長野の農家だったのです。
みくりやの逸話では、教祖様を追い出した意地悪な家族みたいな描かれ方をされてますけど、実を言うとキツく当たったのはもっぱらお姑さんだけだったらしく、旦那さんは優しい方だったみたいです。
その旦那さんは、高祖母が家出した後に、一旦は他の方と再婚をしたのですが、その相手も十年ほどで亡くなりました。
――すでに亡くなったと思われていた初江さんは、その家で生きてましたよね。そこにはどのような経緯があったのでしょうか。
かつて岐阜で火災があった時、やはり高祖母は教団のトップとして特高警察に命を狙われていたようでした。それを知った曽祖母の珠子が、火事に乗じて焼死を偽装し、かつて嫁入りしていた家へと高祖母を逃がしたと聞いています。特高の工作で放火されたので、警察もちゃんと捜査しなかったということで、それを逆に利用した形ですね。
問題のお姑さんもその時すでに亡くなっていて、高祖母は名前を変えて再び前の旦那さん――まあ高祖父ですけど――と再婚したというわけです。高祖母が家出したのが十六歳頃と聞いていますから、そこから約二十年を経て、当時まだ三十五、六歳といったところですか。今の私とあまり変わりませんね。
――初江さんが生存しているという事実は、みくりや教の信者には隠されていたということですね。
ええ、そうです。それは、私たち直系の者たちにしか知らされなかった事実なのです。
――恵寿奈さんが、入院している真名さんと会った際、『逃げなさい』と警告されたそうですね。それは、一体何から逃げろということだったのでしょうか?恵寿奈さんの失踪は、それと関係があると思われますか?
正直、何から逃げるべきだったのか、今となっては分かりませんし、母の失踪との関連も不明です。
ただ、確証はありませんが、みくりやの跡目争いと関係していたのではないかと私は考えています。祖母が亡くなった後、教団内部はひどく揉めたようで、刃傷沙汰まであったと聞いてますから。
だとしても、追手の目的が、私たち直系の者を利用しようとしていたのか、それとも始末しようとしていたのかは分かりませんけど。
――そうですか。ありがとうございました。
いえ、こちらこそ。
「小糸希愛理インタビュー」 聞き手:武松道資
終始つまらなそうな顔をして話を聞いていた先輩が、あくびなのかゴリラの咆哮なのかよく分からない声を上げた。
「あのさー、奥さん」そう呼びかけながら、ソファーに踏ん反り返る「その話の目的って結局何よ?」
小糸さんは、この態度クソ悪タオルブラ女の、借金の取立てみたいな物言いにひとつも動じず、にこやかに微笑んで答えた。
「説得力が必要と思いまして」
「説得力ぅ?」
素っ頓狂な声でおうむ返ししたのは僕だった。小糸さんは話を続ける。
「ええ。これから先輩さんにやっていただくことは、通常であればなかなか信じがたいことです。そこに不信感を持たれてしまうと、その効果も半減してしまう恐れがありますので、まずは経緯と歴史的背景をご説明し、ある程度納得された上で――」
「あーちょっと待った奥さん」先輩が身を乗り出して小糸さんの話を止める「あたしに何やらそうって言うんだよ」
小糸さんは一瞬キスするのかと思うぐらいに先輩に顔を近付け、真面目な顔で答えた。
「厨神楽です」
その言葉に一同は絶句した。先輩が、口に入れた食べ物に水分を全部持っていかれたような顔をしている。
厨神楽というのは、小糸さんによれば、神を降ろす儀式のようなもののはずだ。それを先輩がやることに何の意味が――
「厳密に言いますと――」小糸さんが話を続ける「厨神楽を執りおこなうのは私で、先輩さんにはそれを受けてもらいます。みくりやのエピソードでいうと、私が優婆夷で先輩さんが初江ということになりますね」
「えーと……それは先輩に神を降ろすとか、そういうことですか?」
僕の疑問に、小糸さんは朗らかに答える。
「例えで言うならば、それも間違いではないです」
「え、例え?」
小糸さんの発言の意味が分からず、頭の中に疑問符が浮かぶ。
「あー奥さん、もうちょっと端的に言ってくれよ」
先輩が苛立たしげに、不服を漏らす。
すると、小糸さんはそこですっくと立ち上がった。
「私、先ほど言いましたよ」
そうはっきりと告げると、いつの間にか持っていたうさぎの魔女っ子ステッキで先輩を指し――
「先輩さんに飛んでいただきます」
確かに先輩が空を自由に飛べるとすれば、この閉塞状況を打破できる可能性は高い。しかし、小糸さんが「説得力」と言う割には、厨神楽によって先輩が飛べるようになるというストーリーは、なかなか信じがたいのも事実である。
先輩はこのやり取りに疲れたのか、それとも呆れてしまったのかは知らないが、左腕で両目を隠すようにして、ソファーに寝そべり黙ってしまった。
その姿を小糸さんが穏やかな顔で見つめている。
ところで、ここから見える先輩のワキは見事にツルツルなのだが、あれはやはり剃っているのだろうか?……いや今はそんなことはどうでもいい。
しかし、先輩のタオルブラは、あんな格好でもズレないのだが、胸とタオルの間に両面テープでも貼っているのだろうか?……いや今はそんなこと――
「あの、キアリさん。ちょっといいですか?」
僕の煩悩を邪魔するように、クミが声を発した。
小糸さんが「どうぞ」とクミに促す。
「キアリさんには申し訳ないんですけど、私これまで、オカルト的なことを信じてこなかったんです」
「ええ、申し訳ないことはないですよ」
「こんなおかしな状況で、そんなこと言うのもアレですけど」
「いえ、アレということもないですよ」
「その、厨神楽ですか?それによってマコさんが飛べるようになるというのが、いまいちピンとこなくて……」
小糸さんは、目線を上に向けて少し考えるような素振りを見せると、何か思いついたのかにっこりと笑った。
「ではクミさんに合わせて、もう少し科学的?医学的?な話をしましょうか。納得いただけるかは分かりませんけど」
そう言って小糸さんはソファーに座り直すと、おもむろに語り始めた。
「高校生の頃、母の行方に関する手がかりを求めて、両親がかつて働いていた長崎の大学病院へ向かったことがあります。そこで、父の同僚で友人だった方からお話を伺う機会を得ました。
その方によれば、父は、大学の設備を使って、母の脳波を調べたことがあるそうなのです。その友人の方は、その検査の手伝いをされたとのことでした。
なお、検査の事実や、母の特殊な能力については、父から強く口止めされていて、娘である私に話すのが、その時初めてだそうでした。
ではその検査の内容についてお話しします。
まず、脳波というものを簡単に説明しますと、それは周波数によって大きく四つに分類されます。リラックス状態のアルファ波、通常の覚醒状態でのベータ波、深い瞑想状態のシータ波、完全に意識の無い状態のデルタ波です。周波数の高い順に並べると、ベータ→アルファ→シータ→デルタになるんですけどね。
それで、厨神楽によって神降ろしの状態になっている時の母の脳波を測ったそうなのです。すると驚くことに、脳波計からはデルタ波が検出されました。
通常デルタ波というのは、深い睡眠状態で発生するもので、本来なら軽く揺さぶった程度では覚めないぐらいの深い眠りの中にあるはずなんですね。ところが母は言葉を話し、しかもそのことを後で覚えていたのです。
ここからはあくまで仮説なんですが、厨神楽は、覚醒状態を保ちながらも深い睡眠の状態へと脳を移行させて、外部から身体を干渉させることができる技術と言えるのではないか、と。
ここで言う『外部』というのが中々説明がつかないんですが、この世の外、異次元みたいなものでしょうか。人によっては、その『外部』とのチャネルを持っていて、『外部』にいる存在と交信ができる。私には結局できませんでしたが、私の高祖母や母のように、深く眠っているのと同じ脳の状態になった時に『外部』の存在――すなわち『神』に身体のコントロールを委ねることが可能となり、その『神』が彼女たちの身体を使って言葉を語り出したと思うのです」
小糸さんの話は段々と科学からズレてきているような気がするが、クミは真剣に話を聞いているようで、思いついた疑問を口にする。
「キアリさんは『できませんでした』と言いましたけど、厨神楽をおこなうのはキアリさん自身なんですよね?」
「私ができないのは憑代としての能力の発動で、厨神楽自体は、コツは要りますが基本的に誰でもできるものです。長野の家で高祖母に直接教わったので、それについては自信があります」
自分自身でなく、能力のある相手であれば、それを発動させることが可能ということか。でも――
「でも、先輩にその能力があると言い切れるんでしょうか?」
僕の発した問いに、小糸さんは相変わらずの慈母感溢れる微笑で答える。
「先輩さんは深い眠りについている時に、空を飛ぶ体質をこの世界で得たようです。なので、厨神楽によって、脳自体をその状態に持っていけばよいのです。おそらくは、母たちの声帯を使って神が言葉を発したのと同様に、『外部』の存在が翼を動かしているのでしょうから、それとうまく連携が図れるようにするのです」
先輩にとっての「外部」の存在って、神じゃなくてきっと悪魔だよなーサキュバスとか、などと考えながらクミを見ると、まだ納得いかないような表情を浮かべていた。確かに僕自身も、小糸さんが言うようにうまくいくのかは、到底信じ切れないでいる。
「キアリさんの説明は、不思議な点もありながらもよく分かったんですが、ただ、後はもう試してみないことには分からないじゃないですか。どうしてそんなに自信満々なんでしょうか……」
クミが「あなたを信じられなくてごめんなさい」という感じで、最後のほうは消え入るように言葉を発していたが、そんなクミの手を小糸さんが両手で優しく包んだ。
「大丈夫ですよ。これは絶対うまくいきます。その根拠は私の――」そう言って小糸さんは、遠くを見つめる「『勘』です」
「勘」⁉︎ここまで散々説明して最後が「勘」⁉︎
その時、バササっと翼の音を立てて先輩がソファーから起き上がった。
「その言葉を待ってたよ、奥さん。やってみようじゃないか、厨神楽ってやつを。あたしも空を飛んでみたくなったよ」
「先輩さん!ありがとうございます!」
先輩は小糸さんに抱きつかれて「おいおい妊婦に抱きつかれる趣味はないよ」などと言っている。
結局先輩は、小糸さんが「勘」と言うのを待っていたのか。一体どういうことなのか?全くよく分からないが、とりあえず何かが一歩前進したような気がするので良しとしよう。
クミがヒソヒソ声で僕に話しかけてきた。
「やっぱマコさんって、なんか男らしいですね」
「う、うん……」
ヒソヒソ声はヒソヒソ声なのだが、僕とクミは毒の関係上それなりに距離を取らねばならず、相手に届かせるにはそこそこの声量が必要なわけで、それは結果的に皆に丸聞こえだった。
「はああ?ドクミ、お前今何て言った?」
「お、男らしいというのは、あくまで『概念として』でして……」
クミの必死の言い訳に、小糸さんが助け船(?)を出す。
「ええ、先輩さんは概念として男らしいです」
先輩は小糸さんの言葉に、困ったような照れくさいような顔をしていた。
概念として男らしいというのは果たしてほめ言葉なのだろうかと思いつつ、僕はうさぎの魔女っ子ステッキを握りしめた。
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