4Fx14 倒壊
皆が慌ててその場所へとたどり着くと、やぐらは案の定横倒しになって、床の上へと崩れ落ちていた。
「クソ、やっぱアイツらか」
惨状を目の前にして、先輩が苦り切った顔でこぼす。
倒れたやぐらの表面には、大量の緑色の粘液が、うねうねと絡みついているのが見えた。
「スライムにあんな力が……」
唖然としながらもクミが呟いたように、僕も奴らにやぐらを倒すほどの力があるとは思わなかった。この後、アレと戦うのであれば、充分注意しなければならないだろう。呼吸を止められる程度ならばまだいいが、骨を折られたとしても、ここには病院があるわけではないのだ。一応元ナースはいるけど。
「シャーッ!!」
猫が威嚇するような声を上げながら、うさぎが水鉄砲でうごめく粘液の塊を撃ち始めた。
「うさぎさん!ダメよ!」
直情的に動き出したうさぎを、小糸さんが制止しようとする。おそらく彼女は、奴らから反撃される危険を警戒している様子だ。しかし、攻撃されたスライムはこちらへ襲いかかろうとはせず、アルコール噴射を避けるようにして、するすると緑の大壁を登っていった。
「逃げるなー!こらー!」
うさぎの強力水鉄砲は、なかなかの射程距離はあったが、やはりターゲットが離れていけば、命中精度が下がってしまうようだ。
スライムはそのまま天井に到着すると、やがて壁の隙間へと吸い込まれるように消えていった。まさに以前うさぎがその出入りを目撃した辺りである。
やぐらを破壊した忌まわしき半固体は、こうして全て逃げ去ってしまった。
「……」
皆が茫然と天井を見上げている。
水鉄砲を下ろしたうさぎが、泣き顔でこちらへ振り返った。
結局ここに残されたのは、無惨に破壊されたやぐらの残骸ばかりだった。
「はあ……」
深いため息をついては、死体の検分でもするみたいに、クミが瓦礫の確認を始めた。
先輩は渋い表情のまま、やぐらの破片を蹴飛ばしている。
そのそばで、小糸さんが泣きじゃくるうさぎをなだめていた。
僕はといえば、天井を仰ぎながらただその場に立ち尽くすのみだった。下半身がないなりに。
「で、やぐらの再建についてだが――」
始めに口火を切ったのは、さすが「メンタルはがね子」の異名を持つ我らが先輩であった。最近は「タオルブラ子」の異名も持つ。
本部に集まった皆の顔は一様に沈んでいた。うさぎだけは、泣き疲れてしまったようで、近くのベッドに寝かせてある。
「でも、また倒されるんじゃ……」
僕が弱気を口にすると、先輩に即反論されるというか、頭ごなしに怒鳴られるかとも思っていたが、意外にも普通の調子で僕の意見に同意した。
「まあ、見張りをつけても限界があるしな」
そう言って、うさぎが見つけてきたマジックハンドを掲げ、その先をガチャガチャと開閉させた。
「あの……」クミがおそるおそる口を開く「やぐらを再び作るというプランですけど、いくつかの方向性が考えられます……」
先輩がクミに「話すがよい」という感じで、目線と顔の動きだけで続きを促す。
「えー、ひとつは、前回と同じようなやぐらを作るというパターン。これは、今言われたような見張りの問題があります。四六時中見張っていなければならないというのと、今回はやぐら倒壊という目的を達成したからか、うさぎの攻撃によって退散しましたが、あの量のスライムが襲いかかってきたら、アルコール水鉄砲ではやぐらを守りきれるとは思えません」
たしかに僕もクミと同じことを考えていた。多分先輩もそうだろう。おそらくは前回のスタイルのやぐらを再び製作しても、結局徒労と化すに違いない。
「もうひとつは、スライムの攻撃に耐え得るような強固なやぐらの建設。本来なら鉄骨が望ましいとは思いますが、これについては資材も技術も足りません。なお、ごく短時間でやぐらを作ってしまうという手もありますが、この案についても、やはり私たちの技術力が不十分と思われます」
クミが流れるように述べていることは、全くの正論と云える。
しかし先輩は、彼女が熱弁している間中、マジックハンドを使って、ドールハウスへと動物を模した小さな人形を配置することに夢中だった。一方で、小糸さんはクミの言葉に熱心にうなずき、時折相づちを入れたり「なるほど〜」などと感心する素振りを見せたりしている。
だが、二人の振る舞いは実態と全く逆であることを僕は知っていた。
この場合、クミの話をよく聞いているのは先輩のほうで、小糸さんは実はあまり聞いていない。
クミはとりあえず二人の態度に構わず、話を続けた。
「さらにもうひとつ考えたのは、前回のやぐらに自動防御機能を付与するというもの。具体的にはやぐらの表面をアルコールで覆うというやり方です。ただし、表面に塗布しただけではいずれ蒸発してしまうのと、その程度の量で果たしてスライムに効果があるのか疑問です」
「あー、やぐらに触ったら、酒が降りかかってくるとかは?」
先輩がマジックハンドで人形を挟みつつ、明らかに適当な思いつきを口にした。
「そうですねえ……やはりやぐら全体のどこに触れてもアルコールがかかるという仕掛けは、どうしても大がかりになってしまいますね。酒の補充なども自動的におこなう必要があり、現実的には難しいかと……」
「あ、これはどうでしょう?」何かひらめいた小糸さんも参入してきた「常にお酒がやぐらの上から降り注いでるというのはどうですか?」
「お、奥さん、それいいねえ」
「チョコレートフォンデュファウンテンタワーってありますよね?チョコレートフォンデュファウンテンタワー。チョコが上からドロドロって流れてくるやつ。ああいうのをイメージしてます」
「あーホテルのスイーツ食べ放題とかで見たことあるわそれ」
先輩が酒のつまみではなく、スイーツなんぞを食すのは意外だったが、この与太話の連鎖を止めなければならないという使命感を抱いた僕がひとこと添えようとした時、クミが再び口を開いた。
「当然酒は無尽蔵にあるわけではないので、それについてはポンプで汲み上げて循環させるような仕組みが必要になりますね。その場合、問題となるのは電力の供給です。あいにくここは電気が通ってないので……」
真面目に答える必要などないのに、クミは小糸アルコールファウンテンの抱える問題点を指摘してみせた。小糸さんが「なるほどごもっとも」という体で激しくうなずいている。
しかしこの後、話が続かずに皆一様に黙ってしまい、なぜか先輩のドールハウスづくりを全員で見つめることになってしまった。
静けさにようやく気付いたのか、先輩がぼそりと呟く。
「で、ドクミ、その次は?」
問われたクミは、少し困ったような表情を見せる。
「やぐらの建設について、私が考えついたのは以上になります……」
結局のところ、クミは自分が挙げたプランを自ら全て否定したのであった。
「あー、詰んだな。やぐらづくり」
先輩がぼやいてみせる。
詰んだのは、話の流れとして先輩と小糸さんのせいのような気がしないでもなかったが、クミがそもそも訴えたかったのは、やぐらの建設が手段としてもう無効であることだったに違いない。
……何か次の手を考えなくては……
あの緑の大壁を突破する有効な手立てが他にないのか、僕も自分なりにあれこれ頭の中でひねくり回してみる。
やぐらでなくロープはどうだろうか?他のみんなでは無理だが、僕であればスルスルと登れるはずだ。であれば、滑車を取り付けたほうがいいかも。誰かにロープを引っ張ってもらえば、楽に上昇できる。でもそれをどうやって天井に固定する?例えば……滑車の裏側に瞬間接着剤を塗りたくって、下から思い切りぶん投げたら天井にペタっと……
「あのすみません……」小糸さんが発言の許可を得る時みたいに、右手を挙げている「ちょっとよろしいでしょうか?私に考えがあるんですが……」
小糸さんの考えとは、またチョコフォンデュ的なものだろうか?なぜか彼女は挙手しながらこちらを見ていた。まるで僕に「許可を出せ」と要求しているようだ。僕は別にこの会議の司会進行役でもないのに。
「えー、では小糸さんどうぞ」
僕は小糸さんからの謎の圧に屈し、仕方なく発言を許したというか、発言を許す役を演じた。
「では私の考えを述べますと……」そう言って小糸さんは急に身を乗り出し、マジックハンドを持ったままの先輩の手を両手で握ると「先輩さんに飛んでいただこうと思いまして」
「は!?」
先輩のマジックハンドから人形が落ちて、ドールハウスの屋根を直撃した。
「それどういう意味だよ?『飛んでいただく』って何だよ?」
「それすなわち、英語でいうと『フライ』です。つまり、先輩さんのその翼で飛んでいただきたいのです」
「あー?この羽、自分で動かすこともできないんだぞ?」
唖然とする先輩を尻目に、なぜか小糸さんは自信満々な様子だ。
「大丈夫です。私に秘策があります」
彼女はこう述べると、先輩が先ほど落としたペンギンの人形を拾い上げた。
「翼があれば飛べるんです。こんな風に!」
小糸さんは小さなペンギンの翼を両手で掴むと、それをパタパタさせながらドールハウス上空で人形を旋回させた。家の中で立ち尽くす他の動物たちに見せつけるように。
「クマさんもミーアキャットさんもみんな見て!私は飛べるのよ!うふふふ……」
その時の小糸さんの様子を見て、皆が同じことを思っていた。
この異常な状況下で、この人はついに精神をやられてしまったと。
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