4Fx13 出口

 一日の作業を終えて、就寝のためにいつものインテリアコーナーへと向かう。

 疲れているせいか、その途上、皆口数も少なかったが、そんな中、先輩がふと、ぼやきの言葉を吐いた。

「あー風呂に入りてえ」

 我々の生活は、食事やトイレについては不要という意味で問題ないのだけれど、風呂がない点については若干不便ではあった。水道は使えないが、ミネラルウォーターのペットボトルは大量にあったので、水をタオルに浸して身体を拭いたり、髪を洗ったりした。シャンプーも石鹸も日用品売り場に使い切れないほど存在するため、その辺も困ることはない。

 皆が身体を拭くのはそれぞれ違う場所でおこなっており、特に話し合いもないまま各自のテリトリーは何となく決まっていた。基本的には、皆インテリアコーナー周辺の「本部」の位置から死角となる物陰を使用していて、寝る前にそれをすることが僕らの習慣になりそうだった。

 僕も早々に身体拭きを終え、本部のソファーで強力水鉄砲の仕込みに着手していた。スライムの襲撃に備えてタンクに酒を込めるのだ。周囲には焼酎で満たしたバケツを並べ、いつでも敵にぶちまけられるようにもしてある。おかげで辺りがとても酒臭い状態だ。

 全員がベッドに寝ているとまた襲われる危険があるため、とりあえず今晩は(「晩」と言っていいのかわからないが)僕と先輩が見張りをすることになった。見張りといっても、ソファーに座っていつでも臨戦体制に移ることができるよう準備をしておくだけだ。

 先輩はまだ身体を拭いているのか、どこかに行ってしまったので、準備は僕がひとりで整えた。勿論これは想定どおり(どうせ仕事を押し付けられるので)である。

 しかし……この場所も随分と物が増えたようだ。僕が今手にしている強力水鉄砲はホビーコーナーで入手したものだが、うさぎがついでに余計なおもちゃも持ち込むのである。ぬいぐるみやらドールハウスやらがその辺に散乱していた。

 そんな中、ひと通りの作業を終えて水鉄砲の動作を確認していると、濡れた髪のクミが紫色のタオルを手に戻ってきた。たしか行く時は白いタオルだったはずだが……

「あっ、ミチスケ君……ごめんなさい……」

「えっ?何が?」

 僕は彼女に何を謝られているのか分からず、今日の出来事をひたすら脳内で反芻してみる。しかし何も思い当たるふしがない。

「みんなが寝てる間、見張り番するわけでしょ……」

「あーそういうことか。たまたま今日は当番というだけで――」

 一応は見張りは当番制ということにしたのだが、うさぎや小糸さんに頼むのも気がひけるので、結果的に僕・先輩・クミで持ちまわりという公算が高かった。ただ、こんな日々が長く続くとは思いたくなかった。

「まあ、見張り番が必要なのは今だけだよ……きっと……」

 僕はまるで自分に言い聞かせるみたいに願望めいたことを口にしたものの、そこにはまるで根拠も自信もない。

 僕の言葉を単なる気休めだと了解しているのか、クミは特にそれには反応もしないまま、少し距離を置くように、いつもうさぎの座っているカウンターチェアに腰を掛けた。やはり僕が毒を喰らわないよう気を遣っている様子で、何だか申し訳ない気持ちになる。

 狭い座面だというのにその上にちんまりと体育座りをした彼女は、おもむろにひとつの疑問を口にした。

「急にヘンなこと訊きますけど……ここの周りってどうなってると思います?」

「それって……このホームセンターの外がどうなってるかってこと?」

「ええ」

 僕もそれについて考えたことがないではなかったが、(おそらくは)別の空間へと転送されるというこれまでの人生で経験したことのない不可思議な状況において、そのことをこれ以上考えても無駄な気がしていた。

「そうだなあ……やっぱ何にもない空間とかなのかな…宇宙空間みたいな」

「そこに、このホームセンターだけが浮いてる?」

「うーん……」

 今のこの状況では確認のしようのない問いかけだ。僕が答えに窮しているのを察してか、彼女は話の方向を変える。

「今日、やぐらを建てる際に、キアリさんがアルコールで床を掃除しましたよね?」

「うん、やぐらが安定するようにね。……それが?」

「床がカラフルに光ってたのを見ました?」

 あまり気にしなかったが、たしかにクミが言う通り床の表面が油を敷いたように玉虫色に光っていた気がする。

「でもあれは床の上の酒が――」

「アルコールでは、あんなふうにはなりません。あれは床を覆う金属そのものが発している光沢です。厳密に言えばその金属を覆っていると思われる透明な酸化被膜を通過する光の屈折が見せる色彩で――」

 彼女の発言が高度過ぎて何を言っているのかよく分からないが、熱心に何かを伝えようとする気持ちを感じて、とりあえず話を聞き続けることにした。

「――こういった不動態――つまり膜に覆われた状態になりやすいのはチタンやジルコニウムといった金属ですが、建築資材として使われているとすればやはりチタンでしょうか。しかし、チタンは硬度の高い金属とは言えますが、その硬度をもってしても――」

「えーと、クミちゃん。僕、話についていけないんだけど……」

 滔々と自説を語るクミに対し、僕はただ呆気にとられるだけであった。初めてホテルのフロントで見かけた時は、彼氏の前で猫をかぶっていたのだろうか?これが彼女の本来のの姿なのか。それともこの世界へ転移した際に獲得した性質なのだろうか。

「すみません……喋ってるうち、つい夢中になっちゃって……」

「いや、こっちこそ勉強不足で……経済学部だったに過ぎないので……」

 クミは少し恐縮した様子で、あらためて椅子に座り直した。

「私、床にノミを思い切り突き立ててみたんです。それでも傷ひとつ付かないどころか、逆にノミのほうが刃こぼれしてしまいました。チタンも比較的硬い金属ですが、あそこまで硬いということはあり得ません。そう、チタンではない何か特殊な合金とか――」

「その……クミちゃんが言いたいのは……ここが普通の建材で作られた建物ではないということ?」

「ええ。少なくとも一般的なホームセンターに用いられる建材ではないと思います。やぐら建設の合間に壁のほうも確認してみました。建築資材コーナーは壁際にありますけど、あそこに緑の物質が薄くなっている箇所があるんです。アルコールで溶かしてみたら、ついに壁に辿り着きました」

「もしかして、その壁も……」

「そうです。床と同じ金属で出来た壁でした」

 つまりここは、チョーゼツ硬い金属で作られた巨大な箱の中というわけか。

「会議では、みんながやぐらを作る話で盛り上がってたので言い出しにくかったんですが、ボールを探すこと以外のここからの脱出方法があるんじゃないかと思って床や壁を確認してみたんです。でも……」

 たしかに僕らは球の探索という「神の定めたルール」に必ずしも従う必要はないのだ。どんな手を使ってでも、ここを出て行ければいい。囲碁に例えれば、コウに構わず碁石を置いてもいいし、先手後手の順番を守らなくてもいいし、碁石の代わりにマーブルチョコを置いてもいいし、碁盤をひっくり返してもいいわけだ。

「つまり、壁を壊してここを出て行くことが出来れば、ということだよね?」

「そうなんです。ただ、壁の破壊は、物理的に難しいことが今回分かりました。とすれば、次の手は、壁のどこかに出口があるか探すことだと思っています」

 この広いホームセンターの壁全体を調査していくには、どれだけ時間がかかるのか。建築資材コーナーはたまたま壁を覆う物質が薄かったが、場所によっては分厚い層を成していることもあるだろう。物質を溶かすアルコールが足りるのかという問題もある。

「アルコールが足りなければ、醸造するという手もあります。ただ、ここの液体の総量に限りはありますが」

 クミがまるで僕の思考を読んだかのように、説明を加えた。まさに囲碁に例えると……囲碁の例えはもういいか。

 それでも、僕の中で何かもやもやしたものが拭えない。彼女の提案する方策に、今ひとつ希望の光が感じられないのだ。

「仮に出口が見つかったとしても……」

「そこで最初の質問に戻るんです。ここの外はどうなっているのかという……」

 出口から脱出した途端に何もない空間に放り出されて、永遠にそこをさまよい続けることになるのだろうか。

「ただ、出口があるかさえ、今の状況では分からないんです。だから、今はあの緑の大壁の向こう側へ到達することに専念すべきかと。出口探しはその次の策で――」

「おー、準備万端か?」

 先輩が相変わらずの王様みたいな尊大な態度を示しながら、本部へ戻ってきた。が――

「せ、先輩!何すか、その格好は……上、ちゃんと着てくださいよ!」

「んー?ちゃんと隠れてるからいいだろ」

 先輩は、ブラジャーをつけず、黒いタオルを首からかけて、それで両胸を覆うようにしていた。まさにタオルブラというやつである。

 そのまま「ふひー」などと言いつつ、背中の黒い翼をバサリと両サイドに広げ、ドスンとソファーへと腰を下ろしては、これまた尊大な感じで四の字にその長いおみ足を組んだ。ただでさえ態度がデカいのに、物理的に場所も取る。おまけにタオルブラである。それは関係ないか。

「この羽を拭くのに時間がかかってさあ。奥さんに手伝ってもらっちゃったよ。やっぱこれすげえ邪魔なんだけど……」

 そうグチって先輩は背中の翼を摘まむように掲げた。

「私は先輩さんに似合ってると思いますよ。その翼」

「何ここ?クッサ!」

 小糸さんがうさぎを連れて本部へ戻ってきた。うさぎがしかめっ面で辺りを見渡している。

「たしかにちょっとお酒臭いですよね〜。でもここではうさぎさんも酔わないから大丈夫」

「大人って、こんな臭くて不味いもの喜んで飲んでるなんて信じらんないよ」

 たしか確認のために、うさぎに酒を少しだけ口にさせたことがあった。これから先、酒を全身に浴びたりする可能性もあり、何かの拍子で口に入ってしまう事態が避けられないからだ。やはりうさぎも、他の皆と同様に一切酔うことはなかった。かなり不味かったのか、その後念入りにブクブクと口をゆすいでいたが。

「猫娘も、大人になれば分かるぞー」

「えー、分かりたくないよ。マコセンだって、将来ゴキブリが食べれるようになるぞーって言われてもヤでしょ?」

「う、うん。それは嫌だな」

 何で先輩は小学生相手に、簡単に言い伏せられているのか。そうか、先輩も普通の女子と同じくゴキブリが苦手なんだな。これは大変いいことを知った。こころのメモに記しておこう。

「妊娠してるので控えてましたが、私、こう見えてお酒は結構強いほうなんですよ」

「お、いいねえ奥さん。子供産まれたら、飲みに行こうぜえ。ドクミもな」

「いや、私はまだ未成年で――」

 その時――

 スズーーーン!!

 やぐらの方角から、何かが倒れるような大きな音が聞こえてきた。

「まさか、やぐらが……」

 そこにいた皆の周囲を、張り詰めた空気が包んだ。

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