4Fx7 睡眠
うさぎがカウンターチェアの上でうつらうつらし始めたので、小糸さんとクミとで近くにあるベッドへと彼女を運び、そこに寝かせた。
下半身を失ってから――別世界に移動してから――どのくらいの時間が経っているのか。
確認しなかったが、売り場のどこかに時計もあるはずだ。
電池式であれば、動いている可能性もある。
外の様子がわからないので、今が昼なのか夜なのかさえわからないが、体感的にはおそらく丸一日ぐらいは経過しているだろう。
僕も少し眠くなってきたような気もする。
うさぎをベッドに寝かせた小糸さんとクミが戻ってきて、再びソファーへと腰を掛けた。
小糸さんが少し前のめり気味に僕へ問いかける。
「それで、テケ松さんのお腹の中って、どこに行っちゃったんでしょう?」
「いやー、どうなんでしょう?別次元とかですかね……」
内臓の在り処を訊かれても、僕には答えようがない。
外からは心臓の鼓動も感じるし、息を大きく吸い込めば胸に空気が入っていくのがわかるので、少なくとも上半身は中身も含めてこれまでどおりと思っていたが……
いや、よく考えたら僕はヘソの下あたり以降を失っているわけで、そうすると腸が途中から無くなっているという状態になるはずだ。
そもそもそんな身体で生きていけるのか?
「もしかして――」
クミが思いついたように口を開く。
「私たちもミチスケ君と同じように、身体の中が空っぽなんじゃ……だから、お腹もすかないしトイレに行きたいとも思わないとか……」
「正しくは、空っぽというのとは違うのかも知れないな――」
先輩はそう言うと、グラスをテーブルに置いた。
「内臓は一応機能はしているが、存在しているのはここではなく、異次元だということかな。テケ松の場合は、下半身のほうも異次元にあるのかも知れないが」
どこかの空間に僕の下半身だけが存在している光景を想像して、少しゾッとした。
せめてパンツだけは履いていて欲しい。
「何よりこの世界のお前が、下半身じゃなくて上半身のほうでよかったよ。下半身だとコミュニケーションがなかなか難しいからな」
こんなに嬉しくない「君がいてくれてよかった」があるだろうか。
まあ、下半身のほうは無口で愛想がないですからね。
「先輩の想定が正しいとすると、内臓は別次元で栄養を摂取して排泄もしているってことですかね?」
「まあ、そうなるかな。その状態のまま、この世界にある身体の表面とは繋がっているってわけだ。ただこっちの世界で摂取した栄養やアルコールなんかは、どこに行っちゃってるのか知らんが、少なくともこの世界の身体には影響を与えない――テケ松、お前どのぐらい息止められる?」
先輩に急に問われて僕は戸惑った。
息を止められる時間などまともに測ったことがない。
「えーと、1分ぐらいですかね……」
「短いな。まあ今からやってみろ」
「え?あ、はい……」
僕は訳もわからず先輩に言われるがままに、息を止めてみた。
先輩は再び興味のない感じでグラスを傾け始めたが、小糸さんとクミの2人は固唾を飲むような表情で僕をじっと見つめている。
これはもしかして笑ったら負けという勝負なのだろうか。
クミがヘンな顔をしているのは、それはワザとなのか?
などと考えているうち、僕には気づいたことがあった。
もう、そこそこ時間が経っているのに、全然息苦しくならないのだ。
この状態であればいくらでも息が止められるはずだ。
僕はそこでようやく先輩が意図したことを理解し、今となってはあまり必要を感じなくなった呼吸を再開した。
「つまりは酸素も栄養と同様にこの世界では摂取の必要がないということですね?」
「そういうことだ。あたしもさっきの会議の時、試しにほとんど息を止めていたが、全然苦しくなかった」
先輩の口数が少なかったのは、そういう理由だったのか。
心配して損した。
「要するに僕たちは、アバターみたいなもんですか?」
「まあ、表面上は生身だから、半アバターって感じかな。ただ――脳だけはこっちの世界という可能性はある」
「どうしてですか?」
先輩は、小糸さんとクミの背後の少し先に目をやった。
ちょうどうさぎが眠っているベッドの辺りだ。
「睡眠の欲求は残っているからだ。栄養の摂取なんかは極端に言えば身体が要求するタイミングであればいつでもいい。しかし睡眠については、その間活動停止するわけだから、こっちの世界の都合というものが優先される」
「そのことが、脳だけこちらの世界にあるという証拠だというのが、よくわかりませんが……」
「まあ、例えばネットゲームとかで考えてみようか。ゲーム内キャラクターがいて、それを操作する現実の人間がいる。普通は腹が減るのも眠くなるのも現実側だ。しかし今回は、腹が減るのは現実側の人間で、眠くなるのがゲーム内のキャラだってわけだ」
「うーん……わかったようなわかんないような……」
「あくまで仮説だし、それがわかったからといって何が解決するわけでもない――」
そう言うと、先輩は大きな欠伸をしてみせた。
「あたしもちょっと眠くなってきたみたいだな」
「ちょっとよろしいでしょうか?」
小糸さんが何かを訴えようとする真剣な顔つきで僕らを見ていた。
「この子も……この子もやはり異次元にいるんでしょうか?」
彼女は自分の大きなお腹を押さえていた。
そのまま、思いつめたような表情で、僕たちを見つめている。
しかし、その問いについては誰も答えようがなく「大丈夫、異次元じゃないですよ」とか「今異次元でスクスク育ってますよ」などという適当な慰めを述べるわけにもいかず、少しの間沈黙が続いた。
だが、そんな時こそ解を出してくれるのが、デリカシーを異次元に置いてきた先輩である。
「うーん、そいつは分からんな」
小糸さんが失望したような割り切ったような返事を返す。
「そ、そうですよね……」
そうか。先輩のその答えが正解だったのだ。
というか、そもそもそのようにしか答えようがないし、小糸さんもそれをわかって訊いてしまったんだろう。
しかしそう訊かざるを得ないほど、彼女の中で大きな不安が生じていたに違いないのだ。
第2回の探索については、明日にしようという話になり、皆それぞれが思い思いのベッドで一旦眠りにつくことになった。
先輩はやはりそのコーナーで一番大きなキングサイズのベッドを選び、翼を折り畳みつつ横向きに床についた。
やはり翼があるので仰向けで寝るのは厳しそうだ。
その翼にふさわしく、蝙蝠みたいに逆さにぶら下がって寝ればいいのに、などと思いついたが、本人にはまず言えない。
小糸さんとクミもそれぞれベッドを選び、すぐに横になった。
僕もうさぎの隣りのベッドが空いていたので、そこで寝ることにした。
次の探索は明日から、とは決めたものの、どこまでが今日でどこからが明日かもよくわからない状況だった。
だが、誰も何も言わずとも、寝て起きたらその時点から「明日」という流れにはなっていたと思う。
やはり皆同様に、睡眠の欲求自体は失ってなかったようで、ある意味過酷だった今日一日の疲れもあってか、すぐに眠りへと落ちていったようだ。
僕もベッドの上に横になると、一気に眠りの淵へと吸い込まれていった――
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