4Fx3 亡骸
小糸さんが不審を感じ、うさぎが誰かいると指摘した緑色の壁を、今皆で見つめていた。
目を皿のようにして見ても、そこに何かがあると思えず、僕は戸惑うばかりだ。
そのうち、クミが「あっ見える」と言い、先輩までもが「ああたしかにな」などとつぶやくので、僕はひとり置いてけぼりを食らった感じになった。
壁に近づくとそこに手を触れてみた。
そして少し不満げに、その壁をポンポンと叩く。
「あのーすいません。僕にはさっぱりわかんないんですけど」
「お前が触っているのは、ちょうど股間の辺りだ」
「えっ?」
先輩の指摘に、僕は慌てて手を離す。
周りの皆は、先輩と同じ認識であることを共有できたのか、うんうんとうなづいていた。
なんかちょっと悔しい。
小糸さんが近づいてきて、説明を始めた。
「えーと、この辺が頭でここら辺が腕、それから胴体があってこの辺りが足ですね」
つまりは壁の表面のデコボコが、立っている人間の姿に見えるということのようだ。
僕は少し離れて壁を眺めてみる。
……たしかに、言われてみれば、そんな風に見えないこともない。まさか中に人が……
「ちょっと削ってみるか」
先輩はそう言うが、今はこれといった道具もなく、爪で引っ掻くしか手がない。
その手段では限界があるのではないか。
「看板があるだろ。あれ使おう」
どうやら先輩は、プラスチックの看板を割り、それで壁の表面を削ることを考えたらしい。
たしかにそれならば爪よりも効率がいいはずだ。
そうしてDIY看板は「破壊王マコセン」の手により無残にもバキバキに割られ、それぞれの破片が皆の手に渡った。
「あたしが胸の辺りを削るから、奥さんは右腕でドクミは左腕、猫娘は足をやってくれ」
「……あの、僕は……」
「お前は頭だ。スパイダーテケ松」
つまり僕は壁によじ登って作業するということか。
たしかに立っている人の姿といっても、足を床に着けているわけではなく、2~30センチは地面から浮いている格好だ。身長もそこそこ高い。
女性としては高身長なほうの先輩でも、頭の辺りは手を伸ばして届くか届かないかぐらいで、作業を進めるのは厳しいだろう。
だが、いくらボルダラーとしての才能を開花させた僕だとしても、上から削るのは難しいのでは……まあとりあえずやってみるか。
皆がそれぞれの配置につき、作業を開始した。
僕は看板のかけらを口にくわえつつ、壁をよじ登って頭の位置まで着いた。
初めは左手で壁のコブをつかみ、利き腕の右手で頭の辺りを削っていたが、この体勢は非常につらいことがわかってきた。
やはり自分の身体を支えるのに片手しか使えないというのは、左手への負担が大きすぎる。
身体の方向を変えて、ちょうど人の姿の肩辺りに上半身の突端を乗せ、左手で頭の上にあるコブをつかむようにした。これで随分体勢のキープは楽になった。
皆黙々と緑色の物質を削っている。
この作業が実りあるものかどうかは誰にもわからないが、僕らは先へと進むために、今はほんのわずかな手がかりさえも欲してやまないのだ。
そんな中、クミが怖々とした声を上げた。
「腕が……腕が見えました!」
やはりこの中には人間が埋もれているのか。
彼女はプラスチック板での削りをやめて、そこからは指で緑の物質を剥ぎ取っていく。
さらには、先輩、小糸さん、うさぎまでもが、次々と中の人の身体の一部を見つけては、指での剥ぎ取り作業に移行していった。
皆と違い片手だけの作業となるため、遅れをとるかと少し焦ったが、ようやく僕のほうも削った後から濃い茶色が見えてきた。
おそらくはこれは髪の毛だ。
気味が悪いという気持ちを抑えつつ、そこからは皆と同様に剥ぎ取りを開始した。
この後の作業は順調である。頭部と壁の間にわずかな空間があり、そこに指を突っ込んでベリベリとやっていけばいいからだ。
頭はほぼ露わになり、続く目、鼻、口が順次明らかになっていった。
やがて顔全体が見えてくると――
「!!」
今把握したことの衝撃のあまり、僕はバランスを崩してまた壁から落下していった。
「危ない!」とばかり手を差し出したクミが、はたと何かに気づいたように、すぐに手を引っ込めた。
僕にまた地獄の苦しみを味あわせたくなかったんだね。ありがとう、クミちゃん。落ちるのも痛いけどね。
しかし落下の途中、誰かに右手首をつかまれた。
先輩だ。
そのまま捕らえられて、地面との衝突を免れたのだった。
先輩に手首をつかまれ、僕は新巻鮭のようにブラーンと片手でぶら下げられている。
助けてもらったのはありがたいが、なんか屈辱である。
「やっぱお前、軽すぎじゃね?」
たしかに、体重が半分になったとしても30キロぐらいだと思うが、実感としてそれより遥かに身軽な感じはしていた。
しかし今の問題はそこではない。
「マサヒロ!!」
クミが悲痛な声で名前を叫んだ。
僕が掘り出した顔に気がついたのだ。
この壁に埋もれていたのは、五味君の遺体だった。
泣き出してしまったクミ以外の面々で、五味君を壁から掘り出し、床の上へと彼を寝かせた。
相変わらず全裸の状態で、胸にはクミから移されたであろう紫色の痣のようなものが残っていた。
小糸さんが気を利かして看板の破片を彼の股間に乗せたが、逆にそこが強調された感じがして違和感があった。
だからといって、乗せなければいいというわけではない。それでは丸見えではないか。
今は他に乗せるものといったら緑色の削りカスぐらいか。それがこんもり乗せられてるのも、また違うと思う。
いっそうつ伏せにしたら?とか、脚を曲げて隠すようなポーズにしたら?などと考えてみるも、どこか故人を冒涜するようで気がひける。
うさぎが小糸さんの配慮を見て「うさぎはパパの見慣れてるから平気だよ」などと言ったが、この行動は子供への教育的配慮に基づくものだけではない。
周囲がなんかついつい気になって見ちゃうとか、本人の名誉とか、そういったものを諸々含めた総合的な判断による小糸さんの配慮であることをわかって欲しい。いや別に子供にはわからなくてもいい。
ただ、見慣れるほど娘に見せてる父親というのも問題あると思うが。
とりあえずは五味君の股間問題は置いておこう。
不思議なのは、五味君の遺体だけが緑色の物質に埋もれていたことだ。
僕ら5人は多分その物質がこの空間に流れ込み、さらにはそれが充分乾いて固まってから移動してきたと思われる。
しかし彼の遺体は、その前に移動してきたものと考えられるからだ。
ただこの問いを突き詰めても、例によって何も得るものはないだろう。なぜなら、それ以前に説明がつかないことが多すぎるのだ。
ようやく落ち着いたクミは、五味君が横たわる場所へと向かい、そこに立ち尽くした。
命の灯の消え去ったその姿を、じっと見つめているようだ。
それから彼女は身をかがめ、亡きがらに向かってそっと手を合わせる。
今の彼女の心中にどんな想いが過ぎっているかは計り知れないし、僕たちは今はただ同情の言葉をかけることぐらいしかできない。
僕も彼女と共に、五味君に黙祷を捧げた。
やがてクミが振り返った時、どこか吹っ切れたような清々しい表情に変わっているのが見てとれた。
そうなのだ。
僕たちはもう前に進むしかないのだ。
今まさに僕の中では、なんかそういう気持ちを鼓舞する的な曲のイントロが、多分ギターみたいな楽器でなんかすごい感じで高鳴っていた……って前向きな割にはモヤッとし過ぎている。
「これ、どうやって使うのかな?」
うさぎが手にハンドガンのようなものを持って、トリガーをカチカチやっている。
それは……電動ドリルか?
「ねえ、それどこで見つけたの?」
「えーとね、ゴミッチが埋まってたとこあるじゃん。あそこから紐が出てたから、引っ張ってみたらこれ出てきたの」
「紐?ああ、電源ケーブルか」
死んだ後に新たなニックネームで呼ばれるってことがあるんだな、とかはいいとして、電動ドリルが見つかったことは、僕の「想定」がおそらく当たっているんじゃないかと期待させた。
うさぎと共に五味君発掘跡地へと再び向かう。
見ると、彼の右脚があった辺りの壁に、半径20センチほどの穴が空いていた。
これがやはり電動ドリルを引っ張りだした穴とのことだ。
早速その穴に手を突っ込んで中を確かめてみる。
しばらくあちこちを触って確認を続けていたが、やがて奥のほうに伸ばした指先に何か固い感触を感じた。
細い鉄のような棒が横向きになって埋もれているようだ。
その棒を握って前後に力を入れると、少しだけだが動かせることがわかった。
「何やってる」
先輩が後ろから声をかけてきた。
「この奥に鉄の棒が――」
と返すや否や、彼女は僕を背後から抱きかかえると、両足を壁につき思い切り引っ張った。
「うぐぐぐぐ……」
しばらくは頑張ってみたものの、そんなやり方では棒は引っ張り出せそうもない。
僕はこの状態に耐えられず、つい棒から手を離してしまい、二人で床にひっくり返る。
「やっぱダメかあ」
「先輩、無茶ですって……」
「その穴を拡げていくしかないですかね」
小糸さんの言葉にうさぎが反応する。
「これ使えるかな?」
そう言って例の電動ドリルを掲げた。
しかしそいつはAC電源式のようだし、当然ここには電気が通っていない。
ま、ないよりマシか。
初めは先輩が件の穴を拡げるべく、電気なき電動ドリルでゴリゴリとその周辺を削っていたが、先輩にそんな根気強い地味作業が続けられる訳もなく、次に「うさぎもやるー」とすごくやりたがったくせにすぐに飽きてしまった小学生に続いて、僕がその作業を引き受けることになった。
たしかに単調な仕事ではあったが、穴の周辺の物質は意外に脆く、次々と剥がれるように崩れていき、やがて半径1メートル大の大穴にすることができた。
その頃は他の皆も手作業で参加し、穴の奥のほうまで壁を崩していった。
ここらでもう一度鉄の棒を引っ張り出そうという話になり、僕と先輩とクミが同時に棒をつかみ、思い切り力を入れるという作戦に出た。
その頃は、穴の奥もよく見通せる状態になっていて、鉄の棒はおそらくバールのようなものであることがわかっていた。
「いっせーのーきゅーがっはいー」
先輩が発する、どこの地方のものなのか、どのタイミングで力を入れればいいのか分からない謎のかけ声のもと、僕たちはバールのようなものを思い切り引っ張った。
何度か繰り返すうち、力を合わせるタイミングも合ってきたようで、少しずつバールのようなものを動かせる範囲が広がってきているのがわかる。
どうやら「がっ」のところで力を入れるみたいだ。最後の「はいー」は不要なのではないか。
「あとひと息です!頑張って!」
「ふぁいとー!」
小糸さんとうさぎが応援してくれている中、僕たちは協同作業を繰り返す。
次第に穴の中の壁もボロボロと崩れてきて、バールのようなものも引っ張るたびに相当動くようになっていた。
そろそろその作業にも疲れてきた頃、最後のひと踏ん張りとばかり全力でバールのようなものを引っ張った時――
僕たち3人は床へとひっくり返っていた。
バールのようなものを、やっと引き抜くことができたのだ。
先輩がそれを高々と掲げてみせると、小糸さんとうさぎの歓声が上がった。
バールのようなものは、やはりというべきかバールだった。
「わ!なんか出てきてます!」
クミが突如叫ぶ。
彼女が指す方向に目をやると、バールを引き抜いた跡から、ボトボトと何かが落ちてくるのがわかった。
それらをよく見ると――
ハンマー、ノコギリ、ノミ、キリ、カンナ、ドリル、ドライバー、レンチ……
それらは全て工具の類いだった。
そういった物たちが、穴の奥から次々と落っこちてくる。
「どうやら僕の『想定』は当たっていたようだな……」
名探偵風に語り出したものの、このまま放って置かれたらどうしようと思っていた僕に、心優しい小糸さんは尋ねてくれた。
「『想定』って何です?」
「つまりあのDIY看板ですよ」
「あれが?」
「すなわち――」
ここで僕は勿体をつける、と先輩が横から入ってきた。
「ここはあれだろ。ホームセンターのDIYコーナーとかだろ」
「あ、ええ……まあ、そう思います……」
言いたかったことを先に先輩に言われてしまったが、それはそれでまあいいだろう。
小糸さんはそれでもまだピンと来てないようだ。いやピンと来るほうがおかしいと思えるような状況ではあるけれども。
「すると、ホテルの4階がホームセンターだったってことです?」
「いや、というよりも、僕たちはホテルからホームセンターに転送されて来た、というのが正しいですかね」
途中の階にホームセンターがあるビジネスホテルなんて聞いたことがない。というか、そもそも5階と広さが全然違う。
うさぎが工具を次々と手に取りながら、新しいおもちゃを手に入れたかのようにはしゃいでいる。
今後はこれらの工具を使って球の探索を一気に進めることができるだろう。
僕たちの冒険は始まったばかりなのだ、と「作者の次回作にご期待ください」的なことを、その時僕は考えていた。
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