4Fx1 緑色
気がつくと、一面緑色の世界にいた。
背中にゴツゴツしたものを感じる。
仰向けになって寝ていたようだ。
地面に手を触れると、その表面はデコボコしているが、どこかツルツルした感触もある。
プラスチックの樹脂が大量に流し込まれて、そのまま固まった状態とでもいえるだろうか。
爪で引っ掻いてみると少し削れるようなので、蝋のような材質かも知れない。
匂いを嗅いでみたが、無臭である。
その謎の緑色の物質が、辺りを覆っているようだ。
隣りに目をやると、すぐそばには、翼を生やした先輩が、黒い下着に包まれたその魅惑的なお尻をこちらに向けて横たわっていた。
その向こう側に、クミが仰向けになって倒れている。
さらには、うつ伏せのままの少女らしき姿も見えた。おそらくは、あの猫目の女の子だ。
まさか、皆死んでしまったのでは?
そんな不安に駆られ、急ぎ身体を起こす。
そして先輩を揺さぶり起こそうとしたその時――
「あ、テケ松さん、お目覚めですかー?」
背後から小糸さんの声が聞こえた。
振り返ると、少し離れた場所に彼女が立っているのが見える。
「皆さんご無事のようですー。ただ眠ってるみたいですよー」
名うての「生存鑑定人」である小糸さんが言うのであれば間違いないだろう。
僕は安堵として、先輩を揺さぶろうとしていた手を下ろす。
「今、先輩さんのお尻触ろうとしてましたかー?」
小糸さんの思いもよらない軽口に、僕は慌てふためいた。
「な、何言ってんですか!?僕はただ先輩を起こそうと――」
「あ?お前、あたしのケツ触ろうとしてたのか?」
いつの間にか先輩が目を覚ましていた。
「いや、違いますよ!そ、それは先輩のご無事を確認――」
先輩は僕の必死の言い訳をよそに、やおら立ち上がると大きく伸びをした。
「で、ここどこだ?」
僕は先輩のその問いに答えることができなかった。
そもそも、誰がそれに答えられるというのだろうか。
「ちょっとこちらに来ていただけますかー?お見せしたいものがありますー」
そんな中、小糸さんが僕たちに呼びかけてくる。
僕と先輩は、とりあえずは彼女に招かれるまま、この謎空間を進むことにした。
道すがら周囲を眺めると、天井から床から全てが緑色の物質に覆われていて、鍾乳洞の中にいるような感じもある。
それは自ら発光する物質なのか、特に光は差さなくても、辺りを見通すことができた。
ところどころ緑色の固まりがせり出していて全体がつかみづらいが、この場所はそこそこ広さのある閉じられた空間のように思える。
ここからの出口があるかどうかは、探ってみないとわからないが。
足下がデコボコしていて、ホテル提供のサンダルを履いてはいるが、先輩はとても歩きづらそうだ。
さっきから舌打ちばかり聞こえてくる。
かえって僕のほうが速く進めそうにも思う。
僕はそんな先輩を見て、ふと思ったことを口にした。
「そんなに歩きにくかったら、先輩飛んだらいいんじゃないですか?」
「飛ぶ?どうやって?」
「いや、その翼で」
先輩は、これまで異常な頻度で見てきた「お前何言ってんの顔」で僕を見る。
「これ自由に動かせないし。そもそもこんなんで飛べるか?」
「でも、僕見ましたよ」
「いつ?」
そうだ。あの時、先輩は眠っていたんだっけ。
僕が初めて翼の生えた先輩を見た時は、その翼で空中に浮いていたのだ。
だが、先輩にとって今はまだ、背中の翼はただのコスプレの一環のようなものに過ぎないという認識だろう。
しかし、その本来の力は、まだ眠りから完全に目覚めてはいないはずなのだ。
そして、その力を引き出すには、きっと僕という男の助けが必要に違いない、という妄想に僕の胸は勝手に熱くなった。
「先輩、一緒に頑張りましょう」
「はあ?」
先輩は、これまで異常な頻度で見てきた「わけ分からんこと抜かしてると殺すぞ顔」で僕を見た。
ようやく小糸さんのところまでたどり着くと、彼女は「これ見てください」と言って、半分ほど緑色の物質に覆われた物体を指す。
それは――例の台座だった。
僕たちが気を失っている間に、大量の緑の物質が廊下に流れ込んだのだろうか?と一時は考えたが、台座の上に赤い球はなく、さらにその前面に彫られていた内容が僕の考えを改めさせた。
そこには「4」の数字が刻まれていた。
「つまり、ここは4階?」
僕は自分でも素っ頓狂と思える声を発していた。
「ええ、そうなんです。それでまたこの台座にも、くぼみが――」
そう言って台座の上部を指す小糸さんの言葉に、苛立ちを隠せないというか隠すつもりもない先輩が声を荒げる。
「また球を探してそこに乗っけろってことか?それで3階、2階、1階って降りてけばゴールか?何だこのクソゲーは!」
そうわめいては、また台座に蹴りを入れた。
たしかに先輩の言うとおり、僕たちは馬鹿馬鹿しいルールに支配されているのかも知れない。
だがその一方で、目的がはっきりしていれば僕らは動きやすいとも思うのだ。
球を探し出して台座に乗せる、というシンプルな目的が……
元の場所に戻るとクミがちょうど目を覚ました頃だった。
「あの、ここは……」
「4階みたいだよ」
「4階?ホテルの4階ですか?」
彼女は辺りを見回し、この異様な空間が僕らの泊まっていたフロアの下の階であることに納得が出来ないようだ。
かく言う僕も同じ思いなのだけど。
「そろそろあの子も起こしてあげましょうか」
小糸さんが気にかけているのは、うつ伏せになって寝ている少女のことだ。
放っておいたらいつまでも寝てるんじゃないか、そんな気さえさせるお休みっぷりだ。
「じゃ、僕が」
少女の元へ向かおうとする小糸さんを制止して、僕がその子を起こすべく小回りのきくボディーを翻した。
妊娠している小糸さんに、この足下の悪いエリアを移動させるのは得策ではない。
先ほども、ほぼ四つん這いになって歩いていたのだ。
少女のそばに近づき、寝ているその肩に触れようと手を伸ばした時――
彼女の身体はビクンと反応し、まるで危険を察知したかのように飛び起きた。
まさに野生動物のそれである。
一瞬、飛びかかってくるのでは?と反射的にその場に伏せたが、特に攻撃を仕掛けてくるでもなく、恐る恐る顔を上げると、少女は驚いた表情で僕をマジマジと見つめている。
猫だ。
少女の目は、5階の時とは違って周りが明るいからか、瞳孔が細く変化していて、まさに猫の目としか言いようがない。
しかし彼女の第一声は、「ニャー」とかいうものではなかった。
「テケテケ!!」
ああ、また化け物扱いか……そんなこと言ってる君も充分猫娘だぞ。
――などということは口に出さず、僕は落ち着き払って少女に声をかける。
「えーと、君は……うさぎちゃんだっけ?」
「何でうさぎの名前知ってるの?」
それはパスポートを見たから、とも言えず「うん、何となく、見た目で」などと口を濁す。
見た目で言えば全く別の動物なのだが。
「すごーいテケテケ、パパみたい」
「パパ?パパみたいって?」
うさぎはその時、問われるがままに自分のことを語り始めた。
彼女によれば、父親は手品師で、全国をドサ回りしているらしい。
母親が男を作って家を出て行ったため、ひとりうさぎを家に置いておくわけにもいかず、学校を休ませて地方の公演先に一緒に連れて来たということである。
そんな家庭内事情を彼女はあっけらかんと話してくれた。
「それで、そのパパはどこにいるんだ?」
全く話を聞いてない風だった先輩が、うさぎに問いかける。
まあ、先輩はいつも大体そういう態度だが。
「えーとね、スタッフの人と打ち合わせ?打ち上げ?があるんで遅くなるから先に寝てなさいって」
父親が部屋に不在だった理由はわかった。
打ち上げがどれだけ盛り上がったのかは知らないが、深夜になってもホテルに戻って来なかったのだろう。
ただ、あの時506号室には父親どころか誰もいなかったはずである。
「あのな、猫娘」
「猫……娘?」
自分が呼ばれたのかもわからずポカンとしているうさぎに対し、先輩が尋問でもするような口調で問いただす。
「あたしたちはお前が泊まっていた部屋を調べてみた。だが、その時そこにお前の姿は見当たらなかったんだよ。
ところがその後、あたしたちが台座の周りにいた時、お前はまさにあたしたちが出てきた部屋から飛び出してきたってわけさ。
あれは一体どういうことだったんだ?お前も父親と同じくマジシャンなのか?」
「えーと……うさぎ、落っこちてたんだよ」
「落っこちてた?」
うさぎの説明が意味不明すぎて、僕もつい声を出してしまう。
「うん、ベッドの隙間んとこ」
ベッドの隙間?たしかにベッドと壁の間にわずかな隙間はあったが……しかしそれは非常に狭いもので、そもそもあんなところに人が入れるだろうか?……でも小さな女の子ならもしかして……いや、握りこぶしぐらいの幅しかなかったような……
「やっぱ、あの隙間は無理だろ……」
先輩がブツブツつぶやいているのが聞こえる。
たしかに先輩が腑に落ちてないのはごもっともとしか言いようがない。
ただ、あの時その隙間までは確認しなかったのも事実なのだ。
人が入れないぐらいの狭さというのも、今となっては証明もかなわず、もはやその時の印象でしかない。
先入観というのはトリックの大事な要素ではないだろうか。
別にうさぎはマジックを仕掛けたつもりはないだろうけど。
「狭くて出る時大変だったんだよ。あんなとこ、どうやって落っこちたんだろ……」
「寝ぞうがお悪いんですね。ふふふ」
先輩はまだどこか釈然としない顔をしているが、この件は小糸さんの「ふふふ」で一旦片づいた体となった。
ただ、もうひとつ僕には気になる点があった。
それはうさぎの猫のような目だ。
その猫目は、他の皆と同じように、この世界が変質あるいは別の世界に移動したタイミングで彼女が得たものではないか、ということだ。
「で、うさぎちゃん。君のその目なんだけど――」
「目?うさぎの目がどうしたの?」
そうか、彼女は目が覚めてからまだ一度も自分の顔を見ていないのだ。
逆に僕たちはうさぎの以前の顔を知らない。
変化があったとしても、誰も知りようがない。
ただ、これまでの彼女の反応を見ると、うさぎが猫目になったのは今回のタイミングであることは間違いないだろう。
このことを彼女にどう説明したらいいのか……
「いや、なんか目が猫っぽいっていうか……」
「え?猫?初めて言われた!猿みたいって言われたことはあるけど。すばしっこいから」
猿のように敏捷な猫目の少女、犬山うさぎ。
おまけに彼女の着ているTシャツには牛のキャラがプリントされている。
どうしてここまで動物が渋滞しているのか。
「で、ここどこ?」
この質問は何度目だろうか。
僕はうさぎの疑問に対して、これまでの状況や皆の身体の異変、台座や球について、僕たちが知り得たこと全てを丁寧に説明した。
うさぎは年端もいかない少女だが、頭の回転が早いのか、その猫目をキラキラさせながら、僕の不可解な話を次々と理解してゆくように見えた。
かえって先入観がない分、子供のほうが今回の異常な事態を受け入れやすいのかも知れない。
「てゆうことはー、みんなで協力してボールを探してここを脱出するっていうゲームだね」
「クソゲーだがな」
これから楽しいことを始めようとする純真な子供に対し、冷や水ぶっかけるような、そんな大人げゼロの先輩であった。
「じゃあさー、うさぎたち、チームなわけじゃん。みんなのこと何て呼べばいい?お腹おっきいおばさん、毒キノコ、悪魔お姉さん、とか」
無邪気な子供の発言は、ときに残酷なものである。
特に「毒キノコ」呼ばわりされたクミは、泣きそうな顔になっていた。
さらに、あの癒し系美人の小糸さんを「おばさん」と呼ぶのも納得できない。教育的指導が必要だ。
ただ、「悪魔お姉さん」はひとつも間違ってないのでいいと思う。
もちろん、そんな名前で呼ぶわけにもいかないので、相談の結果、小糸さん→キアリン、クミ→クーミン、先輩→マコセン、というそれぞれがくすぐったいような可愛い呼び方で決定したようだ。
いやちょっと待て。何か忘れていないか。
「うさぎちゃん、僕のことは……」
「え、テケテケじゃないの?……あ、そうか。猫のこと猫って呼んだらおかしいよね。テケテケにも名前あるよね」
そういうことではない。が、とりあえずそういうことでもいい。
協議の結果、僕はうさぎから「ミチスケ」と呼ばれることで落ち着いた。
何はともあれ、僕たちは5人となり、皆でこの不可解にして厄介な状況を乗り越えていかなければならないわけなのだ。
「じゃあ、早速みんなでボールを探そう!」
子供は元気でいいな、と思いながら、もはや子供より身長の低くなった僕は、そんなうさぎをただ見上げていた。
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