5Fx5 玉置
僕と彼女たち3人は、その時506号室のバスルームの中にいた。
と、そんな言い方をするととてもハーレム感があるが、実際はある物を確認するために皆で足を踏み入れたというだけである。僕にだけ足はないが。
普通こんなところに4人も入ることはないので、かなり手狭である。
クミは浴槽の中に立つことになったし、僕は便座の上に――座るという表現はおかしいので――乗っかっていた。
「あれをご覧ください」
バスガイドよろしく洗面台の鏡の上にある棚を指さす。
皆が一斉にその方向へと目をやった。外からの光があまり入らず、室内はうす暗い状態ではあるが、かろうじてその物体を見てとることができた。
「あ、あんなの置いてあったんですね。先ほどは気づきませんでした」
小糸さんの言葉に、負けず嫌い星人である先輩は、ひとこと言わなければ気が済まないようだ。
「テケ松に探索の途中で呼ばれなきゃ気がついたけどな」
「先輩、僕の聞き違えかも知れませんが、僕の名前はですね――」
「で、あれがどうした?」
クレームは軽く流され、その呼称はそのまま定着していくのだろう、という諦めと共に僕はここに下半身を取り戻すという決意を新たにした。
棚の上、折りたたまれたバスタオルの上に乗せられていたのは、ボウリングのボールサイズ程度の赤い球だった。
「取ってもらってもいいですか?」
とても手の届かない場所にあるので、今や僕の二倍以上の身長はある先輩にお願いする。大女風に聞こえるが、当然僕の背丈が半分になっただけである。
先輩は両手を伸ばして球をつかむと、それを自分の胸の前に持ってきた。そんなに重くなさそうだ。
「ガラス製かな……それにしては軽いか」
小糸さんも球に触れては「まあホントに」などと言っている。
「これが一体何だってんだ?」
謎の球を抱えながら、先輩が当然の疑問を口にする。
「つまり――それを台座に乗せるんです」
そう言うと、周りに「この男何言ってんの?」という空気が流れた。気がした。
これまでの経緯を把握していないクミが口を開く。
「『台座』って何ですか?」
そんな彼女に、廊下奥に現れた石造りの台座について説明した。さらにはその上にある丸いくぼみについても。
「こいつをあの台座に乗せてどうする?」
「えーと、とりあえずは乗せてみるだけです」
先輩の「はあ?」という反応を待たずして、説明をたたみかける。
「僕は、その球はあの台座と同じタイミングでここに現れたものと考えています。まずそれはホテルの備品であるとは考えにくい。インテリアとしても成立していません。さらには宿泊客の私物でもないでしょう。この部屋には小学生の女の子も泊まっていたようですが、子供のおもちゃの類いであればもっと柔らかい素材のボールになると思われます。つまりは、このフロアがこの状況となる――おそらくは別の世界に移動するまで、その球はここに存在していなかったと僕は考えるのです。
さらにはあの台座の上の丸いくぼみです。僕が台座によじ登って観測した限り、ちょうどその球と同じくらいのサイズと思われます。そう、その球は本来あのくぼみに収まるべきものである可能性が高いのです。
台座と同時に出現し、それが収まるべき場所が用意された赤い球。然るべきところに然るべきものを配置すべし、というこれは天からの啓示じゃないかとさえ僕は感じます。
ただ、それを台座に乗せたからといって、何かが起こるという保証はありません。しかし、脱出のために打つ手がない状況で、このことは是非試してみる価値のあるおこないであると僕は考えるのです」
「要はこいつをあそこに置いて反応見ようってことだな」
渾身の長々としたスピーチを先輩はひとことで片付けた。
まあ、納得してもらったようだからいいだろう――
「これより玉置の儀を執りおこないます」
台座の前で白装束をまとった小糸さんが物々しく口上を述べた。頭を白い鉢巻で縛り、そこに火のついた二本のロウソクを立てている。彼女が右手に携えた錫杖を床に打ちつけると、シャンシャンという鈴の音が鳴り響いた。
そして辺りに、笙の奏でる古風な楽音が厳かに流れ出す。
「ひと ふた み よ いつ む なな や ここの たり ふるべ ゆらゆらと ふるべ――」
小糸さんが祝詞を唱え始めると、廊下のもう一方より、巫女姿のクミが、三宝と呼ばれる鏡餅の台に例の赤い球を載せて、神妙な面持ちのままそろりそろりと足を進めてきた。
台座より少し離れた場所に、巫女装束の彼女が立ち止まると、小糸さんが前に歩み出て錫杖を床に思い切り叩きつける。
「タアッ!」
するとそこを中心として、床の上に円形に光り輝く文様が描き出された。どうやらそれは魔法陣のようだ。
彼女がゆっくりと陣の外へと出ると、中心に赤黒いもやが立ち現れ、激しい放電が始まった。
その弾け合う青い火花の中から次第に黒い影が浮かび上がってくる。やがて放電の減衰と共に、その影は徐々に片膝立ちの人間の姿であることが見て取れるようになる。突如その背中からバサッという音を立てて黒々とした翼が広がった。
そこに現れたのは、夢魔にも似た先輩の姿であった。
彼女はクミより赤い球を受け取ると、淫靡な微笑を浮かべそれに口づけをした。そこから球を高く掲げたまま、漆黒の翼を羽ばたかせて飛び立つのだった。
彼女はそのまま、稀代の淫婦サロメの如く妖艶で蠱惑的な舞を空中で舞ってみせた。
そして台座の前に降り立つと、ヨカナーンの首を差し出すように、赤き球をその上へと――
――と、ここまでは僕の妄想であり、実際はそんな儀式ばったことや先輩のエロいダンスなどひとつもなく、普通にあっさりと先輩は台座の上に赤い球を乗せた。
皆が台座を注視していたが、案の定というべきか何も起きない。
失望というよりも「そりゃそうだよね」といったムードが漂っているのがわかる。
そんな時、「あの子……」とクミが僕の後方を指差した。振り返ると、506号室から小学生ぐらいの女の子が、眠い目をこすりながら出てくるのが見えた。
あの子がもしかすると――犬山うさぎ――だっけ?……あの部屋には誰もいなかったはずだ……一体どこにいたんだ?
その女の子は僕たちに気づくと、顔を上げてこちらを見た。
薄暗がりの中、その子の目が光って見える。
「猫?」
そうつぶやいたのは、先輩だろうか?たしかに、その女の子の目は、白目がほとんどなく、黒目の部分は黄色く光り、辺りが暗いからかその瞳孔が大きく開いている。まるで猫の目のようだ。
「れれ?」
女の子のほうも僕らに驚いたようだ。不思議そうにこちらを見ている。その時――
ブウウウウウゥゥゥゥンンン……
突如機械の作動音のようなうなりが聞こえてきた。その音は台座から発生しているようだ。そちらを見ると、台座はいつの間にかその全体に白い光を帯びていた。その光は、じわじわと広がっているようにも思える。
「あの、これは、避難したほうがよいのでしょうか?」
小糸さんが問いの内容の割にはのんびりした口調で尋ねてきたが、その言葉の間もなく、急速に広がった白い光の中に呑まれていった。
悲鳴を上げるクミも、ただ立ち尽くす先輩も、突如現れた女の子も、白い光に包まれて消えていく。
やがて視界は白一色に覆われ、自分の身体さえ見えなくなった。
もしかすると、これで元の世界に戻れるのだろうか?そして、無事に僕は下半身を取り戻し、イチモツを握ってホッとしたりできるのだろうか?
それとも……
胸の裡に浮かぶ希望も不安も全てが、白い闇の中へと消えていった。
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